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大東亜連邦の成立  作者: あまもえもも
第一章(二・二六事件~治安維持法廃止)
4/5

第四話 乾いた理想、湿った安全

本作は架空の歴史改変を扱うフィクションです。

史実の人物・組織名が登場しますが、描写・行動・関係性は物語上の再構成・仮想設定です。

政治・治安・軍事に関する専門用語や制度は、

読者向けの読みやすさを優先して簡略化・再解釈しています。




 一九三六年三月二十八日。

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目 内務省


 東京の空は、三月の終わりを裏切るように明るかった。

 明るい日ほど、国は陰影を見落とす。


 軍のストライキ宣言の翌日。

 政府は倒れなかった。

 軍も動かなかった。


 その“動かなさ”が、

 次の戦争の準備になっているだけだと

 気づく者は少ない。


 内務省。

 古い建物は、

 正しさと悪意の両方を

 同じ廊下で育ててきた匂いがした。


 内務次官が、

 会議室の窓を閉める。


「議会が軍の椅子を揺らし始めた。

 だから軍は椅子の脚を折りにくる」


 警視総監は、即答しない。

 即答しない沈黙は、

 責任者だけが持てる贅沢だ。


 博麗補佐官は、

 資料を机に並べながら言った。


「折らせません。

 椅子の脚は、先に数を増やす」


「警視庁拡張の話か」


「正確には、

 増やして“作法を統一する”」


 警視総監の目がわずかに動く。

 増やすことは武力に見える。

 統一することは制度に見える。

 軍は前者を挑発と呼び、

 後者を脅威と呼ぶ。


「作法の統一は、

 警察だけの話ではないな」


 内務次官が言った。


「はい」

 霊夢は頷く。

「情報の作法も統一します」


 霧雨特務課長が

 壁際から声を落とす。


「自ら立ち上げた中央情報局に刃を入れるか。」


「必要です」


 霊夢は呟く。


「内戦前は肥大化が必要になる。

 しかし勝った後に肥大化が残れば、

 民主主義は戦利品になります」


 警視総監が眉を寄せた。


「監察官。」


「監察官を置きます。

 予算は内務と議会の二重鍵。

 そして人員は固定しない。

 非常時権限には期限条項を入れます。」


 内務次官は短く笑った。


「勝ってから

 自分の刃を鈍らせる約束か」


「勝った側が

 刃を研ぎ続ける国は、

 早晩、自分を切ります。」


 魔理沙は

 その言葉を肯定しない。

 否定もしない。

 現場は思想より先に

 血の温度を知っている。




 * * *




 一九三六年四月八日。

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目 内務省・兵站資料室


 数字は平等だ。

 平等すぎて、政治の言い訳を許さない。


 紙に印刷された不足の行。

 歩兵装備、マイナス一万二千七百六十。

 不足は兵の恥ではない。

 制度の遅さの証拠だ。


 内務次官は、ため息をつかなかった。

 ため息は責任の代わりにならない。


「軍は強い」

 という物語は、

 倉庫が健全である限りだけ成立する。


 霊夢は

 数字の列を指でなぞった。

「皮肉なことに今の状況は、我々に有利と言えます。」


「“戦える国”の条件は

 気合いではありません。

 供給と、その順序です」


 魔理沙が

 短く返した。


「順序を間違えれば、

 最前線より先に

 国民が飢える。」


 内務次官が

 ようやく頷く。


「だから警視庁の拡張は

 “治安の武装”じゃない。

 戦時の市民が

 軍の顔色で死なないための配線だ」


 霊夢は

 否定しない。


「ええ。

 軍が国家を守るのではなく、

 軍で国家を守る形、

 延いては国家が国民を守る形に戻します」




 * * *




 一九三六年四月八日

 喫茶店


「おまえ、徴兵の話、来たのか」


 体格のいい学生は

 首を振った。


「まだ。

 でも“来る”って気配だけで

 もう腹が決まる時あるだろ」


「腹が決まるって」


「決まるっていうか、

 決めさせられるっていうか」


 細身の方が

 窓の外の駅を見た。


 人は多い。

 多いのに、

 どこか静かだ。


「就職、探してんのか」


「探してる。

 でもさ、

 探すほど

