第二話 雪解けの空白へ
本作は架空の歴史改変を扱うフィクションです。
史実の人物・組織名が登場しますが、描写・行動・関係性は物語上の再構成・仮想設定です。
政治・治安・軍事に関する専門用語や制度は、
読者向けの読みやすさを優先して簡略化・再解釈しています。
一九三六年二月二十七日。
東京市麹町区霞ヶ関一丁目
雪は、まばらに降っていた。
だが事件を隠すには、足りない。
軍靴と車輪の跡が同じ泥にとけて消えても、
起きた事実が消えるわけではなかった。
法務省の小会議室は、窓ガラスに雨粒の跡が斜めに並んでいた。
中には長机が一つと椅子が数脚。机の上には、厚い紙の束がいくつも積まれている。
「二・二六事件関係者処分案」と書かれた表紙。
博麗補佐官は、そのうちの一冊を開いていた。
紙は既に端が少し擦り切れ、赤鉛筆と青鉛筆の線が重なっている。
事件参加将校数十名。
軍法会議回付予定。
求刑案、死刑・無期・有期。
机の向かい側で、司法省刑事局長が煙草を灰皿に押しつけた。
「……死刑が多すぎやしないか」
局長は、書類の一箇所を指で叩く。
「軍の面子もある。世論も“甘い”とは言わんだろうが……。
五・一五のときの処断が生ぬるかった、という批判も踏まえれば、ここで見せしめを、という意見も根強い」
その隣で、陸軍省法務局の将校が腕を組んでいた。
肩章が雨の日の光を鈍く反射している。
「陛下のご沙汰も、最終的には考慮せねばならん。
“温情”を期待して重い刑を並べるのは、あまり感心しないやり方だが」
霊夢は、手元のページをめくった。
一人ひとりの名前と役職、その日の行動が、簡潔な文章で並んでいる。
――誰が最初に銃を持ったか。
――誰が命令を出したか。
――誰が「従っただけ」と言い張っているか。
数字の一覧よりも、この簡単な記述の方が重かった。
「死刑は、ここまででよいと思います」
霊夢は、赤く囲われた列の端に指を置いた。
「首謀者格数名。命令権を持ちながら、
最後まで撤収に動かなかった者。
それ以外は、軍法会議に付すとしても、
減刑の余地を残しておいた方がいい」
刑事局長が顔を上げる。
「博麗くん。君は、軍に甘いのかね」
「軍に甘いわけではありません」
霊夢は書類から視線を外さない。
「死刑判決は、二つの意味を持ちます。
一つは“国家が許さない”という意思表示。
もう一つは、“物語の始まり”です」
部屋に一瞬、静寂が降りた。
陸軍の将校が眉をひそめる。
「どういう意味だ」
「十年後、二十年後に、“あのとき殉じた将校たち”という話が、どのように語られるか。
多すぎれば、“虐殺”になる。
少なすぎれば、“半端な裏切り”になる」
霊夢は、資料を静かに閉じた。
「ここで必要なのは、“軍の暴走を止めた”という前例であって、“英雄譚”ではありません。
死刑が増えれば増えるほど、後にそれを美談として語る者が必ず出てきます」
刑事局長は、机に肘をつき、しばらく考えていた。
「だが、政治的には厳罰を求める声が強い」
「厳罰は必要です」
霊夢は頷いた。
「ただ、“全員を同じ穴に入れる”のは一番簡単で、一番愚かなやり方です。
誰が命令を出したか。
誰が本気で“国家改造”を企て、誰がただの勢いで動いたか。
――そこくらいは、官僚として仕分けをする責任があると思います」
雨が窓を打つ音が、少し強くなった。
陸軍の将校は紙の列を見下ろし、やがて息を吐いた。
「……軍としても、全員を“殉国の士”にされるのは困る」
「そのとおりです」
霊夢は、ごく淡々と答えた。
「死ぬ者と、残る者。
物語にされる者と、静かに忘れられる者。
その線を、今ここで引かねばなりません」
刑事局長が灰皿を引き寄せ、新しい煙草に火をつけた。
「博麗くん。君の案をたたき台にしよう。
ここから先は、もう少し上の階の判断になるがね」
「了解しました」
霊夢は椅子から立ち上がった。
会議室を出ると、廊下の空気は少しひんやりしていた。
窓の外で、霞が関のビル群の輪郭が雨に溶けている。
* * *
警視庁の一角にある取調室は、窓がない。
