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P.T.O. -悪魔が続きを語るなら-  作者: あした野郎
8/13

 


 ⒏



 五月十日、月曜日。

 連休明けの朝。ひんやりと刺す向かい風に喉の痛みを耐えながら登校。駐輪場に自転車を停めていると、背後から溌溂(はつらつ)とした声がかかった。


「おはよう、行武君」


 施錠を終えてから振り返る。

 エナメルバックを肩にかけ、左手の指先から二足の専用シューズ。右手は僕に向かって小さく手刀を切るような動き。

 僕は、そのいかにもスポーツ少女といった風情の同級生――椚紗弥佳に応えた。


「おはよう」


 続けざまに訊く。


「朝練?」


 椚紗弥佳は頷き。


「月曜の朝からね。練習、練習、練習ですよ」


 大仰に項垂れてみせたかと思えば。


「汗臭くない?」

「いや」


 僕の返事は待たず、自ら制服の胸元を覗き込む。


「よし」


 結局、自己判断。マイペースな変わり種と言えば、こうして僕に声をかけてくる時点でその部類。教室の席が隣というのも、それだけ。それまで。

 昇降口に向かって歩きだすと、椚紗弥佳も歩調を合わせてきた。


「一限、何だっけ」

「公民」

「うわっ、多久島(たくしま)先生じゃん。あのひとの授業って何か眠くならない? マジで月曜の一限に持ってくるべきじゃないって」


 何でもない会話でも快活な印象。きっと対照的に映る。日頃からバレー部の有望株を自称しているだけあって、身長差もそれなり――のはずだが。


「それよりさ――」


 いきなり声のする位置が近づいた。


「行武君。わたしに報告することあったりしない?」

「報告?」

「そう。報告」


 その眼は愉しげで含むところを隠そうともしていなかった。こちらに身体を寄せ、肘で小突く素振りも。汗臭いとは思わなかった。


「金曜日の放課後、誰と帰ったとか。日曜日、誰とカラオケに行ったとか」

「――ああ」

「わたしの情報網も侮れないでしょ」


 情報網を活用するほどの内容かはさておき。僕と沓南つかさの関係について、少なからず返ってくるものはあるのかもしれないと思った。


「マジでさあ――」


 得意げな表情から一転。椚紗弥佳は口を尖らせて言った。


「そういうのひと言くらい相談してくれてもよくない? わたし、沓南ちゃんとは中学校同じだったし――何ならクラスもずっと一緒だったし。隣の席のよしみで話せることだってあったかもしれないのに」

「…………」

「それで? いつから?」


 訊かれて考える。はっきりさせる必要はない。


「先月」

「どういう感じでそうなったの?」

「どういう感じって」

「だって沓南ちゃんは七組だし、行武君とは接点ないじゃん」


 まあ。


「何となく。なりゆきで」

「ふうん……」


 まじまじと覗き込まれる。


「野次馬気分であれこれ詮索するのも野暮かもしんないけどさ――正直、行武君はそういうの興味なさそうって思ってた。むしろ馬鹿にしてそうくらいの。沓南ちゃんも沓南ちゃんで――何ていうか、一線引いたらそれ以上は立ち入らせない、みたいな? これまでふたりの関係なんて考えもしなかったけど、沓南ちゃんの彼氏って行武君の名前を聞いたときは、なるほどって思った」

「――なるほど?」

「ううん」


 おざなりに言葉を探して。


「何となく、しっくりくるかもって」

「…………」


 押し黙った僕を気遣ってなのか、椚紗弥佳が僕の背中を叩く。


「要するに、お似合いってこと」


 昇降口から校舎内。交友関係の広いらしい椚紗弥佳は、顔見知りらしい生徒とすれ違う度に朝の挨拶を交わす。

 その合間に訊いてきた。


「あと行武君。持丸と仲良くなったって? 話しやすい、感じのいいひとだったって言ってたよ」


 スニーカーから上履きに履き替え、何の成果もなかった昨日を思いだす。

 持丸慧志。高妻奈菜美のストーカー容疑者。

 会話のなかで顔見知りとして椚紗弥佳の話題もあった。普通に考えれば、日曜日のカラオケに関する情報源はそこしかない。


「中学校のときの知り合い――なんだっけ」

「ううん、まあ――中学は違うんだけど。通ってた塾の合宿で知り合ったみたいなカンジ? あいつ、キホン馴れ馴れしいからさ。一方的に話しかけてくるじゃん。行武君、苦手なタイプだったんじゃない?」

