不本意な会食
「マリー、おかわり!」
五歳児のマオちゃんは、葡萄のジュレが気に入ったようだ。
「待っててね。すぐ持ってくるから」
私は立ち上がり、ワゴンの上にあったジュレをテーブルに置いてから、ワゴンを押して扉を開けた。
そして、まだそこで覗いていた給仕係に、葡萄ジュレのおかわりとワインジュレを六つ追加するように頼んだ。
給仕係は大急ぎで厨房へ行き、戻ってくると、何故か私を拝む。
頭の中に、ハテナマークを幾つも浮かべた私は、「ありがとう」と言ってからワゴンを押して食堂の中へ入り、まずマオちゃんの前に葡萄ジュレを置き、テーブルに六つの赤ワインのジュレを置いた。
「まずは食べて。うちのワインを使ったデザートなの」
皆に勧めると、ベネットさんが椅子に座った。
「この状態で、どうしてそういう発想になるんでしょうか」
と、溜め息をついている。
厨二病男は勝手に座り、もうほおばっていた。
「今度、デザートに頼もう」
気に入ったようだ。
魔族四人組は立ったまま。
いつの間にか傷が治った筋肉男は、ひと口で丸呑み。
片眼鏡男は、三口で食べた。
「初めて食べる物だが、血肉よりはうまいな」
こいつ、吸血鬼か?
羽根男と角男は、黙って食べている。
気まずさ満点の雰囲気の中、ご機嫌なのはマオちゃんだけだ。
「えーと。まず、それぞれの紹介からいきましょうか」
みんな肝心なことを言わないので、自分が仕切らないといけないと思ったギルさんが話し出した。
「みなさんご存知だと思いますが、僕はここの農園主のギルバードといいます。そちらの女性は、年明けには僕の妻になるマリーさんです」
と、視線をこちらに寄越したので目が合い、互いにぽっと頬を染めた。
「うわあ、げろ甘。ギルのことは知っているさ。再従兄弟だからな」
と、厨二病男。
「前回、魔王とその側近に逃げられてしまいましたので、ご相談するため、帝国から魔法師団長のルードヴィヒ様をお呼びしたのです。ここで出会えたのは、よいタイミングでした」
と言ったのは、ベネットさん。
「こちらは、ライアル公国の魔術師のベネットさんです」
ギルさんが補足説明した。
「そちらは、まお」
「マオちゃんね」
ギルさんの言葉に、私がかぶせ気味に言った。『魔王』より、こっちの呼び方のほうが可愛いじゃない?
「そちらの皆さまは、なんとお呼びすれば?」
「わしは、ベルゼ。魔族四天王の第一」
角男が言った。で、マオちゃんの保護者なわけだ。それは知っている。
羽根男は、イブリース。男にも女にもなれるんだって。
片眼鏡男は、アンゲルス。魔族の賢者だそうだ。
筋肉男は、モルス。魔族の将軍。
「えー、お互いに長年いろいろとありますが、率直な疑問として、魔族の皆さまはなぜ、人間を襲うのですか?」
「ヒトを襲って食べるのは、魔物。我らはヒトなど、食わん」
ギルさんの質問に、ベルゼが素っ気なく答えた。
魔族の中にはヒトの血を吸ったり、淫夢を見せて人のいやらしい気分を吸ったりする者もいるけれど、害はないそうだ。(ホントか?)
魔物というのは、魔族にとって動物・植物らしい。
魔族も魔物も瘴気がないと生きられない。といっても、魔族は人が食べるのと同じ物を食料としている、ということだ。
「魔王様と我ら高位の魔族は、濃い瘴気があれば何も食べずとも生きていられるが、中級・下級の魔族たちはヒト族と同様、肉や野菜を食べ、家族を作って暮らしている」
と、ベルゼが説明した。
この世界の始まりのとき、すべては瘴気で覆われていて薄暗く、魔王の許、魔族はわずかに育つ植物を採取し、動物を狩って、地表で暮らしていたが、その瘴気がだんだん薄れていったため、当時の魔王がその膨大な魔力で地下に魔界を作ったのだった。しかしそこには地表からの光がわずかにしか届かず、魔王は転移門を数十か所作り、地表と行き来して魔族たちは食料を調達していた。
ところが、魔族がいなくなった地表に、ヒト族が繁栄し始めた。そのため、食料の奪い合いが起こり、それが今に至る魔族とヒトの争いの発端だった。何十年かのサイクルで起こる魔物暴走は、飢えた魔物が食べ物を求め、地表へ大量に出てくるのが始まりで、その後を追うように魔族が出、略奪を行うのだという。
要は、食料問題だったわけだ。
魔族魔物に困ったヒトは、召喚術を編み出し、魔王を倒す勇者や癒しを行う聖女を召喚するようになった。たまにオマケつきだったけど。
で、その被害者の一人が私。
もとはといえば、こいつらが原因か! 怒っていいよね。
とはいえ、魔族側の説明を聞いて、ベネットさんが考え込み、厨二病男のルドと何やらこそこそと話し合った結果、「取引をしましょう」と申し出た。