薄暗い蛍光灯が一つと、机と椅子。壁は、色の抜けた灰色だった。
机の片側に、霧雨特務課長が座っていた。
制服の襟は少し緩められ、ネクタイもわずかにずれている。
向かいには、中尉階級章を外された男が座っていた。
手錠はかかっていない。背筋は妙にまっすぐだった。
机の上には、厚手のノートが一冊。
魔理沙の手元には、打ち出しの問答記録が数枚。
「……このあたりまでは、大体合ってるな」
魔理沙は紙を指でなぞった。
「二月二十六日未明、第三連隊営庭に集合。
上官から“腐敗した政党政治を討つ”との訓示を受ける。
“これは天皇陛下の御真意である”という説明を受ける。
ここまでは、よくある話だ」
「よくある、ね」
彼は笑った。
「そんなことを言われたのは、あの日が最初で最後だが」
「似たようなことを考えているやつは、他にもいたという意味だ」
魔理沙は椅子の背にもたれた。
「問題は、そのあとだ」
魔理沙は別の紙を取り上げる。
「“これは一度きりの賭けであり、
失敗すれば軍は国民の信頼を永遠に失う可能性がある”――
君は、そう上官に進言したと供述している」
「ああ」
彼は、あっさり頷いた。
「進言したさ。
だからどうした」
「それでも同行した理由は?」
「上官が行くと言ったからだ。
命令されたから、というのもある。
……それだけじゃないが」
魔理沙は少しだけ首をかしげた。
「隊の連中を置いて逃げるのは、趣味じゃない。
そういうことだ」
彼は机の上のノートに視線を落とした。
ノートは、まだ半分ほどしか埋まっていなかった。
「それは、何を書いている」
「尋問の内容を整理しているだけだ」
彼は薄く笑った。
「どうせ裁判になる。
そのときに、自分が何を話したか、忘れないために」
魔理沙はノートの端を指先で押した。
「それを他人に見せるつもりはあるか」
「分からない」
彼は目を細めた。
「生きて出られれば、いつか誰かの手に渡るかもしれない。
死ぬなら、ここで燃やされるだろう」
「燃やすかどうかを決めるのはこっちだ」
「そうだな」
彼はあっさり認めた。
「君たちが決める。
この事件を、
“失敗したクーデター”として棚に上げるのか、
“志半ばの維新”として封じ込めるのか。」
魔理沙は腕を組んだ。
「“維新”って言葉が好きだな、お前たちは」
「好きではない」
彼は首を振った。
「ただ、そう呼ばれた方が、あの夜に眠れなかった連中の心は救われる」
「救われるのは、心だけだ」
魔理沙は淡々と答えた。
「現実は、東京地裁の地下か、郊外の墓地か、そのどちらかだ」
「それで十分だ」
彼は、あくまで静かな声で言った。
「我々は、負けた側だ。
負けた側の物語が、
勝った側にとって都合が悪くなるのは、いつものことだろう」
魔理沙はしばらく沈黙した。
取調室の蛍光灯の光が、机の上の書類を白く照らしている。
外の時間の感覚が、ここでは薄い。
「……内務省と陸軍は、死刑の数を減らそうとしている」
魔理沙は、不意に口を開いた。
彼がわずかに目を見開いた。
「そうか」
「全部を吊るすと、面倒なことになると分かっているやつもいる。
“殉国の士”が増えすぎると、あとで困るからな」
「合理的だ」
彼は頷いた。
「この国は、こういうところでは賢い」
「賢いと思うなら、もう少しマシなやり方を選べばよかったな」
「そうだな」
彼は、そこで初めて少し笑った。
「次にやるやつが、もう少し賢くやるさ」
魔理沙はその言葉を、抗議も皮肉もなく受け止めた。
「次があると、思っているのか」
「あるさ」
彼の声には、確信めいたものが混じっていた。
「この国が、“軍を完全に道具として扱える”ようになるまでは、何度でも」
魔理沙は、机の上のノートをもう一度見た。
紙の上の文字は、まだ薄い。
だが、乾けば、消えにくくなる。
「ノートは預かる」
魔理沙はそう言って立ち上がった。
「燃やすかどうかは、上の判断だ」
「ああ」
彼は椅子から動かなかった。
「どちらでもかまわない。
どちらに転んでも、“この時代はこういうことが起き得た”という事実だけは消えない。」