 席がある気がしない」


「席があるって信じないと

 朝起きられねぇのに」


「それでも起きるんだろ」


「起きる。

 起きて、

 席がないって確認する」


 コップの氷が鳴る。

 軽い音が

 重い話の間に落ちる。


「警察って、今入りやすいのか」


「知らん。

 けど増やしてるって噂はある」


「増えるって聞くと

 安心するか?」


「半分」

 体格のいい学生は正直だった。

「もう半分は、

 増やす必要があるくらい

 やばいってことだろ」


 細身の方が

 小さく頷く。


「俺らみたいなのが

 行くとこって

 だいたいそういうとこだな」


「行くとこっていうか、

 押し出される先だ」




 * * *




 一九三六年四月十五日。

 東京市麹町区有楽町一丁目

 警視庁本部


 庁舎の廊下に、新しい靴音が増えた。

 音の種類が増えたと言うべきかもしれない。


 軍靴の音は、決まったリズムで来る。

 規律という名の機械音だ。

 警察の靴音は、少しだけ不揃いだ。

 都市の不確定さを踏みしめる音。


 その不揃いが、今日は奇妙に揃っていた。


 警察組織の拡張 完了。

 その文字は、

 祝賀の言葉でも勝利宣言でもない。

 国家が戦争に入る前に

 国家自身の体重を測り直した

 というただの記録だ。


 内務次官は

 書類をめくる速度だけが早かった。


「三十五日で終えたわけではない。

 三十五日で“終えたことにした”んだ」


 魔理沙は

 笑わない。


「現場は1カ月で増えません。

 増えるのは紙と命令だけです」


 霊夢は

 机の端に置かれた

 編成表を指先で揃えた。


「必要なのは順序です」


「順序?」


「誰が誰の命令で動くか。

 どの瞬間に、

 どの通信系統へ切り替わるか。

 そして

 都市の防衛が

 軍の“恩寵”に見えないようにするか」


 内務次官が

 唇を薄くした。


「ここまで明確に、師団として機能するほどの軍事力を持つ警察組織の編成は

 軍を刺激する」


「そうかもしれません。」


 霊夢は否定しない。


「しかし、

 刺激される程度で壊れる統治は

 最初から統治ではありません」


「そして次はこれです。」

 霊夢は別の紙を置いた。


 山陰。

 東海。

 南東北。

 東北。

 北海道。

 北九州。

 四国。


 地図に線が引かれていく。

 線は支配の縄ではない。

 内戦が始まったとき、

 東京が孤立しないための呼吸器だ。


 内務次官が

 数字を見た。


「莫大な予算だな。」


 魔理沙が

 一歩だけ空気を重くする。


「通常なら

 一年半ぶんの政治の寿命です」


 霊夢は

 静かに言い換えた。


「払う価値があります。

 払わない場合、

 首都だけが正しくて

 地方が“正義の名を借りた反乱”になる」


「それを防ぐ?」


「始まり方をこちらに寄せる形になります。」




 * * *




 同日。

 


 ここでは祝辞は交わされない。

 昇進と転向は、

 必ず静かな部屋で起こる。


 岡村寧次。

 若松只一。


 この二つの名は、

 紙の上の軍歴だけなら

 いくらでも整然としている。


 だが国家は

 軍歴だけで

 人間を配置できない。


 内務次官が

 意外な調子で言った。


「彼らは本当に

 こちらにつくのか」


 魔理沙は

 窓の外を見たまま答える。


「“こちらにつく”

 という言い方は危ないです」


 霊夢が

 引き継いだ。


「正確には

 “向こうに立たない選択肢を”

 用意します」


 内務次官が

 眉を寄せる。


「選択肢?」


「軍部の政治が

 この先

 ‘忠誠の証明’を要求するとすれば、

 穏健派は

 何もしないだけで敵になります」


 魔理沙が

 短く頷く。


「沈黙の罪ってやつだ」


「ええ」


 霊夢は

 淡々と続ける。


「だから彼らには

 沈黙ではなく

 別の所属先が必要です。

 軍ではなく国家へ。

 派閥ではなく制度へ」


 岡村と若松が

 この時点で

 “民主派の英雄”として

 前面に出るのは危険だった。


 必要なのは

 宣言ではない。

 足場だ。


 そして足場は

 往々にして

 予算と椅子と責任の配分

 という要素で組み上がる。




 * * *




 一九三六年五月二十日。

 東京市麹町区内幸町二丁目

 帝国議会・第三臨時議事堂(仮議事堂)


