女神様との飲み会
結婚証明書が発行されないってことで、ギルさんとの結婚式がだめになったことを、私はベルゼに通信機で報せることにした。マオちゃんに残念な結果を伝えるために今、私は農園に帰って来て深夜にヨハンナさんの食堂にいる。
ギルさんは早々に自分の部屋へ引きこもってしまった。やっぱりショックなんだろう。
まったく、やってらんないわよ。この世界の女神様って、『リア充爆発しろ』のヒトなの?
ここんとこ、ずっと適量を心がけてきた。『お酒は楽しく飲む』ってのがポリシーの私。これから初やけ酒だ。
人けのないヨハンナさんの食堂で、棚からワインを手始めにエール、ブランデー、ウイスキー、ジン、ラム酒、大吟醸と、お酒の瓶を取り出して、テーブルにずらりと並べた。
お酒って、ざっくり言うと、三つに分けられる。果汁などをアルコール発酵させた『醸造酒』、ワイン、清酒、ビールなんかね。それを蒸留させてアルコール度数上げたものを『蒸留酒』、ウイスキー、ブランデー、ウオッカ、ジン、ラム酒、テキーラ、焼酎・泡盛なんかがこれ。これらに果汁や香料なんかを添加したものを『混成酒』といって、リキュールや味醂がそれ。
はい、そうなんです。マリコさんはワイナリーツアーや蔵元の試飲会に参加して、楽しく飲みながらお勉強いたしました!
しかしこの世界、何故かリキュールがないんだよね。飲みたければ自分で作るしかない。よし今度、果物が手に入ったら、果実酒を作ろう。春ならベリー系かな。
それにね。バーがなくてバーテンダーもいないので、カクテルが作れない、飲めない。そうそう、テキーラもない。カクテルのベースとなるのは、蒸留酒のジン・ラム酒・ウオッカ・テキーラの四つなんだけど、全部そろってないから前の世界のような種類は望めないし、混ぜるリキュールやライムなどの材料もないから、たとえバーテンダーがいてもカクテルは作れないだろうな。ざんねーん!
「さて、ど・れ・に・し・よ・う・か・な」
と、並べた醸造酒と蒸留酒の瓶を指さして、飲むものを選ぶ。
「やっぱ、一番は大吟醸よね♡」
酒瓶を傾けて、ワイングラスに注ぎ、ひと口含んだ。おいしーい。
グラスを傾けながらベルゼに連絡を取り、ことの次第を話した。
「せっかくマオちゃんが来てくれるっていうのに、こんな結果になって、ごめんねえ」
私が謝ると、ベルゼが「ふむ」と考え込む。
「女神に会わせてやれないこともない」
「ほんと? だったら、会わせて。直接、結婚式を駄目にした理由を聞きたい」
このとき私は、ちょっと酔っていたのかもしれない。だって、ただの人間が女神様に会えるわけないもの。でも、ベルゼが言う。
「あるじ様のお力を借りる。しばし待て」
通信が切れて、私は待っている間に大吟醸を一本、次にエール、ギルさんの作ったワインの瓶をカラにし、ナッツをつまみにヘルミーネ様が贈ってくれたブランデーに口をつけたところで、目の前が真っ白になった。
(飲み過ぎて、寝ちゃったかー)
足元に白いスモークがふわふわしている。これ、夢の中よね。
「マリーよ。あるじ様のお力を借りて、わしが連れて来た。あれがこの世界の女神だ」
角男姿のベルゼが私の横に立ち、言った。私はというと、飲んでたときの格好、ワンピースにカーディガンを羽織った部屋義姿だ。
で、ベルゼが指示した向こうには、後光を背負ってギリシャ彫刻みたいな体形の金髪美人さんが立っていた。
「魔王まで動かして、わたくしに用とは何か。小娘」
偉そうである。ま、神さまだし?