魔理沙はドアノブに手をかけた。
取調室の外の廊下は、蛍光灯の色が少しだけ暖かく感じられた。
霧雨班の副官が壁にもたれて待っている。
「どうでしたか」
「よく喋る」
魔理沙は短く答えた。
「賢そうではあるが、賢さの使い道を間違えた連中だ」
「ノートは……?」
「預かる」
魔理沙は手に持ったそれを軽く持ち上げた。
「これを燃やすか、図書館の地下にしまい込むかで、十年後の歴史書の書きぶりが変わるかもしれない」
警部補は苦笑した。
「そんな大それた物に見えませんが」
「今のうちはな」
魔理沙は廊下の先を見た。
「沈殿したものは、すぐには分からない。
時間が経ってから、別の形で浮かんでくる」
* * *
内務省の廊下は、いつもより静かだった。
人はいる。書類も動いている。電話も鳴る。
ただ、誰も声を大きくしない。
大きくすれば何かが戻ってくると、どこかで分かっている。
霊夢は、窓際で止まった。
外の空は明るい。
けれど明るさが、安心の証明にはならない朝がある。
机に戻ると、紙束が置かれていた。
臨時の治安報告。
軍内動向の速報。
警視庁の被害一覧。
そして、次のページには、演説草案の見出し。
『政府声明案(議会向け)』
誰の字でもない。
“この国の字”だった。
霊夢は椅子に腰を下ろし、鉛筆を取る。
紙の白さが、まだ冷たい。
* * *
一九三六年二月末日。
内務省旧館・会議室。
天井の高い部屋に、疲れた男たちが揃っていた。
内閣書記官長。内務次官。法制局の参事官。
それぞれがそれぞれの「最悪」を想定している顔だった。
机の上には演説原稿。
推敲の痕が重なり、文字が少し濃くなっている箇所がある。
『第二の維新』
法制局参事官が、そこを指で叩いた。
「この言葉は危険ですな。
維新は“成功した物語”だ。軍人はこの物語で教育されている。
“第二”を否定の文脈で使っても、逆撫でになる」
霊夢は紙面を見たまま答えた。
「逆撫でされるべきです。
あれを“維新の類型”に入れた瞬間、次の馬鹿が続きます」
内務次官が眼鏡を外す。
「君は軍を敵に回したいのか」
「敵にしたいわけではありません」
霊夢は、言葉を丁寧に選んだ。
「ここで怖がって言葉を変えても、何も変わりません。
むしろ“あれは維新などではなかった”と、はっきり線を引く必要があります」
内務次官が眼鏡を外し、目頭を押さえた。
「博麗君。君の言いたいことは分かる。だが――」
「ここで曖昧な表現を使えば、十年後に困るのは我々です」
霊夢は顔を上げる。
「“あの時の演説は、軍に配慮していた”と、必ず誰かが言い出す。
そうなれば、二・二六は“例外”にされてしまう。
……総理には、“あれは完全な失敗だった”と明言していただかないと」
時計の針の音が、短い沈黙を埋める。
内閣書記官長が、静かに頷いた。
「総理にお目通りを願おう。
“維新”の語の是非は、その場で総理に決めていただくしかあるまい。」
「はい」
霊夢は立ち上がる。椅子の脚が床を擦る音が妙に大きく響いた。
* * *
首相官邸・執務室。
岡田啓介は、原稿の一枚目をじっと見ていた。
海軍出身の男が、陸軍の暴走を国会で語る。
それだけで、もう政治の皮膚が擦り切れていく。
霊夢は壁際に立っていた。
背中は預けない。
この部屋は、預けた瞬間に何かを持っていかれる。
「君が骨子を書いたのか」
「はい。私の意図が強すぎる箇所は、総理の言葉に直してください」
岡田首相は、ゆっくりとページをめくる。
「“第二の維新”か」
独り言のように言った。
「否定の文脈で残します。
あれは維新ではない、という線を言葉で引くために」
岡田首相は、短く笑った。
「線を引くのは簡単だ。
問題は、その線を守る連中がどこまでいるかだろう」
霊夢は答えない。
「我々は、かつての維新の子どもたちだ。
その維新が、今やこのざまだ」
岡田は窓の外をちらりと見た。庭の向こうに見えない何かを見ているような目つきだった。
「……だが、言わねばならんのだろうな。
あれが“維新”ではなく、“単なる軍の暴走だった”と」
