おまけ・ある魔族の独白(後)
力の解放ができたのに、あるじは幼児の姿を気に入ったのか、魔王城でもそのままで過ごしている。力が戻らなかったときは侍女や侍従に世話されていたが、解放が成った今ではその膨大な魔力が周囲に影響を及ばし、我ら最初の四人以外はあるじの側に寄ると塵になってしまう。だから、交代であるじのお世話をすることにしたのだが、アンゲルスとモルスとイブリースはマリーにちょっかいをかけに行き、たびたび留守にするため、我が身の回りのお世話をほとんどするはめになった。協定の下準備の指示、普段の政務に加え、ときどきマリーの食堂へ行ってしまうあるじのお迎えなどで激務が続き、食事・睡眠・休養の必要がない我でも、いささか疲れた。
そんな中、イブリースがあるじを怒らせてしまった。マリーへの嫌がらせの度が過ぎたのだ。
裁定を下すあるじは青年の姿となり、その怒りは我ら魔王城の者一同の心胆を寒からしめた。と同時に、かつてのあるじが戻ってきた喜びに一同は打ち震えたのであった。
結局、イブリースはマリーに許され、生かされることになった。
この出来事のすぐあと、我らは帝国の皇城に赴き、ヒト族と平和協定を結んだ。締結の後、大広間のヒト族を威圧すると、面白いようにバタバタと倒れる。その中で立って居られたのは、皇帝とその血を引く者たち。特に皇帝が「叔母上」と呼んだ女は魔力も大きく、完全な先祖返りで寿命も長いだろう。そして異質なことに、マリーも平気な顔で立っていた。
この女、本当に何者なのだろう。魔族の探知機を当てても、聖女ではなかったというのに。
以後も記憶はまだ戻らないまま、あるじは幼児の姿でライアル公国のワイナリーに通っている。マリーとその番との結婚式に、あるじに出て欲しいとの無礼な申し出があったが、あるじは快く引き受けた。そんなときに、いきなりヒト族の通信機が鳴り、マリーの声が聞こえた。
女神の神託で結婚許可証が取り消され、理由を聞きたいから女神に会いたい、という主旨だった。
並みのニンゲンが神に会えるものかと思ったが、すぐに考え直した。マリーを女神に会わせたら、どんな反応があるだろうか。マリーの正体がわかるのでは。
やりようはある。実行してみたことはないが。
我は請け合い、あるじに事情を話した。大人の姿となったあるじは了解してくれ、我は一時的にあるじの力をいただくことになった。
あるじの力を注がれたとき、身体が爆発するかと思った。火山の溶岩が体内に流されたかのような衝撃を受けたのだ。
あるじと一心同体となった我は、中央神殿へ転移した。女神はこの神殿の巫女に神託を下す。つまり、巫女は神界と繋がっているのだ。それを逆手に取って、巫女から女神のいる神界へ侵入した。
「何故、わたくしの領域に汚らわしい魔族がいるのか!」
女神ジェーチは我を認めると攻撃しようと身構えた。
「マリーというヒト族が、そなたと話したいというのだ」
我は攻撃が放たれる前に、マリーの意識を召喚した。
身体は下界にあり、本人は夢を見ていると思うであろう。
「あるじ様のお力を借り、わしが連れて来た」
説明すると、マリーはすぐさま理解したようだ。
「わたくしに用とは」
と、攻撃を止めた女神が偉そうに言う。
マリーは自分の結婚の邪魔をした女神に腹を立てているようだった。
並みのニンゲンならば、神を前にしてひれ伏すだろう。だが、マリーはいつも予想外の反応をする。面白そうだ。どうするだろう。
まさにマリーはその通り。女神に格闘技をかけて降参させ、神託を覆させた。
宿敵の女神ジェーチの情けない姿に、溜飲が下がった。笑える。
しかし同時に疑問が湧く。並みのニンゲンが神に挑んで、勝つだと?