 名前は出さなかった。

 旗も掲げなかった。

 掲げれば軍が、先に物語を作る。


 だから議会は

 “反軍”という名札を避け、

 “統治の形式”という語彙を選んだ。


 演説は

 戦争の宣言ではない。

 統治の順序を

 国民の耳へ戻す作業だ。


 町田忠治は

 言葉を飾らない。

 飾りは

 敵に回収される。


「軍を否定するのではありません。

 軍の責任も任務も、

 むしろ強く確定させる。

 ただし

 統治の最終責任は文民政府にある。

 その順序を

 もう一度

 統治の形式として

 静かに戻すのです」


 拍手は

 大きくならない。

 大きな拍手は

 政治を感情に変える。


 代わりに

 椅子の軋みが増えた。

 人が立ち上がる回数が増えた。

 頷きの種類が増えた。


 派閥は

 思想で一致しない。

 手順で一致する。


 それがこの日の

 静かな成果だった。


 休憩のベルが鳴る。

 廊下へ出る議員たちの間に

 “同盟”という空気はない。


 あるのは

 「軍の政治を

 このまま形式として放置できない」

 という

 温度の近さだけだ。


 霊夢は

 議場の後方で

 その温度の分布を見ていた。


 熱は

 集めすぎると

 爆発の理由になる。


 分散させたまま

 同時に動かす。

 それが

 我々の戦い方だった。


 魔理沙が

 耳元で言う。


「派閥を

 “反軍”で束ねるのは

 危険だな」


「ええ」

 霊夢は

 声を落とす。


「軍を敵にする言葉は

 軍の英雄を増やします。

 だから

 敵ではなく

 “手続きの逸脱”として処理する。」


「”手続きの逸脱”ね。」


「……。」




 * * *




 一九三六年六月十八日。

 福岡県小倉市

 陸軍造兵廠小倉工廠


 工廠の門は、

 軍の門ではあるが、

 地域の門でもあった。


 この門が

 どちらの命令で開き、

 どちらの帳簿で閉じるか。

 それが北九州の帰属を決める。


 魔理沙は

 工廠の構内に入ってから

 “警察の足音”を

 意図的に消した。


 ここは治安の現場ではない。

 兵站の現場だ。


「霧雨特務課長。

 警視庁の名前で

 造兵廠に来るとは

 珍しい」


 魔理沙は

 名刺を置かなかった。

 名刺は

 関係の“公認”を

 早くしすぎる。


「今日は警視庁の用事じゃありません。

 内務省の用事です」


「言い換えれば

 国会の用事か」


「言い換えれば

 国家の用事です」


 工廠長 村井中将は

 笑わない。


 軍人が

 “国家”を口にするとき、

 そこには

 必ず二つの解釈がある。


 軍が国家を守るのか。

 国家が軍を規定するのか。



 霊夢は

 少し遅れて

 入室した。


 魔理沙が

 紹介を省くと、

 村井は

 視線だけで理解した。


 理解が早い人間は

 危険でもある。


「――議会が

 造兵廠に

 どんな“作法”を求める?」


 村井が問う。


 霊夢は

 声を飾らない。


「生産が政治の人質に

 ならない作法です」


「政治の人質?」


「工廠が

 軍の政治のために

 止まるなら、

 北九州は

 軍の領土になります」


 魔理沙が

 短く補う。


「止まれば

 現場が割れる。

 割れれば

 “守るべき地域”が

 “奪うべき地域”に

 変わる」


 村井は

 机の上の書類に

 指先を置いた。


「銃床の強化。」


 霊夢は

 淡々と頷いた。


「表向きは強化です。

 実際は

 生産線の優先順位の変更と

 物流の結節点の切り替え」


「つまり

 ”国家”の線に

 工廠を組み込む」


「ええ」


 魔理沙が

 窓の外を見た。


 遠くに

 八幡の工業地帯の影がある。

 北九州は

 都市の名ではなく

 工業の集合体だ。


 ここを握るという意味は、

 兵の数より重い。


「工廠は

 軍のものだ」


 村井が

 当然のように言う。


「だから

 軍が政治で割れれば、

 工廠も割れる」


 魔理沙が

 すぐ返す。


「工廠が割れれば、

 北九州が割れる」


 村井の目が

 わずかに動く。


 この中将は

 “兵器の人”ではあるが、

 同時に

 地域の現実も

 わかっている。


 小石川の機能移転以後、

 工廠の意味は

 単なる生産以上に

 重くなっている。


 霊夢は

 書類を一枚差し出した。


「北九州の治安と補給を

 軍と警察の綱引きに

 しないための合意案です」


「合意?」


「国家の名で

 この工廠を動かす」


 村井が

 眉を寄せる。


「軍ではなく、国家で。」


「言葉が

 危険だな」


「危険です」


 霊夢は

 即答した。


「でも危険を避けるために

 曖昧にすれば、

 さらなる危険が起きたとき、

 この工廠は

 最も都合のいい

 物語に吸い込まれます」


 魔理沙が

 小さく言う。


「どっちに転ぶか

 “空気”で決まるような場所は、

 先に空気を

 固定しておく」


 村井は

 しばらく沈黙した。


 沈黙は

 拒絶ではない。

 計算の音だ。


「警察師団の話を

 聞いた」


 魔理沙は

 答えない。


 答えた瞬間、

 ここが

 “警察が軍に挑む会談”

 に化ける。


 霊夢が

 要点だけを置く。


「“警察”は

 軍を倒すためではなく、

 都市を軍の“慈悲”から

 切り離すためにあります」


「内戦を

 想定していると?」


「内戦を

 想定していない国は、

 内戦の形を

 選べません」


 村井が

 息を吐く。


「君は嫌われる言い方をする」


「はい。

 でも、

 嫌われる言い方を避けて

 壊れる街を見たくありません。」


 会談は

 署名で終わらない。


 終わるのは

 生産ラインの指示順と

 輸送の優先順位

 である。


 村井は

 最後に

 魔理沙へ

 視線を向けた。


「現場は

 政治を嫌う」


「政治は

 現場を

 盾にします」


「なら、君たちは

 どうする。」


 魔理沙は

 答える。


「政治から

 兵器と、それを作る人の暮らしを守る。」


 村井は

 その言葉に

 頷いた。


 この頷きは

 民主派支持の宣言ではない。


 北九州が

 “戦争の都合”ではなく

 “国家の順序”で動く

 という

 最低限の合意だ。




 * * *




 一九三六年六月二十四日。

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目

 内務省


 超党派の協力が、

 “できたことにする”段階を越えて、

 “動くことにする”段階へ移った。


 形式の協力は

 写真に残る。

 実務の協力は

 記録の端にしか残らない。


 だが内戦は

 写真で勝てない。

 端の記録のほうで起きる。


 内務次官は

 椅子の背を一度だけ鳴らして

 口を開いた。


「今日で

 “議会が割れない形”は作った」


 魔理沙が

 即座に拾う。


「ええ。

 “次は折れない形”を作ります。」


 霊夢は

 淡々と言葉を紡ぐ。


「そして、

 折れない順序を

 街に先に配ります」


 内務次官が

 資料をめくる。


 高橋是清。

 幣原喜重郎。


 名前の重さだけで

 空気が一段変わる種類の人間だ。


「二人を

 政治顧問として表に置く。

 軍縮と対外の作法を

 同時に示す。」


 霊夢は

 短く頷いた。


「“軍の敵”ではなく

 “国家の重心”を見せるためです。」


 魔理沙が

 半歩だけ渋い声を落とす。


「重心を見せても

 街はすぐには動かん」


「だから

 街の言葉を増やします。」


 同じ日。

 庁舎の別室では

 さらに静かな作業が進んでいた。


 報道機関の制定。


 “民主主義支持率を

 日ごとに上げる”

