第189話 閑話 白い夜
湖の前、ウッドデッキの突端でシロと二人寝転んで夜空を見上げる。
日付ももう変わったころだろう。
アジトの空気もすっかり夜のものとなり、夕暮れには心地よかった風も今は冷たく感じる。
だがシロと二人夜を過ごすのであれば、これくらがむしろ心地よい。
柔らかいエリザベスの毛で緩く編まれた毛布、ただ一枚を敷いただけだが、シロと肌が触れているとむしろ軽く汗ばんでくる。
「やっぱり、ここから見上げる星空が一番だなぁ」
「うん」
「いやぁ……シロ、その体勢じゃ見えてないだろ」
「ううん、わかるから、星空と湖――アジトの全部が、私とボナスを包み込んでいるのが……気持ち良いの」
「俺は少しくすぐったいよ、シロ」
「ふふっ」
シロは俺の首元にその立派な角をこすりつけるようにしてそう言う。
体の熱さに比べて、その角だけは妙にひんやりすべすべとしていて気持ち良いのだが、動くたびにやたらサラサラと揺れる髪がとてもくすぐったい。
「でも確かに、ここにいるとアジトに包み込まれているような気持ちになるよな」
「うん。私はこの場所で、ボナスといるのが一番好き」
領主に限らず、鬼であるシロとの関係をとても激しいものかのように想像する人間は多い。
だが、実際の彼女はとても穏やかで、そういった激しさとはむしろ程遠いものがある。
彼女にとっては星を見ることも、湖で泳ぐことも、繋がりあうことでさえも――そこには明確な境界はなく、ただ世界で二人きり、肌を触れ合わせ、お互いを感じられることが重要なのだ。
そういう意味で彼女との関係はとても穏やかで温かいものだ。
ただその一方で、やはりその立派な体躯に見合う、ある種の貪欲さも確かに持ち合わせており、二人で過ごす時間すべてを、ゆっくりと最も濃密な形で味わおうとしてくる。
お互いの瞳を見つめあう時でさえ妥協はなく、あの青く氷のような瞳に飲み込まれるような錯覚を感じるほどに、深い愛情をこめて俺を包み込んでくる。
まさに彼女の食事と同じだ。
シロはいつもとても静かに、ゆっくりと時間をかけて、誰よりもたくさん食べるのだ。
小骨の多い魚なども、綺麗に骨だけ残し、食べられるところは余すことなく食べきってしまう。
ちょうど今の俺は、まさにその魚の骨になったような心地なわけだ。
たまには、もっと自分の方からしっかりと抱き寄せてみた方が良いのかもしれない。
「ボ、ボナス?」
「シロ、なんだか毎日いろいろなことが起こって……俺達の状況もめまぐるしく変わっていくけれど、これからもずっと一緒にいような」
「うん――、うんうん」
夜に降る雪のように明るいシロの髪をすくい取り、形の良いその頭にそっと手を添えると、シロはまるでコハクのように頭をこすりつけてくる。
いつものその声まで、なぜか甘く聞こえてくるのが不思議だ。
そうして熱い吐息が頬をくすぐるたび、巨大な猫のようになってしまったこの可愛い鬼への愛おしさがこみ上げてくる。
「私はボナスが好きで、アジトが好き、今は仲間も沢山増えたけど――それでも、出会った頃から私にとってあなたはずっと変わらない。今でもはじめて傭兵斡旋所のテーブルに座って、私にチョコレートとコーヒーを勧めてきたあなたの顔をはっきり覚えてる」
「ああ~……懐かしいな」
「あの時のボナスの困った顔も大好き」
「俺は……シロの熱い体や肌の香りも、出会った頃よりずっと好きになったし、なんだか安心するね。それに、こうして二人一枚の毛布に身を寄せ合っていると、頭がクラクラしてくるほど惹きつけられるよ」
「ボナス――」
顔を上げた彼女は、相変わらず甘く、やさしく微笑みながら、まるで氷が解けるように涙を流している。
とはいえこれはそれほど珍しいことではない。
シロは不思議と俺と二人きりの時はよく泣くのだ。
それも俺がやさしく触れたときほど、彼女はただ静かにポロポロと涙を流す。
なぜだか自分でもわからないようだ。
涙を流す彼女の姿はあまりにもはかなげで、普段とは全く違う姿に思わず手が引っ込みそうになるのだが、そうするともっと触れてと怒られるので、けっして嫌なことでは無いのだろう。
今ではそんな風に俺を見つめ、静かに涙を流す彼女もただ愛おしく感じるようになった。
「シロ、少し飲み物でも――」
「ダメ、まだ、もう少し……」
少し喉が渇いたので、用意していた水瓶へと手を伸ばすが、どうも今はそれすら許してもらえないらしい。
からめとるようにして、俺の頭をかき抱くと、自らの甘い声を聞かせるかのように、唇を耳元へ押し当ててくる。
どうやら、今日のシロはいつも以上に情熱的なようだ。
もう食べるところのない骨だけになったつもりでいたが、まだこれから出汁まで取られるのかもしれない。
日はとっくに変わったが、まだまだ朝は遠い。