そのとき、閃いた。このニンゲンは……。
聖女でなく、それでいて神を超える者。ジェーチはいったい何をしたのだ?
泣き出した女神と話をしようと、マリーが場を設けることを提案する。我がマリーの頭の中をのぞき、そこに映し出された場所を再現すると、満足したようだ。マリーの世界で酒を飲む『ばー』という場所らしい。
我はニンゲンの姿に変化して椅子に座った。長いテーブルの向こうにヒト族がおり、我に赤い酒のグラスを差し出した。
こやつ、我が作った幻影ではない。異なる気配がする。
じっと見つめると、そやつは『黙っていろ』とでもいうように、右目をつむった。そして我の前を離れ、駄女神とマリーの前に酒の入ったグラスを置いた。
女神ジェーチがマリーに愚痴っている。しかしマリーは話半分にしか聞いておらず、酒を次々注文して飲み干していた。
そういう奴だよ、おまえは。
そのうちに聞き捨てならないことをジェーチが話し出した。
我らを目の敵にした理由。そして、マリーにしたこと。
「分かっておらぬのは、きさまではないか? マリーは聖女ではない。女神の後継者として呼ばれた。それを捻じ曲げて、下界に落としたな、きさま」
我がジェーチに迫ると、長テーブルの向こうにいた人物が「有罪」と裁定を下した。
そこにいたのは主神の使いとして来ていたゾフィーという女神で、ジェーチより神格が高いようだ。ジェーチは神の世界での禁忌を犯したということで、神籍をはく奪されて、追放された。
その後、ゾフィー殿はマリーにその立場を説明しようとするのだが、酔っぱらっていて話にならない。そのため、意識を身体に返した。あれは悪酔いするだろう。
「さて、ベルゼとやら」
幻影が消え、辺りが白い空間となる。
「そなたたちには、まことに申し訳ないことをした。神族を代表して、謝罪する」
と、女神ゾフィーは深々と頭を下げた。
どう反応してよいか分からず、我が何も答えずにいると、女神は顔を上げて言う。
「我ら神族は主神様の手足となって一つの世界を創り、形を整えたのちには見守るのだ。しかしまれに、担当する場に命の兆しが感じられることがある。その場合は速やかに上司へ報告し、それを神へと育てねばならぬ。神族は『現地採用、可』なのでな」
女神が、にっと笑う。
「ジェーチは召喚を多くやり過ぎ、異世界の命を弄んだ。よって交代の決定がなされ、後任にチキュウ生まれの河原真理子殿が選ばれた。ジェーチは本来、交代の報せを受けたならば、真理子殿がヒトとしての生を終えたあと、この地に神族として転生したその際、前任者として指導した後、引継ぎをすべきだった。だが、ジェーチは交代を回避しようと、ラーデン王国の王太子を無意識下でそそのかし、ラーデンの聖女召喚に介入して真理子殿をヒトのまま転移させた。真理子殿ことマリーが女神の後任であったが、その存在を捻じ曲げられたというそなたの推察は正しい」
「そうであったか……」
本人は、聖女のオマケだと信じ切っているが、マリーが駄女神の代わりとなっていたら、この世界もずいぶん違っていただろうに。
「マリーはヒトである。ここでの生を終えた際に、神となるか、転生の巡りに戻るかの選択をさせよう。マリーが神になってもならなくても、ここに一人、神格を得る資格を持つ者がいる」
「それは……我があるじか」
「さよう。ジェーチの後任の代理として、しばらく私がこの世界を見守ることになるだろう。マリーが神とならば、そなたの主人は補佐の神として。マリーが断れば、単独でこの世界の神となる。そのために、私が指導しよう。明日、そなたらの城を訪うことにする」
女神の言葉を最後に、我は神界を離れた。
