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異世界アジト~辺境に秘密基地つくってみた~  作者: あいおいあおい


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第156話 タコを洗う

 死ぬかもしれない。

 こんなことなら、真面目に縄梯子を作ってから降りればよかった。

 今の姿をクロやシロに見られたら、めちゃくちゃ怒られそうだ……。


「ビ、ビビ。ぜ、絶対手をはなしちゃだめだからな! 頼むぞ!」

「お、重いよナナシ……」


 あのヘドロのような飯を食堂で平らげてから五日。

 命に係わるレベルの劣悪な食事と衛生状況を改善すべく、細かな努力を積み重ねてきた。

 そしてついに今、命綱一本を頼りに夜の断崖を降りようと試みたのだ。


「も~! そんないきなり失敗しないでよ!」

「こ、こんな滑ると思わなかったんだよ! ひぇっ……揺れてるよ、ビビ! 揺れてるって!」

「うわっ、う、動かないでよ! 縄切れちゃうから!」

「わわわっ、わかった!」


 排水路の出口から下を覗き込むと、たしかに断崖ではあるものの絶壁とまではいかない。

 むしろ階段状の地形は、良い足場になりそうにも思えた。

 ゆっくり慎重に降りて行けば大丈夫だろうと……。

 だが、俺はまたもや見積もりが甘かったようだ。

 苔で覆われた岩肌は恐ろしく滑りやすく、わずか数歩、少し踏ん張ったところで、いとも簡単にすっ転んでしまった。

 しかも悪いことに足場の無い場所へと転がり落ち、今はただ一本の縄に身を預け、ぶ~らぶらとぶら下がっている。

 下の岩場まではおよそ十メートルほど。

 縄は腰回りを中心に太ももの付け根にもしっかりと固定したので、やや下半身が浮き気味だ。


「こ、怖い……、この姿勢のせいで……地面が迫ってくる」

「とりあえず、支えてるから死なないよ。でも……持ち上げるのは無理かなぁ」


 ビビが命綱を握っていてくれて本当に良かった。

 一人で挑戦していたら、今頃死んでいたかもしれない。

 わずかな段差に足を引っかけ、小さな体でなんとか俺の体重を支え、踏ん張ってくれている。

 しかも片手……洞穴族の力はやはり凄いな。

 しかし、あまり派手に動くと岩肌にこすれて縄が千切れてしまいそうだ。


「ちょ、ちょっとづつ、縄を下ろす方向で……頼むよ、ゆ、ゆっくりな?」

「わかった……」

「ひえっ!」


 持ち上げられないのであれば、どのみち降りるしかないのだ。

 切れないよう慎重にロープを下ろしてもらう他ない。

 ビビはロープを握る手を一瞬緩め、少しづつ下ろしてくれるようだが、その動きがめちゃくちゃ怖い。

 一メートルほど落下し、次の瞬間ガクンと激しい衝撃が下半身に伝わる。

 岩肌との摩擦が少ないので意外と良い方法かもしれない。

 それに片手しか使えないビビの場合、他にどうしようもないのだろう。

 だが、とにかく怖い、死ぬほど怖い。

 ビビが手を緩めるたびに地面がぐんっと迫ってくる。

 心臓がキュッと締め付けられ、次の瞬間変な汗が全身からぶわっと吹き出すのだ。

 アジトで暮らすようになってから何度も死にかけているが、このタイプの恐怖は初めてだ。


「ゆ、ゆっくりぃ……たのむぅ……」

「も~、うるさいなぁ……縄切れないようにうまいことやってんの」

「ふあっ、ひええぇっ!」


 実際ビビの動きは安定しており、その言葉の通りうまくやってくれているのだろう。

 しかし怖すぎて思わず声が出てしまうのだ。

 そんなことを繰り返すこと十回。

 無駄に奇声を上げつつも、なんとか無事地面まで到達する。

