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P.T.O. -悪魔が続きを語るなら-  作者: あした野郎
4/13

 


 ⒋


 現実逃避のサボタージュも未遂に終わってしまうやら――その後は何か行動に移すでなく、まして忘れてしまえるはずもなく。

 放課からさらに時間が過ぎ、すっかり陽も落ちた頃。

 自室のベッドにて。

 手にした文庫本も読み進められないまま、僕はただ無為に時間を消化していた。

 沓南つかさから拍子抜けと評された一冊。個人的にあまり相性のいい内容ではなかったらしい。映画化だかベストセラーだか、とにかく中身が入ってこなかった。


「…………」


 あのあと、別れ際に沓南つかさから一枚のメモ用紙を手渡された。そこには十一桁の数字だけが無機質に記されていた。

 〇九〇―××××―××××。

 ご丁寧に説明されるまでもなく、沓南つかさの携帯電話の番号であるとわかる。連絡を待っているとの解釈で支障はないだろうけれど、その一枚が即席でなく事前に準備されていたあたり、何というか、思わせるところがある。

 決して多くはない。

 それでも、少なくない程度に言葉を交わした結果。

 僕が沓南つかさに対して抱いたのは苦手意識だけ。彼女の言うようなシンパシーの類は欠片もない。


「…………」


 返す返すも、面倒なことになった。

 ベッド脇のテーブルに文庫本を取り片し、改めて思う。

 志叡館高校というひとつのコミュニティに身を置くにあたって――何を残すでも何が残るでもない、遍く尊重されるような色味とは距離を置いた学生生活。それこそが最善であると、僕は悪魔様に告げた。

 集団における圧倒的少数として後ろ指を指されることになろうとも、過去の臨死体験に基づいて、自分だけが世の理じみた何かを把握しているという感覚に浸っていられる。単調な日常を持て余すことになったとしても、口の減らない悪魔様の存在でもって、ひとり完結できる。

 歪んだ自意識。

 我ながらうんざりするところではあるけれど、それも自分という主体を思えば。自己否定と自己弁護の卑しいローテーションを繰り返した挙句、最終的にはやむをえないと安易な結論に落ち着く。

 誰に悟られるわけもなく。今後もただあたりまえにそうあるはずだった。

 沓南つかさという――イレギュラーさえなければ。

 彼女は恐らく知っている。こんな僕まで見透かしている。

 あの眼が。あの余裕が。僕にそう確信させる。

 ひとに言えない秘密。同じような体験。そういった言い回しのひとつひとつも、いまとなっては別の意味が含まれていたように思えてならない。何から何まで心許ない。とんだファーストコンタクトだった。――なんて。

 浸っていたわけでもないけれど。


『行きづまったときは、まず口実よりも理由じゃないかな』


 昼休みからのそれらしい空気も呆気なく、軽やかな物言いの悪魔様。


『キミだって曲がりに曲がりに曲がりなりにも恋に恋するティーンエイジの端くれなわけだし、さあ、いざ実戦とは言わないまでも――いい機会だ。流行りの曲に自分を重ねるところからはじめてみよう』


 いつもなら適当に聞き流す程度のあたりまえ。それが無性に疎ましい。無言で寝返りを打つと、それ以前からあったはずの沈黙がぎこちなく感じられた。


『あのとき、どうして彼女に打ち明けたのか――』


 いつになく低い声で悪魔様が言った。


『知らない、わからないで拒絶することだってできたはずなのに』

「…………」

『自分と同じ状況にあるかもしれない。共有できる部分があるかもしれない。可能性、だっけ? そういう見えない部分を意識させられて、キミはほんの一瞬でも彼女を知りたいと思ってしまった。――なるほど、もっともらしく聞こえるね』


 その皮肉は的確で――たぶん、効果的だった。


『でも、それだけじゃない』


 もったいつけるようなひと呼吸。


『彼女に知ってほしかった、だろ?』

「…………」

『こうして都合のいい役回りを引き受けてやっても、ボクはキミの眼に見えるかたちでは応えてやれない。比べるものと比べれば、空々しいとさえ思えるよ。結局、見えるところに眼を向けて、聞こえるほうに耳を傾ける。人間なんだよ、キミは』