気がつけば、魔王城にいる。部下の報告では、中央神殿の神託の巫女が力を失い、新しい巫女の選定に入ったという。各国の神殿にあるジェーチの神像はゾフィー殿の物に変わり、ヒト族は自分たちの女神の名を『ゾフィー様』と認識しているそうな。我ら魔族にはその意識変化は及んでおらなんだが、これが神の力かといささか畏怖の念を抱いた。
あるじにアンゲルスとモルスとイブリースのいる場で、神界での出来事を報告した。あるじは興味なさそうだったが、アンゲルスらは驚き、女神の来訪に懐疑的だった。そして、アンゲルスとモルスは眷属を率いて、女神を待ち受けると言う。
やめたほうがいい、と思ったが、そのままにさせておいた。
さて翌日、言葉通りに魔王城の玉座の間に光の柱が立って、女神ゾフィーが降臨した。黄金の波打つ長い髪、金色の瞳をした美女で、白い長衣を着て全身が光り輝いていた。
女神が姿を現すと同時に、アンゲルスとその眷属が攻撃魔法を一斉に放った。が、すぐに彼らは小さな羽虫に変えられてしまった。次にモルスを先頭にしてその眷属の戦士たちが剣や槍を構えて女神に向かっていったが、全員カメムシに変えられてしまった。
玉座にヒト族が思い描くような怪物の姿をして座っていたあるじが立ち上がり、女神に攻撃魔法を放ったが、これも無数の花となって散った。
「まだまだだのう、小僧」
女神が右手の人差し指を弾くと、あるじは十歳くらいの男児の姿となった。
「これが本来の姿か」
女神が目を細めた。
「『こぞう』じゃない。マオちゃんだもん。アンゲルスとモルスたちをもとにもどせ!」
ポカポカと殴りつけるあるじの頭を右手でわしっ、と掴んで持ち上げ、女神は放り投げた。
「ああっ、何をする!」
我が走り寄ると、目の前であるじが金の鳥籠の中へ囚われる。
「ひかえよ!!」
女神の一喝で、我の膝が折れた。
「本日、正式に私がこの世界の神として着任した。ゾフィーである。前任者の独りよがりで、そなたたちには憂き目に遭わせた。すまない。これからはそのようなことなく、ヒト族と平等に扱おう」
昨日より謝罪が雑ではないか?
平伏しながら、思った。羽虫とカメムシから元の姿に戻された者たちも、床に這いつくばっている。女神ジェーチとは格が違う強さを皆が覚っていた。
「加えて、そなたらの王を次代の神として教育する。これは決定事項だ!」
おおう、と皆の口から感嘆の声が漏れた。
「ヤダッ」
それに対して、籠の中であるじが叫ぶ。
「ほう? 神となる勉強が嫌とな。ことと次第によっては、マリーも神になるかもしれぬのになあ」
女神がにやりとする。
「マリーも?」
「そうだ。ヒトの命は短いが、今の生を終えても神となれば、また共に過ごせるぞ?」
「なら、やる」
ちょろすぎます、あるじよ。
「では、よろしくな。皆のもの、しばらく私はここに滞在するゆえ」
ははあ、と一同、平伏して頭を下げた。あるじの教育係が決定だ。
力の強さを信奉する我らにして、この女神にはかなわないと誰もが思ったのだった。
あるじは鳥籠から解放されて、いずこへか姿を消した。そのあとをイブリースが追う。
「ところでベルゼ。そなたたち一族は、何というのだ? 〝魔族〟とは、ジェーチが呼んだのだろう? 自分たちはどう名乗っているのだ」
「は?」
言われて、目が覚めた。魔であると、滅ぼすべき悪であると言われ続けていた。それは我らを敵視する者からだ。
「一族の名は……ありません」
「では、自らの名乗りをすることから始めるのだな」
ゾフィー様から諭され、我らは考えた。そして、原初の者ということで、〝オリゴーの一族〟と名乗ることになったのだった。
その後、客室に居を移し、我はゾフィー様の質問に答えることとなった。
「蘇ったあの子に、『父は勇者に殺され、母は去った』なんて、嘘を教えていたのか。トラウマになるだろうが、たわけ!」
「いずれ、記憶が戻ると思いまして……」