 という言い方は

 作中の言葉としても

 現実の言葉としても

 露骨すぎる。


 だから霊夢は

 言葉の構造だけ変えた。


「書かせるのではありません。

 書く速度と語尾を

 揃えるだけです。」


 官僚が

 慎重に聞き返す。


「具体的には」


「“危機”という語は使わない。

 “調整”を使う。」


「“排除”という語は使わない。

 “手続”を使う。」


「“軍の暴走”と書かない。

 “統治の順序の逸脱”と書く」


 魔理沙が

 壁際から言った。


「言い換えで

 世論が動くのか」


「動きます」


 霊夢は

 温度を上げずに断定する。


「世論は

 思想より

 “語彙の癖”で形成される」


 内務次官が

 小さく笑った。


「革命じゃないな。」


「調律です。」




 * * *




 やることは

 派手ではない。


 新聞の見出し。

 ラジオの言い回し。

 記者会見の語尾。

 質問の順番。


 そして

 地方に落ちる

 “同じ形式の説明資料”。


 内戦が来る前に

 国民の頭の中に

 “同じ型”を配る。


 それは暴力ではない。

 暴力が物語を奪う前に

 形式を先に置く

 制度の戦い方だった。




 * * *




 一九三六年六月二十五日。

 東京市麹町区内


 駅前の喫茶店では

 学生が

 小声で話していた。


「高橋是清が

 また名前出てきたな」


「経済の人だろ」


「経済の人が

 今の顔になるってことは、

 戦争の人じゃ

 ないってことだ」


 政治の言葉は

 彼らには遠い。


 だが

 就職と徴兵の恐れが

 政治の匂いを

 生活へ引き寄せる。


「警察、増やすんだって?」


「増やすってことは

 やばいってことだろ」


「でもさ」

 別の学生が

 コップの氷を揺らす。

「増える制服は

 軍じゃなくて警察なんだろ」


 その差は

 小さいようで

 国の形を変える差だ。


 街は

 こういう差を

 数字より先に

 肌で覚える。




 * * *




 一九三六年六月二十五日。

 地方郊外


 地方紙の新聞社では

 若い編集者が

 見出しの語尾を

 三回書き直していた。


「“危機”は出すな」


 上司が

 低い声で言う。


「でも読者は

 危機を感じてます。」


「感じてるなら

 なおさら

 危機と書くな」


 編集者は

 一度だけ

 鉛筆を止める。


 誰かが

 “書かない自由”を

 守るために

 “書く順序”を

 整えている。


 その矛盾は

 民主主義の

 呼吸みたいなものだ。




 * * *




 一九三六年七月二十日。

 東京市麹町区千代田

 宮城付近


 皇室ラインは

 議会より静かだ。


 静かでなければいけない。


 皇室の支持を

 掲げた瞬間、

 軍は

 “奪う理由”を

 国家の中心に置ける。


 霊夢は

 それを避けるために

 宮城へ赴いている。


 護衛の数は

 増やさない。

 増やせば

 儀礼が

 政治に見える。


 応接の部屋にいたのは

 宣仁親王。

 節子皇太后。


 空気は

 冷えてはいない。

 だが

 温める必要もない種類の部屋だった。


 宣仁親王が

 先に言った。


「議会は

 よく持ち直しているようだな」


 霊夢は

 私として答える。


「形式だけなら

 持ち直しています。

 問題は

 形式が“物語”に

 負けないかどうかです」


「物語とは」


「軍が

 “国を救う”という

 英雄の物語を

 作ってしまうことです」


 節子皇太后は

 視線を外さず言った。


「英雄は

 民の心を救う。

 だが

 国を救うとは限らない」


 霊夢は

 その言葉を

 受け取る形で頷く。


「はい。

 私たちは

 英雄を必要としない国を

 作りたい」


 宣仁親王が

 静かに笑う。


「きみは

 皇室の名を

 盾にしたいのではないな」


「盾にすれば

 戦場になります」


 霊夢は

 すぐ答えた。


「私が必要としているのは

 盾ではなく

 “ねじれの防止”です」


「ねじれ」


「陛下の御心が

軍の物語に吸われたとき、

国家の主語が

一夜で変わります。

その危険を

制度側で

最小化したいのです」


節子皇太后が

少し間を置いて言った。


「それは――

陛下の御判断を

疑うという話かえ」


「いいえ」


霊夢は

正座を崩さずに答えた。


「信じているからこそ、

“信じられない状況に

追い込まれる可能性”を

先に潰しておきたいのです。

皇室の名を利用したい者は

これからも現れ続けます。

その時に

“名を使わせない役目”を

担える支柱が

どうしても必要になります」


短い沈黙のあと、

節子皇太后は

どこか呆れたように、

しかし興味を隠さず笑った。


「珍しい官僚だこと。

きみは」


「恐れ入ります。」


「……分かった。

 書面を拝見しよう。

 どこまで名を貸し、

  どこから先を退けるかは、

 こちらで線を引く」


 そのとき差し出したのは、

 法案ではなく、

 単なる覚書だった。

 “非常時における皇室の政治的中立性の確認”

