第177話 婚約
「婚約ですか……」
「当たり前だろう。貴族の子女がよくわからん男の家へ入り浸っているなどありえん。隠れ家かなにか知らんが……どうせまた行くのだろう? であればひとまず婚約という形だけでも取っておくのが筋だろう」
らしくはないが、ラウラも貴族の子女である。
領主に面会するとあまりに親密な関係性について突っ込まれるだろうと覚悟はしていたものの、唐突に婚約などと言われるとは思っていなかった。
ラウラは口をパクパクと動かしてはいるものの、うまく言葉が出てこないようだ。
親子なのだから、せめてそのあたりラウラと事前に話を付けておいて欲しい。
しかし領主の言うこともかなり真っ当なので、うまく反応が出来ないのも確かだ。
助けを求めてマリーを見るが、どうでもよさそうに窓の外を眺めている。
「それでも――いままでならまだ良かった。だが、これから国中の貴族がこの街を訪れるのだ。さすがに外聞が悪すぎる」
「そ、それでもお父様――」
「ラウラ、お前を捨てた男もここへ来ることになっている。当然妻子を伴ってな。この屋敷にも挨拶に来るだろう。それを……一人で出迎えるのか?」
「うぅ……む、むりかも……」
「いずれお前の妹達とその夫、孫達も来るだろう。その時お前はどう説明するのだ?」
「あぁ……」
ラウラが一瞬でしおれてしまった。
限りなく弱々しい。
国崩しどころか、自ら崩れ落ちそうだ。
だがこんな状況で、そんな縋り付くような目で見られても困る。
それにしてもこの領主、なんて娘の扱いがうまいんだ……。
「ボナス、お前はそもそもどういうつもりなのだ。うちのラウラをずいぶん連れまわしているようじゃないか。三日四日領主館を開けることもあると聞いている。一体何をしているんだ?」
「べ、べべべべつに私は何もしていないですよ! お父様は何を言っているんですか!?」
「事実仲間達とともに、友人として我が家に招いているだけで……」
「どうだかな……」
領主はこれまでと違い、やや前のめりで感情をのせてしゃべってくる。
それが演技なのか父としての本音なのか……よくわからない。
どうも嫌われているわけでは無さそうだが、少し恨みごとは言い足りないような気配は感じる。
実際多くのことを飲み込んでいるのだろう。
確かに俺がラウラの親なら、もっとグチグチ言っていたかもしれない。
「そもそも婚約とはいえ、ラウラがこれほど幸せそうにしていなければ、とても許容できるような話ではなかった。それをなるべく名誉ある形で、落としどころを見つけてやったのだぞ。……それともなにか? ボナスよ、お前はうちのラウラに魅力がないとでも? 聡明で、美しい自慢の娘だ……優しい子なんだ。確かに、年はそれなりに……かなりいってるし、性格に落ち着きはないが……」
「ふぇうぅっ……」
逞しくなった気がしたラウラだが、すっかり出会った頃のふにゃふにゃな雰囲気に戻ってしまっている。
父親からの無償の愛とともに、深刻なダメージも受けてしまったようだ。
先ほどの元夫の話も地味に効いているのかもしれない。
「別に結婚しろと言っているわけじゃないのだぞ? 立場を整えろと言っているのだ。うちのラウラの何が気に入らないのだ!?」
「いえ……、ラウラは魅力的な女性です。眼鏡と奇行で分かりにくいけれど、よく見ると透き通るような美人だし、人間性も尊敬できます。油断するとすぐ太りそうになりますが……意外と丸くなったラウラも可愛いものですよ。何より聡明で話していると楽しいですから。ただ、俺はすでにシロと……まぁ、そういう関係でもありまして、仲間としても女性としても強い愛情を感じています。その上で婚約というのもなにか不誠実ではないだろうかと思いまして……」
「お、おまえ――、まさか鬼族の女と!? ……す、凄いな」
領主がはじめて驚いたような顔を見せた。
このタイミングで尊敬のまなざしを見せられても複雑な気持ちにしかならない。
「わたしは――ボナスが大好き。でも、アジトから連れて行かないのであれば、ラウラにも貸してあげるよ」
