第144話 酒場②
「洞穴族は……なんで洞穴族って言うんだ?」
「へ~……、ほんとうに僕たちのこと知らないんだ。もしかして初めて見た感じ?」
目の前の洞穴族は、俺に脈が無いと察すると、つまらなさそうに絡めていた腕をほどき、テーブルの燻製肉を勝手に摘まみはじめる。
ここの従業員たちは……いくらなんでも自由すぎだろ。
そもそも店のシステムが謎だ。
まだ何も注文していないのに、すでに腹は苦しいし、しっかりと酔ってきた。
「ああ、見るのも聞くのも、今日が初めてだな」
「そっか。洞穴族は名前の通り、昔は洞窟に住んでたんだって。ただ人数が増えすぎて、追い出されたみたい。僕の代からはサヴォイア生まれのサヴォイア育ちだから……あんまりその辺の経緯は知らないんだけどね」
「洞窟って……今もそこに行けば洞穴族がいっぱい住んでるの?」
「もちろん。僕は行ったことがないから詳しくは分かんないけど、街みたいな洞窟らしいね。サヴォイアより大きくて、沢山の洞穴族が住んでるらしいよ。あと洞穴族の特徴は、そうだなぁ……体が柔らかくて抱き心地が良いらしいよ~?」
「愛嬌あるし、ムチムチしてるもんな。だけど、今日は飲みたい気分だから……悪いが遠慮しとくよ」
「あんまり自分からお客さんにしつこく絡むもんじゃないよ」
「えー、いいじゃん。ラフィは意外と固いなぁ。僕このお兄さん気に入ったんだけどな~? まぁ、また良かったら声かけてね~、ばいばーい」
「ああ、また機会があったらよろしく」
ラフィが酒を持ってくると同時に、やたら誘惑してくる洞穴族を面倒そうに追い払う。
追い払われた洞穴族は、背後から俺の首元にピンク色の頭をグリグリとこすりつけると、腰をくねらせて立ち去っていく。
なんだか気まぐれな猫のような連中だな……。
ラフィは腰に手を当て、ため息をひとつつくと、酒壺をテーブルにゴトリと乗せる。
洞穴族がそうして少し大人っぽい仕草をすると、子どもが背伸びをしているようで、煽情的な振る舞いをしている時よりもむしろずっと可愛らしい。
今回ラフィが持ってきてくれた酒は、先ほどの薄いワインのようなものとはまた違うようだ。
大きな酒壺と木のコップが四つ。
ちゃっかり自分の分も用意してきたようだ。
酒壺には洞穴族の裸婦が立体的に描かれている。
それほど上手いわけではないが、何とも言えないとぼけた愛嬌を感じる描かれ方をされている。
ちょっと欲しい。
よく見ると店の調度品はどれも、こだわりやなにかしらの創意工夫がある気がする。
付き合い方によっては、かなり面白い連中なのかもしれない。
まぁオスカーと仲良くなるくらいなので、実際そうなのだろう。
「たまにはお前も遊べばいいのに、ボナス」
「まぁ止めはせんが、あれも男だぞ。アジール、ボナスをあんまり変な道に誘導するとシロに引きちぎられるぞ」
やっぱさっきの洞穴族は男だったのか。
正直全然わからなかったな。
面白い連中だが……やっぱり危険だな、気を付けよう。
「相手が洞穴族だったら別にシロも怒らんだろう。多分彼女が心配してるのは、変な病気を貰ってこないか、単に体を心配してるだけだと思うぞ、ボナス」
「う~ん、そうかもしれんが……いや、実際どうなんだろうな。やっぱシロは嫌なんじゃないかな……。まぁ、どの道今はそんな気分でもないよ。しかしなんで洞穴族だったら大丈夫なんだ?」
「うちらは体が頑丈でね~。まず病気にはならないし、大きな怪我で傷口を汚しても死ぬことは無いんだよ。だからうちらと寝ても変な病気は貰わないらしいよ。それと、うちらは同族同士じゃないと子供が出来ないのもあるのかな?」
免疫力が高いのだろうか。
体温も高いしなぁ……。
身体的にいろいろと恵まれているのは鬼と似ているな。
鬼は人との間にも子供はできるようだが……。
しかしそれならもっと職人として街の中で見かけそうなものだけどなぁ。