  と書かれた紙。


「つまり

 私たちの支持は

 掲げないのだな」


「掲げません」


「なら

 どう使う」


 霊夢は

 言葉を選んだ。

 選びすぎない程度に。


「使いません。

 預かります。」


 宣仁親王が

 眉を上げる。


「預かる?」


「必要になったときだけ

 軍の物語を

 静かに折るために

 存在させます」


 節子皇太后が

 小さく息を吐く。


「それは

 政治家の言葉ではないな」


「官僚の言葉でもありません」


 霊夢は

 正面から言った。


「国家の保険の言葉です」


 宣仁親王は

 深くは頷かない。

 浅く否定もしない。


 皇室が与えるのは

 許可ではなく

 重みだ。


 重みは

 見せた瞬間に

 武器になる。


 だから

 見せない。


 節子皇太后が

 最後に言った。


「きみは

 民のために

 皇室を使おうとしている」


 霊夢は

 静かに修正する。


「私は

 皇室が

 民に向けられる

 戦争の看板にならないために

 皇室を守ります」


 その言葉は

 忠誠の言葉ではない。

 統治技術の誓約だった。




 * * *




 一九三六年七月二十九日。

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目

 内務省


 皇室平和主義者の支持獲得。

 作中の記録は

 そうなる。


 だが現実の運用は

 “獲得”ではない。


 固定だ。


 宣仁親王と節子皇太后の名は

 公表されない。

 新聞に踊らない。

 演説にも出てこない。


 それでも

 霞ヶ関の幾つかの電話線では

 空気が変わる。


 誰も

 “皇室が味方についた”とは言わない。


 代わりに

 こう言う。


 「軍が

 皇室の名で

 政治を奪うことは

 難しくなった」


 それだけで

 十分だった。


 魔理沙が

 内務次官に

 呟くように言った。


「皇室の名前を

 出さないってのが

 一番効くんだな」


 内務次官は

 疲れた顔で肯く。


「名前は

 掲げれば旗になる。

 旗は

 奪い合いが始まる」


 霊夢が

 結論だけ置く。


「旗にしない支持は、

 奪えません。」


 七月の終わり。


 都市はまだ

 平時の顔をしている。


 だが

 平時の顔の下で

 “ねじれないための支柱”が

 一本増えた。


 それは

 華々しい勝利ではない。


 けれど

 内戦の前夜に必要なのは

 勝利ではなく

 崩れない形だった。




 * * *


 一九三六年八月六日。

 東京市麹町区霞ヶ関

 中央情報局・対外連絡室


 外交は、

 理想を語る場ではない。

 事故の形を選ぶ場だ。


 この年の日本とアメリカは

 握手の写真を撮る距離にはいない。

 だが

 戦争の火が

 内側から燃え始めた国は、

 外側の冷たい水を

 先に探す。


 霊夢は

 机の上の資料から

 国名を抜いた。


 国名は

 敵に“筋”を与える。

 筋ができれば

 推理される。


 だから書類には

 こうしか書かれていない。


 「緊急時航空供与に関する

 民間ルート覚書(草案)」


 軍事ではない。

 同盟でもない。

 ただの保険だ。


 対外連絡室の奥には

 電話ではなく

 電鍵が置かれていた。


 魔理沙が

 扉を閉めて言う。


「相手は

 何を欲しがる」


 霊夢は

 即答しない。


 この交渉は

 “こちらが求めるもの”を

 先に言った側が負ける。


「欲しがるのは

 未来の安心ではなく

 現在の説明可能性です」


 内務次官の代理として

 同席していた局員が

 眉をひそめる。


「説明?」


「アメリカは

 日本の内戦に

 関与したとは

 言えない。

 だから

 関与に見えない形式が必要です」


 魔理沙が

 低い声で笑う。


「つまり

 “売った”ことにする」


「“売った”より

 **“流れ着いた”**に近い形です」


 交渉は

 公館では行われない。


 昼の会談は

 政敵の栄養になる。


 だから夜。

 そして民間。

 そして第三の名義。


 資料の中で

 機体の名前は

 小さく書かれている。


 A-17。


 紙の上では

 ただの記号だ。

 記号のままで

 国境を越えることが

 この交渉の条件だった。


 霊夢が

 局員へ言う。


「型式は

 日本の言葉にしない。

 日本の旗も載せない。」


「では

 どう見せるのですか」


「見せません」


 答えは簡潔だった。


「ただし

 色だけは変える」


 翌朝用の

 別の書類が

 机に置かれる。


 塗装案。

 識別のための

 最低限の意匠。


 それは

 国家の誇りではない。


 混乱の中で

 誤射を減らすための

 実務だ。


 魔理沙が

 その紙の端を

 指で押さえた。


「“日本風の色”は

 誰のためだ」


「現場のためです」


 霊夢は

 淡々と続ける。


「内戦の初日は

 制服も国旗も

 正しさの証明になりません。

 視認の速度だけが

 生存率になります」


「――旗じゃなく

 作業着としての塗装か」


「ええ」


 部屋の空気が

 一段静かになる。


 静かさは

 合意の形だ。


 だが合意は

 まだ完成していない。


 飛行機には

 人間が必要だった。


 百機分の航空機は

 百機分の政治だ。

 百機分の整備。

 百機分の燃料。

 そして

 百機分のパイロット。


 魔理沙が

 言いにくい問題を

 あえて口に出す。


「操縦者は

 どこから出す」


 霊夢は

 返事を

 一拍遅らせる。


「“出す”ではなく

 “残しておく”」


「残す?」


「内戦が始まる日に