「シロ……」
シロの声に振り向くと、こんな話をしているにもかかわらず、鬼達はソファーの上でリラックスした様子だ。
ケーキを食べ終えて、少し眠そうな顔をしている。
いつもはアジト以外どこへ行っても身体を少し小さくして、いかにも狭そうな雰囲気を漂わせている鬼達だが、巨大なソファーのおかげですこぶる快適なようだ。
こんな状況だというのに、ああいうのアジトに置いても良さそうだな――などと、ついどうでもいいことを考えてしまう。
「シロさん……、私とボナスが……こ、婚約しても気にしませんか?」
「ラウラは好きだし、仲間だから。それに鬼族にはそういうのないからべつに……でもラウラ、独り占めするのはダメだよ?」
「しませんよ! た、たまに借りるくらいです! ね、ねぇギゼラさん?」
「え? あ~うん、まぁ~そうだね、ボナスは一人だし、みんなで仲良く使いましょう~ってね、あっはっはっはっ」
「あたしはいらないけどね。いっそ四等分にでもすればいいんじゃないかね?」
「どこで切り分けるんだ、ミル? それに五等分にしなければ、俺の分がなくなるぞ?」
「ザムザ、あんたの冗談はいつもわかりにくいんだよ……冗談だよね?」
鬼達は特に婚約についてはあまり関心が無いようだ。
シロなどは俺が道行く女に鼻の下を伸ばしていると少し不機嫌になったりするが、ギゼラの水浴びを覗いていてもまったく気にした様子は見せない。
アジトの仲間である限り、あまりそういうのは気にならないのだろうか。
鬼族の倫理観はよくわからないし、シロやギゼラのそれがどれほど一般的なものかもいまいちわからないが、ひとまずラウラとの婚約が、彼女たちを傷つけるようなものでは無いことは確かなようだ。
ザムザも最近では割と冗談を言うようになってきたが、いつも真顔なので怖い。
しかし婚約か……。
一度結婚したことのある身で、いまさら婚約と言われてもあまりピンとこないな。
軽くそのあたりの事情についてラウラには話したこともあるが、彼女は気にしていないのだろうか。
とはいえ、この提案は受けておくべきだろう。
そもそも提案では無く、領主からの命令に近いが……、それも最大限ラウラの気持ちを配慮しての言い方だろう。
やや唐突な話にも思えるが、三十を超えた娘の人間関係へ口出しするのも意外と難しいものだ。
それになんだか領主は……少し怯えているようにも感じる。
先ほどの兵士たちと違い、俺達と対峙しても微塵も慌てる様子を見せなかった領主だが、先ほどから娘のラウラへ向ける視線だけはどこか不安そうだ。
とにかく娘を傷つけたくないのだろうな……。
やや強引な物言いをしているのもそのせいだろう。
俺がどう反応しても、自分がその責任を引き受けられるようにしているのだ。
良い父親だな。
まぁ、どの道断るという選択肢はなさそうだ。
結局婚約後どうするかだが、それこそ俺一人で決めるようなことではない。
彼女と二人、そして仲間達と時間をかけて考えていくことだ。
ラウラの方はどう考えているのだろうか。
先ほどから捨てられた子犬のような顔で不安そうにこちらをチラチラ見てくる……。
俺の返答をそのまま受け入れるつもりのようだ。
う~ん、これはどうやら領主とラウラの間では、すでに婚約についての何らかの話は出ていたようだ。
ただ話に出すタイミング的には、もっとずっと先のことだと、ラウラのほうは考えていたのだろう。
「わかりました。彼女ほどの女性の横に立てることを誇りに思います」
「そうか……それで良い」
「ええっ、い、良いのですかボナス? 貴族との挨拶なんてとても面倒ですよ~……? もしどうしても嫌であれば――」
「いまさら何を水臭いことを言ってるんだよ、ラウラ。せっかくだし、前の旦那の前でいちゃついてやろうぜ?」
「ふぁっ……い、いちゃ……、ええ、ええ、そうですね!」
「ふんっ――、仲の良いことでなによりだな」
完全に領主の思惑通り事が運んだはずだが、本人は実につまらなさそうだ。
