宮城で
魔族たちとの関係を話し終えたら、ヘルミーネ様はからからと笑った。
「うちの嫁となるに、ふさわしい娘じゃの!」
と、上機嫌で部屋を出て行った。
「すごく気に入られたね」
心配そうに見守っていたギルさんが、愁眉を開いた。
そうなの? だったら、いいな。
「今の騒ぎで寝れる?」
と訊くギルさん。
「すぐには無理かも」
答えたら廊下に姿を消し、戻ってきたときには手にナッツの入った袋とグラスが二つとワインの瓶。
「これ、当たり年のなんだ」
それから二人で、満月を見ながら酒盛りをした。
こんなことをしている間に、宮城へ行く日がやってきた。早朝からの準備、軽食をつまみながらのドレスの着つけのあと、玄関ホールへ行くと、ギルさんが待っていた。
金糸で刺繍されたクリーム色のジュストコール、首元にクラヴァットをして貴族の正装姿のギルさんは、王子様――再度言うけど、ほんまもんの王子様だった。
私はギルさんの瞳の色、青のローブ、下に着ているコットには複雑な刺繍が金糸で為されていた。髪は結い上げ、宝石付きの髪飾りをつけている。
ライアル公国では、公式の場では動きやすい十九世紀風のドレスだったけど、帝国の宮廷衣装は伝統を重んじ、バロック風なんですと。私には衣装のこと、よく分かんなかったけど、どっちの様式もコルセットをつけるので、なんとかしてほしい、と思った。これでは、ごはんが食べられない。宮中の料理とお酒、楽しみにしてるのに。
私たちが待っていると、公爵夫妻と先代様ご夫婦もやってきた。そして馬車三台に分乗して宮城へ出発。従僕と侍女の乗る馬車もそれに続き、護衛騎士たちが騎乗して並走するので、まるで大名行列だなあ、と思った。ま、二度とない経験だろうけど。
帝都の市街を馬車で通り抜け、宮城の大きな門を入り、次に門を二つ潜ってから馬車から降り、出迎えの侍従の先導で、てくてくてくてく豪華な宮殿内を歩いて、足が疲れたところで大広間に入った。
貴族のお姫様って、重い衣装を着て、こんなに宮殿内を歩くんだ。体力いるよねえ、と変に感心していたら、何故か最前列に通された。玉座に一番近いところに先代様夫妻、次に公爵夫妻、その次にギルさんと私。周囲は、きらきらの衣装を身に着けた、いかにも高位貴族と分かる人たちばかりだ。そんな中、最前列に若造は私たち二人だけ。
「なんで?」と目線で、ギルさんに訊けば、「さあ?」とギルさんも分かっていなかった。
向こう側には、帝国に属する国の王と王妃たちが並んでいる。私が召喚されたラーデン王国の王様もいるみたいだけど、会ったことがないので分からない。
大広間が貴族たちでいっぱいになり、玉座の前に侍従たちが豪華な装飾のテーブルを置いた。
黒いローブを着た魔術師がそのテーブルに紙とインクやペンを置いて近くに立つ。
二十人ほどの魔術師たちが入って来てテーブルの周囲に待機し、広間の中央を皇帝と皇后がしずしずと歩いてやってきた。皇帝は髭の生えたイケオジで、皇后は穏やかそうな美人だ。二人が玉座の前に立って、こちらを向いた。
「時間です」
魔術師の一人が厳かに告げる。ルドだった。
すると、大広間中央の空間が歪み、ブラックホールが出来て、そこから黒い霧をまとった魔族たちがぞくぞくと現れた。
大広間では、「あれが魔族」とか、「ああ、神よ」とか、怯えたつぶやきが上がり、声にもならない溜め息が聞こえて、ばたり、ぱたりとご婦人方が倒れる音がした。なるべく音を立てないように、その人たちは騎士たちによって運び出されていく。
怖かったら、来なけりゃいいのに。
黒い霧が晴れ、魔族たちの姿がはっきりと見えた。
中央に三メートル近い巨大な魔族がいる。顔はごつくて、絵本や言い伝えの通りの魔王の姿をしていた。周囲にいるのは、ベルゼ、イブリース、アンゲルス、モルス。そして、恐ろしい顔をした眷属たちが取り囲んでいる。みんな衣装の色は黒。マントを翻し、肩には三角コーンみたいな角を生やして、ジャラジャラと鎖や金属板の装身具をつけていた。
まるで、戦隊もののヴィラン。
もっと靴先を尖らせなよ。バックルは銀の髑髏なんかがいいんじゃない? アイシャドーは濃くしてさ。
とか面白がって私は見ていたけど、皇帝の顔は引きつっているし、皇后はいまにも倒れそう。他の人たちも蒼白だ。
平気な顔をしているのは、先代公爵様とヘルミーネ様、ギルさんとルドくらい。
ふむ。マオちゃんは、あれか。でっかい魔王。よく化けたよね。偉い!