 必要な人間を

 偶然そこにいる形で

 配置する」


 局員が

 理解しかけて

 言葉を飲み込む。


 それは

 徴用ではない。

 命令でもない。


 人事の形をした

 避難計画だった。


 メモの端に

 小さな分類が書かれている。


 「教官」

 「民間飛行経験者」

 「海軍航空の連絡担当」

 「陸軍航空の整備連絡」


 名前はない。

 階級もない。


 名が出た瞬間、

 軍は

 “裏切り”の物語を作れる。


 だから

 最初から

 物語の材料を渡さない。


 魔理沙が

 紙を伏せる。


「この手の選抜は

 後で

 問題になる」


「問題にしてください。」


 霊夢は

 声の温度を

 わずかに落とす。


「問題になる国は

 制度が生きています。

 問題にならない国は

 先に燃えます。」


 その日の交渉記録は

 短い。


 “合意”。

 “条件付き”。

 “相互の否認可能性”。


 外交文書としては

 醜い。


 だが

 内戦の前夜の国に必要なのは

 美しい文書ではない。


 燃え方を選べる保険だ。


 魔理沙が

 最後に言った。


「百機が届くなら

 勝てるか」


「有利になります。」

「しかし、勝つためだけが目的ではありません。」


 霊夢は

 視線を上げる。


「終わらせ方を

 軍の物語だけに

 しないためです」


 色を変える。

 名を消す。

 人を残す。


 その一つひとつが

 派手な勝利ではなく

 内戦の初日に

 国家が国家として

 残るための手順だった。




 * * *




 八月六日。


 国民は知らない。

 議会も知らない。

 軍の大半も知らない。


 だが

 一部の机の上で

 空の保険が

 “物語ではない形式”として

 現実になった。


 それだけで

 十分だった。




 * * *


 一九三六年九月一日。

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目

 海軍省・局長室


 海は、

 陸と違って

 一夜で熱狂しない。


 だから海軍を動かす方法も

 熱ではない。


 手順と、責任と、

 終わらせ方の設計。


 霊夢は

 海軍省の廊下を歩きながら、

 軍の中で

 最も穏健な部分が

 最も危険な部分でもあることを

 思い出していた。


 穏健派は

 裏切らない。

 だが

 裏切らない分、

 動く理由が必要だった。


 応接に現れたのは

 米内光政。

 山本五十六。

 醍醐忠重。

 阿部弘毅。

 長谷川清。

 高木武雄。


 名を並べるだけで

 艦隊の影が動く種類の人員だ。


 魔理沙は

 席に着く前に

 言葉を減らした。


 この場は

 説得の場ではない。


 合意が“既に存在していた形”を

 作る場だ。


 米内が

 最初に口を開く。


「警視庁の拡張、

 そして各地の配線。

 陸が騒がしくなる前に

 都市の骨格を固めるのは

 理解できる」


 山本が、

 米内の言葉を

 否定も補強もせずに受け取り、

 短く続けた。


「だが

 海が動く理由は

 “陸への対抗”ではない。

 海そのものの責任だ」


 霊夢は

 私として

 丁寧に返す。


「海が理解してくださらなければ、

 都市の骨格は

 ただの自己満足になります。

 内戦の初日に

 首都が孤立する可能性が残ります。」


 醍醐が

 眉を上げた。


「首都の防衛を

 海軍に頼るのか」


「頼るのではありません」


 霊夢は

 否定の言葉を

 強くしない。


「首都を

 “軍の慈悲”から

 切り離すために

 海の手順が必要です」


 阿部が

 静かに言う。


「陸は

 それを“挑発”と

 受け取るだろう」


「受け取らせません」


 魔理沙が

 公的な抑揚のまま

 淡々と置く。


「海軍は

 陸軍と戦うために動くのではなく、

 国家に対する職責に従って動いてもらいます。」


「その形式に立つ限り

 内戦が起きたとして、

 海軍が中立を装えば

 陸の言葉は

 “軍の物語”になります」


 高木が

 短く笑った。


「物語の勝敗か」


「はい」


 霊夢は

 頷く。


 米内は

 すぐには頷かない。


 頷きの速度は

 政治的だ。


 代わりに

 質問を置く。


「海軍が動けば

 外はどう見る」


 この一問は

 国内の内戦ではなく

 国際の秩序への

 視線だ。


 霊夢は

 答えを準備していた。


「外は

 “日本が軍の国で終わるか

 政治の国で持ち直すか”を見ます。

 海軍が

 政治の形式に立つなら、

 アメリカと英国は

 介入ではなく

 距離の調整を選びやすい」


 魔理沙が

 短く補足する。


「空の保険も

 それに連動する」


 誰も

 型式も数量も口にしない。


 この場で

 固有名を出したら

 外交は

 軍の噂に堕ちる。


 醍醐が

 結論の形を作る。


「つまり

 海軍は

 陸と争うためではなく、

 国家の形式を

 残すために

 配置を整える」


 霊夢は

 私として

 最小の肯定を返す。


「はい。

 それだけで

 十分です」


 会談は

 派手に終わらない。


 終わらない形で終わる。


 それが

 海軍の合意だった。




 * * *




 同日夜。

 霞ヶ関の別室。


 地図が

 机に広げられていた。


 魔理沙が

 鉛筆で

 港と鉄道の接点を

 いくつか叩く。


「海が落ち着いたなら

 陸の“背中”を

 先に揃える」


 霊夢が

 頷く。


「背中とは

 補給と通信です」


 甲信越は

 山の通路だ。


 峠と鉄路と

 燃料の中継点。


 そこが抑えられれば

 首都は