 着地の瞬間までガチガチに緊張していたが、体が地面に触れた瞬間全身の力が抜けてしまった。

 しばらくは下半身に力が入らなくて立ち上がれなかったほどだ。

 また少し白髪が増えた気がする。


「ありがとう、ビビ!」

「急に元気になるね……」


 しかし無駄に時間をとってしまった。

 こんなことなら普通にロープ垂らして滑り降りた方がはるかに楽だったな。

 上るのはまぁ十メートル程度であれば何とでもなるだろう。

 最悪力任せによじ登ればいい。

 俺の体力でもギリギリいけるだろう……たぶん。

 それよりも急いで現地調査をしなければ。

 身体が洗える清潔な水……出来れば風呂、そして食い物だ。

 少しでも生活環境を改善するのだ。


「それじゃ、ちょっと調べるからまってて!」

「ん~……わかった」


 今は干潮時なので、比較的平場も多く歩きやすいが、それでも夜の岩礁は滑りやすく怖い。

 まさに今体験したばかりだ……気を付けよう。

 とはいえ、星明りを頼りに潮だまりを見てもいまいちよく分からない。

 やはり昼に来るべきだったかな……。

 外は治安が悪いと聞いていたし、夜ならビビも協力してくれると言われ、こんな夜中に無謀な挑戦をしてしまった。

 顔を上げると星が瞬く絶景だ。

 だが、寄せては返す波の音を背景に、暗闇の潮だまりを覗き込んでいると、ほの暗い水底へと吸い込まれそうな不安感を覚える。


「カニは結構いるようだな……、う~ん今は川上の方へも歩いて行けそうな……、なんとか潮だまり風呂にできないかなぁ」


 ほどよい大きさの潮だまりがあれば、石を焼いて放り込めば風呂になるかもしれない。

 干潮時だけの海水風呂か……。

 仕上げに川の水で体を洗い流すことができれば悪くない。

 実際今は干潮時なので、河口付近にも淡水が多く流れ込んでてきているはずだ。


「よし……良い感じの潮だまりを見つけて掃除すれば行ける気がしてきたぞ。これならビビを風呂に入れることも出来る。後は薪の調達と梯子の問題だが……」

「おい、ナナシ~」

「うわっ! な、なんだよ~お前かぁ……びっくりさせんなよ~も~、何でこんなとこいるんだ?」


 程よい潮だまりがないか、目を凝らして散策していると、いきなりガストに声を掛けられる。

 どうも仕事帰りのようで、いつもの服装に加え、腰に革袋をぶら下げている。

 普段は頭に手ぬぐいを巻き付けているが、今は髪を下ろしている。

 いつもと雰囲気が全然違うな。

 性格は下品なおっさんの癖に、見た目だけは金髪碧眼の美少女なのが腹立たしい。


「さっき工場出ていく時、ビビがなんかソワソワ楽しそうにしてたからな。気になって見に来たんだよ」

「ああ、じゃあお前もロープ伝って降りてきたのか」

「俺が上でロープうまいこと結んどいてやったんだぞ? ビビじゃできないからな。感謝しろよ~ナナシ~」

「ああ、も~わかったわかった、わかったから尻触ってくんな、毎度まったくお前は――」

「まったく、世話が焼けすぎだよね、ナナシは。それで……何か見つかった?」

「うおっ、ビビも降りてこれたのか!? え、帰り登れるの?」

「簡単だよ、別に落ちてもこの程度の高さなら洞穴族にはどってことないよ」

「お前らそんな頑丈なのかよ……」


 当たり前のようにビビまで降りてきた。

 仕方がなさそうな雰囲気で喋っているが、なんだかめちゃくちゃ楽しそうだ。

 顔がワクワクしている。

 ビビはやっぱタヌキ顔だな……。

 わずか五日の付き合いだが、こいつが実は好奇心旺盛なのは何となくわかっている。

 俺が海で風呂に入る計画を立てていたり、食い物の改善計画を立てていたりするのも、興味が無さそうなふりをして、むしろいろいろと積極的に協力してくれた。

