第157話 勧誘
コハクと出会ってから八日が経過した。
ひとまずここを脱出することは諦めた。
いろいろと考えた結果だ。
身の安全が確保できた以上、今焦ってはいけない。
コハクがどれほど頼りになろうとも、俺自体が弱点になる以上、下手に自分から動かない方が良い。
あの路地裏の二の舞になることだけは、避けなければならない。
今こそ慎重にならなければいけないのだ。
「んなぅ~」
「ほんとにコハクは隠れるの上手いなぁ……」
あれからコハクはずっと俺のそばにいてくれる。
もしかするとクロ達に俺がこれ以上馬鹿なことをしないよう、お目付け役を任されているのかもしれない。
鼻の敏感なコハクにとって、この地下暮らしはかなり不快なはずだ。
だが、それでも常に琥珀色の瞳をくりくりと輝かせ、片時も俺の側を離れない。
実際のところかなり精神的に救われている。
しかも闇に紛れるのが上手すぎて、俺とビビ、ガスト以外には今のところ誰にもその存在を気付かれてはいない。
ついこの間まで、腕の中でふにゃふにゃうにゃうにゃ言っていた、小さな子猫のようなコハク。
それがいつのまにか、普通の黒豹ほどの大きさになっている。
母親のことを思えば、成長するのはまだまだこれからなのだろうが、それでもずいぶん頼もしい。
「でも、この部屋だけは無理なんだよな」
「う~……にゃうにゃぅ……」
「いいよ、大丈夫。ガスト呼んでくるだけだから、ここで待っててくれ」
「僕もコハクと待ってる」
「はいはい」
そんなコハクも鞣し工場だけは耐えられないようだ。
ちなみに俺とビビの衛生環境は、あれから一気に改善した。
風呂に入れるようになったおかげだ。
最初もじもじして、なかなか風呂に入ろうとしなかったビビも、今では大の風呂好きだ。
そして、なぜかガストも当たり前のような顔で混ざり込んでくるようになった。
特に洞穴族は熱々の風呂が好みのようだ。
意外と面倒な石焼きも楽しそうにこなしている。
実際海水風呂は思ったより気持ちがいい。
普通の風呂と比べても発汗量が桁違いで、工場でまとわりついた嫌なものがすべて綺麗に抜け落ちていくような、凄まじい爽快感がある。
これだけはアジトでも味わえない楽しみだ。
いずれヴァインツ村にも用意したいな……。
当初は入浴中の防犯上の問題もあったが、コハクがいる今、その心配もなくなった。
最初コハクを恐れていたビビやガストも、今ではその魅力にすっかりデレデレしている。
それどころか、何かコハクに対してだけは、特別な憧れと敬意を持って接している気がする。
俺より扱いが丁寧だ。
「おっ、きたきた。じゃあ今日も風呂行こうぜ~」
「準備万端だなぁ」
「そりゃそうだろ! 今一番の楽しみだからな~」
ガストを回収しコハク、ビビと合流する。
ガストのへたくそな鼻歌を聞きながら、いつものように風呂へと向かう。
この時間ほぼ人はいないが、その一方ですれ違う顔ぶれはいつも同じだ。
「おい、ナナシ! わざわざ仕事外でも汚ねぇ洞穴族なんかとつるんでるのか? まったく、俺には理解できないゲテモノ好きだぜ。あんな気持ち悪りぃ海の悪魔も食うしよぉ~」
「ぶっ殺すぞクソ鍛冶屋!」
「ガスト、無視だ無視。お前は相変わらず……、腕はそれほど悪くないんだが、まぁ……お前はそのままでいてくれ。あの鉄鍋使いやすかったぞ、ありがとうよ」
「おお、そうかそうか~。まぁ、酒か金持ってきたらいくらでも仕事してやるよ。ああ~、洞穴族はきたねぇし、くせぇなぁ~」
「てめぇ!」
「ガスト、あいつは馬鹿なんだからほっといてやれって。実際お前風呂入ったあとは汚くも臭くもない、むしろ結構可愛いとおもうぞ」