それまでずっと放置していたケーキを、やけくそのように口へ放り込んでいる。
「なんだ……これは――美味いな……」
「ほら言った通りでしょう、お父様!」
うまそうにケーキを頬張る領主の姿は、やはりラウラとそっくりだ。
彼女と同じように甘いものが好きなのかもしれない。
ラウラはそんな父親に駆け寄り、嬉しそうに笑みを浮かべている。
「ぎゃぅ~……ぼなす?」
「うん? ああ――もちろん、クロともずっと一緒だよ!」
「ぐぎゃうぎゃう!」
いつの間にか横に来ていたクロが、ひじ掛けから身を乗り出すようにして、顔を覗き込んでくる。
なにか不安にさせてしまったのかもしれない。
珍しくずっと静かにしていた。
安心させるように声をかけると、ぴょんと膝の上に飛び乗ってきた。
「お、おまえ……、その少女は確か小鬼では……? いくら何でも……それはさすがに――」
「い、いや領主様……クロはもう家族みたいなものですから」
「そうか、そんなこともあるのか……ふむ、その目はどうやら特別製らしいようだし、私の想像を超えるようなことが起きても不思議はないのだろうな……」
「ぎゃぁう~?」
領主は、俺の膝上で足をばたつかせるクロを眩しそうに見つめている。
クロはただ、そんな領主の様子に首をかしげている。
「クロと言ったか、その小鬼は……あまり他の貴族の前には出さない方が良いだろうな」
「噛みついたりしませんよ?」
「ぎゃうぎゃう!」
「いや、その瞳は魔法使いにとってあまりにも強すぎる光を宿している。良からぬことを企む馬鹿がでてくるかもしれん」
「お父様、それほどですか?」
「ラウラ……、お前も自分が少しおかしくなってることを自覚しなさい。私は王国でも五本の指に入る魔法使いだが、そんな私から見ても、今のお前の魔法は化け物じみているぞ?」
「ば、化け物は……言い過ぎでは?」
アジトにいるといろいろ麻痺するので分かりにくいが、たしかにサクの街で見た彼女の魔法は人知を超えたすさまじいものに思えた。
一般的な魔法使いがどのようなものなのかは分からない。
だが、領主が言った通りだとすると、多少は自分の力を自覚したほうがいいだろうな。
「領主様、そろそろ私もケーキを食べたいのですが、席を移動しても?」
「……かまわんぞ。ああ、そうだマリー。そういえば、ひとつお前に伝え忘れていたことがあった」
「なんで……しょうか?」
「今回の軍事行動の総指揮官だがな、今のところフェデリコ・ボアロが指名される予定だ」
「んなっ! 兄が――サヴォイアへ……?」
「ああ、お前に会えるのを楽しみにしているようだぞ?」
「ボナス、鞄貸して……吐きそう」
「それはやめて……」
それまでまったく余裕のある様子を崩さなかったマリーだが、今は表情がぐちゃぐちゃになっている。
こんな様子のマリーは見たことがない。
相当家庭環境が複雑なのだろうか。
領主はさっきと打って変わって悪い笑顔を浮かべている。
父親の顔から一気に悪役貴族になったな。
顔立ちが整っているのでそういう顔も良く似合う。
なるほど、一番いいタイミングでマリーに仕掛けてやろうと狙っていたようだ。
この領主には恨みを買わないようにしよう……。
「っもう、お父様! また、悪い顔になっていますよ? あまり人のご家庭に口を出すべきではありません」
「ふんっ……こいつが仕事を放りだしたせいで、いろいろ苦労させられたからな。これくらいはいいだろう? ところで、そちらのケーキも食べてみたいのだが……ラウラ、ひとまずソファーへ移動しよう」
「そうですね、シロさんが作ってくださったケーキも中々ですよ!」
「鬼の作ったケーキか……おもしろい。いただこうか」
それから暫く、領主はお土産に持ってきていた三種のケーキを全種類、実に満足そうにたいらげた。
なんだか気が付くと最初から最後までこの男のいいように話が進んだ気がしてくる。
う~ん、次コーヒーを流し込んだ瞬間に、お義父さんと呼んでやろうかな……?




