第37話 夜戒機関のヴィクトリア
「ロゼット。知り合いなのか? その人と……」
一瞬「その子」と言いそうになって、しかし確実に俺より年上なので言葉を飲み込んだ。
だが「その人」という表現が正しいのか自信がない。
まあ、人型種族ではあるし。一人二人と数えるし。間違いではないと思う。
「うむ。見れば分かると思うが、こやつは吸血鬼じゃ。名はヴィクトリア。しかし安心しろ。夜戒機関に所属しておる。多種族との共存を目指している側の吸血鬼じゃ」
「夜戒機関のヴィクトリア……ああっ、知ってる! 銀閃のヴィクトリア! メチャクチャ強いって吸血鬼だって、真聖教団でも有名だったわ!」
夜戒機関。
それは吸血鬼によって運営される、吸血鬼の保護を目的とした組織である――という説明だと、まるで人間と敵対していそうに聞こえるが、実際は逆だ。
吸血鬼は人の血を吸って生きる種族。ゆえに人間側からすれば、討伐の対象になってしまう。
夜戒機関はそれを避けるため、吸血行為に制限を設け、他人種との平和的な共存を基本理念としている。
催眠や暴力で強引に血を吸うのは禁止。食用に人間を飼ったり繁殖させるのはもってのほか。
対等な契約のもと血を提供してもらわねば、夜戒機関の吸血鬼は吸血ができない。
窮屈な理念だ。
だが夜戒機関は真聖教団と条約を結ぶことに成功している。夜戒機関に所属した吸血鬼は、真聖教団、及び、真聖教団を国教と定めている国に狩られる心配がなくなる。
夜戒機関は真聖教団の信用を得るため、理念に従わない吸血鬼を抹殺している。その対象は、夜戒機関に所属していない吸血鬼にまで及んでいる。
そのため、その理念に反対する吸血鬼からは親の仇の如く嫌われている。いや、実際に親を殺された吸血鬼も数多いのだから、如くではない。そのものだ。
とはいえ、人間やエルフなどからすれば、夜戒機関はありがたい組織だ。吸血鬼を全滅させることの困難さを考えれば、夜戒機関と仲良くし、吸血鬼に吸血鬼を管理させたほうが楽に決まっている。
「……べ、別に、わたくし個人は共存を目指しているわけではありませんわ。夜戒機関に入っていたほうが、色々と都合がいいからそうしているだけですわ」
ヴィクトリアは、ツンとした表情を浮かべて顔をそらす。
拒絶というより、ただの照れ隠しに見える。
しかしヴィクトリアとは初対面だ。「照れ隠しだろう」と指摘するのは、さすがに勇気がいる。
「……あ。こういうの小説で読んだことあります。ツンデレって言うんですよね。ヴィクトリアさん、今の照れ隠しですね!」
ミスティよ。なにゆえに自慢げに指摘しているんだ!
