第36話 吸血鬼を狩る吸血鬼
エミリエ村から馬車で半日ほど移動すると、いかにも農村という場所に辿り着いた。
ロゼットいわく。
この村の住民は一人残らず死んだという。
死ねば当然、死体になる。ただし、この村の住民は死体になっても動いている。
動く死体。その中でも人肉を食すものを、グールと呼ぶ。
今、この村は一人の吸血鬼によって支配されており、住民をグールに変えたのはその吸血鬼であるらしい。
「エルフ、ドワーフ、獣人……人型の種族はワシら人間以外にも数多くいる。その中で最も恐れられているのが吸血鬼じゃろうな。やつらは、ほかの人型種族の血を吸って生きている。つまり捕食者じゃ」
「人を食う生き物はほかにもいる。だけど人を食わなきゃ生きられないのは、吸血鬼くらいだからね。天敵ってやつだ」
「その通り。しかし吸血鬼といっても千差万別じゃ。力が弱く、息を潜めて暮らす下級。人をグールに変えて軍勢を作るだけの力を得た中級。新たな吸血鬼を生み出す力を持つ上級。この村を襲ったのは、中級以上の吸血鬼じゃな。半端な戦力で討伐しようとすれば、逆にグールを増やしかねん。厄介じゃ」
「でも、ボクたちなら大丈夫ですよね?」
「もちろんよ。早く吸血鬼をやっつけて、グールになった人たちを埋葬してあげましょ」
馬車を村から離れた場所で待機させ、俺たち四人で村に入る。
顔色が悪く、足取りがおぼつかない者どもが物陰からワラワラと出てきた。
グールだ。死体だからか、異様に気配が薄い。
「煉獄より来たれ、罪――溢れ出せ、怠惰」
魔法少女の如き姿に変身したミスティが、カードの力でグールたちを止めようとする。
しかし効果がなかった。
「……怠惰のカードは、意思ある者にしか効きません。グールには、もはや意思と呼べるものが残っていないのでしょうね」
「本能的に人を襲うだけか。まあ、もともとグールは動きが遅いから、怠惰が効かなくても問題ないね」
「うむ。とはいえ、この村は二百人ほどが住んでいた。全て相手するのは、面倒な話じゃ」
「……大規模な魔法で村ごと吹っ飛ばすってのはどうだ?」
「反対じゃ。もし万が一、生き残りがいたら巻き込んでしまう」
「それに村ごと吹っ飛ばしたら、混乱に乗じて吸血鬼が逃げちゃうかもしれないわ」
水羽は歴戦の聖女らしい指摘をしてきた。
「なるほどな……」
「まあ、案ずるな。吸血鬼の気配をワシが探知しよう。吸血鬼さえ始末すれば、残ったグールは魔法兵団なり冒険者なりに任せればよい。さすがに吸血鬼には怠惰が効くじゃろうし」
ロゼットは、できるだけ楽な作戦を立ててくれた。
それに従って、村の奥に入る。
吸血鬼は村で最も立派な建物の中にいた。それは教会だった。
真聖教団の教えにおいて「吸血鬼は神の敵」と明言されているわけではない。しかし地球にいた頃の記憶を持つ身としては、吸血鬼と教会の組み合わせは、なにやら背徳的なものを感じる。
「ほう。侵入を拒む結界が張られておるな。少しは魔法の心得があるらしい。じゃが、こんなものワシにかかれば、こうじゃ!」
ロゼットは苦もなく教会の扉を開けた。
「……なんだ、貴様らは? どうやって私の結界を突破した?」
その吸血鬼は、四十歳ほどに見える男だった。痩せ気味で、神経質そうな顔立ち。食堂などで隣の席になっても、まるで印象に残らなそうな、ごく普通の中年。
たった一つだけ、肉食獣のように鋭い犬歯だけが、彼の外見に凶暴性を与えている。
教会の中心には、血で魔法陣が描かれていた。
そして動物の骨や肉が供物のように配置されている。中には、明らかに人間の一部と思われるものも混ざっていた。
「なんだ、とはこっちの台詞じゃよ。村を一つグールの群れに変えて、なんのつもりじゃ? こんなことをすれば討伐対象になると分からんのか?」
「ふん。討伐対象だと? なぜ私がそんなものを恐れねばならない。私は吸血鬼になってから、辛抱強く力を蓄えてきた。そしてついにグールを生み出せるまでに至った。討伐者など返り討ちにしてくれる。この村は私の工房となり、魔法の奥義を探求する礎となるのだ!」
「奥義の探求? これが? ワシにはデタラメをやっているようにしか見えんが? お主、ちゃんと魔法を学んだことがあるのか? 王都の図書館に行けば、無料で魔法書を何冊も読めるが?」
「くくく……私は天才だ。既存の理論に囚われない新たな魔法を生み出すのだ。ゆえに既存の魔法書を読む必要はない!」
「……いるんじゃよなぁ、お主みたいなの。自分は先人から学んでいないから先人より偉いとか思っている奴。実際はただの勉強不足。真のオリジナリティは、膨大の模倣の果てに生まれるという基本を分かっていない」
「いかにも凡人が言いそうな台詞だな。天才は理解されぬものだ!」
「はあ……話をしていると疲れる。一応、規則じゃから聞いておく。今からでも降伏するつもりはないか? 降伏するなら、条約に従い、お主の身柄を夜戒機関に引き渡す」
「夜戒機関? 人間に媚びを売る吸血鬼どもの組織か……くだらん! 降伏はしない! 夜戒機関に組みするつもりもない!」
「よく言ってくれた。降伏されたら面倒じゃと思っていたぞ。一撃で屠ってくれようぞ!」
ロゼットだけが盛り上がり、目立っている。
面白くない。
ここで俺がロゼットより早く攻撃して吸血鬼を倒したらウケるだろうか……?
