蜂蜜酒と桜吹雪
いやあ、いい夢だった。カクテル、おいしかったなあ。他に何かあったみたいだけど、忘れた。ま、いっか。
ゆっくりと意識が浮上したとき、「きゃああ」とヨハンナさんの叫び声で完全に目が覚めた。
と、同時にすごい頭痛。ズ・キーン。
おおう。
「マリー、どれだけ飲んだの。やけ酒って言っても、ほどほどにしなさいよ!」
そこへ、バンと食堂のドアが開いて冷気と共にギルさんが飛び込んで来た。
「マリーさん、結婚証明書が発行されました。早朝に神殿からの使者が持ってきてくれましたよ!」
「す、すみません……」
私は、ぎぎぎと振り返った。
「もう少し……小さな声で、お願いします……」
初やけ酒で、私は生まれて初めて二日酔いをしたのだった。
――うう。頭が痛い。吐き気がする。ポカリが欲しい。
二日酔いはベネットさんが作った薬ですぐに治った。街に薬師はいるんだけど、それはお手頃価格の一般薬で、ポーションや高価な薬は魔術師が作り、貴族やお金持ちしか手に入らないとか。私は召喚者で公爵家三男のギルさんの婚約者ということから、優遇されているらしい。
ちなみに。お酒を飲んで暴れる人は、にがーいお薬を飲まされるらしい。私はそんなことしないから、いいけどね。
しかし初めて知ったな。お知り合い価格だと思っていた。ヨハンナさんのつわり止めの薬と私の二日酔い回復薬のお金は公爵家から支払われていた。
「今度、何かあったら自分たちで払おうね。今は甘えておこう」
と、ギルさんが私に罪悪感を持たせないように言った。
いい人と出会って、ほんとラッキーだわ。好き♡
駄女神の妨害があったものの、結婚式は予定通り行われることになった。
結婚式までに私は食堂の片隅を借りて、本場インドのじゃなくて日本式のカレーの味を追求し、完成させた。カレーライスにしたかったけど、こっちの人はお米じゃなくてパンを常食している。だから、カレーパンにしてみた。試食したギルさん、ヨハンナさん、ジャン親方、シャトーの料理人・サムエルさんにも好評だったので、結婚式当日の夕方のシャトーでの村の披露宴で出すことにした。
村の披露宴の料理は、私とギルさんとシャトーのコックのサムエルさんとで相談して決めた。バイキング形式、庭で豚の丸焼きを作りつつ、スープにサラダ、カルパッチョ、ローストビーフ、手羽先、焼き鳥、豚の角煮とモツ煮、カレーパン、ヘルミーネ様から頂いた小豆を使ったアンドーナツ、ナッツのいっぱい入ったチョコレートケーキ。チーズケーキ。蒸し器で、あんまん、肉まん。飲み物は、ワイン各種に葡萄ジュース。変則的だけど、まあいいでしょ。食べたかったのよーっ。
下ごしらえまではお手伝いしたけれど、当日はサムエルさんにお任せだ。
こちらに家族のいない私、ジャン親方とヨハンナさんが両親の役割をしてくれる。親方は一緒にバージンロードを歩く役、ヨハンナさんは花嫁の頭にティアラを載せる役だ。式の前日から、ジャン親方、ヨハンナさん、花嫁付添人の三人の女の子、ギルさんと私は、お城に泊まって準備する。
花婿にも付添人がいて、花嫁付添人と数を合わせて三人だ。みんなギルさんの幼馴染で、今は騎士団に所属している。前日のリハーサルのとき顔合わせをしたら、三人ともヨハンナさんの食堂にしょっちゅう来ていた連中だったので、お互いに笑い合った。
花婿・花嫁の付添人は、花婿の独身最後のパーティーを立案したり、結婚式の計画・進行をして式に深く関わる場合から、バージンロードに敷物を敷いたり、受付したりの実行役、もしくは、ただ立ち会って場を盛り上げる役をするだけだったりと、状況によって役割はさまざまだ。私とギルさんの結婚式の場合、ギルさんが公爵家の三男であることから、私の世界での結婚式場の人たちがやってくれることを公爵家の使用人たちがすべてしてくれて、付添人たちは城内の礼拝所と中央神殿へのパレードの付き添いをして花を添えることになった。
結婚式前日。私の花嫁付添人となったキャンディス、カトリン、メイベルの三人娘はお城に泊まるという初めての経験で、きゃぴきゃぴ。「今夜は眠れませーん」と、喜んでいた。修学旅行気分だな。
ギルさんは幼馴染たちと半徹で語らうそうだ。パーティーはしないって。当日、寝不足と疲れで失敗したくないからってさ。