書記官長がわずかに安堵の息を漏らした。内務大臣は何も言わない。
岡田は次のページをめくる。
『軍隊は、国民と国会と内閣の信託を受けて、初めてその力を正当化される。』
すこし声を出して読んだ。
「これは、君の考えか」
「はい。
統帥権の問題を今ここで論じることはできませんが、
次の段階で必要になる言葉だと思います」
「次の段階、か」
岡田は口元だけで笑った。
「君は、いつも少し先のことを考えているな」
「今のうちに言葉を置いておかないと、必要なときに“前例がない”と言われます」
岡田は、最後の紙まで読み終えると、すべてを揃えて机の中央に戻した。
「わかった」
短く言った。
「“第二の維新”は、残そう」
霊夢の手が、わずかに握られた。自分でも気づかない程度の動きだった。
「ただし」
岡田は続けた。
「これは勝ち戦の演説ではない。
まだ、何も終わっていない。
そういう響きが必要だ」
「はい」
「二・二六を“失敗した過去”にしてしまった瞬間に、
別の場所で別の馬鹿が、“今度こそ成功させてやる”と言い出す」
霊夢は黙って頷いた。
「我々は、あれを“未遂”として話すのではなく、
“永遠に失敗であり続ける事件”として位置づけねばならん。
……そのことを、どう言葉にするかが問題だ」
霊夢は原稿の一箇所を指さした。
『我々は、暴力による政治の変更を、二度と試みてはならない。』
「ここに、陛下の御言葉を重ねていただくことはできますか」
「“朕の望むところにあらず”、というやつか」
「はい。
あの一文を、総理の言葉と並べて置くことで、
“軍の暴力は陛下の意思に反する”という構図を固定できます」
岡田はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり頷いた。
「そうしよう」
決定は、それだけだった。
霊夢は一礼し、原稿を受け取る。部屋を出るとき、内務大臣と目が合った。
大臣は何も言わなかった。ただ、短く頷いた。
それで十分だった。
* * *
東京市麹町区永田町。
帝国議会。
議場は満ちていた。
人と視線と、記者のペンの音。
しかし満ちているからといって、安心にはならない。
魔理沙は廊下側の警備線に立っていた。
制服の列の向こうに、議場の重い扉。
扉の向こうには言葉がある。
こちら側には、言葉が効かなかった場合の仕事がある。
岡田首相が演壇に立つ。
「諸君」
低い声だった。
「二月二十六日に東京で起きたことは、“第二の維新”ではない。
あれは維新の名に値しない“未熟な反乱”である。
そして我々は、それを二度と繰り返さないと誓わねばならない」
議場の空気が一度引き締まる。
“第二の維新”という言葉が、あえて否定の文脈で使われた。
霊夢は軽く目を閉じ、開いた。
「銃を持って立ち上がれば、それは改革ではなく、ただの暴力にすぎない。」
岡田首相は言葉を続けた。
「陛下は仰せられた。
“暴力による政治の変更は、朕の望むところにあらず”と」
軍服の議員が、わずかに姿勢を正す。
霊夢は傍聴席から、その背中を見ていた。
自分が置いた言葉が、他人の声で世界に出ていく瞬間。
感慨はない。
あるのは、次の手順の確認だけだった。
「我々は、その御言葉を、この国の新たな原則としなければならない。
政治は、暴力ではなく、言葉と手続きによって行われるべきだ。
軍は、その政治の決定に従って力を用いるべきだ」
霊夢は、演壇の横顔を見つめながら、頭の中で別の言葉を補っていた。
――軍は、主ではない。道具だ。
岡田は、それを直接は言わない。言わない代わりに、別の言葉を選んだ。
「我々の国体は、銃口の先ではなく、この議場と、国民の意思と、陛下の御聖慮の上に築かれている。
そのことを、改めて明らかにしたい」
新聞記者たちが、一斉にペンを走らせる音がした。
霊夢は、その音を聞きながら、自分の胸の内で小さく数を数えた。
十年。二十年。三十年。
この言葉が、どれくらい持つだろうか。
岡田は、演説の後半で具体的な施策に話を移した。
軍縮ではない。