「…………」

「男子校の愚痴とか聞かされなかった? あれマジで誰にでも言うらしいよ」


 手荷物の多い椚紗弥佳が上履きに履き替えるのを待ってから教室棟一階を進む。


「友達を紹介してもらったとは聞いた」

「友達?」


 椚紗弥佳は繰り返したあと、


「ああ、春休みのやつ?」


 とすぐに思い当たった。


「わたし、あいつが好きだったコと接点あったからさ、受験のまえから約束してたんだよね。もしダメだったときは頼むわ、みたいな。まあ、そのときは冗談半分だったんだけど、落ちちゃったから。そっちだけでも上手くいけばと思って」

「でも、どっちもダメだった」

「だね」


 首を傾げながら苦笑い。

 教室棟一階、昇降口から三番目の教室が一年四組。出席番号に基づく席の位置を踏まえ、後ろの扉から教室に入った。三列目の最後尾が僕の席。その隣の四列目最後尾が椚紗弥佳の席。行き交う挨拶を躱して着席する。


「あれさ――紹介したわたしが言っちゃいけないけど、最初っから見込みなかったかも。むしろ相手が悪かった、的な?」

「相手が悪かった?」

「いや、別に悪いコってわけじゃないんだけどね」

「――?」

「まあ、そういうカンジじゃなかったっぽい」


 椚紗弥佳はそう言い残すと、クラスメイトに声をかけようと席を離れていった。どことなく釈然としない印象を抱きつつ――僕は公民の教科書を取りだした。


 沓南つかさの交際相手。

 その反響は想像以上にあった。名前も知らない生徒に声をかけられることもあれば、露骨にそうとわかる視線も向けられた。

 メールやSNSが身近なコミュニケーションとして成立していれば、そういった情報が伝播するのに時間はかからない。沓南つかさの見込み通り、しばらくはこれが僕のあたりまえになるらしい。これまで以上に昼休みが待ち遠しい時間になるかもしれない。

 それから放課後。

 言いつけ通りに向かった自習室は管理棟四階、進路相談室の隣。入ってみると、教室棟の教室と何ら変わりない構図でまばらに席が埋まっていた。沓南つかさの姿はない。

 僕は適当な机を選び、思いついた科目のテキストを取りだした。テスト勉強と言われてぴんとくる科目もなかったので、ひとまず課題を優先する。

 隣の椅子が音を立てたのは、午後五時半を過ぎたあたり。僕より十五分ほど遅れて、沓南つかさがそこにかけた。私語厳禁という環境下で会釈だけ交わすと、あとはただ黙してテキストに向かった。

 何のことはない、自習時間。

 そうして完全下校直前まで居残り、運動部の生徒に紛れるかたちで校門を出る。夜は暗く、まだ若干の冷気を含んでいる。

 今度ばかりはさすがにふたり乗りという選択肢もなく、汐見駅まで沓南つかさと並んで歩いた。陽のあった昨日に比べるとまだいい。自転車はやはりコンビニの駐輪スペースに停め、汐見駅西口で別れる。


「高妻さんには行武君のアカウントも教えてあるから。たぶん、駅に着くまでには連絡があるはず」

「ああ」

「それじゃ、あとはお願いね」


 振り返る気配のない背中を見送り、――さて。

 時刻は午後七時四十七分。汐見駅一帯は学生で溢れ返っている。高妻奈菜美の到着まで十分、十五分と仮定して。下手に駅構内をうろつくよりも、なるべくひと目につかない環境で時間をつぶすほうが無難だろう。

 僕は東口側のコンビニまで戻り、積まれた少年誌を手にとった。すると、すぐに高妻奈菜美のものらしいアカウントからメッセージ。

 内容としては、沓南つかさから僕の連絡先を伝え聞いた旨と電車の到着予定時刻。最後は、今日からよろしくお願いしますのひと言で締めくくられていた。何度も推敲したような文体から高妻奈菜美の僕に対するスタンスが覗える。絵文字や顔文字というのはお呼びじゃない。

 それから電車の到着予定時刻に合わせてコンビニを出る。

 到着アナウンスが響く駅構内。改札からひとが吐きだされるまで時間はかからない。そこにタイミングを合わせる。

 西口に向かう利用客の流れに紛れ、あえて悠長に歩く。後ろから追い抜いていくのは学生服ばかりとは限らない。カジュアルからフォーマル。ギターケースを担いでいれば、キャリーバッグを引いていたり。年齢も幅がある。