ジャン親方とヨハンナさんは緊張しているため、口数が少ない。部屋から出ず、食事もそこで摂っていた。
マオちゃんはリハーサルにも来てくれた。ハイドゥ国のドルゴン公爵の子息、マオ・チャン・マオーウ五十六世として。お城にも、お泊りだ。
両親は人間に化けたベルゼとイブリース、侍従がアンゲルス、護衛がモルス。
他国の公爵一家を歓迎ということで、先代様とライアル公爵夫妻つまりお義父様とお義母様、長男夫婦と次男夫婦、ギルさんと私というメンバーで晩餐を一緒に摂ったのだけれど、ドルゴン公爵家連中、マオちゃんを含めて魔法で魔族であることを見事に隠しきっていた。作法も貴族らしく完璧だ。
「城内には魔術師のベネットさんがいるけど、いいのか~~」と、正体を知っているギルさんと私は背中に冷や汗だったけど、バレなかった。
「おばあさまがいたら、こんなにスムーズにいかなかっただろうね」
と、ギルさんが私にささやいた。
多分そうだろうな。魔族の気配をすぐに察知する魔力量の多いヘルミーネ様は、翌日の早朝に到着する予定だ。なんでも、結婚祝いにする海の魔獣の魔核を集めるために、少々遅れるそうだ。
海にも魔物、いるんだ……。それを結婚祝いって……。
異世界であることを実感した。
さて、結婚式当日。
「マリー」
寝ていたところ、ベッドが揺れたので目が覚めた。
足元を見ると、マオちゃんが薄暗い部屋の中、ベッドの上で飛び跳ねている。
「マオちゃん、おりこうしてたよ」
ほめてほめて、と言うので、起き上がってベッドから降り、マオちゃんを抱き上げて、ぎゅっした。
「うん、お利口だったね。ギルさんとお友達になって、予行練習のお仕事もちゃんとできたね」
と、私はマオちゃんをベッドに座らせて、頭をなでた。
実際、マオちゃんはギルさんにもなつき、リハーサルではリングボーイとしての役目もこなしていた。
「本番の今日もよろしくね」
ちゅ、とほっぺにキスすると、「きゃあ」と喜んでいる。
「ああ、そうだ」
と、私は思いつき、ドレッサーに向かうと、その抽斗から青いリボンを取り出した。そしてブラシを取り上げると、マオちゃんの長い黒髪をとかして、ゆるやかな三つ編みにし、そこへ青いリボンを結び付けた。
「お揃いだよ」
私はもう一本の青いリボンを右手首に巻きつけた。縁起物の「青い物」だ。
「おそろい!」
飛び跳ねたマオちゃんは、空中で一回転し、姿を消した。こういうとこは五歳児でも魔族だな。
「よろこんでくれて、よかった」
独り言をつぶやいたとき、ノックの音がして身支度をお手伝いしてくれる人たちが部屋へ入ってきた。
その後、私は早朝からお風呂に入って公爵家の侍女さんたちに身体を磨かれた。しだいに緊張し、身体がガジガジになりながら、椅子に座ってガウン姿で軽めの朝食を摂っていると、侍女さんの一人がギルさんとヨハンナさんの来訪を告げた。
私が「いいよ」と答えると、銀のトレイにワイングラスを載せたのを持ったギルさんと正装したヨハンナさんが部屋へ入って来た。
ギルさんはまだ着替えてなくて白いシャツに黒のトラウザーズ姿、ヨハンナさんは公爵家が用意した水色のドレスに同色でレースの飾りがついた帽子を被っている。妊婦のヨハンナさんだけど、まだお腹は目立っていなかった。
「おはよう、マリーさん」
「結婚式前に花婿が花嫁に会っては駄目だって、言ったんだけどねえ。若様ったら、ウエディングドレスを着る前ならいいだろうって。まったく、もう。誰に影響されたのか、内気だった若様が大胆になったもんだ」
ヨハンナさんは渋い顔をしている。
「マリーさんが緊張しているかと思って、これを持ってきたんだ」
ヨハンナさんの話を聞き流したギルさんは、にこにこしてワイングラスを差し出した。グラスには、一センチほど金色の液体が入っている。
「ミードって言って、ワインより古くから作られていた蜂蜜のお酒なんだ。こっちでは、滋養強壮効果もあるから、貴族なら初めての夜に。庶民なら披露宴で、花婿花嫁が互いに飲ませ合うんだよ」
「へええ」
と、受け取った私は、こくりとそれをひと口含んだ。
まさに蜂蜜。それでいてお酒。甘くて、おいしい。飲みやすい。すごく!