俺と水羽だけでなく、ロゼットでさえギョッとした顔になっている。
「は、はあああ!? わ、わたくしには照れたり隠したりするようなことはありませんわよっ! あなた、なにを言い出しますの!」
「だって赤くなってますよ? ねえ、ボクは間違ってませんよね!?」
ミスティは俺らに視線を向け、答えをねだるように言う。
……ああ、そうか。ミスティは今まで、あまり多くの人と関わらないで長いときを過ごしてきた。
だから、超えてはいけない一線とか、踏んではいけない地雷とかが分からないのだ。
俺たちと出会った当初は、完全に他人を拒絶していた。そのため、問題が顕在化しなかった。
今は違う。
他人に頼ったり甘えたりすることを覚えた。覚えたばかりだから、初対面の相手にアクセル全開で突撃してしまう。
「な、ななななっ! なんて失礼な子ですの!」
ヴィクトリアから怒気を含んだ魔力が広がる。
ここで一戦交えねばならんのかと俺が一瞬身構えたほどだ。
「失礼……? あ、ごめんなさい……ボク、馴れ馴れしかったですか……馴れ馴れしかったですね。本当にごめんなさい……」
「え、えっと……そこまで申し訳なさそうな顔をされると、怒りの矛先に困りますわ……」
「ボク……昔は剣士を目指していたんです。だから、ヴィクトリアさんの剣技に見とれました……本当に格好よかったです! それで、仲良くなりたいと思って……でも、いきなり変でしたね……」
「か、格好よかった、ですの……? わたくしの剣が? うふ……うふふふ。あなた、いい子ですわね! 先程の言葉は確かに失礼でしたが、大目に見てあげますわ。次からは気をつけますのよ」
「許してくれるんですか! ありがとうございます! あの……もしよかったら、少しでいいので、剣を教えてくれませんか……?」
「うふふ。そういう風に下手に出られると、悪い気はしませんわね。ですが、まずは血晶石の回収が先ですわ」
そう言ってヴィクトリアは、己が斬った吸血鬼へ視線を向ける。
首と胴体が離れている。普通の人間だったら、確かめるまでもなく確実に死んでいる。
だが吸血鬼の不死性は高い。頭部や心臓を潰しても生きている場合があるし、なんなら全身が灰になるまで燃やしても再生してしまう奴もいるらしい。
ならば、吸血鬼の死亡確認はどうやってするのか?
ヴィクトリアが口にした、血晶石というのがその答えである。
吸血鬼が死ぬと、その肉体は幻のように消えてしまう。その代わり、死体があった場所には、血のように赤い宝石が残る。
それが血晶石だ。
血晶石が出現すれば、その吸血鬼は確実に死んでいるのだ。
ヴィクトリアは、ビー玉ほどの血晶石を拾い上げた。そして口に放り込み、ごくりと飲み込む。
「……やはり雑魚の力をいくら吸収しても、強くなったという実感はありませんわね」
肩をすくめながら呟く。
吸血鬼は、人の血を吸うことで少しずつ力を増していく。そして、ほかの吸血鬼の血晶石を食うことで一気に力を増す。
しかしヴィクトリアはすでに相当の力をつけているのか、さっきの吸血鬼程度では、なんの足しにもならなかったようだ。
俺は妙な共感を覚えた。
近頃、盗賊の魂を吸収しても魔力の伸びを実感できなくなっていたからだ。
チリも積もれば山となるというが、やはりチリより大岩を積み上げるほうが手っ取り早い。
「ヴィクトリアよ。殺す前に警告するのが夜戒機関の決まりではないのか? いきなり出てきて首をはねおって」
「警告はロゼットがしたでしょう? 夜戒機関に下る意思がないと確認できたのですから、わたくしが改めて警告する必要はありませんわ」
「やれやれ。それで自分はお尋ね者を始末した実績と、血晶石を手にするのか。美味しいところだけ持って行きおって」
「うふふ。ロゼットとその仲間たちの協力のおかげだと、夜戒機関には報告しておきますわ」
ロゼットの苦笑に対し、ヴィクトリアは悪びれずに笑い返す。
やはり仲がよさそうだ。
ということは俺たちも、このヴィクトリアという吸血鬼と仲良くできるということだ。
「さて。桃色髪のあなた……」
「ミスティです」
「ミスティ。剣を教えて差し上げますわ。けれど、グールの死骸が転がっている場所では気が乗りませんわね」
「それならワシらの城に来ればよかろう。庭は広いし、部屋は余っておるし。ミズハ、アキト、構わんじゃろ?」
「大歓迎よ。さっきの抜刀術……只者じゃなかったわ。ミスティとだけじゃなく、ぜひ私とも剣を交えて欲しいわね……!」
と、ミズハは珍しく好戦的なことを呟く。
俺の知らない百年間を感じさせる言葉だった。
「ミズハ? もしかして、剣の聖女ミズハですの? それはそれは……手合わせしたいと以前から思っていましたわ」