でも私は猛烈に腹が立った。人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られるんだぞ。
「カミサマに物理って、効くかな」
「やってみないと、わからん」
私の独り言に、ベルゼが答えた。
私は女神様に近寄っていき、その前でひざまずいた。
「神託で、私とギルさん……ギルバードさんの結婚がまかりならぬとおっしゃったのは、どうしてでしょうか」
「神に対して口の利き方がなっておらぬ娘じゃの。神託? ああ、あれか。魔族と親しくしているヒト族など、わたくしが保護する者に相応しくない。夫婦となることなぞ、許さん。それだけじゃ」
「魔族……マオちゃんと仲良くしただけで?」
「そうであろう。魔王と魔族は滅びるべき者どもであるから」
「なんでよ! 魔族とヒトは平和協定を結んだのよ。女神様がそんなじゃ、また険悪になっちゃうじゃない。戦争になったら、どうするのよ」
「下界の事情など知らぬ。魔族は殲滅すべきである」
ムカッとした。何でも殺せばいいってもんじゃないでしょーっ。
「諍いを誘導するような奴は、神さまじゃない。悪魔よ!」
私は立ち上がって女神の胸元を両手でつかみ、足払いをかけ、相手がすっころんだところで唯一知っている関節技、腕ひしぎ十字固めを掛けた。
「痛い! いたい、いたい、いたい! やめてよお。アンタ、ほんとにニンゲンなの? はなしてーっ」
澄ました態度が崩れ、女神の尊厳なぞなくして、そこにいるのは足をバタバタさせているただの女である。
「あんたがこの世界へ呼んだんでしょ。私は、聖女のオマケの河原真理子よ!」
「知らない!」
「なんて無責任。私はあんたの玩具じゃないのよ。人生、めちゃくちゃにしないで。結婚がダメっていう神託、取り消しなさいよ。早く!」
さらに締め上げると、女神は悲鳴を上げ続けた。
「わ、わかった。神託は取り消すから、放して!」
「ホント?」
私がベルゼを見ると、ベルゼは遠くを見てから頷いた。
「中央神殿に『ギルバード・ライアルとマリーの結婚を許可する』という神託が下されたようだ」
それを聞いて私は技を解き、立ち上がった。
女神もよろよろと動き出す。
「駄女神よ、このヒト族の正体が分からぬか?」
ベルゼが半身を起こした女神に問いかけた。
「まさか……」
はっとした女神が私をまじまじと見てから、涙を流した。
「うわーん!」
「え? ど、どうしたの」
突然、子どもみたいに泣き出した女神に、私はびっくりだ。
「わたくし、左遷されるのよう。通達が来たとき、半信半疑だったけど」
「左遷? 神さまの世界って、会社組織みたいね。どうなってるの?」
ぎゃん泣きしている女神をもてあまし、私はベルゼに目を向けた。
「お酒は百薬の長、コミュニケーションツールとも言うし、詳しい話を聞くために、どっかいい場所ないかなー。おしゃれなバーとか、居酒屋とか?」
「おまえが飲みたいだけだろう」
えへへと笑った私に呆れたベルゼだけど、「思い描いて見ろ」と言うので、一度だけ会社の先輩(女性)に連れて行ってもらったバーを思い起こした。カクテルの気分なのよ。こっちの世界では飲めないし。
私は飲むと寝てしまうし、ときに記憶が飛んでいる自覚があるから、家飲み派だ。誘われて外で飲むときは、どんなにおいしくてもセーブして、適量を守り、記憶をなくすほど飲んだりしない。でも、ここは夢の中、おいしいカクテルをどれだけ飲んでもいいんじゃなーい? うふふふふ。
鼻歌が出そうな気分でいたところ、ベルゼは私が思ったとおりのレトロな雰囲気のバーをそこに出現させた。顔がよく見えないけれど、バーテンダーさんがいる。ベルゼはボルサリーノを被り、ピンストライプのスーツを着たイケオジとなって少し離れたところのスツールに腰かけ、血のように赤いブラッディ・マリーを飲んでいた。
「とりあえず、何か頼まない?」
床に座り込んでいた駄女神の腕を持って引っ張り上げ、私たちもスツールに腰かけた。
駄女神の前にフルーツと花がグラスに飾られたチチという白いカクテルが置かれる。それをちびちびと飲みながら、駄女神が愚痴る。
「生きていたときの行いが良かったのか、人間から女神に転生できたのよ。そして見習い期間を終えて、担当したこの世界を初めからつくることになったの。嬉しかったわー。わたくしの理想の世界が創れるって思って。ところが、いざ任地に来てみれば、そいつらの元がいたの」
駄女神は、ベルゼを睨んだ。
「どういうこと?」
訊きながら、私はカクテルの王様・マティーニを頼んだ。爽やかな苦みがあるジンベースのカクテルだ。
「なんにもないはずのこの世界に、小さな命が芽生えていたの。わたくしに関わりなく。わたくしは排除しようとしたけれど、親玉はわたくしと同等かそれ以上の力を持っていて、排除できなかった。それらの子分は増えていき、わたくしは魔族と呼んだ。わたくしの愛し子たちも当然、敵視したわ。でも、やつらはしぶとくて、わたくしは他の世界から魔族に対抗できる者たちを呼び出すよう愛し子たちを誘導し、消滅させることにした。それが勇者や聖女と呼ばれる者たち。多いときは一度に何十人も呼んだわね。トータルだと数百人かしら。一緒についてきてしまった人間も入れると」
「数百人!」
お代わりのマルガリータを私は噴き出すところだった。テキーラベースにオレンジ風味のリキュールとライムジュースが入った爽やかな味のやつね。
「そんなにも大勢呼んだから、この世界に見慣れたものがあるのかあ」
ちょっと呆れた。召喚者がいっぱいだ。彼らを使って歴代魔王を何人、殺したの?