「なんであんまり街で見かけないんだろう?」
「日の光がだめなんだよ。体が参っちゃうんだ。あんまり明るいと目も見えないし」
「もともと地下で暮らしていた連中だからな。日にあたったからと言っていきなり死ぬことは無いが、数時間も日に当たると肌はボロボロになるらしい。俺達で言う火傷みたいなもんだな」
ラフィが説明し、アジールが補足する。
だからこれまで街中で見かけ無かったのか。
もしかすると……、こいつらも貴族や鬼達と同じようにキダナケモの子孫だったりするのだろうか。
いやむしろ現地人と混ざっていない、生粋の子孫の可能性もある。
もしかして成長の過程で性別が変わったりする種族なのかもしれないな。
「こいつらは手先が器用なだけじゃなくて、敏感なんだ。目に見えない、俺じゃあわからんような粗を手先を使って見つけ出す。体も強いし、ほんとうにいい仕事をするから、職人になるべきなんだがなぁ……」
「ふふんっ。たしかにうちもそういうのは好きだけどね! でも夜しか出歩けないんだもん。なかなか普通の仕事はもらえないよ。あんたも仕事くれなくなるしさ!」
「あー……まぁなぁ、しゃあないだろ」
そう言うラフィは、さっきからずっとオスカーにくっついている。
いろいろと挙動があざとい種族なので何とも言えないが、それを差し引いてもオスカーに気があるように見える。
ただ、オスカーの方はあまりその気は無さそうだ。
単に職人、あるいは友人として尊敬している感じだな。
なによりラフィも実際は男かもしれんからな……。
ひとまずオスカーとラフィは積もる話もありそうだ。
あまり触らず放っておいた方が良さそうだ。
「なぁ、アジール。お前、それ本当に美味いのか……?」
「チーズか? う~ん、どうなんだろうなぁ……、わからん」
「わからんて……どういうことだよ」
「今となっちゃよく思い出せないが……、多分俺の好物だったと思う。まぁあれだよ、故郷を偲ぶ味なのさ、きっと。ボナスもそういうのあるだろ? ヴァインツ村では大してうまくもない、気色の悪い生魚食って、なんだかやたらと感動してただろうが」
「ああ……まぁ、確かにな。お前の故郷は遠いのか?」
「ん? ああ――、北の方だ。そうだなぁ……せっかくだし、サヴォイアを出たら久しぶりに帰ってみるかな」
アジールは耳かきのような小さなスプーンで、ひっかくように腐りかけのチーズを削り、せっせと口へと運んでいる。
ひとかけら口に含んでは、大げさに何度も舌を鳴らし、顔をしかめている。
まったくうまそうには見えない。
珍味として酒の当てにはなるのだろうか……。
なにか宗教的な儀式を、義務的にこなしているようにしか見えない。
腐ったチーズ教徒だ。
「まぁ――帰る場所があるっていうのは良いもんだよな。しかし北の方ってことはタミル帝国内の領地なのか?」
「いや、もっとずっと北だ。小さな豪族がぐちゃぐちゃと集まって延々と意味のない戦争を繰り返してる。クソみたいな田舎だよ。大した資源もないからタミル帝国にも相手にされてない。雪も降るしな……ボナスお前、雪って知ってるか?」
「ああ、雪か……雪、そうだな一応知ってるよ」
「そうか、雪を知ってるのか。サヴォイアの連中は誰も知らんし、いくら説明してもなかなか信じてもらえないのだが……。相変わらずお前はよくわからん怪しい奴だなぁ」
「まぁ、俺も元は遠くから、ずーっと遠くから来たんだよ、多分な。そこじゃあ雪が降ることもあったし、生の魚もよく食った」
「ふ~ん」
「しかし、雪が降るほど寒い地域か……いつか俺もアジトのみんなで行ってみたいな」
「寒いだけだぞ。俺も本当は寒いのは嫌いなんだが……まぁ故郷は選べん」
「サヴォイアとはずいぶん景色が違いそうだな」
「ああ、あのあたりは延々と暗い森が広がっていてなぁ……。ただ、葉の落ちる秋は意外と明るくて綺麗なんだ。まぁ、そんな良い時期は短くて、あっという間に雪が降って……」