 背骨を折られにくい。


 だが

 既に線は

 甲信越だけに

 伸びていなかった。


 瀬戸内。

 呉の軍港と造修の作法。

 広島の鉄道結節。

 海峡を越える

 移動の速度。


 中部。

 名古屋と浜松の工業群。

 航空部品と

 整備員の名簿。

 “兵器”ではなく

 生産の順番。

 東海道線の要所と

 警察の補給庫。

 都市の治安を

 “軍の応援”にしないための

 最低限の骨格


 山陰。

 小さな港と電信の節。

 派手な軍事価値ではなく

 “抜け道を消す価値”。


 南東北。

 食糧と鉄路。

 米と石炭の

 動線。


 東北。

 青森へ抜ける路線。

 冬を越える

 国家の呼吸管。


 北海道。

 再起点としての港と倉庫。

 敗北を

 “終わり”にしない

 保険。


 四国。

 瀬戸内航路の裏蓋。

 表の戦線が崩れても

 物流の皿を

 割らせない構造。


 魔理沙は

 地図の上の点を

 線で結んでいく。


 それは

 支配の線ではない。


 内戦が始まったとき、

 首都が

 “孤立の物語”に

 吸い込まれないための

 医療用の管だ。


 霊夢が

 静かに言う。


「地方は

 旗では動きません」


「何で動く」


「明日の配給と

 今日の治安です」


 魔理沙は

 短く肯く。


「じゃあ

 やることは一つだな」


 霊夢は

 答えを置く。


「軍を倒す準備ではなく、

 国家が国家で残る準備です。」



 海の方向が

 大きく変わったわけではない。


 ただ

 海が

 陸の物語に

 飲み込まれない形が

 固まった。


 それだけで

 内戦の初日は

 別の顔を

 持ち得るようになる。


 国家の顔だ。




 * * *




 一九三六年九月二日。

 東京市麹町区区内


 まだ残暑が残る駅前の喫茶店で

 体格のいい学生が

 暗い顔で窓の外を眺めていた。


「なあ」


「ん」


「軍が強いって信じるのは、

 強いって思いたいだけだよな」


「……たぶん」


「だから

 足りないって話は

 信じない。

 信じたら

 俺らの明日が

 壊れる気がする」


「おまえ、

 意外と賢いこと言うな」


「賢いんじゃなくて、

 貧乏なだけだ」


 それは

 照れ隠しにも

 言い訳にもならない

 真実の言い方だった。




 * * *




「陸軍の激情は

 作法を壊す。

 海軍は

 作法のない戦争を嫌う」


 それは美談ではない。

 兵站の話だ。


 軍縮路線。

 資金転用。

 賄賂。


 言葉だけ剥がせば

 どれも正義に見えない。

 だが国家は

 正義だけでは

 壊れる。




 * * *




 一九三六年十月七日。

 東京市赤坂区。


 霞ヶ関の会議室では語れない話が、

 この区の夜には、昔から落ちる。


 料亭の名は書類に残らない。

 残るのは、

 誰が、どの順で、どの椅子に座ったかだけだ。


 霊夢は、

 座敷の入口で一度だけ立ち止まった。


 ここは戦場ではない。

 だからこそ、

 弾より重いものが動く。


 同席は三名。

 表の名札は、

 内務と大蔵と軍の調整役。

 だが本当の席順は違う。


 軍の側の男が、

 最初に出したのは封筒ではない。

 人事案だった。


 紙に並ぶ名前は

 軍歴としては端正で、

 派閥としては危うい。


 本庄繁。

 土肥原賢二。

 岡村寧次。

 武藤章。

 小松原道太郎。

 飯村穣。

 そして、

 まだ“はっきりとはこちらに映らない”者たち。


 霊夢は

 その紙を指でならす。

 端をそろえる作法は

 癖ではない。

 合図だ。


「これは賄賂ですか」


 場の空気が一段薄くなる。


 軍の男が

 笑うべきところで笑わない。


「賄賂は

 帳簿に載らない金のことを言う。

 これは

 帳簿に載る“未来”です」


 霊夢は

 否定しなかった。

 肯定もしない。


「未来は

 いくらでも衣替えできます。

 だから私は

 衣替えの順番を決めます」


 大蔵の調整役が

 乾いた声で補足する。


「名目は

 国防の再配分。

 実態は

 派閥の熱の冷却だ」


 料亭の庭で、

 風が一本抜けた。


 霊夢は

 軍の男の手元の紙に

 別の紙を重ねる。


 地方の配備。

 兵站の優先順位。

 家族の保護名目の福利施策。

 そして

 “内戦時に派閥の命令を拒否しても

 軍歴が死なない仕組み”。


 賄賂は、

 金ではなく

 恐怖の保険として成立することがある。


 魔理沙は

 畳の目を追っていた。

 公的な声で言う。


「これが漏れたら

 政府は糾弾されるだろうな。」


「“漏れません。”」


 霊夢の声は低い。


「金の話ではなく。

 口を紡ぐ仕組みを作ります。」


 軍の男が

 ようやく頷いた。


「統制派の顔を立てる。

 その中の急進的派閥の椅子は

 “正面から折らない”。

 折らずに

 脚を一本ずつ抜く」


「脚を抜かれた椅子は

 最後に

 椅子だったと気づく」


 霊夢は

 淡々と言葉を選ばない。


「気づく頃には

 国会の椅子に

 軍が座れないようにしておきます。」


 魔理沙が

 一拍置いて呟く。


「それでも

 綺麗に勝てないな」


「汚れた手でしか

 守れないものもあります。」


「……。」




 * * *




 駅のホームに

 汽笛が響く。


 誰かが遠くへ行く音。

 誰かが戻る音。

 あるいは

 帰れなくなる音。


 細身の学生が

 最後に言った。


「軍か警察か、

 どっちにしても

 おまえには似合うと思うよ。

 頑丈だからじゃなくて」


「じゃあ何だよ」


「行く理由が

 ちゃんと生活の側にある」


 体格のいい学生は

 返事をしなかった。


