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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その他短編

ドイツで味噌汁を

作者: 空原海




「うわー。これ、わざわざインスタにあげるほどの料理じゃなくね?」


 スマホをスクロールしてタップして。わざわざ最新ポストを探し出しては、ケチをつける。

 そうしてしばらく愚痴りまくってから、インスタを閉じて、YouTubeのドイツ語講座の動画見て、またもやインスタに戻る。


 ちょっとのあいだ、ファッションセンスが好きなインスタグラマーとか、メイクアップアーティストだったりフレグランスライターとか、好きなブランドやらアーティストやらの、かっこよく洗練されたポストを流し見しているんだけど。

 でも結局、こらえしょうもなく彼女のアカウントに戻って、新しい投稿がないか確認してしまう。


 そんなにしょっちゅう、インスタ更新しているはずもないのに。そんなことはわかっているのに。

 彼女の仕事も私生活も、とんでもなく忙しいことくらい。そんなことはよくわかっているのに。


 インスタでフォローしている数は300を超えるから、ホーム画面から彼女のポストまでたどりつくには、けっこうな時間がかかる。だから、『フォロー中』のずらーっと並ぶアカウントから、彼女のアイコンをタップしてはチェックする。そして気分が悪くなる。


 ばかばかしい。そんなことはよくわかっている。

 わかってるよ、そんなこと。


 彼女は私と付き合っていたころ、ぜんぜん料理をしなかった。

 フライパンも鍋も炊飯器も、本気で何も持っていなかった。

 まな板と包丁だけはギリギリ持っていたけど、それだって最後に使ったのっていつなの? という感じで、キッチンではなく浴室の、わけのわかんない引き出しにしまわれていた。

 浴室に包丁ってこわすぎるわ。


「うわぁ。マジでなんもない」

 冷蔵庫の中身をしげしげと眺めると、奥の方、すみっこに何かが見えた。

「なんだこれ」

 手に取ってみれば、賞味期限切れの納豆1パックだった。


「お米もないのに、納豆だけあるって、どういうこと」


 冷蔵庫の扉を開けっぱなしにして振り返れば、彼女はテーブルの上にスーパーで買ってきたあれやこれやを広げていた。


「あ。納豆、まだあったんだ」

 忘れてた、というように、マヌケな感じに目を丸くした彼女が顔を上げる。

「納豆はねー、米がなくても、そのまんまでおいしいし、楽だし、栄養あるし。万能なんだよ!」


 出たー。納豆信者。

 マジでこの人、納豆巻きばっかり食べてるもんな。

 高い寿司屋ではさすがにしないけど、回転寿司だと毎回絶対、納豆巻き食うじゃん?

 ていうか、毎日コンビニ弁当と外食、交互にしてるだけの女が、栄養とか言っちゃう?


「賞味期限切れてるよ」


 冷蔵庫の扉をしめて、納豆をゴミ箱に放り投げようとすれば「ちょっと待ったー!」と彼女があわてて、こっちに来た。


「発酵食品だからだいじょうぶだって」

 彼女は私の手から奪い取った納豆を冷蔵庫にしまうと、自信満々に答えた。

「それに、日本は賞味期限の設定、短すぎだよー。消費期限じゃないしさ。イギリスに留学してたとき、そんなの気にしてた人いなかったよ」


「イギリスに納豆なんかないだろが」


 呆れて言い返すも、日本の賞味期限の設定がほかの国と比べてどうのこうの、と言われてしまうと、それ以上はつっこめない。


 日本から出たことのない私には、ほかの国のことなんか、ぜんぜんわからない。だから日本の常識が世界の常識ではないんだよ、と彼女が言えば、そうなのか、と引き下がるしかない。