「でも、ぜんっぜん、滅びないのよ、魔族。どうしてぇ~~」
知らんがな。と、私は次のカクテル、ブルーハワイを頼んだ。これの次は、駄女神と同じ甘いチチにしよう。
「で、召喚のやり過ぎがばれて、左遷の通知が来たの。また下っ端からやり直しよ」
くすん、と湿っぽく駄女神はカクテルを飲んでいる。
「変なの。なーんで、あんたはそんなに魔族を目の敵にするかなあ。最初から、そこにいたんでしょ? その子たちを含めての世界を作れば良かったのに。神さまって、慈愛深いもんじゃないの?」
「アンタに、何が分かるのよ! 理想郷を創ろうとしたら、邪魔ものがいたのよ。排除するのは、当たり前じゃない」
鼻水をすすっていた駄女神が、いきなり私に嚙みついて来た。
八百万の神さまがいて、『神さまと仏様はおんなじ』なんて言っていた時代もある日本生まれの私には、わかんない感覚だなー。『和をもって貴しとなす』って言葉もあるんだけど?
「自分がしたことを分かっておらぬのは、おまえではないのか? 女神ジェーチよ」
私が答える前に、ベルゼが口をはさんだ。
「マリーが何者か、知っていてその態度か。何故、ヒト族や魔族の測定器に聖女として感知されなかったか。それでいて、我らの魔力を浴びても平然としていられたのか、そして、ただのヒト族が女神たるおまえに触れられる上に、格闘できるのは、どうしてなのであろうな」
立ち上がったベルゼは、ヒトから魔族としての姿に変わってやってき、私の横に立っていた。
「マリーは聖女ではない。この世界の女神の後継者として、ここに呼ばれた魂だ。しかし、それを分かっていながら捻じ曲げて下界に落としたな、きさま」
「な、なによ。言いがかりつけないで」
駄女神は視線をそらしたけれど、その挙動不審な態度から見ると、図星だったようだ。
「はい、ギルティ。終わっちゃったねえ、ジェーチ」
突然、カウンターの向こうにいたバーテンダーさんが言った。よく見ると、凛々しい女性だ。
バーテンダーさんは私の空になったグラスの横に、チチを置いた。甘いのが続いたから、次はソルティドッグがいいな。グラスの縁に塩がのってるやつ。
私がご機嫌でカクテルを飲んでいる横で、駄女神とバーテンダーさんとベルゼが話している。
「ゾフィー……様。なぜ、ここに?」
ぼう然と駄女神が問う。
「査察だ。ジェーチ、残念だよ。君は一人前に育ったと思ったのだがな。神の本分と独善の違いが分からぬとは。主神様のお言葉だ。『ミジンコから、やり直せ』と。私も元教育係の上司として、君を教育できなかった罰を受けるつもりだ」
「ひいい、ごめんなさい。ごめんなさい。転生をやり直すのは、イヤーッ。許して……」
と、駄女神がスツールから降りて土下座をした、と思ったら、姿を消してしまった。
「ど、どうしたんですか?」
そのときになって、私は初めてバーテンダーさんとベルゼに目を向けた。
「河原真理子殿、元部下が迷惑をかけた。申し訳ない」
と、バーテンダーさんが頭を下げる。
「ついては、当初の予定通り、あなたにこの世界の神になって欲しいのだが。指導や補佐は私がする」
そう言われたとき、もう私は完全に酔っていた。夢の中だってのに。そして、言われた言葉の意味を理解できないまま答えた。
「むりでーす。わたしは、ギルさんとけっこんするんでーす」
それを聞いたベルゼとバーテンダーさん、二人で呆れかえっていた。
「これは駄目だ。わかっとらん。あとにしたらどうだ?」
「そのようだな。代理は私がしばらくしよう。ヒトの寿命など、すぐに尽きる」
「なにおうっ。ギルさんとは、永遠の愛を誓うんだもん」
「はいはい。これを飲んで酔いを醒ませ」
と、バーテンダーさんが私の前にお冷を置いた。
「マリーだったら、魔族とヒト族をどうやって仲良くさせる?」
ベルゼが訊く。
「宴会しよう。おいしい料理を食べてお酒飲んで、どんちゃん騒ごう。歌って踊って、お互いに、『ごめんね』して、『ありがとう』しよう」
「ああ。おまえなら、そう言うと思った」
ベルゼの笑い声が聞こえ、私の意識はふっ飛んだ。