第40話 ヴィクトリアの戦い 1/4
空が赤く染まった頃。ヴィクトリアは町の公園に立っていた。
目の前にテントが建っている。草原の遊牧民が使うような、大がかりなテントだ。
薬品の匂い。それから血の匂い。
「ロバート・ハーマン。いらっしゃいますか?」
「いるよ。しかし今日はもう終わりだ。急患なら診るけどね……おや?」
テントの中にいたのは、三十代後半くらいの白衣を着た、中肉中背の男性。
とても人がよさそうな笑みで現われ、それからヴィクトリアを見てから目を丸くする。
「君も吸血鬼、かな?」
「ええ。わたくしはヴィクトリア。あなたと同じく、吸血鬼ですわ」
吸血鬼は気配で同族を嗅ぎ分ける。
ロバート・ハーマンが吸血鬼なのは、一目見ただけで確定だった。
「吸血鬼が病院になんの用かな? あいにく私は人間用の治療しかできないよ?」
「百年も昔から活動しているドクター・ロバートが何者なのか、確かめに来たのですわ。そして今は、世間話をしたい気分ですわね」
「そうか、世間話か。同族に会うなんて、いつ以来かな。私としても歓迎だ。さあ、座ってくれ。紅茶とコーヒー、どちらにする?」
ヴィクトリアは診察室の椅子を勧められたが、立ったまま話を続けることにした。
「今欲しいのは、輸血用の血ですわね」
探りを入れるため、血の話題を持ち出す。
「……あいにく、私のような流浪の医者は、輸血用の血など手に入らないんだ。薬などもそう。自分で材料を集めて自作し、なんとかやりくりしている」
「大変立派ですわ。しかし、なぜこんな過酷なことをしていますの? 同じ吸血鬼として興味がありますわ」
「……昔、色々あってね。純粋に、一人でも多くの人間を救いたい。そう思うようになったんだ」
ロバートはうつむき、暗い微笑みを浮かべ、静かに言った。
昔、色々――。
具体性のない言葉だ。けれど吸血鬼なら、多くが共感する言葉だろう。後天的に吸血鬼になった者は特にそうだ。
人間として生まれ、吸血鬼になる。そんな経験をすれば、色々あるに決まっている。
ヴィクトリアも昔の色々を思い出し、感傷に浸った。
「ロバート。あなた、夜戒機関の構成員ではありませんわね?」
「夜戒機関、か。吸血鬼と他種族の共存を目指す組織だね。その口ぶりだと、君は夜戒機関なのかい?」
「ええ。夜戒機関は強い力を持った組織ですわ。あなたのために薬や血を用意できるでしょう。その血は輸血に使ってもいいし、あなたの食事にしてもよろしいですわ」
「……食事、ね」
「ええ。わたくしたちは人の血がなければ生きていけませんもの。ねえ、ロバート。あなたからは血の匂いがしますわ。それも、ごく最近に血を吸った者の匂いですわ」
「まあ……強い吸血鬼なら何年も吸わずに活動できるんだろうけど。私にはそんなの無理だからね。患者に頼んで、少しばかり吸わせてもらうことくらいあるよ」
「ロバート。わたくしを舐めないでいただけますか? あなたの気配は、吸い殺した者の気配ですわ。そして、この真下……地面の下から、おぞましい気配がしますわ。おそらく、死体が埋まっているのでしょう? それも、呪いを放つくらい残虐な殺し方をした死体が」
ヴィクトリアは指摘せざるを得ない。
このテントに入るまでは、ロバートを尊敬さえしていた。
無償で医療を行って世界を旅する。正体が何者であろうと、尊ばれる行いだ。
けれど、実際に会ったロバートは、鬼畜だった。
「くく……くくく! やはり同族には隠せないか。ああ、その通りだ。私は人を殺した。だが、吸い殺したというのは正確ではないよ。殺してからその血を全て吸ったんだ。まるで違うよ。気をつけてくれたまえ……くくくくっ!」
「どうして、そんなことをしますの?」
ロバートが浮かべた笑顔は、心底からの喜びに見えた。
殺人がバレてヤケクソになったという様子ではない。
むしろ、バレて嬉しい。ずっと誰かに告白したくてウズウズしていて、その機会がようやく訪れた――そういう笑顔に見える。




