第192話 むーし②
室内の最奥部では、ビビが白い蜘蛛と対峙していた。
身体自体はビビより少し小さいくらいだが、肉厚な四対の脚を含むとひとまわり以上大きく感じる。
全身を白い体毛に覆われ、薄暗い部屋の中、この蜘蛛だけがぼんやり光っているように見える。
天井が低いのもあり、その強烈な存在感に思わず気圧される。
キダナケモということである程度覚悟していたし、想定していたよりは小さいはずだが、ずっと恐ろしく感じるな……。
だが、そんな白蜘蛛相手に、ビビはスコップ片手にただ一人応戦している。
激しい蜘蛛の脚による連打にも、体を低くしてよく耐え、たまにスコップで殴り返してさえいるのだ。
「――クロ! こ、殺しちゃだめだよ!」
「ぎゃうぎゃう~!」
表情もいつも通り落ち着いている。
むしろクロが飛び込んできたことのほうに焦っているほどだ。
サイードの地下工場でモンスターを相手にしていた姿を思い出す。
こういう時のビビは安定感があって実に頼もしい。
多少攻撃を受けても表情すら変えない。
不思議とこのぽやんとした狸顔を見ていると、何があっても絶対に守ってくれるような気がしてくる。
とはいえ、今は装備が良くない。
ただのスコップでは流石のビビも上手く受けきれないようで、少しづつ押し負けていく。
ただ……一見すると激しい戦闘に見えるが、どうもこれはガストの言う通り、殺し合いをしているわけではないようだ。
互いの出方を探りつつ、致命的な攻撃を避け、ちょっとした力比べをしているような雰囲気を感じる。
蜘蛛は噛みつくようなそぶりを見せないし、ビビもスコップの刃を立てて攻撃はしていない。
それにしたってこの白蜘蛛……いくら殺意がないとはいえ、生理的に怖すぎるな。
特別蜘蛛が苦手というわけではないのだが、さすがにあそこまで大きいと受け入れがたいものがある。
しかもその背後には拳大の大きさの蜘蛛が大量にひしめいている。
こちらは灰色に個性豊かな黒縞があり、見た目は大きなハエ取り蜘蛛のようだ。
ただ戦闘には参加するつもりは無いようで、もぞもぞと動きながら触肢を振り上げたり、無意味に糸を飛ばしたりと、なにかスポーツ観戦でもしているかのような雰囲気だ。
それにしても、ガストが言っていた通り、少なく見積もっても百匹はいそうだな……。
あんなのがもし集団で襲い掛かってきたら、悲鳴をあげて逃げまわることしかできないだろう。
「ど、どうよ! こっちにはクロがいるんだぞ! ちょっと縄張り入ったくらい、いいだろうがよ~! ケチ~!」
「……お前はもう降りろよ。そしてどさくさ紛れに体をまさぐるな」
ただ立ち尽くす俺をよそに、妙に強気なガストが俺の背中から顔だけ出して偉そうに叫んでいる。
さっきまではしおらしかったくせに、すっかりいつもの調子に戻っている。
ぴんくはいつのまにか胸ポケットから顔をだし、ワクワクした様子で成り行きを見守っている。
そして、当のクロはもちろん怖がる様子もない。
「いやだ、高くて見晴らしが良い! よーし、クロいけ~!」
「ぐぎゃ~、ぎゃっぎゃっぎゃっ! ぐぎゃ――ぐぎゃう……?」
クロはいつも通り両手にナイフを構えると、雄叫びをあげながら蜘蛛に向かって飛び掛かっていく。
どちらが蜘蛛かわからないような動きだ。
対する白蜘蛛は四対の脚を素早く動かす。
これまで見せていた動きが、いかに手加減したものだったのかがよく分かる、異様な素早さだ。
ついに激闘が始まる――のかと思いきや、白蜘蛛は凄まじい速度で足をばたつかせながら、ビビの後ろへと隠れてしまった。
それまで自由気ままに群れていた小さな蜘蛛達も、一斉に散開し、まさに蜘蛛の子を散らすようにどこかへ消えていく。
「どういう状況だ……?」
「や、やっぱりクロが怖すぎたか……?」
気勢を削がれたクロは思わず立ち尽くし、首をかしげている。
ガストも静かに俺の背中から降りた。
「ぎゃう……」
クロは少し困った表情を浮かべると、いまいち気の乗らない様子で、白蜘蛛を追いかけはじめた。
一方の白蜘蛛は、ビビを盾にしたまま、全速力で逃げ回っている。
