発癌性ミーム
大学には、絶対に単位を取らないといけない主専攻と、学びの裾野を広げると言う名目の下に存在する、単位数を埋める為だけの副専攻がある。
朝一から副専攻とか、正直ダルい。それは皆そうなのだろう。コミュニケーション学の教室はガラガラだ。友人も来ていない。多分あいつこの単位落とすな。
教室内がたるんだ空気に包まれる中、コミュニケーション学の講師である西とか言う作家にもなれなかった中年男性が姿を現し、学生の数の少なさに、がっくりしている。多分この先生も、来年にはこの大学から去っている事だろう。
「ええ、皆さんおはよう」
『…………』
「はあ……、コミュニケーション学の講義なんだから、返事くらいしてくれ」
西先生の半ば諦めた言葉に、学生たちが「うーす」とか「へ〜い」など、尊敬など微塵もない返事をする。まあ、俺は返事もしていないが。
「……ええ、では今日の講義は『ミーム』についてだ。皆も使っているよな、『ミーム』」
まあ、ミームは仲間とのコミュニケーションを円滑にするものだから、共通のワードなんかをやり取りしたりはしている。
「そもそも『ミーム』と言う言葉が世に出たのは、イギリスの進化生物学者で動物行動学者でもあるリチャード・ドーキンスが、その著書『利己的な遺伝子』で発表したのが初めだ。と言うよりも、ドーキンスが『ミーム』と言う言葉を作ったと言う方が正しい。『ミーム』『meme』は、ギリシャ語の『mim』と言う『模倣』を指す言葉から『ミーム』と言う言葉を作り出した。因みにこの『利己的な遺伝子』が世に出版されたのは、イギリスでは1976年、日本では1980年だ」
そんなに昔からミームって言葉が存在したのか!? 流石にこれには他の学生たちもざわつく。そんなに昔からあったとは知らなかったからだ。
「『ミーム』と言うのは遺伝子を指す『ジーン』と対になるもので、その為当初日本に入ってきた頃には、『文化的遺伝子』と言う当て字が付けられたが、浸透はせず、現代では『ミーム』と言う言葉そのものを使っているのが現状だ」
確かに。文化的遺伝子と言われても何の事か分からない。
「この、『ミーム』が指す範囲は広大で、言葉、絵や映像、ファッション、音楽など、正しく文化的なものを指す事が多い。プリミティブなものも現代風に変化させられ『ミーム』となる事もあるので、一概に完全に文化的と呼ぶべきかは使う当人に依るが」
確かに、可愛い野生動物とか、特にミームになったりするよな。
「この『ミーム』。実在する。と言うのが、界隈では共通認識だ」
「実在する。ですか?」
まさか? と前列の学生が西先生に尋ねる。
「ああ。物として存在すると言うと語弊を呼ぶかも知れないが、まあ、物自体が『ミーム』になっているものもあるし、言語や文化として連綿と受け継がれている。と言うその伝統が、『ミーム』の実在性を確かなものとしている」
成程? 伝統≒ミームな図式が成り立つのか。確かに、文学や数学、物理学、特徴的な建築物とか、守られてきた自然とか、伝統≒ミームと考えれば、ミームに入るし、実在性もあると言えるかも?
「さて、『ミーム』が『ジーン』同様に実在するとなると、そこには避けて通れないものがある。変化だ」
そこかしこから「ああ」と声が漏れる。自分も同感だ。使っているミームの元ネタを調べたら、全く笑えないものだった。何てのは良くある話だ。
「笑い話になる程度であれば良いが、軽い気持ちでSNSに投稿したものが、良く分からない界隈から攻撃を受けて炎上。何てのはインターネットが発達した現代では良くある話だ。更に投稿者自身への殺害予告なんて話も出てくるのが現代だ。謎に思わないか?」
確かに。何でネットってあんなに毎日燃えているんだろう?
「遺伝子である『ジーン』に似た性質を持つ『ミーム』には、脆弱性が含有されていると言うのが私の考えだ」
脆弱性。攻撃され易いって事? いや、この場合、変化し易いって方が正しいか?