ただし、軍の予算と編成を国会と内閣の統制下に置くこと。
陸軍省・海軍省と内務省・大蔵省の協議の場を設けること。
一見技術的な話の積み重ねだった。
霊夢は、その一つ一つが、二・二六の延長線上にあることを知っていた。
――あの日、銃を向け合った先にある、“ひたすら地味な仕事”。
それがこれからの自分の仕事だ。
演説が終わると、拍手ともざわめきともつかない音が議場に広がった。
賛否ではなく、温度差の音。
廊下で魔理沙が小さく息を吐く。
若い警官が尋ねた。
「これでしばらくは静かになりますか?」
魔理沙は答える。
「静かになるのは、音だけだ」
「火種が消えるわけじゃない」
* * *
演説の翌日から、東京の街には「雪解け」という言葉が溢れ始めた。
新聞は社説で、各紙なりの調子で岡田演説を評した。
「強い決意」「曖昧な妥協」「軍部への挑戦」「現実的折衷」。
どれもそれなりに当たっているようで、どれも決定打ではなかった。
喫茶店のラジオからは、録音された演説の一部が何度も流れた。
商店主たちは、その合間に商品の話をし、客たちは景気の話をした。
街角の古い神社の境内で、数人の青年がビラを配っていた。
「自由と議会を守れ」と書かれた紙切れ。
誰かが通りすがりにそれを受け取り、丸めてポケットに突っ込んだ。
内務省の廊下は、いつもどおりの書類と靴音で満ちていた。
中央情報局の名は、まだ公の場ではささやかれない。
だが回線と人事は、すでに“新しい神経系”へ差し替えられつつあった。
霊夢は、自分の机の上に広げられた統計表を眺めていた。
数字は、二・二六以前と大きくは変わらない。
失業者数。物価指数。工場の稼働率。
どれも、世界の景気に振り回される数字だ。
電話が鳴いた。受話器を取る。
「博麗補佐官」
交換手の声。
「霧雨特務課長からです」
「繋いでください」
少しだけ雑音があってから、聞き慣れた声が届いた。
『よぉ』
「どうでしたか、現場の評判は」
『評判ってほどのもんじゃねえな。
ラジオで総理の声流して、駐在所で茶飲みながら聞いてたよ。
年寄りは“偉い人は難しいこと言う”って顔してた』
「若い人は?」
『“二・二六の連中はバカだったってことだろ”って笑ってたやつもいた。
笑えない笑いだな。』
霊夢は机の上のペンを弄んだ。
『でも、まあ』
魔理沙が続けた。
『少なくとも、“軍が正しかった”って言い出す連中の声は小さくなった。
今のところは』
「今のところは、ですね。」
『ああ。』
短い沈黙。
『こっちとしては、あんたが作った言葉が増えれば増えるほど、
仕事が増える気がしてるんだが』
「それはそうなります」
霊夢は、窓の外を見た。
雪はほとんど溶けていた。
残っているのは、日陰の隅に押しやられた小さな塊だけだ。
「言葉だけでは、銃は止まりません。
でも、言葉がなければ、“撃ってはいけない理由”も作れない」
『理屈は分かる』
魔理沙が、少し笑った。
『じゃあ、俺は“撃ってはいけない理由”が増えたぶんだけ、
“それでも撃たなきゃいけないとき”を見誤らないようにしないとな』
「それは、あなたの仕事です」
『ああ。
……ま、当分は派手なことにはならないといいがな』
「そうですね」
霊夢は、受話器を置いたあと、机に戻り新しい紙を一枚引き寄せた。
題名も何も書かれていない白紙。
そこに、最初の一行だけを書き込む。
『治安維持法に代わる治安法制案について』
鉛筆の先が、紙を引っかいた。
、
もう一度窓の外を見た。
雪解けの街は、見た目ほど穏やかではない。
溶けた水はどこかへ流れていく。
その行き先までは、窓からは見えなかった。
本作は史実を参照しつつ、ゲーム的ルートと作者独自の仮説を組み合わせたフィクションです。
実在の人物・組織に関する描写は史実の評価を目的としたものではなく、
物語上のテーマ(文民統制・国家の手順・正統性の競合)を表現するための構成です。
史実の詳細や学説的な整理は複数の見解があるため、
興味を持たれた方は公的資料や研究書等もあわせて参照ください。




