第155話 食事
やはり下の空気は濁っている。
なんだか生暖かい……。
ビビは壁際で所在なさげに突っ立っている。
あらためて遠めに見ると子供のように小さく頼りない。
所在なさげに下を向き、実に居心地が悪そうだ。
「おまたせ、ビビ。サイードにガストからの伝言伝えておいたよ」
「……うん、じゃあ行こう」
「あ、ああ」
そう声をかけると、ビビは顔を跳ね上げ、わずかに嬉しそうな笑みを浮かべる。
よく見るとこいつ、顔がタヌキっぽいな。
こげ茶色の髪にたれ目がちな赤茶の目、さらに薄汚れた姿がそう思わせるのかもしれない。
予想外の表情に出迎えられ、思わず顔を観察してしまった。
普段顔をしかめているせいでとっつきにくい印象だったが、笑うと意外に人懐っこく見える。
しかしこんな表情を見せたのもほんの一瞬で、また眉間に皺が寄っていく。
「ガストにサイードからの返答を伝えないとな」
「何て言ってた?」
「要約すると、多分どうにもできないから、我慢しろってことになるかな」
「ふ~ん……」
こう、あまり良く無い知らせを持って行くのは憂鬱だな。
サイードも、せめて現場に顔出してやればいいのに。
「そういえば、この時間もガストは工場にいるの?」
「今は鞣し工場のみんなは寝てるね」
「あ、そうなんだ……まさかあの工場で寝てる?」
「ううん、ガストたちの家は上……外にある。変わり者だよね……。日が沈むと外の家に帰って、朝明るくなる前、またここに来る」
「へ~」
意外なことに地上でも生活してるのか。
もしかして……、あいつら毎日風呂に入ってるのではないだろうか。
ビビも地上には風呂があると言っていた。
サイードやその使用人たちもいるのだから当然だ。
そういえば、ガストは全身汗だくではあったが、肌は健康的でビビよりも汚れてはいなかった。
ビビや俺とは少し立場が違うのかもしれない。
風呂……羨ましい。
今度聞いてみるか。
というか、ガストも上にいるなら、サイードに直接文句言えばいいのにな。
「うっ……工場も照明が消えてると雰囲気が……怖いなぁ」
「この時間はそんな場所が多いね」
「人もあまり出歩いてないな」
「たまに泥棒がうろうろしてるよ」
「えっ、割と見かけたりするの?」
「一年に数回かな」
「おぉ……出会ったらどうすんの?」
「殺すよ?」
「まぁ、そうだよな……、でもたまに泥棒も集団で来たり、強い奴もいるんじゃないの?」
「これでも腕を失くすまで傭兵だったから……盗人なんかに負けることは無いよ」
「そうか……確かに、さっきの盾使い、なかなかかっこよかったぜ~。ふんっ、ふんって」
「そ、そう……」
こいつ、褒めるとすぐモジモジするな。
それからは特に何事もなく、再びビビの部屋へと戻ってくる。
今回は排水路にもモンスターは湧いていなかった。
モンスターは湧いても一日一匹程度らしい。
かなり助かった。
正直なところ腹が減りすぎて、あまり頭が正常に動いていない気がする。
無意識に変な歌を歌ったりしてしまい、ビビに顔を覗き込まれてしまった。
「じゃあ、また見回りの時間に」
「ああ、次行く時に飯食えるのかな?」
「うん」
「おお……やっとかぁ~」
ついに飯にありつけそうだ。
しかしこの単調な生活、最初は意外と楽だなと思ったが……二周目にして結構きつい。
生暖かい空気、地下の淀んだ雰囲気、単調な生活リズム、このままでは遠からず気が狂いそうだ。
ビビは当たり前のように体を休めている。
このままではビビとただ二人、どんどん世界から乖離していくような感覚……まずいな。
見回り以外の時間は基本拘束されないようだし、なるべく活動的に動いた方が良いだろう。
アジトへの足掛かりも見つけなくては。
だが、まずは飯だな。
あと五時間ほどある。
何かしたいところだが、さすがに力が出ない。
寝てしまえればいいんだが――。
「――ナナシ、ナナシ!」
「んがっ!? あ~……もう時間か、おはよ」
「……おはよう」
「ビビはいつも良く起きられるな……。あっ! そうか、飯だな!」
「行くよ」
「はいはい」
またまたビビの後ろをついて歩く。
寝起きなのもあるだろうが、腹が減りすぎて胃がおかしい。
めちゃくちゃ腹は減っているが……食べると吐いちゃいそう。
首もまだ少し痛く、頭もなんだかぼんやりする。
やはり床にそのまま寝るのは抵抗があり、結局変な姿勢で寝てしまった。
「こんな場所にあったのか……」
「そうだよ」
「意外と気が付かないもんだな」
地上階への出入り口、そのすぐ手前に食堂はあった。
何度も前を通り過ぎていたが、まるで気が付かなかったな。