そうして、しばらくビビを中心に追いかけっこをしていた両者だが、最終的にはビビの股下からにょきっと現れたクロにびっくりした白蜘蛛が、勢い余ってひっくり返ってしまった。
脚をばたつかせ、なんとか体勢を立て直すが、その状態でクロに四対の目を覗き込まれると、小さく丸まって動かなくなってしまった。
クロがナイフの背でコンコンと蜘蛛の頭を叩くとビクビクと震えるので、別に気絶しているわけでは無さそうだが……なんだか可愛そうになってくるな。
ぴんくもポケットの縁に両手を乗せ、もうそれくらいでやめてやれよ、みたいな顔をしている。
そういえば、こいつこそ昔エリザベスと戦った時、もっと質の悪いことをしていた気がする……。
「ク、クロ……それくらいにしてあげなよ。どちらかっていうと先に失敗したのは僕たちの方なんだ」
「ぎゃ~う~?」
「ビビ、縄張り争いはもういいのか?」
「完全降伏みたいだね……クロが怖すぎたみたい」
「ぎゃ~ぅ?」
「そ、そうか……こいつら会話できるのか?」
「できないけど、まぁ何となく言いたいことは分かる感じ? でも向こうはたぶん僕たちの言ってることが分かってると思うよ」
「こいつらもやっぱりキダナケモなのかな……?」
「それは……わかんない」
「そうか……まぁ、はじめから殺し合いをしてたわけでもなさそうだし、平和に解決しようじゃないか」
ギュッと小さくなっていた白蜘蛛だが、俺がそう言うと恐々と足を延ばし、クロから逃げるように走って行く。
そのままビビとガストの二人が盾になるような位置取りをして、話合いのようなことを始めてしまった。
こっちは今仲良くやっているんで、あまり邪魔をしないでくださいといった無言のオーラを感じる。
やはり言葉が分かるというのは本当なようだな……。
それでも、話合いはただのポーズというわけでもないようだ。
お互いの縄張りについての具体的な相談だろうか、直接壁をさわったりしながら、なにやら細かい取り決めなどをしているように見える。
白蜘蛛は言葉を使わず四対の脚と触肢を器用に操り意思疎通を図っているようだが……意外と分かりやすいな。
俺でも言いたいことは何となくわかる。
かなり頭が良いようで、人間特有の認知の癖をよく理解しているようだ。
動きがコミカルで分かりやすい。
小さな蜘蛛達もいつの間にか戻ってきて、白蜘蛛と洞穴族を囲むようにゾワゾワと動き回っている。
白蜘蛛と種族から違うような気もするが、どういう関係なんだろう。
親子っぽい感じでも無いんだけどなぁ……。
ともかく多少は話の分かりそうな連中で良かった。
アジトに住む連中は、俺には良くわからない次元で絶妙な均衡を保っているようなところがある。
変に生態系を刺激するのはまずいだろう。
蜘蛛を駆逐したからといって、もっとやばいものがやってこないともかぎらない。
良き隣人としてほどほどの距離感を保って付き合えるなら、それに越したことはないのだ。
ただ……やはり、蜘蛛達はクロのことだけは怖いらしい。
クロが少し動くたび、蜘蛛達は一斉に散っては集まりを繰り返している。
蜂といい蜘蛛といい、どうしてこれほどクロを怖がるのだろう。
「ぐぎゃぅ……」
「こんなに可愛いのにな」
「む~し」
う~ん、確かにクロは虫を捕まえるのが上手いし……よくムシャムシャしてるからだろうか。
その一方で、あれほどやりあっていた洞穴族たちとは相性が良さそうだ。
ビビなどは白蜘蛛の背中に立って、天井面を指差しながらなにやら真剣に打ち合わせをしている。
さっきまで殴り合っていたのに大胆だな……。
クロもその背中に乗ってみたいようで、人差し指を下唇に当ててじーっと白蜘蛛を見ている。
気持ちは分かるが、せめて洞穴族と蜘蛛が交流を温めている今だけは、そっとしておいてやって欲しい。
「――ボナス、話がまとまったよ。とりあえずは仲良くやっていけそう」
「おう、なかなか話の分かる奴だったぜ。今度俺が彫刻作ってやることになった。あと、場合によっては少し手伝ってもらえそうだ」
「おおっ、良かったじゃないか。ところででっかい白蜘蛛はこいつだけなのか?」
「岩壁の別の亀裂にはまだまだいっぱいいるんじゃない? 一番近いコロニーだとこの子だけみたい」