「遺伝子が攻撃を受けた場合、遺伝子自体が変化して、癌細胞になる事は知っているか?」
そう言われれば、そんな話を聞いた事あるなあ。
「これと同様の事が、『文化的遺伝子』である『ミーム』にも起こる。と言うのが私の考えだ。つまり、『ミーム』も攻撃や他からの刺激によって、容易に変化し得ると言う事だ」
ああ、確かに。
「これを私は『発癌性ミーム』と名付けた」
発癌性ミームねえ。元作家崩れだからか、名前に拘りでもあるのかね。
「この『発癌性ミーム』は危険だ。先程の殺害予告程度、まだ軽いと言える。私は下手をしたら戦争を引き起こすくらいに考えている。いや、この『発癌性ミーム』により実際に戦争は既に始まっている」
これにまたざわつく教室。発癌性ミームで戦争が始まっている? 言い過ぎじゃないか?
「恐らく、皆はそれは言い過ぎだと思っているかも知れないが、現行、韓国との間で行われている日韓冷戦の始まりを知れば、『発癌性ミーム』が何を引き起こすのか理解出来ると思う」
日韓冷戦は、日本と韓国との間で今尚続いている文化戦争だ。実際に銃を手に撃ち合う戦争ではなく、ドラマ、映画、音楽、アニメ、マンガ、ファッション、最先端技術など、どちらが世界的な影響力を持っているかを比べ、この分野は日本が勝っただの、この分野は韓国が勝っただの、まるで子供の背比べのように勝ち負けを争っている馬鹿な戦争である。
「この日韓冷戦の始まりは、2000年代まで遡る。2005年に韓国のインディーズバンドが音楽番組に出演した際、旭日旗のジャンパーを着て出演した事で非難されたのが始まりだが、やはり一番の問題の始まりは、2011年のサッカーのAFCアジアカップで、韓国のキ・ソンヨン選手が、観客席の旭日旗を見て、「私の胸中で涙が流れた」とSNSに載せた事を契機に、韓国で旭日旗排斥運動が始まった」
そんな事からこんな冷戦になったのか?
「それまで日本の海上自衛隊が旭日旗を掲げて韓国入りしても何も言われなかったのが、それ以降、旧日本軍を想起するからと、2018年の国際観艦式での海上自衛隊の旭日旗掲揚の自粛を要請したり、またアニメ『鬼滅の刃』の主人公、竈門炭治郎の耳飾りが旭日旗を想起させると、これの変更を求めたりしている」
鬼滅の刃の話は語り草だよなあ。馬鹿げている。韓国的には本気だったのか?
「その後も度々韓国は、あれでは日本に勝った。これでは日本に勝った。などと日本下げ、自国上げを続けた為に、日本企業などは軒並み韓国を離れ、政府間でのやり取りもままならなくなり、遂には日韓冷戦、文化戦争などと呼ばれる事態にまで発展したのだ」
うへえ、一人のサッカー選手の発言が、日韓冷戦を引き起こしたとか、洒落にならねえ。そいつ、今、何を思っているんだろう。う〜ん、「俺のせいじゃねえ」とか、他責思考で悪気なさそう。完全に私見だけどね!
「先生!」
「何かな?」
お、質問が飛んできて西先生嬉しそうだな。
「先生の話だと、『ミーム』には『発癌性』があり、故にこのような事態になったと言う事ですよね?」
「ああ」
「その、これまでの一連の流れこそ正に『ミーム』であり、我々も先生も、その『ミーム』に踊らされている可能性はないでしょうか?」
「…………」
黙っちゃったな。でもこの講義自体、『ミーム』に踊らされた人間の末路な気がする。
「ええ、今回の講義はここまで。各自、今回の講義を、自分なりに『ミーム』との付き合い方をどうするべきかの軸として、その一端を担えたなら、この講義も実のあるものだった事となるだろう。では」
あ〜あ。反論出来なくて帰っちゃったよ。まあ、早く授業が終わってラッキーだったな。でも、ミームとの付き合い方か。確かにこれからの人生、ミームとどの程度の距離を取って付き合っていくかは、コミュニケーションの上で大切な事かもなあ。