実際、それらしい賑わいがなく、食い物の匂いもしない。
入口の佇まいも食堂というより……倉庫っぽい。
ビビについて薄い木製の扉を押し入る。
中は食堂のくせに薄暗い。
社員食堂のようなものを想像していたが、どうも様子が違う。
片側には大きな鍋が少し離れて二つ並べられており、小さな老婆が二人づつ、鍋を挟みこむようにして立っている。
それぞれの鍋の前には子供や老人が一列に並んでいる。
老婆達はでかいスプーンのようなもので鍋の中身を救い取り、木皿へと叩きつけている。
別に嫌がらせをしているわけでは無く、そうしなければスプーンから中身が剥がれ落ちないようだ。
その動きを三度。
木皿にべちょべちょした物体が山盛りになる。
あれを食うのかぁ……。
よくみるともう反対側の壁際には人がもたれかかるように立っており、謎の物体を黙々と食べている。
ほぼ全員、手でかき込むように食っており、なかなか酷い絵面だ。
あまり人間の食事風景に見えないな。
それにしても……なぜ誰も喋らないのだろうか。
サヴォイアはどこで飯を食っていても賑やかだった気がする。
ここではコソコソと囁き声が聞こえる程度だ。
後はあまり耳心地の良くない咀嚼音と、スプーンを木皿に叩きつける音のみ。
「木皿あっち」
「わ、わかった……」
ビビが耳を寄せて囁いてくる。
やはり小声だ。
そうある必要があるのだろうか。
耳がこそばゆい……。
ビビにならい、雑然と重ねられた木皿を大きな木箱から取り出す。
木皿は一応洗っているようだが、こころなしか少しベトベトする。
とりあえず木皿を抱え込み列に並ぶ。
俺とビビの前後は、他の連中と比べると、ちょうど人一人分ほど間が空いている気がする。
どうやら避けられているようだ。
やはりビビはここの連中には好かれていないようだな……今は俺もか。
風呂に入っていないからだろうか。
それとも仰々しい盾を背負って、何となく暴力を感じさせる雰囲気をまとっているからだろうか。
実際泥棒などの侵入者を殺しているらしいし、そう言うところを見られた結果だろうか……。
洞窟族とは比較的気安いやり取りをしているんだけどな。
「うおっ……」
考え事をしながら突っ立っていると、目の前の老婆に木皿を持ち上げられ、大きな鉄スプーンを皿に叩きつけられる。
それからさらに二度、べちょっとした黄土色の塊が皿に盛られる。
無感動で規則的かつ熟練の動きだ。
老婆の顔からは一切の感情を感じない。
今時ロボットだってもう少し愛嬌があるぞ。
しかし……このドロドロした謎の物体、何の匂いもしない。
美味い不味い以前に、あまり食い物に見えない。
とりあえず重くなった木皿を持ち、慌ててビビの後ろを追いかける。
「じゃあ食べよう」
「あ、ああ……」
ビビは反対側の壁へもたれかかると、器用に片手で謎の物体を食い始めた。
俺も覚悟を決め、謎の物体と対峙する。
素手で触るのに強い抵抗感があるが、今更そんなことも言ってられない。
「ん、んんぅ……」
「どうしたの?」
「あ、いやなんでも……食うわ」
その手触りに思わず声が出る。
そのもっちゃりとした物体を、少し口へ運ぶ。
どうも穀物か芋、あるいはその混合物をすり潰し、煮たもののようだ。
わずかに屑野菜のようなものも混ざっている。
不自然なほど香りは感じない……が、味は一応食い物の味をしている……辛うじてだが。
家畜にでもなったような気がしてくる。
腹が減っているので食えるが、当然うまいものではない。
もったりとした糊のような食感も厳しいものがある。
ああ――またクロと一緒にアジトのウナギを捕まえて、下手なりに捌いて食いたい。
シロと一緒に、ただ焚火に放り込んだだけの芋をつつきあって食いたい。
ミルとザムザのパンと料理が食いたいし、ギゼラの馬鹿みたいな笑い声が聞きたい。
「……ナナシ?」
「ああ……いや、なんでもないよ」
ビビに変な顔を見せてしまったかもしれない。
ダメだな……アジトや仲間のことを考えると感情が抑えられなくなる。
今はまず、アジトに帰ることだけ。
それだけを考えていればいい。
ヘドロのような食い物を勢いよくかきこみ、無理やり腹を満たす。
しかし……さすがに毎日こんなものを食って、不衛生な生活をしていれば体を壊しそうだ。
現にここに並んでいる連中には覇気がない。
ビビが一番溌剌として見えるほどだ。
多分ガストなんかは別のところで飯を食ってるな。
ここは、本当に最低限の食い物を支給するところなのだろう。
洞穴族はビビ以外いない。
いるのは本当に覇気のない子供と老人だけだ。
やはりあの断崖下りてみるか……。




