第41話 ヴィクトリアの戦い 2/4
「勘違いしないで欲しいのだが、私は医者としての仕事はちゃんと真面目にやっているよ? 私ほど大勢を救った医者はいないだろう」
「呪いで病人を増やし、治療する……それで救ったと言えますの?」
「ああ、違う、違うんだ。呪いを生みたくて殺したんじゃない。それは目的じゃないんだ。殺したいから殺したんだ。芸術的に殺したかったんだ。他意はない。信じてくれ」
ロバートは頭を掻きむしりながら呟く。
「どこから話そうかな……私の父親は医者だったんだ。そして私はその跡を継ぐことを期待されて育てられた。だからね、人の命は救うものだと刷り込まれている。命を奪うだなんて、恐ろしいことだ。そう思っているのに……」
ロバートは顔を上げ、闇で濁った瞳をヴィクトリアに向けた。
「思えば思うほど、その恐ろしいことをしてみたくてたまらくなったんだ。どんなに抑え込んでも、殺人衝動が溢れ出してくる。不思議な話だよ。私の両親はまもともな人だったし、虐待の類いはなかった。実に大切に育てられたという自覚がある。私が歪む要素はなかった……なのに殺したくてたまらない! そしてあるとき、本当に殺してしまった。ああ、大変だ。私は私をどうやったら許してやれるんだろう? 必死に考えたよ。そして答えが出た。一人殺したら、千人救うって。そう決めたら、心が楽になった! だって私が一人殺せば、千人が救われるんだよ? 私は立派な医者のままでいられる。吸血鬼になったおかげで、それを永遠に続けられるんだ。私は人の役に立っている!」
「ゲスの考えですわ。あなたがあなたを許しているだけで、殺された人は決して許しませんわ。けれど……あなたがどんなゲスであろうと、決まりなので一応、勧告いたします。夜戒機関に入り、その理念に従うのであれば、過去の罪を忘れましょう。二度と過ちを犯さないと誓うのであれば、夜戒機関があなたを守りましょう」
「くくく……断る! 私は人を殺さないと生きていけないんだよ!」
「そうですの。ならば死になさい!」
ヴィクトリアは抜刀する。手加減抜きの一撃。
ロバートは反応を見せ、腕を魔力で覆って防御しようとする。が、そんなものは関係ない。防御ごと真っ二つにする。そのつもりだったのに、ヴィクトリアの目論見通りにならなかった。
もう百年近く使っている愛刀が、折れたのだ。
確かにロバートは腕を魔法でシールドしているが、ヴィクトリアの技はその程度で揺らいだりはしない。魔法ごと斬れるはず。
なのに、なぜ……ああ、そうだ。アキトとミズハと戦ったとき、強烈な一撃を刀で受けた。あのときのダメージのせいだ。それに気づけなかったとは不覚。
「折れたね……そして思い出したよ。夜戒機関のヴィクトリア……銀閃のヴィクトリア! 最も多くの吸血鬼を殺したといわれる吸血鬼! そんな恐ろしい剣士の一撃に私は耐えたのか! ははは、私はなかなか強いな! 君の刀は、吸血鬼殺しに特化した術式が刻まれていると聞いたぞ! それさえ私には効かなかった……くはははは! つまり君には私を殺す手段がないということ――」
ヴィクトリアは拳をロバートの顔面に叩きつけ、頭蓋骨を陥没させ、その口を塞いでやった。
ロバートは血を撒き散らしながらテントの壁を突き破って転がっていく。
「……ああ、まったく……素手で殴るなんて、はしたないから嫌でしたのに」
「な、なんだ、この重い一撃は……君は剣士じゃないのか……? 君の斬撃を防げたのに、なぜ拳を防げない……!」
「お馬鹿さんですわね。先程あなたの防御が成功したのは、わたくしの刀にダメージがあったから。決してあなた自身の力ではありませんわ。そして剣士が武器を捨てたからって、動体視力や体力が落ちるわけではありません。わたくし、素手でもそこそこ強いですわよ?」
「ぐっ……それがどうしたと言うんだ? 見ろ、もう私は再生を終えたぞ。吸血鬼の殺しにくさは熟知しているだろうっ?」
「そう。殺しにくいだけですわ。どれほど強大な吸血鬼であろうと、破壊し続ければ、いつかは再生限界を超える。あなたは大量の血を吸ったばかりで力が余っているようですが、その程度を削りきるなんて、これまで百回は経験済みですわよ」
ロバートが起き上がる前に、その頭部に足を振り下ろす。
トマトを潰すように容易く弾ける。
そして、誰かの悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああっ、ロバートせんせぇぇぇぇっ!」
ここは町の中の公園。
夕暮れとはいえ、まだ日は沈みきっていない。なら公園に人がいても、まるで不思議ではない。
通りすがりの男と女、そして五歳くらいの子供。その視線を受けながらも、ヴィクトリアは少しも動揺しなかった。
こういうのは慣れている。
「た、助けてくれ……この女は吸血鬼なんだ! 冒険者ギルドに、いや教団に通報してくれ!」
「吸血鬼だって!? た、大変だ、早くしないとロバート先生が殺されてしまう!」
「待って、あなた……ロバート先生……頭、潰されたのに、なんでもとに戻ってるの……なんで普通に喋ってるの……?」
人間の振りをしていた吸血鬼を町中で狩れば、こうして動揺が広がる。
しかし、そいつが吸血鬼だと証明するのは容易いのだ。
なかなか死なないから。
「あなたがた。下がっていなさい。ロバートは吸血鬼でしたのよ。そして、わたくしも吸血鬼。これは化物同士の戦い。さあ、子供を連れて、お逃げなさい」
誰に見られようと、ヴィクトリアは攻撃をやめない。とはいえ、子供に見せたいものでもない。
父と母は青ざめ、言葉を失い、それでも硬直する我が子の手を引いて公園から去ろうとする。
その背を横目で見送りながら、再度、ロバートの頭に足を叩きつける。
すると、爆ぜた。
頭部だけでなく、胴体も。
ロバートの体は無数の細かい肉片となって公園全体に飛び散った。
「え」
こうなるほどの衝撃を与えた覚えはない。
ヴィクトリアがやったのではないから、ロバートが自分でやったのだろう。
なぜかは分からない。だが危険だ。
距離を取るべき――。
反射的に飛び退こうとして、しかし真横から飛びかかってきた何者かに押し倒れた。
それはオオカミだった。
そんなものは公園にいなかった。近づいてきた気配もなかった。いきなり出現したのだ。
ヴィクトリアはオオカミの腹に貫手を差し込む。温かい肉の感触。だが臓器の類いがない。肉がオオカミの形になって動いているだけの物体だ。
「ロバート。あなた体の一部をオオカミに変える能力を持っていますのね!?」
オオカミを地面に叩きつけて破壊。
すると肉は形を失い、ドロドロになる。そして這うようにして移動し、他の肉片と集合し、ロバートの姿を取り戻していく。
「その通りだ。奥の手というやつだよ。手の内を明かしたくないのだが、そうも言っていられないらしい」
彼は緊張を帯びた表情だった。
奥の手を出して、それでも通用しなかったらあとがない。だから緊張するのは当然だ。
しかし彼の窮地は、そういう経緯を知らずとも、一見して分かるくらい視覚化されていた。
手足がないのだ。首と胴体だけ。それを支えているのは、地面から伸びた細い枝のような肉の管。
ロバート本体を構成しているパーツは、それだけ。
満身創痍もいいところ。緊張して当然。
だがヴィクトリアにも余裕がなかった。
なぜならロバートの肉の残りは――。




