第173話 新しい住人たちと③
そろそろ昼食の準備に取り掛かろうかというところで、クロたちが帰ってきた。
エリザベスの背中に見事な赤毛の大イノシシが乗っている。
意外と軽々と運んでいるようではあるが、エリザベスよりもはるかに大きい。
なんだか見ていると不安な気持ちになってくる絵面だな。
ただ、そんなことよりも、マリーがあまりにもボロボロになっていることに驚いた。
「だ、大丈夫かマリー?」
「ふふふっ、大丈夫。とても――とってもいい気分よ!」
「そ、そうか。なら良いんだが……」
朝方は完ぺきにキマっていた皮鎧も、今はもうズタボロだ。
特に左半身の損傷が酷い。
肩回りのパーツなどははじけ飛んで、肌が露出してしまっている。
攻撃が直撃したわけでは無さそうだが、何度も地面は転がることになったのだろうな。
いつもは艶のある見事なオレンジ色の髪も今は土埃にまみれ、ボサボサになっている。
人形のように整った顔にまでも擦り傷があり、薄く血が滲んでいる。
満身創痍と言っても差し支えないだろう。
かつて黒狼の群れと戦った時より酷い見た目だ。
ただ本人はすこぶる上機嫌なようだ。
朱色の瞳をギラギラと輝かせ、血と埃にまみれた顔に獰猛な笑みを浮かべている。
手を出すと噛みつかれそうな勢いだ。
香箱座りで目をクリクリさせながらこちらを見上げているコハクよりずっと猛獣っぽい。
「けど、流石マリーだな。ずいぶん活躍したみたいじゃないか」
「気に入っていたのだけれど、その剣はもう打ち直し――いえ、もう少し重い剣が必要ね」
巨大な大イノシシの喉元にはマリーの双剣が一本、深々と根元まで突き刺さっている。
持ち手の端、少し丸身を帯びた部分だけがアクセサリーのように顔を出し、大量に血を滴らせている。
剣にはそれなりに大きなつばが付いていたはずだが、その部分まで体内に深くえぐり込まれているようで、うまく引き抜けなくなったのだろう。
「確かにキダナケモは硬いし、刃物はなかなか通らないからなぁ。それでもマリーがこの致命傷を与えたんじゃないのか? 凄いな……心臓まで届いてるのか」
「いいえ。私はわずか剣先を突き立てただけ。後はシロとエリザベスのおかげよ。陽動もクロやコハクに比べるとまるで役に立っていないわ」
普通の剣では小さな傷をつけることさえ難しいキダナケモだ。
切先をその身に突きたてられたのは十分凄いことだろう。
卓越した技術が無ければ、例え剣が業物であっても簡単に折られてしまう。
最終的にそれを押し込んだのはシロのようだが、そのシロでさえ刀傷をキダナケモにつけるのは至難の業だと言っていた。
「クロとシロもお疲れ様」
「ぎゃうぎゃう! に~! く~!」
「うん。じゃあボナス、私達お肉切り分けてくるね。ギゼラ手伝ってくれる?」
「いいよ~」
一方、クロとシロは拍子抜けするほどいつも通りだ。
二人とも特に防具も持たず、エリザベスの服を着ているだけだが、朝とまるで様子が変わらない。
彼女たちに合わせて美しく仕立てられた白い服を、クロは可愛らしく、シロは格好良く着こなしている。
とてもマリーと同じ戦場にいたとは思えない。
「その服、素敵ね……私もはやく欲しいわ」
「今度街へ行ったら一緒に仕立ててもらおうね、マリー」
「あなたたち、以前よりずっと強くなっていたのね……」
「マリーもすぐ慣れるよ。昔は私もよくボロボロになってたよ」
確かに、昔はシロもよくマリーのような酷い状態になっていた。
だが、最近では騎兵スタイルで戦うおかげか、ほぼ無傷で帰ってくる。
ちなみに、エリザベスに跨りキダナケモと戦うシロはため息が出るほど格好良い。
「マリー、ぐぎゃうぎゃう!」
「あなたたち見ていると、自信が無くなるわね」
ちなみにクロはキダナケモ相手の場合はほぼ遊んでいるようにしか見えない。
クロの体重、筋力ではキダナケモに傷を与えるのは難しく、最近ではあまりナイフを使うこともない。
尻尾に捕まって宙を舞ってみたり、背中でロデオを楽しんだり、鼻や目、耳などにスパイスを突っ込んで嫌がらせをしたり、特製の棒でくすぐったり、後はおおむね相手を挑発するように踊っているだけだ。
本人は遊んでいるつもりのようだが、その陽動効果は凄まじく、シロやエリザベスの負担が相当減るらしい。