「謎の生態だなぁ……毒とか無いよね? おおっ、すごい……マルバツで意思表示できるのか! で――毒はやっぱりあるのね……」
どうやらしっかり毒は持っているらしい。
怖すぎるな。
それにしても目の前に来るとすさまじい迫力だ。
何を考えているのかさっぱりわからない。
四対の目を見ていると、なんだがゾワゾワしてきて叫びだしたくなるような不安感を覚える。
う~ん、怖い。
とはいえ仲良くすると決めた限りは、そんなことも言ってられない。
「これからどうぞよろしく!」
「……」
腹を括り笑顔で右手を差し出す。
白蜘蛛は一瞬俺の意図を探って迷っているようだったが、差し出した手にちょんと触肢で触れてきた。
その感触にお互いビクッとしてしまう。
相手が何を思ったのかは分からないが、白蜘蛛の触肢は思いがけずフサフサして軽い手触りだった。
エリザベスやコハクのように、とても心地よいという感じでは無かったが、それでもほんのわずかに親しみがわいたかもしれない。
などと思っていると、白蜘蛛から俺の指に一本、細く白い糸が張られていることに気が付く。
その事実に鳥肌が立ち、思わず手を引っ込めそうになる。
だが、その糸上に半透明の小さな蜘蛛を見つけ、すんでのところで思いとどまる。
「こ、これはいったい……?」
「ぐぎゃう~、む~し」
「う、うん……虫だよな」
クロを見ると、その小さな蜘蛛の様子をじっと見つめてはいるものの、特に警戒した様子はない。
洞穴族や目の前の白蜘蛛も落ち着いている。
ひとまずこれは俺に害をなすようなものではないようだ。
それにしたって、こいつは一体なんだろう。
見た目はここにいるどの蜘蛛よりも小さい。
直径三センチメートルくらいだろうか、まるでガラス細工が動いているようだ。
これくらいの大きさであれば、恐怖や嫌悪感も感じない。
むしろ、地下のわずかな光を取り込みキラキラと光り輝く姿は、この世のものとは思えないような不思議な美しさがある。
そんな小蜘蛛が光ファイバーのような手足を小さく動かし、糸を手繰り寄せるようにして俺の方へと向かってきている。
少しでも揺らしてしまうと、つるりと地面に落ちて、それこそガラス細工のように粉々に砕け散ってしまいそうだ。
ただ身を硬くして、その繊細な綱渡りを眺めていることしかできない。
そうして小蜘蛛は俺の心配をよそに、ついにその細い糸を渡り終え、こちらの手のひらへと飛び乗ってきた。
意外と大胆な跳躍を見せたが、全くその質量は感じない。
それどころか、触れられているという感覚さえしない。
幻でも見ているようだ。
だが……結局これはどういうことなのだろう?
問いかけるように目の前にいる大きな白蜘蛛へと視線を移すが、いつのまにかこちらには背を向けており、洞穴族となにやら打ち合わせを再開している。
クロも小さな蜘蛛には関心が無くなったのか、ゆっくりとさりげなく白蜘蛛へと忍び寄っている。
あれは乗ってやろう企んでいるに違いない。
うまく洞穴族が間に入って仲介してくれればいいのだが……。
「それにしても……う~ん、どうすりゃいいんだろうな、こいつ。あっ、ぴんく――た、食べないよな?」
俺の手のひらの上、四対の脚を恐る恐る動かしている小蜘蛛へと視線を移すと、いつのまにかそのすぐ近くにぴんくも歩いてきていた。
両者のサイズバランスや見た目を考えると、そのままパクリといきそうな絵面だが、どうやらその心配は無いようだ。
思わずぴんくに声をかけたが、「なに言ってんの?」みたいな呆れた顔でこちらを振り返ってきた。
小さな蜘蛛はぴんくを前に緊張した様子だったが、ぴんくの小さな手で頭をこねくるように撫でられると、まるで喜んでいるかのように、ちょろちょろと俺の身体をぴんくと一緒に這いまわりはじめた。
舎弟にでもなったのだろうか……。
「なぁ、ビビ。打ち合わせ中悪いんだが……この子って、なんなのかわかる?」
「うん? う~ん、僕も正確にはわかんないけど、供物か生贄みたいなものじゃないのかなぁ?」
「生贄かぁ……」
「蜘蛛達からの友好のあかしだと思うから、そのまま受け取って好きにすれば良いんじゃない?」
「え、えぇ……」




