第165話 はじまりのトカゲ②
目を覚ますと岩陰にいた。
またいつものように、小さなトカゲとして産まれたみたい。
ここはずいぶん乾燥してる。
けれど、ここならすぐ食べられない……といいなぁ。
今回はいつもより、少しだけ長く生きられるかもしれない。
そんなことを考えながら、岩陰から慎重に頭を出す。
――妙な生き物がいる。
何とも言えない不思議な生き物。
目を半分閉じ、体を無防備に横たえている。
起きているのか寝ているのかもよくわからない。
どうもこれまで見てきた生き物たちとは様子が違う。
まず、とても弱々しい。
魔素もほとんど感じない。
力も弱そう。
今の自分よりも簡単に死んじゃいそう。
むむむ……。
この弱々しい生き物を見ていると、なんだかムズムズしてくる。
なんだろうこれは……う~ん……。
――食べられないかな?
ふとそんなことを思った。
私は魔素を吸収するけれども、生き物を食べたことはない。
けれども、どうやら私はこの生き物を食べたいと思っている……ような気がする……。
どうすればいいのだろう。
食事とはどうするのだろう……よくわからないなぁ。
私にできるのは、魔素を扱うことだけ。
上手にたべられるかな……?
私はこの変な生き物へ吸い寄せられるようにゆっくりと近づいていく。
全く気が付く様子はない。
やはり眠っているのかな。
変な顔。
じっとその顔を見ていると、やっぱりムズムズするものを感じる。
――よし、食べてみよう!
私はこの変な生き物の変な顔に近づくと、自分の体をゆっくりと魔素へと解体しながらこの男の体へと入っていく。
もちろん一度魔素となってしまうと、自意識を持っていられるのはごくわずかな間だけ。
そのわずかな期間を過ぎると、大気中を漂うただの魔素と変わりなくなり、私はまた消えてしまうだろう。
だからこれは、一か八かの命懸けの食事。
なんだかワクワクする。
変な生き物は私に全く気が付いていない。
なんて暢気な生き物だろう。
まぁ……今はそれがありがたいけど。
ゆっくりと鼻の孔と思われるところから、侵入していき、奥へ奥へと入っていく。
そして――ついにこの生き物の一番美味しそうなところを見つける。
ああ……、なんて美味しそうなんだろう!
ここを食べれば……、きっと、きっと私は……新しいなにかが……。
仕組みはわかっている。
魔素となった私を上手く織り込んでいけばいいのだ。
よし、いいぞ――。
フフフッ、なんとなくこの変な生き物を喰らっている実感が出てきた。
どんどん思考も明晰になってくる。
これは……成功かな。
ただの魔素となり、消え去る前にこの生き物に繋がることができた。
なかなか具合が良い。
いや、むしろこんなに物事をはっきりと考えられたのは初めてかもしれない。
凄くスッキリ。
ああ……そうか、この美味しいのは脳……ずいぶんとトカゲのだった時のものとは違うなぁ。
この脳はとてもすごい。
魔素を恐ろしい速度で集められる。
よし――、もっともっと、食ってやろう!
そうして、私は引き続き私を解体しながら、この変な生き物に混ざり込んでいく。
私ははじめての『食事』に夢中になった。
だというのに――、私はこの『食事』を長く続けることはできなかった。
『食事』を進めるにつれて、この変な生き物……いや、この男の思考や記憶が私の中に入ってきた。
そして、それを理解してしまったのだ。
あぁ――やってしまった。
急に申し訳ない気持ちがあふれてくる。
これは私の気持ちなのか、それともこの男の気持ちなのか。
もはやどちらでも無いのかもしれない。
今にして思うと、これこそが私の初めての感情、というものだったのだろう。
なんて気の毒なことをしてしまったのだろうか。
これ以上、この男を……この男の記憶を食べるのはやめた方が良いんじゃないのだろうか……。
だが……まだもう少し足りない。
もう少し、もう少しだけ……。
今はこの脳のおかげで先のことを考えられる。
もう少しこの男を食べ、力をつけなくては、私は力を発揮できないだろう。
このままではまともに魔法も使えない。
そうなると結局、私もこの弱々しい男も、この乾いた世界で生き残ることはできないだろう。
何しろこの男はまったく魔素も持たず、魔法も使えず、そして力も弱いのだから。
だから後もう少しだけ…………。
結局、私は彼――ボナスの記憶をたくさん食べてしまった。
彼にとって、それが大切な記憶だったということは、今では痛い程よくわかる。
だが、あの時の私も必死だったのだ…………。
それに、食べたと言っても彼の脳や身体、人格を壊したわけじゃない。
私が食べたのは、彼の中にあった名前や顔の記憶だ。
この世界で生きていくには、あまり必要無いものに思えたのだ。
いや……、悪かったとは思っているんだよ、ほんとに。
あの『食事』は素晴らしい経験だったけど……それでも決して食欲に負けたわけじゃない。
私とボナスが生き残るためには、どうしても必要なことだったのだ……多分。
それにしてもこのボナスの持つ脳は面白い。
『食事』と引き換えに諦めていたトカゲとしての姿も、なんと残すことができた。
それもこの人間の脳のおかげだ。
この脳という器官、ありえないほど効率的に魔素を集めることができる。
なんて便利なんだろう。
昔の私にもこの脳があれば……いや、やっぱり一人じゃダメだっただろうな……。
それにしても、ただでさえ訳の分からなかった私の存在が、さらによくわからないことになってきた。
ボナスの脳を使って考えたり、魔素を集めたり、魔法をつかったりしているけども、体はしっかりトカゲなのだ。
しかもかつてのように無軌道に魔素を集め続けているわけでもない。
しっかりと魔素を制御できているし、トカゲの身体も無駄に大きくなることはない。
こんなことが実現できるのも、私の存在自体が魔素そのものに保存されているからだろう。
もしかするとボナスだってトカゲの私を通して、世界を感知することくらいならできるのかもしれない。
けれども……う~ん、ボナスには難しいかな……。
そうして、ボナスとの奇妙な生活が始まった。
まず、ボナスと一体になった私は、彼のことが大好きになった。
当然だろう。
彼のすべては私のすべてであり、私のすべては彼のすべてなのだ。
そして、それでもなお私たちは別の存在としてお互いを見ることができる。
なんだかとても愛おしく感じる。
これは新しく手に入れた感情の影響だろう。
なんだか世界が輝いて見える。
特にチョコレート!
そう、私は普通に食事をとることができるようになった。
どうやら私が考えていた食事と、本当の食事は少し違ったようだ。
ボナスと混ざり合った経験も素晴らしいものだったけれど、お肉や果物、チョコレート、コーヒー……どれもとってもすてきだ!
何もかもが楽しく、目新しく、面白い……面白すぎる。
ただその一方で、少し怖くなった。
これまで生きてきた、とてつもない長い時間。
その空虚さが恐ろしい。
思い出すとなんだか、吸い込まれそうになる。
もはや私はそのことに耐えられる気がしない。
次に新たな命として、ふたたび小さなトカゲとして目覚めたとき、横に私のボナスがいなかったら……。
私は永遠に狂ってしまうかもしれない。
だから私は、彼とこの輝かしい時をじっくりと味わい、そして――供に死にたい。
できるだろうか……私は今度こそうまく死ねるのだろうか……。
いずれにしろ、今はその時ではない。
常に私とともにある愛しい彼。
私のボナスとの生活を今は存分に楽しむこととしよう。