「おおっ! 久しぶりのキダナケモの肉……今回のはひと際でかいな! よしよし、どんな燻製になるか楽しみだ!」
「ね、ねぇガスト……これもまたすごいねぇ! 大きい! 毛が真っ赤!」
「おいおい……こいつはまた……ちょっと待ってくれ、捌くなら俺も行くぞ! こんな立派な皮を無駄にしちゃだめだ、絶対だめだ! 目立つ傷がこの一箇所しかないし……ほら、この赤毛も良いブラシになりそうだし、内臓だって美味いはず。脳みそも鞣しに使えるかもしれんから――」
「まぁまぁ、落ち着けガスト、まずは湖へ運ばないと、ほらエリザベスが困ってる。ちゃんとガストも交えて、みんなで協力して解体から調理までやっちゃうから」
「たのむ! 解体の流れは俺に任せてくれ!」
「良いけど、かったいよ~?」
「だ、だいじょうぶだ!」
どうもガストはなるべくいい状態で皮を剥ぎ取りたいようだ。
話ながらもイノシシから目は放さずに、ずっとエリザベスの周りをグルグル回り続けている。
エリザベスが困ったような顔で俺を見つめてくるので気まずい。
さっさとこの大荷物から解放してやらなければ。
ガストも今の段階で特に何に使いたいというわけでも無いだろうが、やはり鞣し職人ということもあってこだわりがあるようだな。
確かにこれまで皮はダメにしてしまうことが多かった。
メナスに余り状態の良く無いものなどは何度か売ったこともあるが、市場が混乱する可能性もあるということで、サヴォイアへは持ち込んだこともなく、ほぼ廃棄してしまっていた。
ガストが有効活用できるならありがたい。
「さぁさぁ、早く湖に行かないとね。こんなデカブツ、効率よく処理していかないと日が暮れちまうよ!」
「ミルちゃん、斧貸して~。後オスカーはのこぎりもね」
「あいよ。ゼラちゃんこれでいいかな?」
「いいよ~」
「よーし……あの皮、最高の状態ではぎ取ってやるぜ!」
「ごめんねエリザベス、お待たせ。いこっか」
「メェェェェ~」
アジトの面子総出で巨大イノシシの解体を始めたが、気が付くと既にずいぶんと日が傾いている。
正午少し前から作業を始めて、おおよそ三時間ほどだろうか。
なんとか全身の皮を剥ぎ取り、枝肉に分けるところまでたどり着いた。
「つ、疲れた……」
「狩るのと同じくらい解体するのも大変ね。でも……意外と面白いわね」
「まだまだ作業はこれからだよ! 今日は一部の内臓と顔周りの肉を食べて、後は岩壁の保管庫で冷やさなくちゃね!」
「ねぇ、ミル。私、心臓を食べてみたいわ」
「ああもちろんさ。 マリー、あんたが一番槍だったんだろ? 遠慮なく食べなよ! それにどの道食べきれないほどの大きさだしね。いやぁ~立派なもんだ」
「そうね、確かにとんでもなく大きい……はずだけれど、元の巨体を思うと、なんだか小さいような気もする……不思議ね。ああ、ここって――私の剣が付けた傷ね。なんだか……そう思うと急にドキドキしてきたわ。いまさら何なのかしら、あまり感じたことのない気持ち……変だわ」
「俺はその気持ち、なんとなく分かるぞ……実際、大型のキダナケモを狩るなんて、竜殺し以上の偉業だからな。普通昼飯用の肉として狩ってくるようなもんじゃあない」
「ザムザ……ここじゃ、鬼男のあなたが一番常識人ぽいというのも、面白いわね」
「ついて行くの、大変なんだぞ……」
「よしよし、頬肉や舌もいいね~……これはきっとうまいよ! 後レバーはどうだろう……ちょっと調理してみないと分からないね」
「レバー好き~。ミルちゃん、いつもの感じで辛く調理してね~」
「ああ、あれね。わかったよ、任せな!」
「ミル! こ、ここは欲しい! 頼む、半分、いや、半分の半分でいいから! 絶対燻製にしたら美味いって!」
「オスカー、あんた別の部位でも同じこと言って……もう結構な量渡しただろ? はぁ……ん~、じゃあこんだけね、はいよ!」
「よし! ありがとう、ミル! へへへっ」
「――きゃっ……ん~! もう~! ぴんく~! そんなところウロチョロするんじゃないよ!」
「こっちを見ても無駄だよぴんく、料理中のミルには誰も勝てん」
肉はミルとザムザ、オスカーそしてギゼラが協力して切り分けていく。