 そして、高妻奈菜美。

 その横顔は先週と変わらず、わかりやすいまでに不安を映している。その要因としてあるのは見えない変質者に対する恐怖か、はたまた僕に対する気後れか。

 とにもかくにも。

 追い抜きざまと追い抜かれざまで視線を交わせば、それがひとつの合図。お互いがお互いを認識したものとして、あとは高妻奈菜美の後ろをついていけばいい。

 光源の多い駅前では進行方向も限られ、ひとの流れが固まっている。それが景観の変化とともにひとり、またひとりと離れ――気づけば、僕と高妻奈菜美だけが闇夜に取り残されていた。

 街灯と月明かりだけが頼りの住宅街。どこにあっても不思議ではない風情だが、女性ひとりきりだと心細く見えるところもあるのかもしれない。まして高妻奈菜美のようにストーカー被害を受けているとなれば。時間も時間だけに出歩くひと影もなければ、緑を残した街並みがどこか不気味。僕は高妻奈菜美の背中を見失わないように注意しながら、適当な間合いを探った。普段はひと目を引く深緑色のブレザーも、夜道では逆効果だった。


「…………」


 高妻邸に到着したとき、まず心裡として落ち着けるところはあった。怪しいひと影は見当たらない。それでも、無事に邸内に入っていくまで見届けるのがお守りの役目。重く厚みのある玄関扉が閉まる間際には、高妻奈菜美から伏し目がちな一礼。役目を果たしたつもりでいた僕を車庫前の防犯カメラが睨んだ。


木乃伊(みいら)取りが木乃伊に、じゃ笑われる』


 悪魔様はそう茶化したが、そもそも木乃伊取りなんて引き受けた覚えがない。それでなくても、これだけ時間を割いた挙句が不審人物扱いというのは。


「…………」


 この時間、あの西洋づくりの主は高妻奈菜美ひとりきりだと聞いている。二階の一室に灯りが点いたところまで確認して、来た道を引き返す。

 その道すがら、悪魔様が囁く。


『しかしまあ、親切なことだね』

「――?」

『キミのためにわざわざ理由まで用意してくれるなんて』

「理由」

『彼女のお家柄だよ』

「…………」

『あれだけ立派な屋敷を構えてみても、そこでひとり怯える我が娘に気づきもしない。そういうわかりやすい取っ掛かりがあったからこそ、キミもここまで付き合わされた。もしかすると、そっちのほうが本命だったりして』

「……向こうにそういう意図はあったのかもしれない」

『はっ』

「でも、そうじゃない。そういうのは関係ない」

『――あれ』

「ろくでもないとかうまくいっていないとか――あそこの家庭環境がどうであれ、そこだけ膨らませるのも馬鹿らしい。実際、考えているようなパターンとは限らないし、大前提としてどこも何から何まで同じじゃない。隣と違っていようと向かいと違っていようと、あそこの家庭が特別何かってことにはならない」

『ううん』

「何か。あるとすれば、それは――たぶん、もっと別の、それ以前のところで」

『それ以前のところ?』

「どこの誰がつくったかも知れないゴム製品一枚被せて、産まれなければそれでいいって腰振って。責任だったり将来だったり、曖昧なところはその瞬間だけでも遠ざけて。挙句の果てには――自分より小さい、自分しか頼れない、そんな無力な誰かに自分の何かを見出したりして」

『――ああ』

「安月給のろくでもない職場に通う毎日だって、誰かのために耐え忍ぶ平穏に変わる。勢いだけで過ごした挙句の顛末も女手ひとつ、男手ひとつのまるで美談として語られる。そこに何があっても何がなくても。そういうふうになってさえしまえば。あとはそれらしい構図にそれらしく収まる」

『ついでにそれらしく語ってみたりして?』

「さあ?」

『つまるところ――問題のあるなし以前にそもそものカテゴリーとして。しっかり感情移入はしているわけだ。安心したよ』

「ふん」

『どうあっても、理由には違いないさ。どちらに立つかで意味合いが変わってくるというだけで。親鳥が先か、雛鳥が先か――なんて』

「…………」

『どっちでもいい、かな?』


 昼と夜。行きと帰り。

 同じ道でもいくらか違って見える。

 特に夜の住宅街だと目印代わりも見つけにくいうえに、帰りは高妻奈菜美という案内役がいない。地理を把握するにはまだ時間がかかりそうだ。

 彩の園公園に沿って遊歩道に出ると、それまでよりは視界が拓ける。区画を基準とした直線的なつくり。

 そこにあって。

 まだ距離のあるところにひと影を認識したと思えば、ウィンドブレーカー特有の――生地の擦れる音が気配とともに近づいてきた。一定のリズムと息遣い。徘徊道中の僕は顔を伏せ、ただ気配が遠ざかっていくのを待った。