 ちょっと悔しい気持ちもないわけではないのだけど、そんなふうに『そとの世界』を知っている彼女がかっこよくて、そういうところも好きだったのだ。

 当時はあんまり素直になれなかったけど。


 彼女は大学生のころ、摂食障害を患ったことがあって、そこが私と彼女との共通点だった。

 出会ったときには二人とも、社会復帰して働いてはいたけど、共通点がある女同士、すぐに打ち解けあうことができた。


 私は結局、摂食障害でどうしようもなくなって、休学していた大学をそのまま中退した。

 彼女は摂食障害で休学中に英語を独学して、なぜかイギリスに留学した。

 その話を聞いたときには、すっごいメンタル強いじゃん、と驚愕した。


「え。メンタル病んでるときに留学とかってすごくない?」


 私がそう聞けば、彼女は「だってイギリスに行けば、デブもレズビアンも、そんなに特別じゃない気がしたから」と答えた。


 いや、そこはアメリカとかじゃないのか? なんて思ったけど、海外事情に疎い私がヘタなことを言うとボロが出そうなので黙っていた。


「それに英語といえばイギリスってかんじ、しない?」

 発想がミーハーな彼女。

「ハリー・ポッターとかさぁ。あこがれたでしょ?」


「そりゃまあ」


 ハリポタはもちろん、あこがれましたとも。

 なんなら今でもあこがれていますとも。

 ユニバ行って一番最初にしたことって、ハリポタグッズ買いあさることだったもんね。


 ちなみにローブはグリフィンドールを選びました。裏地の色は赤のグリフィンドールじゃなくて、緑のスリザリンが好きなんだけど。

 なんだけど。


「エマ・ワトソン、かわいいもんねぇ」

 彼女はぐふふ、と笑った。

「とくに初期の」


 そうそれ。

 エマ・ワトソンのハーマイオニーがかわいくて。

 私の場合、彼女みたいにエマ・ワトソンが好みのタイプというわけじゃないけど。それに、エマ・ワトソン個人というのなら、子供のころの彼女より、最近のかっこいいフェミニストな彼女のほうが好きなんだけど。


「ロリコンめが」

 けっと吐き捨てれば、彼女はデレデレになって両腕をのばしてきた。


「ロリコンだよぉ~。だって、かっわいいじゃぁ~ん!」

 ぎゅうううっと彼女に抱きしめられると、お酒っぽい甘ったるさと、お香っぽい感じの個性的な、とにかく重たい香りがムワっと香ってきた。


 キリアンの『ブラック ファントム メメント モリ』。くっそ高いフランスの香水。

 『メメント・モリ』って言葉は、映画とか漫画とか小説とか、そういうのでよく使われる、ミーハーな人たちが大好きなラテン語のフレーズで、ミーハーな彼女はそういう、ミーハー心をわくわくさせてくれるアイテムに目がないのだ。