ぴんくは解体中の肉の変なところをウロチョロと……相変わらずろくでもない。
ミルが妙にかわいい声で驚いてしまってたいそうお怒りだ。
そして意外なことに、マリーも真剣な表情で手伝ってくれている。
やはり刃物の扱いがとても上手い。
相当硬い革や肉も、ジッパーでも開けるかのような調子で軽く切り裂いていく。
その様子をザムザが目を剥いてみている。
かなり高度なことをしているようだ。
ちなみにギゼラもそれに劣らず刃物の扱いが上手い。
自分で作ったものだからだろうか。
マリーに比べると動きが大きく大胆だが、強引に作業をしている印象はまったく受けない。
いろいろな種類の刃物を部位ごとに細かく使い分け、無理なく作業している印象だ。
ギゼラは仕事であまり刃物は扱わないようだが、日常的に生活の中で使う包丁やナイフ、斧や鉈などはかなり良いものを沢山作ってくれている。
特に解体用の刃物は揃えが良く、いまも目の前に完ぺきに手入れされたものが二十本ほど並べてある。
それほど繊細な作りではないものの、適材適所で無理なく使い分けすれば、あまり力を入れなくても効率よく解体できるように工夫されている。
刃物の痛みも少ないのだろう。
ただそれでも、さすがにキダナケモ相手では切れ味を失うのもかなり早いようで、何度も洗浄や手入れを繰り返しつつの作業となる。
加えて肉を吊るしたり内臓を取り除き水に晒すため移動するだけでも尋常じゃない重さだ。
何トンあるのか見当もつかないが、何かしらの道具を使わなければ、たとえ鬼の力でもまともに移動させることができない。
これにはヴァインツ村の復興のために開発した荷車や滑車、吊り具などがなかなか役に立った。
俺のアジトにおける数少ない功績だ。
ビビとガストがすごいすごいと逐一褒めてくれるのが地味にうれしい。
それにしても鬼がいてこれなので、人だけで作業していたら一日がかりでも終わらなかっただろうな。
「ギゼラ、水は足りてる?」
「あっ、それじゃあ、お湯をお願い~もう、脂がすごくてべっとべと~。でも、これは美味そうだね~、ボナス」
「ああ、楽しみだ。それに、ほら鳥たちも……なんかお前ら顔が怖いぞ」
「あっはっはっは、そんなじっと見られると気になっちゃうよ~」
「ぐぎゃうぎゃう!」
ちなみに俺とクロ、シロ、ビビは全体的な手伝いに回っている。
吊り具を組み立て肉を運んだり、使い切れない内臓や細かい肉の端材を処分したり、大量の水や湯を用意したりと意外と忙しい。
久しぶりにクロの一輪車も大活躍だ。
それにしても、今回の肉はいつも以上に期待できるかもしれない。
解体をしていると鳥が大量に集まってくるのはいつものことだが、今日はその鳥たちがひと際熱い視線をよこしてくる。
やはり今日の肉の味は期待できるのだろうか。
朝方あれほど美しく感じた鳥達だが、今は小型恐竜の群れにでも囲まれているような心地がする。
ぴんくのように盗み食いすることもなく、お行儀は良いのだが……なんだか目が怖い。
「あ、あとできっちり分けてあげるからな~」
「おい、ボナス~! わるいが、麻紐をたのむ!」
オスカーは早速燻製用の肉の下ごしらえをはじめている。
確かにあれだけの肉を下処理するのはかなり時間がかかりそうだ。
オスカーもいい加減腹が減っているだろうに、それ以上に自分の仕事に没頭している様子だ。
ワクワクとした気配をまとわりつかせながらも、額に汗を浮かべいつになく真剣な表情だ。
大工仕事をしている時ともまた雰囲気が違う。
「なかなか凄い量だなぁ……」
実際今回はいつもにくらべ獲物も大きく、ガストの熱に押され丁寧に解体したおかげで、とんでもない量の肉が採れた。
いくら皆良く食べるといっても、そのままでは大半を腐らせてしまうだろう。
できるだけ燻製にして保管しておくのも実際悪くない考えだ。
ミルもそのあたり考慮して、オスカーに多めに配布しているのだろう。
「ちょ、ちょっと皮洗って干すの、頼む、ボナス! て、手伝ってくれ~!」
「はいはい! おぉ……ガスト、お前もやっぱちっこいのに力強いなぁ。しっかし、これはまた綺麗に剥げたよなぁ。さすが本職は違うね~」