「紅葉か。綺麗そうじゃないか」
「そうだな……、秋は好きだったな。うまいキノコも採れたし」
「キダナケモみたいなのがいたりはしないのか?」
「あんな化け物が出るのは世界中でもサヴォイアだけだ。ただ、モンスターはこの辺より多い。ずいぶんと変わったやつもいてなぁ……。思い返してみると、そうだな……意外と良い思い出もあったかもな」
アジールは使い込まれ木目の浮き出たテーブルを無駄に撫でさすり、遠い目をしている。
かなり酔っているように見える。
「へぇ! おまえ北の出だったのか! そういやそんな顔してるとも言えなくもないか?」
「かっこいいだろ?」
「う~ん。出会った当初は確かにそう思ったんだがなぁ……」
「くっそー……、髭でも生やそうかな」
「やめとけよ、鬱陶しい」
「お前が言うなよ……、オスカー。それになぁ、昔俺の髭を好きって言ってた女もいたんだぞ? あれは実にいい女だったなぁ」
「どうだかなぁ~。他に褒めるところが無かっただけじゃないか? まぁ実際お前の髭なんてどうでもいいさ。それでだ、アジール、お前本当にサヴォイアを出ていくのか?」
「ああ。数日中には出る」
「思ったより早いな……」
「ああ、予定を早めた。面倒な連中が街へ入ってきたからな」
「面倒な連中?」
「カミラはじめ隣町の商会連合のお偉いさんが街に来ているらしい。ボナス、お前も気を付けた方が良いぞ」
「気を付けろと言われてもいまいちなぁ……」
「あの連中は私兵をたくさん連れてきている。そいつらの中には、少々お上品すぎる連中もいる。お前の店は変わった商品を扱っているんだ。商人連中には注目されやすい。下手なちょっかいかけられんように、よくよく考えた方が良いぞ」
「まぁ確かに……」
「クロや鬼達が店にいる時は良い。だが、あいつらだって常時いるわけじゃないんだろ? 悪いことは言わんから、カミラたちが街を出るまで仕立屋の娘達や、メラニーにも傭兵つけとけ」
「なるほどな、ハジムラドに相談してみるか。だがなぁ……、お前にこんなことを言うのもなんだが、正直俺は傭兵をいまいち信用できんのだ。前に俺の雇った護衛に襲われたこともあるくらいだしなぁ」
「……そうか、まぁそうかもしれんな……」
これまでの経験からは、どうにも傭兵は信用できない。
俺の運が悪すぎただけかもしれないが……。
斡旋所で頼むくらいであれば、ヴァインツ傭兵団や、ピリ傭兵団、あるいはマーセラスにでも頼んだ方が、顔が分かっている分まだ信用できる気がする。
まぁ一度ハジムラドにも相談してみるか。
いずれにしても仕立屋の娘達やメラニー、それに客たちが嫌な思いをしないように最善を尽くすべきだろう。
「だがまぁ、忠告はありがたく受け取っておくよ。しっかりと対応は考えておくさ…‥。そういや、マリー達もそろそろ帰ってくるのかな?」
「ああ、領主と一緒に数日中にはサヴォイアへ戻るんじゃないか?」
「アジールは……、マリーに会ってから行かなくていいのか?」
「知ってるとは思うが……俺あいつ苦手なんだよ。もちろん嫌いじゃないんだけどな、元とはいえやっぱり軍人は苦手だな」
「相性は悪くないように見えるんだけどな」
「仕事する上ではそうかもな。だがな、さっきも言ったが、俺は気の強い女は苦手なんだよ」
黒狼を相手した時はうまく噛み合っているように見えたが、アジールが色々と気を回しているのが大きいのだろうな。
普段は恐ろしくデリカシーが無いように感じるが、仕事上の配慮は細かい男だ。
「まぁ……お前はそうかもな。なぁ、アジール……お前、またいつか戻ってくるのか?」
「う~ん、どうだろうな……。戻るとしても、戦争が終わって、いろいろ情勢が安定してからだろうな」
「そうか……、なんだか……残念なようなそうでも無いような」
「なんだそれ。そこはもっと寂しがれよ」
「まぁそうだなぁ、会えなくなるのは……、なんだかつまらんね」