「お、おう……」
「中身はともかくとしてな」
「おい!」
どうもここの住人は偏見が強く、ひねくれた性格の奴が多い。
特にきつい仕事に従事していることの多い洞穴族に対しては、なぜか下に見ているようなところがある。
雇用主のサイードから見れば、むしろ洞穴族の方をはるかに評価していると思うのだが……不思議だ。
閉鎖的な環境が良くないのだろうか……。
ちなみにそのサイードからは、相談役のようなことを任されるようになった。
この工場には圧倒的に中間管理職が足りていない。
とはいえ実際この世界では、そう言った人材は簡単には手に入らない。
義務教育なんてものは無いのだ。
四則演算どころか文字もろくに読めない。
当然倫理観なんてあるわけもない。
たとえ文字が読めたとしても、管理職なんて任せた日には、ほぼ間違いなく横領に走るだろう。
多分、サイードはどこかの段階で、商売の規模を大きくしすぎたのだ。
サイード個人が管理できる規模にしておけばよかったのだ。
売上ばかりが大きくなり、利益はどんどん落ちている。
それまでうまくいっていた商売の効率も落ちており、ちょろまかされている荷物も多いらしい。
護衛や見張りのために傭兵を雇ってはいるようだが、給料だけもらってさぼっている連中がほとんどのようだ。
知れば知るほど頭の痛くなる経営実態だ。
ただ、その一方でカミラの取り扱いや、この地域での立ち振る舞いに関しては、サイードはかなりうまいような気もする。
本人は嫌がりそうだが、ビジネスマンというより政治家の方が向いてそうだ。
俺をかくまっているのも、そのあたり自信があるからだろう。
それにその判断も事実間違ってはいなかった。
多分、あの時俺も一緒に毒殺されていたら……サイード自身も遅かれ早かれ、俺の仲間に殺されていただろう。
もちろんその前にカミラに殺される可能性もあるのだが……。
ちなみに、カミラは直接この工場へ来たことはないらしい。
衛生環境が悪いのもあるが、なにより地下が苦手らしく、なにやらトラウマがあるようだ。
その機会があれば、ぜひ地下送りにしてやりたい。
そういうわけで俺は、経営や在庫管理、なぜか人事についての相談まで受けるようになった。
おかげでここでの暮らしについて、なにかと便宜を図ってもらえるようにはなったのだ。
ただ一点、そうして俺が駆り出された後、しばらくビビの機嫌が悪くなるのだけが悩ましいところだ……。
「よし、温まったかな? ん~……お~……温まったな! さぁ風呂だ風呂だ! おいナナシ、早く脱げよ~、へへへへっ」
「ガスト……お前は本当に残念な奴だよなぁ」
恐ろしいことにガストは女だった。
見た目はそれなりの美少女だし、脱ぐと意外と色っぽい。
ただ……中身があまりにもひどすぎる。
なんとなくピリに近い精神性を感じるので、全然そそられない。
酒を片手に全裸でのっしのっしと潮だまりへ入っていくその姿は、実にオヤジくさい。
そしてさらに恐ろしいことに、ビビは男だった。
正直こいつは見た目も仕草も普通に可愛らしいので、多分女性だろうと思っていた。
今も服を脱ぎながら、顔を赤らめている。
腕が不自由な分、いつも俺が背中を流してやっているのだが、その時の反応も、妙にソワソワして艶めかしい……。
こいつら洞穴族はいろいろと倒錯しすぎている。
俺の理解を超えているので、あまり深く考えないようにしている。
ただ、ビビにしろガストにしろ、思い返してみると酒場の洞穴族たちも、皆人懐っこくて良い奴が多かった。
いや、むしろ良い奴すぎるのだろう。
特にビビなどはそうだ。
その人の良さに付け込まれたことが何度かありそうな雰囲気を感じる。
