おもてなし
「えーと。お名前は?」
自分に覚えがなけりゃ、訊いてみるのが一番。
「だいごじゅうろくだいまおう」
落語の『寿限無』みたいな名前だな。それより短いけど。
「だいご……」
「みんなは、『まおうさま』っていうの!」
「は?」
カラン、と廊下の端っこにいた人がお盆を取り落とした。それ以外は「シーン」としている。
両親は、どっかの偉い貴族って聞いてるけど、子どもになんて名前をつけるの! 学校へ行ったら、友達にからかわれるでしょ!
「マオちゃんって呼んでいいかな?」
「うん!」
訊くと目の前の子どもが、思いっきりイイ笑顔で答えた。
かわいい!
『かわいいは正義』って言葉は、あざとい女に言うんじゃなくて、こういう子に使うべきよね。
この男の子の後から、黒いコートを羽織り、灰色の髪をしたがっちり体形の紳士と髪に羽飾り、虹色のケープとドレスを着た細身の女性が降りて来た。
「ハイドゥ国のドルゴン公爵ご夫妻、並びにご令息と、お聞きしておりますが」
眉一つ動かさず、セバスさんが尋ねた。
「さよう。ワインと食事を楽しみにしておる」
なんか無茶苦茶怪しい。
と、夫人を見やれば、私の視線を受けて、びくりと身体を震わせた。
この二人にも、ぜんっぜん、見覚えがない。
「マリー、ごはん!」
貴族としてのしつけがまるでなってないご令息が、「ご・は・ん、ご・は・ん」と歌いながら中へ入っていく。
「歓迎いたします。閣下、令夫人」
ギルさんが言い、案内のためご主人の横について屋内へ入り、私も夫人の横につく。
玄関ホールでセバスさんが二人のコートを受け取ったあと、一階の客用の食堂へ案内した。この間、二人は無言。一方で、子どもは楽しそうに先に食堂へ入り、自己流の歌を歌っている。
フランス窓から庭の景色が見えるようにセッティングしたテーブルに三人をギルさんが導き、お客さんには席についてもらった。
冬だから、庭には花がなくって常緑樹の灌木ばっかなんだけど、四人の弦楽器演奏者が静かな曲を奏で始め、雰囲気を盛り上げている。
お客の内一人が子どもということで、それ用の椅子を用意したのだけど、まさかこんなに小さいとは予想せず、係の使用人が急ぎクッションで高さを調整した。
ギルさんは説明のため、公爵側に。私はお世話をするために子ども側に座った。これは、あらかじめ決めてあったことだ。
給仕係がグラスを配り、まずは食前酒。でも、私とご令息には果実水ね。
ギルさんと大人たちはワインについての会話をしていて、スープ、海老の前菜と続くうちに、マオちゃんのテンションが下がっていく。そして主菜、牛肉の葡萄の葉包みが出たとき、マオちゃんは下を向いてしまった。
「嫌いなものが、あったかな?」
「ちがうの。マリーのつくった〝はんばあぐ〟がたべたかったの」
「あ、そっか。あれは、ヨハンナさんの食堂でしか出してないものだから、ここにはないね。でも、お城のコックさんが作った料理だよ。食べてみて。おいしいから」
両手をテーブルの下に置いてしまったマオちゃんの代わりに、私はお肉を切ってあげた。
「あーん、できる?」
「あーん」
かぱっ、と耳まで裂けた口。そこには、サメのような二枚歯が並んでいる。
やべっ。これ、人外だ。『流氷の天使』クリオネの食事風景みたい。
ニブい私でもさすがに覚ったけど、手は止まらず、フォークに刺した肉片をそこに突っ込んだ。
きゃあ、と悲鳴を上げて、食堂にいた給仕たちとメイドさんと音楽家が一斉に廊下へ逃げる。
「ベネット様に連絡を!」
退避しながら、セバスさんも叫ぶ。
そんな中、ギルさんだけが中腰になったまま、そこにいた。けれども私は知っている。あれは、驚きのあまり金縛りになっているのだ。
そんなとこも好き。きゃっ。
こんな周囲の騒ぎも無視して、子どもはもぐもぐとお肉を咀嚼した。
「おいしかったー」
「そうでしょう。良かったねー」