なんて冗談みたいなことを考えていたら、その冗談を実行に移す者が現われた。
「ッ!?」
俺たち四人の頭上を飛び越えて、途方もないスピードで吸血鬼に襲い掛かる、小さな影が一つ。
白銀と漆黒のコントラスト。
煌めいたのは、日本刀……?
いや、この世界でも日本刀によく似た刀を作る地方があったはずだ。
俺たちの目の前で吸血鬼の首を刎ねたのは、きっとそれだろう。
鞘から抜き放つ動きが、そのまま斬撃に繋がる、速攻の技。
抜刀術。
吸血鬼の首が落ちる。
音もない斬撃。放った者が達人であると物語っている。
技そのものは驚くに値しない。
教会に侵入してくれる直前に、俺たちは気配を察知していたし、身のこなしは一応、目で追えていた。
途方もない剣の使い手なのは間違いない。俺たちの中で剣術でなんとか対抗的そうなのは、かろうじて水羽くらいだろう。
絶対に接近戦をやりたくない相手。想像するだけで冷汗が出る。
それを踏まえた上で、この程度の達人がいるという事実そのものは、驚くに値しないのだ。
魔法の世界にロゼットがいるように、剣士の世界にも途方もない奴がいるのは当然。
驚くべきなのは、その達人が少女だったこと。
十三か、十四か。
日本だったらまだ中学校に通っているような幼さ。
さっきの抜刀術は、才能ある者が不断の努力を重ねても、生涯かけて到達できるかどうかという境地だったはず。
それを十代前半の少女が身につけている……あり得ないだろう。
俺や水羽のように転生しているか。あるいは、ロゼットやミスティのように、見た目と実年齢が異なっているか。どちらかでなければ説明がつかない。
「あらあら。いくらミスリル混じりの刃とはいえ、首を刎ねただけで死ぬなんて、吸血鬼の風上にもおけない雑魚ですのね。それとも、わたくしの斬撃が鋭すぎたのでしょうか……うふふ」
そう妖艶に笑いながら、少女は振り返った。
俺が見た白銀は、彼女の髪色であった。長い髪を耳の上で左右に結っている。いわゆるツインテールという髪型が、少女の動きに合わせて揺れていた。
俺が見た漆黒は、彼女の服装であった。振袖と袴によく似ているが、ゴスロリ的な装飾も混ざっていて、暗い色合いなのに華やかに見えた。
「あらあら? 見知った顔がいますわね。こんなところで奇遇ですこと」
少女が口を開くと、肉食獣のように鋭い犬歯が見えた。
ああ、と俺は合点がいった。
やはり彼女は、人間ではなかった。
「ふん。白々しい。ワシがいると分かったから乱入してきたのじゃろう。茶目っ気を出しおって。人の仕事を盗ってはいかんというのは、人間社会でも夜戒機関でも、共通の常識じゃと思うが。ヴィクトリアよ?」
「うふふ。あなたこそ白々しいですわ。仕事なんて早く片付けたくてたまらなかったくせに。外のグールはわたくしが全て斬りました。むしろ感謝して欲しいくらいですわ。ロゼット?」
二人は笑う。
古い友人に久しぶりに会ったという風の、裏表のない談笑。
どうやらロゼットは、この少女吸血鬼を信頼しているようだ。