 返事の代わりに

 カップの底を

 指で一度だけ叩いた。


 その音は

 小さくて、

 妙に決定的だった。




 * * *




 一九三六年十一月十一日。

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目

 大蔵省・主計局会議室


 予算は

 数字の皮を被った

 政治だ。


 そして政治は

 数字の匂いがする間だけ

 合法でいられる。


 霊夢は

 机の上の資料を

 反時計回りに回した。


 回すのは

 紙の向きではない。

 責任の向きだ。


 会議の出席者は

 派手に揃えていない。


 内務次官。

 大蔵の主計局関係者。

 中央情報局の連絡役。

 魔理沙。


 そして

 議題は一つ。


 「軍事資金の用途再分類」


 この言葉は

 合法の顔をしている。

 ただし

 合法の顔が似合うだけの

 空気の準備は必要だった。


 主計局の男が

 資料を読み上げる。


「名目は

 民生復旧。

 産業基盤の再整備。

 輸送・通信の更新。」


 続けて

 低い声で言い換える。


「実態は

 軍が“自分の財布で戦争を始められない形”への移行です」


 内務次官が

 霊夢を見る。


「軍は

 これをどう受け取る」


 霊夢は

 私として答える。


「奪われたと受け取ります。

 だから

 奪ったように見せないようにします。」


 主計局が

 眉をひそめる。


「可能ですか」


「可能にします。」

「兵站強化のための国家投資」

「国防通信の標準化」

「戦略備蓄の刷新」

「前面の看板は軍の言葉にしつつ実体は民生へ」

「予算はあるが、勝手に触れない形に落とし込みます。」


 霊夢は

 “可能にする”と言う。


 これが

 官僚の戦い方だ。


 資料の中身は

 殺風景だ。


 軍需の一部を

 インフラ名目へ。

 輸送網の維持費へ。

 電信・暗号・設備更新へ。


 つまり

 武器を買う金を

 道路と港と倉庫へ

 沈める。


 沈む金は

 消えない。


 形を変える。


 魔理沙が

 静かに問う。


「これで

 内戦を避けられるか」


 霊夢は

 答えを急がない。


 避けられる、という言葉は

 希望の顔をしすぎる。


「避ける、とはいえません。」


 私として

 正確に言い直す。


「もし内戦が始まったとき、

 軍の物語だけで

 国が終わらないようにします。」


 内務次官が

 短く笑う。


「終わらせ方の話か」


「はい」


 霊夢は

 肯く。


「軍が勝っても

 国家が壊れる形は

 勝利ではありません。

 政府が勝っても

 国家が燃え尽きる形は

 勝利ではありません」


 魔理沙が

 苦い声で拾う。


「つまり

 また綺麗に勝てない」


「綺麗さは

 勝利条件ではありません」


 言葉の温度は上げない。

 だが

 逃げない。


 主計局の男が

 現場の話へ落とす。


「具体的には

 軍需の発注を

 インフラ案件へ付け替えます。

 用途分類の変更を

 段階で進める」


 段階。


 この国は

 段階に救われる。

 段階に殺されもする。


「敵の言葉を

 作らせない速さで」


 霊夢が

 一行だけ添える。


 魔理沙が

 資料の端を押さえた。


「軍が

 “資金不足”を

 口実に

 暴れる可能性は」


「だから

 口実を

 民生へ寄せます」


 霊夢は

 淡々と答える。


「軍の金を奪うのではなく、

 国の金を

 国の顔に戻す」


 この言い換えは

 世論のためではない。

 軍内部の中間層のためだ。


 急進派は

 物語で動く。

 だが

 中間層は

 説明できる名目でしか

 動けない。


 会議は

 最終確認へ入る。


 輸送の更新。

 暗号と通信。

 倉庫と燃料。

 警察と地方行政の整備。


 軍の財布が

 国家の血管へ

 組み替えられていく。


「軍の力を削いで

 国を太らせる」


「違います」


 霊夢は

 修正する。


「軍が

 国を餌に

 太れない形へ戻す」


 魔理沙は

 短く息を吐いた。


「言い方が

 嫌われる」


「嫌われる言い方が

 必要なときがあります。」




 * * *




 翌週の新聞は

 “軍の弱体化”とは書かない。


 “産業基盤の再整備”。

 “輸送計画の刷新”。

“民間経済の回復”。


 言葉は

 正しい顔をする。


 真実は

 正しい顔の下で

 作られていく。




 * * *




 同日

 東京市麹町区霞ヶ関一丁目 内務省


 机の上に

 一枚の紙が

 置かれる。


 治安維持法廃止


 まだ

 投票はない。

 まだ

 決定もない。


 だが

 この瞬間、

 “廃止は理念”から

 “戦争の手順”へ

 格上げされた。


 内務次官が

 紙を見つめた。


「いよいよか。」


 霊夢は

 首を振らない。


「いよいよです。

 その代わり

 火が上がる場所と順番を

 先にこちらで揃えます。

 首都を

 “最初の戦場”にしない。

 それが

 私の仕事です。」


 霞ヶ関の夜は

 静かだった。


 静かさは

 平和の証明じゃない。

 嵐の前に

 制度が黙る音だ。




本作は史実を参照しつつ、ゲーム的ルートと作者独自の仮説を組み合わせたフィクションです。

実在の人物・組織に関する描写は史実の評価を目的としたものではなく、

物語上のテーマ(文民統制・国家の手順・正統性の競合)を表現するための構成です。

史実の詳細や学説的な整理は複数の見解があるため、

興味を持たれた方は公的資料や研究書等もあわせて参照ください。

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