私が親戚の子の成長を目の当たりにしたオバサンのように感慨深げに眺めていると、魔族の連中がこちらに目を向けた。
魔王とベルゼの顔色は変わらなかったけど、みんな私を見て怯えている。
「あれが、四天王第一のベルゼ様をぶん殴り、第四の魅惑のイブリース様を食べようとした聖女か」
え?
「怪力のモルス将軍を片手で吹っ飛ばしたヒト族」
あれは、マオちゃんがやったのよ。
「魔力では四天王第二の賢者アンゲルス様に、大やけどを負わせた狂暴な聖女」
違うくて。
「聖女マリーは、魔族が好物だそうな。みんな、食われないよう気をつけろ」
ちがーう。風評被害だああああっ。
誰よ、こんな悪評をまきちらしたのは!
そのとき、イブリースが目を逸らした。
アンタかっ! やっぱ、グーで殴っときゃよかった。
私が魔族たちの中心近くにいるイブリースを睨みつけると、ビリビリと魔族たち全員が緊張する。
その恐ろしいほど張りつめた空気をまったく読まない厨二病男のルドが、挨拶をした。
「魔王並びに魔族の皆さまには、遠路はるばるよくおいでくださいました。ヒト族を代表し、お礼申し上げます」
誰かに、カンペを書いてもらったようだ。
その後もルドは進行係を続けた。
皇帝が誓約書にサインをし、次にひらりとそれを飛ばして目の前に寄せた魔王が、空中でサインした。
「これで、協定は成立しました。みなさん、拍手!」
書類に魔法をかけたルドが声をかけるが、誰も手を叩かなかった。
「用が済んだのなら、我らはこれで失礼する」
ベルゼが告げると、その圧で、大広間の貴族たちの半分以上が腰を抜かして床にへたり込んだ。気絶している人もいる。大広間にいる警護の騎士たちも、次々と倒れている。
「歓迎パーティーがあるんですよおお。ぜひ、参加を!」
ルドの呼びかけを無視し、魔族たちは来たときと同じように黒いスモークを発生させて、ブラックホールの中へ吸い込まれていった。
「気の短い人たちだなあ」
ルドがぶつぶつ言っている。
「ルードヴィヒ、私にそのご婦人を紹介してくれないか」
皇帝陛下直々に声をかけられた。
ルドが私を、ギルさんの婚約者でラーデン王国の召喚者だと紹介している間、私はネッテさん仕込みのカーテシーをしていた。緊張と筋トレ不足のため、足がプルプルです。
「マリーとやら、そなたを見て魔族たちが怯えていた。それに、そなたは聖女ではないとはいえ、巨大な魔力持ちと同様に魔族の圧力に当てられなかった。実に逸材である。ぜひ、我が息子・ルードヴィヒの妻となってくれまいか。二人の間に生まれる子は、さぞや魔力が高かろう。魔王に対抗できるかもしれぬ」
ルドが、しょっぱい顔をした。この縁談、父親の皇帝の思いつきみたいだ。
「お断りいたします。私には婚約者がおり、結婚間近なんです」
私はカーテシーをやめ、しゃんと立ってきっぱり断った。
偉い人って、人の言うこと聞かないのかな? ルドがさっき、再従兄弟のギルバードの婚約者って、説明しなかったか?
「いや、これは、個人の問題ではなく、世界の平和に貢献するという名誉なことなのだよ」
なおも言いつのる皇帝に、私は再度答える。
「嫌なものは、いや。ダメなものは駄目なのです」
「このっ。無礼者!」
皇帝の隣にいた宰相みたいな人が殺気立つ。
「だまらっしゃい!」
そこで、ヘルミーネ様が一喝した。
「聞いていれば、何だ。一人の女の幸せをぶち壊して、何が平和か。名誉か。まして相手は、聖女同然の召喚者であるぞ。エルトゥルストよ、そなたの父から、皇帝はいかなる存在であらねばならぬか、聞いておらなんだか。知らぬというのなら、一族に連なるわたくしが、とくと言い聞かせねばならぬよなあ」
にいい、と笑ったヘルミーネ様。こわいよ。〝青海の魔女〟の二つ名は、だてじゃない。
宰相のおじさんが押し黙り、ぎぎぎと首を回して振り返った皇帝の顔色は蒼白だ。
「叔母上、そんなつもりは……」
「マリーは、我が孫の妻となる者。おべっか使いどもに囲まれて、権力バカになったか。性根を叩き直さねばならん」
と、ヘルミーネ様は皇帝の襟首を掴んで、大広間を出て行く。
皇后が、ふらりとよろめいたので、魔族の圧に耐えた女騎士が支えて出て行った。
「ヘルミーネは幾つになっても、りりしく美しいな」
先代様はにこにこして動じてなかったけれど、公爵夫妻とギルさんは困り顔だ。
周囲は、床に倒れてうめいている王族・貴族、大広間の外から来て、それを介抱している侍従や騎士たち。ほぼ野戦病院と化している。
もう、ぐだぐだ。
「こりゃ、パーティーどころじゃないな」
ルドがぼそっとつぶいた。
ええっ、なくなるの? 料理とお酒を楽しみにしてたのに!