「いやぁ……俺の仕事は鞣しで、解体はあんま自信がないんだけどな。それでも、これはなかなかうまく出来たと――うぁぁっ重いいい、はやく! ボナスはやく~!」
「ああ、わるいわるい――って重いな! あぁっ、む、むりかもっ」
「ほら、大丈夫? 確かに一枚一枚が大きいね」
一枚がガストの背丈以上あるので、横着して二枚以上重ねて取り扱うと腰がやられそうになる。
俺とガストが思わず崩れ落ちそうになったところで、シロが片手で軽々と持ち上げてくれた。
「あ、ありがとう、シロ。いやぁ……これだけの大きさの皮は初めてでさ、俺の知ってる切り分け方じゃ十分対応できなかった。なるべくうまく切り分けたつもりだけど、歩留まりが良いか自信が持てないよ。それでも一枚がこんなでかくなっちまって、取り扱いが難しすぎるなぁ……」
「別に失敗したって大したことないし、実験を兼ねていろいろやって見りゃ良いさ。うわ……ビビはすごいな」
「うん~? シロの方が凄いよ」
「いやその体格でそんな軽々と……」
俺とガストがひっくり返って慰めあっている間にも、ビビはちょこちょこと歩き回り、皮を一枚づつ担ぎ手早く運んでくれている。
片腕を器用に使い、大きく重い革を軽々と肩に担ぎあげテキパキと動く姿を見ていると、なにか敗北感のようなものを感じる。
「いやぁ……こんな貴重な皮、さすがに無駄にはしたくないなぁ。なんにしてもここでできるのは塩漬けまでだろうな。後は一度サイードの工場へ送って鞣させよう」
「ここではともかく、サヴォイアの街じゃ無理かな?」
「ああ、無理無理。仕上がりが全然違うよ。サクはやっぱ皮革系は特別強いんだよ。大丈夫さ、俺が手紙書くぜ」
「サイードもあのまま放置してきてしまったけど、いちどちゃんと今後について打ち合わせしないとなぁ……生きてるかな?」
「大丈夫だろ。あんな図太い奴はそう簡単に死なないよ。よーし、それじゃ軽く洗って、内側の肉を削いでいくぜ!」
「ひぇぇ……とても今日中に終わる気がしないな」
「ああ、楽しみだぜ!」
「そ、そうか」
「ガスト、皮洗ったらとりあえず一度ごはん食べようよ? ぼくもうお腹ペコペコだよ」
「ん? あ~まぁ……それもそうだな、ビビ。しかしこの皮は部位ごとにかなり性質が違うから、薬品や手順も細かく変えなくちゃ――」
ウッドデッキの上に凄まじい量の皮が山積みにされていく。
これまで、あまりまともに皮を剥ぎ取れたこともなかったので、そのボリューム感に圧倒される。
ひとまず塩漬けにしてサクの街へ送るつもりのようだが、下処理だけでも大変そうだ。
ガストがいなければ、完全に持て余しただろう。
一方のガストは自分の背丈ほどの大きさの皮を担ぎ顔を真っ赤にしながらも、青い瞳を爛々と光らせ、どこか遠くを見ているようだ。
この皮をどう処理するのが最善なのかなどと、延々自問自答しつつ取り付かれたように喋り続けている。
さすがに少々心配になってくるな……。
日除けのローブも滝のような汗でぐじゅぐじゅになっているが、本人はまったく気にした様子が無い。
湯気でも吹き出しそうな勢いだ。
一度湖にでも沈めて無理やりにでも落ち着かせた方が良いのだろうか。
「ボナス、ぼくたち洞穴族は夢中になると大体こんな感じだから大丈夫だよ。むしろこれ以上ないくらい幸せそうだから放っておくのが良いと思うよ」
「そうは言うが……ビビ、あいつあんな真っ赤になって体は……まぁ丈夫らしいもんな。なぁガスト、好きなようにしていいから体を壊すようなことはすんなよ。これからアジトで長いこと一緒にやってくんだ、なにも焦ることはないんだぞ」
「うん? ああ……ありがとうな、ボナス。俺ここ来てほんと良かったよ。めちゃくちゃいい場所だし、みんないいやつだ。それに何より――俺もちゃんと役に立てる!」
「前々からそう言ってただろうが。ガストもビビも間違いなく活躍すると思うぞ。まだまだこれからだ。やってほしいことは山積みなんだ。おまえら洞穴族は力も強いし手先も器用だ、忍耐力もあるし何より気立てが良い。なんであんまり街で見ないんだろうな~、まぁ日光苦手っていうのは決定的なのか」
「お、お前なんだよ~、えへへへっ、そ、そんな急に褒めるなよ~」
「いやガスト……おまえはそう言いつつ、当たり前のように尻触ってくんじゃねぇ!」