 ロープを手に入れてくれたのもビビだ。

 何の抵抗もなく、延々単調な暮らしを送っている癖に……変な性格をしている。


「まぁいいや、今風呂として使えそうな潮だまり探してたんだけど、ちょうどこの岩がえぐれた場所、ここ良いかなと思ってさぁ」

「風呂~? どうやって温めるんだ?」

「ふ~ん、ここね……まぁ、丁度いい大きさなんじゃないかな」

「外で石を焼いて、潮だまりに放り込めばいけないかなと思って。薪は集めなきゃダメそうだけど、手っ取り早くその辺の流木も使えそうだし、行けそうじゃないか?」

「なんか変なこと考えるなぁ、ナナシは。まぁできるんじゃないか。ただ、湯にするにはかなり大量の焼石が必要だろうな。そんでも、結局塩でべとべとになるんじゃねぇか?」

「最後河口の水で洗い流せばいいだろ?」

「ん~……まぁ、いけるか。ほんでもチンピラたまにうろついてるから、一応きいつけろよ?」

「え、まじで? 夜も?」

「そりゃ、お前――」


 どうもガストの話では、ここのちょうど対岸に東区で一番大きい万事屋、という名前のチンピラのたまり場があるらしい。

 やはりそいつらもカミラの影響下にあるらしく、サイードとも協力関係にはあるらしい。

 なので、表立ってこの工場と揉めごとを起こすことはない。

 とはいえ、それぞれの組織の下っ端まで統制が効いているわけも無く、実際細かな揉め事は良くあるようだ。

 ただし、お互いその辺は見て見ぬふりをする暗黙の了解となっているらしい。


「ビビも素っ裸じゃ戦えんからな」

「僕は大丈夫、気を付けるよ」

「意外とお前乗り気じゃねぇか、ビビ。確かにこの時間なら大丈夫だろうけどな~。それはともかく、なぁナナシ、試しに焼き石入れて風呂になるかやってみようぜ~」

「そういうお前も乗り気なのかよ……。とりあえず先に潮だまり掃除するわ。尻や足裏に貝が突き刺さっても嫌だし、毒ある生きものもいそうだしな」

「それは僕も手伝うよ。ガストは薪になりそうなもの集めてきて」

「いいぜ~。その代わり、後でお前らが風呂入ってるの鑑賞して楽しませてもらうぜ~、へへへっ」

「ああ……、ついでに石も頼むわ」


 そういうわけでガストは焼き石の手配、俺達は潮だまりの掃除に集中する。

 何がいるかまるで見えないな……。

 軍手が欲しいところだ。

 やはり中の見えない潮だまりに手を突っ込むのは怖いな。

 ギゼラの杖でつつきまわし確認しつつ、少しづつ石や砂を撤去していく。

 ビビは特に気にした様子もなく、潮だまりにざぶざぶと入っていき、片手をずぶりと突っ込み、豪快に砂利や石などをかきだしていく。


「きゃぁっ、うわっわわわわっ!」

「あっ! ああああ、タコぉぉぉ! ぬぉおおおっ、逃がすか!」


 ビビが突然変な声を上げたので、そちらへ目を向けるとタコがいた。

 まさに墨を吐きつつ水中へ逃げようとしている。

 大急ぎでぐにゃりと動くその身体をひっつかみ外へ引っ張り出す。

 こいつはヴァインツ村でも何度か捕まえたので見慣れている。

 急ぎ目と目のあいだに杖を刺し絞める。


「やった! 思いがけず食い物まで手に入ったなぁ! ほら、ビビ!」

「うっ、いやだぁ……気持ち悪い。それ、食べるの……? 僕、無理かもぉ……」

「え、まじで……?」


 そういえばヴァインツ村の連中もタコは食わないようだった。

 うまいのにな……。

 そういやぴんくもタコは大嫌いだったな……俺が干したタコ足を咥えていると、実に忌々しそうにポケットから睨みつけてきたもんだ。


「なんだお前、そんな化物掴んでどうすんだ?」

「え? いや食おうかなと思って」