額に冷や汗を流しながら、どうしようかと思っていたとき、公爵の背が盛り上がり、二メートル近くの大男となった。ごつい顔、頭には二本の角。口にはサーベルタイガーみたいな牙がある。
夫人の姿も変わり、黄色い羽根の衣装を着た男性になっていた。
「きさま、魔王様の要求を満たさぬとは、どういうつもりだ! 〝はんばあぐ〟をご所望なのだ。すぐに持ってこい!」
ガチャーン、と料理の載った皿を床に落とした。
「食べ物を粗末にするんじゃない! 食事ってのは、他の命をいただくのよ! そう、おばあちゃんが言ってたわ」
頭にきた私は、怒鳴った。すると、羽根男がびくびくと怯えながら後退する。
「マリーさん!」
金縛りから復活したギルさんが、ワインのボトルとグラスを持って、テーブルを回ってこっちへ走ってきた。
「と、とりあえず、一杯飲んで落ち着こう」
差し出したのは、今日出す予定のビンテージもの。
「ありがと」
食事会でミスしちゃだめって思って、我慢してたのよ。飲みたかったの。おいしーい。
二杯飲んだところで、なんとなく思い出してきた。
マオちゃんはもう少し大きかった気がするけれど、害獣駆除のとき出現したニワトリの飼い主で、角男はその保護者。マオちゃんに『正しいペットの飼い方』を教えているときにいきなり姿を現して、私に殴りかかってきたので、「マリコクラッシュ!」とか厨二病的なことを叫んで反撃したら、クリーンヒットして降参した奴だった。
『か弱い女性の一人暮らしは物騒よね』と、同僚の波江さんと一緒に習った護身術が役に立ったってわけ。
羽根男は、二人にお説教しはじめたとき、空間が裂けて出て来た奴で、酔っていた私はおっきなニワトリに見えたのよ。羽根がいっぱいついた衣装を着ていたし。
ちょうど鶏肉を食べたかったときだから、『おいしそう♡』と、言ったら、そのまま姿を消したビッグバードだった。
「ねえ、ベルゼ。やめようよ。聖女に食べられちゃうよ!」
羽根男が叫ぶ。
「失礼な。なんで、あんたみたいな細いやつを食べなきゃならないのよ!」
「マオちゃんは、のこさずたべるよ」
売り言葉に買い言葉をしている横で、マオちゃんがお皿ごと、かぱっと料理をひと口に飲み込んだ。
それを見たギルさんは、ボトルをテーブルに置いて壁際に退避だ。
「偉いねー。でも、そのお皿、高かったの。セバスが泣くから、お皿を食べるのはやめようね」
「はーい」
「あるじ様、こんなニンゲンのメスに絆されて」
角男が泣く。
「アンゲルス、モルス、来てよ!」
羽根男が叫んだら、その場に黒い煙が立ち上り、長い黒髪、片眼鏡をかけているキザな黒いコートの男と、筋肉質の巨人が現れた。
「こいつか、魔族を食べる聖女というのは。研究のし甲斐があるな」
片眼鏡の男が、くっくっと笑う。
「片手で絞って、ジュースにしよう」
と、筋肉男が近寄ってくる。
「はああ?」
私はグラスをテーブルに置いて、筋肉男の向う脛を思いっきり蹴った。
「ぐわあああっ」
〝弁慶の泣き所〟って、魔族でも痛いみたい。
「このっ」
片眼鏡男が私に魔法をかけようとする。
「やめろ!」
声と同時にマオちゃんが黒い霧をまとった。それが晴れたとき、そこには赤い瞳の麗しい青年が立っていた。
「おお……あるじ様、やっと魔力の解放ができたのですな」
角男が感動している。
「マリーに手を出すな。何かしたら、私が捻り潰す」
禍禍しい気をまとい、その醸し出す圧で、四人の魔族は片膝をついた。
ギルさんは壁にひっつき虫となっていたけど、私には何の影響もない。
「御意……」
四人が揃って頭を下げる。
そのとき、パリンとフランス窓を破って中へ入ってきたマント姿の金髪の若者がいる。
「わははは、正義は常に我にあり。いかな魔族といえども、この暁の帝国の赤き竜にはかなうまい!」
場違いにも、厨二病っぽい奴が現れた。
だれ?