「まったく……お前とつるんでから本当にろくなことが無かったわ。なんだか最近女にもモテなくなってきた気さえするし。だが、まぁでも――それも悪くなかったぜ」
「アジール、確かに少し雰囲気最近変わったね」
俺達にでかい尻を向け、しばらくオスカーと話し込んでいたラフィだが、思い出したかのようにこちらを振り向きそう言う。
オスカーはその隙に豆のスープをかきこむように食っている。
話に夢中で何も食っていなかったようだ。
なんの豆かよくわからんし、味は単調だが、意外とうまい。
「そうか? ラフィはそれほど俺のこと知らんだろ」
「前までもっと格好良かった気がするよ」
「なんだよそれ……」
「まぁでも正直、今のアジールの方が好きかな。昔のあんたはなんかおっかなくって……、正直あんまり近寄りたくなかったね」
「そうか……」
「三枚目が板について来たのかもな」
「うるさいわ」
腐ったチーズを一人で平らげたアジールは、それ以降特に何か食べることもなく、延々と酒を煽りながらぽつぽつと喋る。
故郷の話と仕事の愚痴を、ぐちゃぐちゃと混ぜて話すので頭がおかしくなりそうだ。
だが、すでに俺もある程度酔っているのだろう。
そんな混乱した話を聞いていると、なんだかアジールがとてもいいことを言っているような気がしてくる。
これはよく無い飲み方だ。
特別美味いわけでは無いのだが、ラフィの持ってきた謎の壺酒は、少し日本酒のような味わいで、思いがけず杯が進んでしまった。
とはいえ実際のところ、たまに思い出したように語りだす、アジールの故郷の話は本当に面白い。
アジール自体も、故郷についてはやたらと悪態をつきつつも、表情はどこか楽し気だ。
北の森に住む悪霊やモンスターの不思議な話を肴に、まずい飯と酒を楽しむ。
もっと早くにこうやって飲みに来ればよかった。
多分だが、もうこいつはサヴォイアへ戻ってくるつもりは無いのだろう。
なんとなくだが、その話しぶりからそう感じる。
なにか忘れ物が無いように、旅の荷造りリストを消化するように話す。
普段のアジールらしからぬ、どこかとっちらかった話し方にも感じる。
そんなつもりもないのだろうが、どうにもそのたどたどしさが、こいつなりに別れを惜しんでいるようにも思えて……妙な気分だ。
アジールと飲むのもこれが最後だと思うと、やはり少し残念だ。
ちくりとした小さな後悔を感じる。
ついついそんな気持ちをごまかすように酒が進んでしまう。
「――いやそれは面白いな! ……あれ、アジールもしかしてこの話……」
「ああ……、そうだな。なんかさっきも話したような気がしてきた」
結局、俺とアジールはすっかり酔いつぶれてしまった。
そうして同じ話が何度かループしていることに、お互いが気付き始めた頃には、まともに椅子から立ちあがれなくなっていた。
「お前ら二人ともいい年してだらしないなぁ。まったく……おい、ラフィ二階借りるぞ!」
「仕方ないなぁ~。明日の朝ちゃんと支払ってよね」
「うぅっ……飲み過ぎた……クロに怒られる……」
「んあ~、今日の分は俺が支払う!」
「ああ、そう。じゃ、アジールにつけておくね」
オスカーもそれなりに飲んでいたとは思うが、うまく節制していたようだ。
全くいつも通り、酔った様子が無い。
アジールと二人、オスカーの肩に何とかしがみつくようにして、なんとか立ち上がる。
「うわ、やべぇ……、チーズが効いてきたかも。きもちわりぃ……」
「おいおい……口を押えて止まるな! いいから早く上へ行け! ほらはやく!」
「ラフィ、またな!」
「じゃあね! オスカーもまた遊びに来るんだよ!」
ラフィの案内で、酒場の一番奥にある細い階段を上る。
前を歩くアジールが途中でいちいち呻きながら止まるので、そのたびにオスカーと二人で尻を殴りつけながら階段を上がっていく。
まったく……アジールとは最後まで締まらないな。