「かわいいから、君が好き」

 そう言って彼女が私の額にキスをして、素直じゃない私は照れ隠しにぜんぜん違うことを言う。


「最近じゃクロエ・アダムズにはまってるとか。いくつだよ、あのこ」

 こんなふうに。


 彼女はケラケラ笑って「えー、知らない」なんて答えるのだ。







 ああ、なつかしいな。

 ああいう、くだらない話をするのが、ほんとうに楽しかった。

 映画とか音楽とかファッションとか。

 彼女とは、趣味もものすごく合った。


 私はどちらかといえばパリピ系イベントが好きで、彼女はどちらかといえば家にこもっていたい方だったけど、でも「楽しい」と思うツボは一緒だった。

 彼女の家で映画を見て、買ってきたお酒を飲んで、買ってきたお惣菜を食べて。自炊なんかぜんぜんしないで、生産性もなく、いろいろと消費するだけの休日。


 ひたすら自堕落な。

 そういうのが楽しいって、ずっとバカみたいに留まっていたのは私だけだったけど。


 彼女は拒食症で体重40kgきっている中、突然イギリス留学を決意しちゃうくらいの、ものすごくやる気にあふれている人だということを、私は理解していなかったのだ。


 そもそも、彼女はかなり頭のいい日本の国立大学で物理学を専攻して、休学はしても、ちゃんと最後までやりきって、卒業までしちゃう人だった。

 イギリス留学だって、単純な語学留学はイヤだって、たいした英語力もないくせにネイティブに混じって、ぜんぜん専門じゃない幼児教育専門の短大に入学した。らしい。

 どっからくるの、その行動力。


 それで結局、彼女は日本の弁理士事務所を退所して、ドイツの弁理士事務所で働くことになった。


 意味わかんない。

 なんでドイツ。英語ですらないじゃん。

 つーか、法律って、ドイツどうなってんの? 物理の知識があればいいんですか、そうですか。


 どうやら日本の弁理士事務所で働いていたときの縁を伝って、渡独したらしかった。

 そのときにはもう、彼女とは別れていたので、詳細は知らない。


 彼女がたまに更新するインスタを見れば、オシャレなポーチ? テラス? に味噌汁の写真のっけてた。「初めて料理作りました!」って日本語のキャプションつきで。

 具材はたぶん、にんじんとじゃがいも。スープボウルがテーブルにふたつ並んでいて、片方にはタグ付けされている。


 タグをタップすれば、私の知らない、誰か。

 あきらか日本人じゃねぇし。


「うわー。これ、わざわざインスタにあげるほどの料理じゃなくね?」

 そうぼやきながら、頬に流れる涙を指でぬぐった。


 あのころ、激務で疲れていた彼女に、毎日料理をがんばって作っていたら、今もまだ、一緒にいられたのかな。

 お互い仕事で忙しいんだから、なんて言わずに。休日くらい楽しもうよ、なんて自堕落にいるばっかりじゃなく。


 彼女に負けじ劣らず、私もぜんぜん料理ができなかったけど、それでも一生懸命練習して、失敗作なんかもときどきは出しちゃったりして、「今日は成功したんだよ」なんて言って、彼女に手料理をふるまっていたのなら。

 まったく縁のない外国語でも、興味があるのなら仕事の合間に独学して習得して。専門知識も磨いて新たな分野にも飛び込んで、そうして世界を広げていたのなら。


 でも彼女は、誰かに料理をつくってもらうのではなく、彼女がドイツで見つけた日本人じゃない彼女に、味噌汁という手料理をふるまうことにしたのだ。


 ちゃんと出汁はとったのかな。それとも出汁入り味噌を使ったのか。

 というか、味噌はどこで買ったんだ?


 オシャレなテーブルセットの中で、場違い感たっぷりな味噌汁ふたつ。

 きっと彼女は、がんばって作ったんだろう。食材の調達から調理にいたるまで、きっと、苦労して。

 それでいて、あの、底抜けに明るい太陽みたいな顔で、「初めて料理作っちゃった!」って笑っているんだろう。


 YouTubeのドイツ語講座でがんばって、すこしはドイツ語がわかるようになって。

 そうしてドイツへ一人旅することに、勇気がもてるようになったら。

 そのときはドイツで暮らす彼女に向かって、ドイツ語で、「ドイツで味噌汁なんて、すごくかっこいいじゃん」って。

 そう言えるようになれたらいいな。




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― 新着の感想 ―
タイトルから、エッセイかな?と思ってふらりと立ち寄らせていただいたのですが(ドイツ語圏にいたことがあるので、目がとまって)、ほろ苦いけれどとても素敵な物語でした。切ない……(´;ω;`) 何やってんだ…
[良い点] 素敵なお話でした。 ドイツで味噌汁のタイトルで「?」と興味を惹かれ、読んでみたらとっても心情細やかな、ぐっとくるお話でした。 すごいです!!! 彼女とのかけがえのない時間、彼女への憧れがひ…
[一言] In Deutschland will ich eine MISO-Suppe kochen. Ganz gut! Sehr interessant (^ム^)
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