前の世界でも名前は知っていたけれど、手近に売ってなくて飲んだことはなかった。
「おいしい、すごい。もっと飲みたい!」
こくこく、と三口ですべて飲んでから、私は空のグラスをギルさんへ突き出した。
「気に入ってもらえて、良かった。じゃ、これを楽しみに、今日一日を乗り切ろう。お互いに」
「わかった。楽しみにしてる!」
ギルさんは微笑むと、グラスとトレイを持って部屋を出て行った。
「若様、マリーの扱いをよくわかってるじゃない」
その後ろ姿を見送ったヨハンナさんが呆れている。
一方で私の頭の中は、ミードでいっぱいだ。
ミード、ミード、ミード、ミード♪♪
「さあ、がんばるぞー」
立ち上がった私は、侍女さんたちを急き立てた。
嫌いなコルセットをつけるのもなんのその。繊細なレースをたっぷり使った豪華なドレスに着られていようが気にしない。ヘルミーネ様からいただいたルビーの指輪を左の中指につけ、ギルさんに買ってもらった真珠のネックレスをし、右手首には青いリボンを結んで、白いカメリアの造花をつけた。ウエディングベールを被り、その上へ、ヨハンナさんがダイヤモンドのいっぱいついたティアラを載せてくれたときも、心の中でミードのことがぐるぐる回る。
ダークグレーのタキシードを着たジャン親方が迎えに来て、入れ替わるようにヨハンナさんが侍従さんの案内で親族席へ去っていっても、心の中はルンルンだ。
お城のプライベートスペースから出て、すぐ近くに礼拝所はある。侍従さんの先導で、ジャン親方の腕を掴んだ私がしずしずと歩き、衛兵によって左右に開けられた大きな扉を潜り、中へ入った。
入口近くには、白いタキシード姿のギルさんが立っていた。すてき! 私の王子様。
彼の脇には、結婚指輪を載せたリングピローを捧げ持った白いタキシード姿のマオちゃん。かわいい!
ジャン親方が私を花婿のギルさんへ渡し、安堵の息を吐いた。緊張してたんだろうね。
マオちゃんの先導で、ギルさんと腕を組んだ私はバージンロードを歩く。女神様の像の前に祭壇があり、そこの中央にはライアル公国の神官長のおじいちゃん。横にフラワーガールのエリスちゃんとエスコートのルイくんがいる。両脇の花婿側には付添人の三人がライトグレイのタキシード姿で、花嫁側には付添人の女の子三人がピンクのふわりとしたドレスに頭には花冠を載せて並んでいた。
バージンロードの両脇には、招待客と親族が椅子に座っている。その中に、魔族たちとルドの姿もあった。
私たちはまず、祭壇前で婚姻誓約書にサインをした。そして前に進み、公国の神官長が問う言葉に答え、誓いをし、マオちゃんの持つリングピローから取り上げた指輪を互いにはめ、誓いのキスをした。ファーストキスよ、私の。
一瞬、ふわっと意識が飛んだけど、すぐに我に返った。まだ儀式の際中だ。
場内から、わあっと歓声が上がり、付添人のギルさんの幼馴染と村の女の子たちが拍手している。
それから私はエリスちゃんから花束を受け取り、ギルさんと手を携えて礼拝所を出て行った。そこには馬車が用意してあり、侍従さんたちの手を借りて二人で乗り込む。屋根がなかったけれど、魔法がかかっているのか、中は温かかった。
馬車が動き出し、付添人たちが後続の馬車二台に乗り込むと、車列が動き出す。
近衛兵に周囲を守られて城外に出れば、ここからギルさんと私は笑みを顔に貼り付け、沿道の人たちにお手振りよ。
え? 緊張? ミードのためなら、どうってことないわ。
お城からほど近いライアル公国の中央神殿に着いて付添人たちと共に、副神官長の先導で女神様の像を拝む。
そのとき、「あれ?」と思った。
「女神様って、こんなお顔をしていたっけ」
最初のひどい結婚式のときの女神像は、美人でもかわいい系だったけど、この像は美人で凛々しくかっこいい。
「ゾフィー様は、最初からこのお顔だよ」
ギルさんが小声で教えてくれた。
そうだっけ? と疑問を持ちながら像を拝み、外へ出ると花束を集まっていた女の子たちの中へ投げ、また付添人たちと一緒にそれぞれの馬車に乗り込んでパレードが始まった。
そのとき、声が聞こえた。
〝迷惑をかけて、済まなかった〟
声が終わると、白い物が渦を巻きながら降ってくる。
「風花かな」
ギルさんが言った。
「違う……桜の花びら」
桜吹雪だった。でもこの世界に、桜はない。
「女神様の祝福かなあ」
ギルさんに答えながら、私の頬に涙が伝う。
このとき、一気に幼い時からの家族との思い出が蘇ってきた。生まれたばかりの妹を迎えたとき。幼稚園のとき。家族みんなで潮干狩り、海水浴、動物園などへ行ったこと。お母さんに叱られたこと。妹との喧嘩と仲直り。小学校、中学・高校・大学の友達。就活、そして社会人となって一人暮らしして、仕事する日々。
……おとうさん、おかあさん、朝子。私、幸せになるから。
心の中で、もう二度と会えない両親と妹に私は語りかけた。
桜吹雪を見て、つい望郷の思いにとらわれたけど、ギルさんのいるところが私の居場所だと知っている。けれども涙はすぐには止まらず、ハンカチをくれたギルさんは私に寄り添って、背中を撫でてくれた。
沿道からは、泣いている花嫁とそれを慰める花婿に、祝福と冷やかしと励ましの声が掛けられたのだった。