「あなた方に食料を援助すれば、人間や家畜に被害を及ぼさないと、協定を結びましょう」
これに、魔族側も了解した。しぶしぶ。だって、魔王様が〝はんばあぐ〟をご所望しているから、喧嘩して滅ぼすわけにもいかないからね。
次の会合はヒト族の代表として帝国の皇帝も交えて、ということになり、ベネットさんが打ち合わせの連絡先と相手を、逃げられないよう魔法誓約紙に書いて、それをお互いに交換した。窓口は、魔族はベルゼで人間はベネットさん。タブレット端末みたいな板で通信するらしい。スルーはできない構造で、したら電気ショックみたいに、ビリリとなるとか。
さて、お話し合いは、ここまで。
「さ、あるじ様。帰りますよ」
ベルゼが転移門を開いた。ブラックホールだな。
「いやっ。ばしゃでかえるの」
いやいや期かな。まあ、これくらいの年の子はこんなもんか。
仕方がないので、ベルゼは人間の公爵の姿に戻り、羽根男ことイブリースは令夫人の姿になった。
「おい、女」
と、筋肉男ことモルスが私に近寄ってきて、前に立ちはだかる。
「魔王様が気に入られたようだ。世話係に採用する。光栄に思え」
そう言って、私に手を出そうとした。
「マリーさんは、僕の妻になる人です。そんなことはさせません」
へっぴり腰ながら、ギルさんが間に入って、きっぱり言った。語尾が震えていたけど。
うん、それでも大好き!
「どけ」
モルスがギルさんの頭を鷲掴みにする。
「ちょっと、なにすんのよ!」
私はこのとき、ワインのボトルを一本開けていた。いや、おいしかったし。トドメがワインジュレだ。
目が据わっていたと思う。
「手を放しなさいよ。このデカブツ。マリコクラッーシュ!」
私がモルスにアッパーを決めたと同時に、マオちゃんの目がきらりと光った。
ガッシャーン。
みんなの目の前で、フランス窓をぶち破って、モルスの巨体が遠くへぶっ飛ぶ。
どーん、パチパチパチ。
雷みたいな音がした。
そのとき、帝都からも冬空に大きな花火が上がったのが見えたという。
――この世界に、花火ってあったっけ?
「もー、あるじ様。悪戯するのは、やめてくださいね」
ベルゼが椅子から抱き上げようとするのを拒否して自分で降り、マオちゃんは食堂を走り出ていく。
「わ、私はこっちで帰りますね」
びびった片眼鏡男こと、アンゲルスは転移門を出現させ、そこに入って姿を消した。
「ヘルミーネ大叔母様みてえ。こわっ」
厨二病男のルドが、転移魔法でこっそり姿を消す。
「マリー様、あなたがこの世界に来てくださって、本当に良かったと思います」
何故か、ベネットさんに感謝された。
足元がふらつく。
「マリーさん、大丈夫?」
ギルさんが、私を支えてくれた。優しいなあ。
「ギルさんこそ」
私は態勢を立て直し、公爵夫人の方へ歩いて行った。お見送りするためだ。
「ねえ、アンタ」
怯えつつも、イブリースが私にささやく。
「いい気になるんじゃないわよ。結婚間近だって? 魔王様に怒られるから、手は出さないけど、無事に結婚式が終わればいいわねえ」
嫌味な言い方をするんで、ヒールで思いっきり左足を踏んでやった。
なんとか悲鳴を上げなかったイブリースは、足を引きずりながら逃げ、一番に馬車へ乗り込んだので、ベルゼに叱られている。
マオちゃんは、「バイバイ」と手を振って乗り込み、ベルゼもそのあと車内に入ると、瘴気をまとった馬車は走り出した。
セバスさんが、何事もなかったようにお客様をお見送りしている。
「マリーさまああああっ」
ネッテさん、イザベルさんをはじめとしたメイドさんたちが走って来る。
「ご無事で何よりでございましたあああ」
「マリー様こそ、聖女ですわ!」
一方で男性の使用人たちは泣きながら、私を拝んでいる。
「マリー様、女神様」
「ありがたやありがたや」
みんな、涙を流しながら、わいわい騒いでいた。
「ちょーと疲れたかな」
色々なことがあり過ぎて、その場に座り込みたかった。
「厨房のみんなも楽団のみんなも、ありがとう」
と、そのとき、うちの使用人たちと助っ人の人たちにお礼を言ったギルさん。
「……少し休ませて」
数時間で頬がこけたギルさんが、ふらりと自分の部屋へ向かった。
「後片付けがあるけど――」
休んだあとでいい? って私が訊こうとしたら、ベネットさんが後ろから来た。
「やっておいたよ。壊れたところも魔法で直しておいた。さて、これから大変だ」
つぶやいたベネットさんは、鷹に姿を変えて飛び去っていく。
「んじゃ。私も」
と、自分の部屋へ戻った私はドレスをメイドさんたちに脱がしてもらい、化粧を落として、ベッドへ入った。ほんの少し仮眠をするつもりで。