 しかし、こちらの都合に反して、その足音が止まり。


「あれ、行武君?」


 よく通る声で名前を呼ばれた。

 警戒しながら後ろを見やると、暗闇からシルエットが浮かびあがった。街灯の光を受けて、蛍光色がよく映える。

 椚紗弥佳だった。


「やっぱ行武君じゃん。何してんの? こんなところで」


 咄嗟に考えを巡らせるが、滅多な状況じゃない。


「……散歩?」

「うん?」


 両肩を上下させながら呆けた表情。


「散歩って、沓南ちゃんと一緒ってわけでもないんでしょ?」

「さっきまでは――一緒だった」

「さっきって?」

「自習室でテスト勉強、みたいな。それで駅まで送ったあと、散歩でもしてみようかなと思って」

「こんな時間に? ひとりで? こんなところまで?」


 もっともな追及に正面から立ち向かえる言葉はない。ややあって質問で返す。


「そっちは?」

「見ての通り、ランニング。この辺りをぐるっと」


 窮するところもなく、椚紗弥佳は長い腕で円を描いた。


「うち、学校の近くだから。帰ったらひとっ走りが日課なんだ」

「精が出る」

「高校入ってから体力不足を思い知らされてばっかりでさ。練習もついていくだけで精一杯だし、いまのうちに底上げしておかないと」


 見上げた心意気ではあるが。


「夜道は――気をつけたほうがいいよ」


 はたと会話が途切れる。両目を見開き、信じられないといった表情の椚紗弥佳。それもすぐに堪え切れず、噴きだす。


「何それ。彼女ができた余裕? カンジ悪くない?」

「…………」

「冗談。いざってときは大声出すし、秘密兵器もあるから大丈夫」

「秘密兵器?」

「じゃん」


 取りだしたのは、キーホルダー――にも見える何か。本体らしい部分から紐が伸びている。ストップウォッチでないことは確かだ。


「えっと……防犯ブザー。知らない? こういう、音が鳴るやつ」


 僕のリアクションは椚紗弥佳の期待に沿えるものではなかったらしい。照れ隠しからか、椚紗弥佳ははにかんだような表情で頭を掻く。


「お母さんが持って行けってうるさくて。小学生かよ、って」

「こういうのって携帯するものなの?」

「何やかんやで暗いと怖いしね。これさえあれば安心ってわけじゃないけど、ないよりはあったほうが――みたいなカンジ? いきなり大きい音が鳴れば、牽制くらいにはなるでしょ」


 高妻奈菜美もこういった類を持ち歩いていたりするのだろうか。いまさらながら、お守りの存在意義を考える。


「よっし――」


 掛け声とともに椚紗弥佳が肩回りのストレッチを始めた。秘密兵器はその手にない。


「ぼちぼち行こうかな」

「うん」

「行武君も走る?」

「いや」

「あはは」


 最後に僕を茶化したつもりで満足そうな笑い声だった。


「じゃ、行武君。また明日、学校で」

「ああ」

「寄り道しないでまっすぐ帰りなよ」


 言いながらシルエットとして遠ざかっていく。

 ただ席が隣というだけなのに。


 まっすぐ帰宅したあと、遅い帰りについて軽く触れられたりはしたけれど、いつもの調子で夕飯を済ませた。自室に戻り携帯電話の画面を確認すると、メッセージアプリの新着通知で着信とメッセージがそれぞれ一件。時系列としては高妻奈菜美からの着信があって、その五分後に沓南つかさのメッセージ。沓南つかさからのメッセージは高妻奈菜美の着信を補足する内容だった。


 ――高妻さんが電話で話しておきたいことがあるんだって。


 誰もいない部屋でひとり顔をしかめる。まだ役目が増える。

 とはいえ、どちらを無視する選択肢もないのでおとなしく掛け直す。やけに長い呼び出し音のあと、静かな雑音が伝わった。


「もしもし」


 緊張を伴った声色。金曜日から何も変わっていない。

 ただしストーカーの無言電話があった直後だとすれば、何かと察するところもある。僕は抑えた咳払いから入った。


「遅くにすみません。行武です」


 喉が鳴る。それに伴って文節が分かれる。


「あ、えっと……折り返し、ありがとう――ございます」

「いえ」


 一度の応答に時間がかかるのにも慣れた。


「……あの」

「はい」

「このまえは、ちゃんとお伝えできていなかったので……その、改めて――よろしくお願いします」


 これはまたご丁寧に。ベッドに腰を下ろしながら、口先だけでも。


「頼りにはならないかもしれませんが」

「いえ、そんな……今日だって、後ろにいてくれなかったら――もっと、心細かったと思うし、そうしてくれるだけでも、何ていうか、すごく、ありがたくて」


 おたおたと必死のフォローに思い当たる節があった。なるほど、小動物。


「あと……つかさちゃんから聞いていると思うんですけど、わたし、その、文化祭の実行委員をやっていたりする、ので――もしよかったら、当日、ふたりを案内させてもらったり、できないかな、なんて。うちの文化祭、入場規制もあるし、何かお礼くらいになれば……」