「それでもだ!」
と、説教をくらった。どこか、酔っぱらったマリーに似ている。
あるじのことをいろいろ訊かれ、疑問に思ったことをこちらからも尋ねた。
「子どものあるじは、何故マリーに懐いたのでしょうか」
「それは多分、叱られたことで興味を持ち、名を付けられたからだろう。マリーが親になったからな」
「親?」
「名づけ親でも〝親〟であろうが。〝魔王〟というのは、魔族の王という称号に過ぎず、個人の名ではない。〝マオちゃん〟と名付けられたことで、マリーと絆ができたのだ」
「なるほど」
偶然とはいえ、恐ろしいヒト族のメスだ。我らのあるじの親になってしまうとは。だから我らも、あの酔っ払いに逆らえぬのか。
複雑な心境だ。
「ジェーチが追放された今、もはや召喚は行われず、勇者と聖女によって、そなたたちは殺されることはない。新しい時代が来たのだ。どうしたらよいか、みなでよくよく考えなさい」
「御意」
ということで神の御前を下がった。
ゾフィー様は気さくな方で、神界でふんぞり返っていた前任者と違い、我ら一族の間に降臨され、街や村を巡るので、城でのいきさつを報せによって知っている我が一族に親しまれ、また神として崇められている。
「下界に介入するのと、旅するのは違うからな」
と豪快に笑う方だった。
ゾフィー様はマリーとその番の結婚式と披露宴にも出席し、それ以後もあるじと共にマリーの勤める食堂へ顔を出し、飲み食いしている。
この間、帝国から北方の荒地に国を造っても良い、との連絡を受け、それを実現するために城の者たちも動き出した。
我の仕事がさらに増えた。
しかし、同輩たちは手伝ってくれない。
アンゲルスは帝国の魔術師・ルードヴィヒと懇意になり、その研究室に入り浸りだし、モルスは海の魔獣討伐のため、眷属を引き連れて出張中。マリーに嫌がらせの度が過ぎたイブリースは、罰としてしばらくマリーの下僕としたが、それを幸いとしてヒト族の国や街に出かけて行きっぱなしになり、遊んでいる。
政務その他にすべきことが増えたが、少なくとも我は子守――あるじの世話から解放された。ゾフィー様が引き受けてくだされたからだ。もっとも、勉強部屋をよく抜け出すあるじに、手を焼いておられるようだ。
結婚したマリーが双子の男児を産み、続いて女児を産んだ。
「子を妊娠したメスは気が立っておりますから、あまりお近づきになられませんように」
という我の忠告を聞き入れてくださり、マリーにしばし寄らなかったあるじだが、子を産んだあと、赤子をゾフィー様と一緒に見に行かれた。
男児のときは何も無かったのだが、女児の際は、「およめさんにする」と宣言され、我々を驚かせた。
マリーの産んだ三人の子はいずれも魔力量が多く、女児に至っては先祖返りか、我ら側近の力に匹敵するほどのものを秘めていた。
「結婚は、まだ早い」と周囲の誰もが言う中、あるじは早くも記憶が戻ったようだ。マリーの娘を妻にすることをあきらめてはいないようだが、力の練り方を教わるため、ゾフィー様と神界で勝負するほど成長された。
この世界の神とその眷属に忌み嫌われ、悪として存在することさえ許されなかった以前と比べ、神の交代で女神がゾフィー様となり、我らを受け入れてくださったことで、一族の者たちの顔色も明るくなった。
みな希望を持ったのだ。もはや殺される未来はない。
女神ジェーチの記憶が消えても、ヒト族と長く殺し合った事実はなくならず、身内を殺された恨みは消えない。けれども、これから何かが変わっていくだろう。
きっかけとこの流れを作ってくれたマリーに、心からの感謝を。
『よっぱらい聖女』と一部のヒト族から呼ばれるマリーへ、我らが開墾した土地で採れた麦で作った酒をいつか捧げようと思う。
終
お読みくださり、ありがとうございました。