あまりはっきりとしたことは聞けていないが、死んだ俺の前任者も、どうやらその手の輩だったようだ。
特にビビは洞穴族の中では大人しく華奢だ。
片腕を失っており、身綺麗にもしていなかった。
より一層舐められやすく、都合よくみられていたのかもしれない。
その結果、何か取り返しのつかないところまでいってしまったのだろう。
洞穴族も素直で人懐っこいが、決して馬鹿ではない。
いやむしろ、頭は相当良いし、人の気持ちにも敏感だ。
それゆえひどく落胆することも多いのだろう。
ビビなんかは特に人に期待しないよう、無理して頑張っているようにも見える。
なぜか俺は今のところ彼女たちのお眼鏡に叶っているようでよかった。
「ねえ、その杖の絵の話……また聞きたいな」
「ああ、俺も俺も。聞かせてくれよ」
「うん? ああ、アジトの話か――」
そしてなぜかこいつらはアジトの話が異様に好きだ。
最初に興味を持ったのはビビだった。
常に持ち歩いているギゼラの杖が気になり、俺が寝ている間にこっそり見ていたらしい。
そのうちに、その意匠性や技術力に感心して、最終的にはそこに描かれているアジトの仲間達に魅了されていった。
確かにギゼラはその技術力と同等かそれ以上に、デザインセンスも素晴らしいのだ。
そこから、普段は比較的寡黙なビビに質問攻めにされ、結果的にアジトの仲間達とその日常について、かいつまんで話すことになった。
さらに、それを横で聞いていたガストも興味を持ち、既に何度となく同じ話をさせられているのだ。
「――いやぁ……しっかし、普通ならとても信じられないような話なんだがなぁ……さすがに子供とはいえ本物が目の前にいるとさぁ……お前のかあちゃん凄いんだなぁ」
「うなぅ~?」
「コハク自体も相当だけどな」
「コハクは強すぎるよ。姿が消えたと思ったら、モンスターがばらばらになってるんだもん。僕もそれなりに修羅場を潜り抜けてきたつもりけど……、なんだかもう次元が違うっていうか……自信失くしちゃうよね」
「コハクは特に移動速度に関しては仲間内でも反則的だからなぁ……暗闇に潜み、光の中を飛ぶように移動できるから、相性悪いと触れることも出来ないだろうな。まぁそんなコハクを普通に捕まえる奴もいるんだけどな……」
「小鬼のクロだね! すごいなぁ……会ってみたいなぁ……」
アジトの話をしていると、胸がいっぱいになってくる。
コハクと再会できていなければ、辛すぎてとてもアジトの話はできなかっただろう。
皆の名前を声に出すたび、気持ちが焦り、駆け出したいような気持になる。
ただ、今はコハクの存在が、そんな気持ちを落ち着かせてくれる。
そして、どうやら洞穴族は、コハクがキダナケモであること、少なくとも何か特殊な存在であるということは分かるようだ。
どうも不思議な匂い、とてもいい匂いがするらしい。
いままで感じたことが無いな……洞穴族ならではの特性だろうか。
「こんくらいの大きさだと、キダナケモでも地獄の鍋底から離れられるんだなぁ」
「いや……普通は無理だと思うぞ。コハクはかなり特殊な事例だよ。俺もつい最近になってやっと教えてもらったんだけどな……」
「まぁ、ナナシの話のほとんどが神話みたいなもんだからな~……いまさら何聞いても驚かねぇよ」
「僕は……アジトが見たいな。ニーチェに会ってみたいよ」
「あいつ、木琴演奏するんだぜ――」
二人ともまさに神話に憧れる子供のようだ。
湯気を立てる潮だまりをチャプチャプ揺らしつつ、アジトや、地獄の鍋の底の話に目を輝かせる。
そこにある憧れは、どこかアジトへ来る前のラウラと似たものを感じる。