「都合が合えば、是非」


 抜き身の社交辞令であっさり会話が途切れる。僕に小動物を転がす素養は備わっていなかった。取り返すべくもない。――それでも。


「日にちって――いつでしたっけ」

「え?」

「その、榧蘭祭?」

「あ――ああ、ごめんなさい。えっと、再来週の土曜日と日曜日なので……二十九日と三十日の二日間、になります」

「ちょうど三週間くらい」

「そう――です、ね」


 高妻奈菜美が言葉につかえたのは、あと三週間も、というニュアンスを考えたからだろう。わざわざ断ってやったりはしない。――それでも。


「文化祭の実行委員って――クラスの委員会とはまた別の活動だったり?」

「ええと……クラスの文化委員はクラスごとの出店や展示をまとめる役割だったりするので。文化祭実行委員っていうのは――それとはちょっと、違っていて。簡単に言うと、運営側として文化祭に携わる有志の集まり、みたいな感じだと思います」

「運営側の有志」


 率直な感想は内側に留めておくとして。


「その活動内容について訊いても?」

「活動内容は……」


 面接の質疑応答のような形式で続く。本意ではないにしろ、それ以外もない。


「まず、実行委員会のなかで企画・進行・広報・会計の四つの部門に分かれて、それぞれ生徒会と協力して活動していく……というような。わたしは広報――なので、パンフレットの製作だったり、ポスターやチラシの手配だったりが活動内容になります」

「準備が忙しい部門なのかな」

「ほかに比べると、そうかもしれません」

「やりがいもあったりして」


 ひとつ会話の流れをつくったつもりで言葉にしてみたけれど、いくらか考え込むような時間があった。


「やっぱり、その、あとあと残るもの――ですし、一応、生徒が主体というのがひとつのテーマだったりするので。実行委員会に限らず、いい学園祭にしたいって取り組んでいる生徒は多いと思います。特に三年生は、最後の榧蘭祭で――わたしみたいな下級生にもしっかり指導してくれて、責任感というか、そういういい雰囲気で活動できていると思います」

「なるほど」

「でも――」


 消え入りそうな声量のそれは余計だった。


「なかには同じ一年生なのに、すごく詳しいひともいたりして。聞いてみたら、お姉ちゃんが卒業生だったり、去年の榧蘭祭がきっかけで入学した、とか。わたしはそういうのなかったから、何かちょっと、置いていかれているくらいの感じで……」

「はあ」

「わたし、中学二年生のときに引っ越してきたんです」


 初耳ではあったものの、汐見パークタウンの街並みや開発経緯を聞いていたこともあって、意外には思わなかった。


「新しい環境に変わって――ようやく慣れてきたと思ったら、すぐ受験って流れだったので……榧蘭祭が有名っていうのも、あんまり知らなくて。入学が決まってから、つかさちゃんから教えてもらったくらいで」

 少なくとも、沓南つかさは中学二年生以前から汐見に住んでいたらしい。そんなどうでもいい所感とともにひとつ。まったく別のところから浮かんだ。

「あの」

「はい」

「これまで何か大きな事故に遭ったって聞いてないですか?」


 唐突な質問に高妻奈菜美はわかりやすく困惑した。


「つかさちゃんが、ですか?」

「はい」

「ううん」

「中学生のときじゃなくても、長期的に入院していた時期があったり、みたいな」

「……そういうのは、特に」


 誰もいない部屋でひとり頷く。


「そうですか」

「あの、それって」

「いや――」


 いまさら。口外する予定はない。


「とりあえず、今日のところは」

「あっ、そうですね。えっと、今日はこんな遅くまで、本当に――ありがとうございました。それと、その、明日からも……」

「はい」

「それじゃあ、また。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 通話を終え、ベッドに深く腰を預ける。なぜだか、椅子の背にかけてある学生服が気になった。随分と左側に寄っている。

 悪魔様は何も言わなかった。


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