「嘘だろ? 悪魔の魚だぞ?」

「いや、美味いんだぞ……?」

「まぁ、いいさ、俺が食うわけじゃねぇし、好きにしてくれ~。ほれ、木集めてきたぞ。火いつけていいか?」

「美味いんだけどな……。火は……頼むよ、自分で着火するの苦手なんだ。ああ、鍋欲しいなぁ……」

「なんだ、鍋欲しいのか? 持ってきてやるよ。お前がほんとにその悪魔食うのか、ちょっと見てみたくなってきた。笑えそうだ」

「鍋助かる!」

「へへへっ」


 なんだかんだこいつにからはいろんなものを貰っている。

 少々スケベで下品すぎるが、気は良い奴なのだ。

 ひとまずタコの下処理だけ終わらせておき、ビビと引き続き潮だまりの掃除に移る。

 毒のある魚などもいるかと思たが、どうもこのでかいタコが潮だまりの主として他の生き物を食い荒らしていたようだ。


「とりあえずは……こんな感じでいいかな」

「そうだね。これ以上は何か道具を使わないと難しいと思うよ」

「まぁ、後は変な生き物が隠れていたとしても、焼石入れて湯にしてしまえば逃げ出すだろ」


 ビビは潮だまりの縁に腰掛け足で水を蹴りつつ星空を見ている。

 確かに、ここから見る夜空は絶景だ。

 地下の生ぬるく淀んだ空気に比べれば、少しべとつく潮風も心地良い。

 何となくヴァインツ村を思い出すな。

 美しい景色を目にしてしまうと、どうしても仲間達のことが頭をよぎる。

 仲間達を思い出すと心が張り裂けそうになる。

 ダメだな……タコを洗おう。

 もちろん洗濯機などあるわけもなく、面倒だが手洗いする。

 とはいえこのタコは少し茹でてから洗えば、それだけでかなりぬめりも臭みも落ちる。

 ヴァインツ村で色々試しておいて良かった。


「お~い、鍋持ってきたぞ~!」

「ありがとう! ガスト、早いなぁ……あの高さのロープ、そんなホイホイ上り下りできるのか?」

「んなもん簡単だ。そんなことより、早くその悪魔食うとこ見せて――お、おい……な、なんだよそれ! まずい、まずいぞ逃げろナナシ!」

「ナ、ナナシッ! あぁぁぁぁぁ……」


 ガストが戻ってきたかと思うと、急に俺の方を見て叫びだす。

 それまでぼんやり星を見ていたビビも、こちらを向いて立ち上がったはいいものの、完全に取り乱している状況だ。

 盾に手を伸ばそうともせず、突っ立ったまま右腕で左腕を庇うように抑えつけている。

 顔は恐怖で引きつり、そのまま後ろに座り込んでしまった。

 慌てて周囲を見回すが、目立つものは何もない。

 ゆったりとした潮騒を背景に、ただ暗闇が深く広がっているだけだ。

 いや――すぐ近くに、なにかがいる。

 目を凝らすと、いつのまにか丸い二つの小さな明かりがぼんやりと浮かんでいる。

 まるで満月のようでもあり、不思議な宝石のようでもある。

 そして、その周囲の闇がまるでぐにゃりと歪んだように盛り上がる。


「――うにゃう!」

「あぁ……はははっ、一番乗りはお前か~! 会えて……うれしいよ。良かった……ああ、良かった……」


 強く握りしてめていたタコが、ずるりと手のひらから抜け落ちる。

 思わず全身から力が抜け、その場にしゃがみこんでしまう。

 目の前の闇は形を持って動き出し、美しい毛並みをまとった黒豹となった。

 するりと俺の懐へ潜り込んでくると、いつものいたずらっぽい表情で、俺の顔へ鼻を寄せる。

 乳香とカカオ、コーヒーの香りを一瞬感じる。

 だめだ、アジトの香りだ、涙が止まらない……。


「ふにゃっぅ~……クシュン!」

「あ、やっぱ俺臭かったかな? はははっ、ごめんな~、コハク」

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