たぶん、洞穴族の祖先も魔法使いと同様に、いやそれ以上に純粋な形でのキダナケモなのかもしれない。
「ねぇ、ナナシは……あの……いつか、帰っちゃうの?」
「ああ、帰るよ……サイードには秘密だけどな」
「……そっか」
「そうしょげるなよ、ビビ。別に会えなくなるわけじゃねぇだろ……だよな、ナナシ?」
「いや、むしろビビはアジトへ連れて行こうと企んでた。他にも洞穴族を雇いたい。当然ガストもな」
「え? ……僕が? アジトへ? え、ええ?」
「はぁ!? お、おれもかぁ?」
「アジトの岩壁に亀裂があってさ、そこで今寝泊まりしてるんだけど、少し整備してやれば、洞穴族の住居として悪くないと思うんだ。日が当たらない場所も沢山あるし、拡張したいならいくらでも協力するよ。食生活は……多分今よりは確実に良くなると思うぞ」
「……あんまり、よくわかんないけど……い、いいよ別に。ナナシは面白いし……一緒に行きたいな……」
「おお……ええ? あ、え、俺も……?」
ビビはなんだかモジモジしつつも、あっさりと承諾してくれた。
嬉しいが……あまりに簡単に決断しすぎて心配になるな。
なぜか湯に顔を半分沈めブクブクと泡を吹き出している。
一方のガストはただ驚いている。
ここに来てからずっと考えていたことではあるが、話したのは今が初めてだ。
そりゃ慌てるだろうな。
今回のことで、俺も色々と反省した。
俺自身の軽率さもあるが、やはりボナス商会としての規模を見直す必要がある。
もちろん第二のカミラになりたいわけじゃない。
ただ、いくらなんでも現状人手が少なすぎるのだ。
小鬼や鬼たち含めわずか七名。
一騎当千の仲間ではあるものの、あまりに数が少ない。
すでに多くの客を抱えているし、今後事業も多角化していくことを考えると、いろいろと無理が出てくるだろう。
仕立屋の娘達のように外部から臨時で雇うにしても、少し予定外のことがあると、すぐに手が足りなくなってしまう。
もちろん人を抱え込むリスクは小さくはない。
だが、今は信用できる魅力的な人材がいれば、しっかりと勧誘していきたい。
今回のようなことは二度と繰り返したくないのだ。
「ああ、ガストにも来てほしい。いや、おまえらって客観的に見てめちゃくちゃ優秀じゃないか。これでも商会の会頭なんだけど、いろいろあって少し力をつけたくってさぁ……。信用できる仲間が欲しかったところなんだよ」
「俺は……あんまり優秀じゃないし……頭だって良くないぜ?」
「いやガスト、お前相当優秀だろ。俺はいままであんな几帳面で流麗な文字を書くやつを見たことがないぞ。しかも在庫状況や、日々の記録まで、頼まれてもいないのに細かくつけている。あんなもん自発的に書ける奴はそういないぞ。そう言う意味では心から尊敬してるよ……まぁちょっと下品すぎるけどな」
「んぅ……そ、そうか……」
ガストは表情を隠すように酒を呷る。
洞穴族もかなり酒に強そうだ。
「それに向いている仕事が大量にあると思う。酒造りなんかも始める予定だしな。まぁ別に鞣しもやりたきゃやってくれてもいいし、今の生活を楽しんでるなら無理にとは言わないが――」
「い、行くよ! 俺もついて行くぜ……お前、やっぱ面白れぇしよ。あっ、でも鬼はちょっと怖いなぁ……でも、話に出てくるシロにはちょっとあってみたいかも……」
「ははっ、シロはそうだな……多分、お前のこと気に入ると思うぞ?」
「そ、そうかなぁ~。俺、スケベだって殴られないかな?」
「ないない、シロがそんなことするわけないだろ」
「僕、ニーチェに……会える?」
「ああ、たぶん? あいつ結構恥ずかしがりやさんだからな……、あれ、なんだかちょっとビビと似てる気もしてきたな……」