「…………」

『孝太郎』


 短く、そう呼ばれた。そのあとで――


『ボクを悪魔でいさせてくれないか』


 悪魔。

 あるところでは、内なる汚れの化身として。

 またあるところでは、確たる光に背いた末路として。

 ときに誘い、ときに冒し。

 破滅へ導くとともに混乱を撒き散らす。

 地域文化や信仰といった背景を踏まえても、ひとを惑わす(よこしま)なる存在とは通りのいい認識であるはずだ。

 そうあってほしい誰か。そうありたい誰か。

 多くは――状況が要因を生み、要因が行動に連なり、行動が結果をもたらす。

 沓南つかさが僕を訪ねたように。

 僕が別の可能性を考えないでいるように。

 悪魔の字に(なぞら)える理由。

 わかりやすい実体がなくても、何にでもはなれない。

 ただの名前であっても、人間にはなれない。

 思うところは――


「その最後が泣き落としか」

『弱みにつけこむって意味で言えば、これ以上もないだろうさ』

「もっともらしい」


 そんな具合でほどほどに。

 僕はベッドから起きあがり、椅子の背にかけてあった学生服の上着を手にとった。ポケットから皺の寄ったメモ用紙と通話も可能な電子時計――改め携帯電話。ベッドに腰掛けながら十一桁の入力を済ませれば、余計な部分も(かす)んでいく。

 呼びだし音は三回目で止んだ。


「もしもし」


 そう呼びかけても応答がない、ので。


「志叡館高校の行武――です。昼休みは、どうも」


 そこまで言って、ようやく反応があった。


「こんばんは」


 それは確かに――沓南つかさの声だった。


「――こんばんは」


 何でもない挨拶に何でもないふうで応じた矢先、受話口から短い雑音が聞こえた。鼻先で笑われたような――そんな気配。


「電話もらって最初に言うべきことじゃないかもしれないけど、こんなにはやく連絡もらえるとは思わなかった。昼休みの様子だとまだ時間がかかりそうかなって。誰かにあと押しでもしてもらえた?」

「かな」

「後ろ盾に感謝しておかないと」


 いきなり乱される。僕は半ば強引に切りだした。


「その、昼休みのこと――で、何ていうか、もう少し話せないかなと思って」


 見えないところで自分の声が反響する。通話は切れていない。おかしなことも言っていない。それでも、喉元が窮屈だった。


「別に特別なことをしようってわけじゃないの――」


 回線の向こうの声は言った。


「奇抜な部活動を立ち上げるわけじゃなければ、おおがかりな犯罪計画を持ちかけたりもしない」


 それが小粋(こいき)なジョークのつもりだったとしても、気安く乗れる僕ではない。おとなしく次の言葉を待った。


「ただ知っていれば。知っているって、そう思わせてくれれば」

「…………」

「実際、これまでを考えれば――お互い、こうして誰かと話せる機会だってありえなかったわけだし。いまの状況自体が特別だって言えないこともない」


 沓南つかさは続ける。


「あとは、お互いの努力次第かな」

「努力」

「たとえば。この関係性を口外しない。嘘を吐かない」


 たぶん、改まってというほどでもなく。


「余計な誰かを関わらせなければ、それだけ不確定要素も少なくなる。自分に嘘を吐くという選択肢がなければ、相手を疑う心当たりも少なくなる。秘密の共有とか共犯関係っていうの? そういうのもお約束のうちではあるでしょう?」

「…………」

「意見があれば、どうぞ」


 いや。

 暴論だろうが、甘言だろうが。それ以前に僕と沓南つかさの過去にまつわる関係性に勘づくどころか、そんな空想に耽るとすら思わない。わざわざ言葉にする必要があるか、迷った末にはぐらかす。


「そもそも不確定要素って、どっちもお抱えだったりするのかなって」


 静かな溜め息がそれに応えた。


「行武君がこうして連絡してくれたことだって、見えないところの影響ありきなのか、わたしにはわからない。何より身近な共通項でもあるわけだからまったく考えないというのは難しいにしても、疑ってみたところで何も変わらない。それも含めて、が無難な落としどころじゃない?」


 沓南つかさは補足も忘れなかった。


「もちろん、ひとつの意見として」


 配慮と言うとまた違うのかもしれないが、余計とは思わない。

 僕は言った。


「とりあえず誰かに相談するつもりはないし、いまのところ――嘘を吐く予定もないとは言える」


 またしても、回線の向こうで微かに笑う気配。まったくもって軽やかに聞こえるところはなくて。そこからすぐに転換する。


「行武君、明日の放課後って時間ある?」

「――明日?」


 思わず繰り返してしまったけれど。

 明日と言わず、明後日と言わず。基本的にはどんな予定にも対応できる。誰に誇れもしない自信がありながら――それでも机のうえのカレンダーを確認しようとしたのは、連休明けで曜日感覚を失くしていた影響が大きい。

 しかし、カレンダーに向かうはずだった僕の視線は――そことは離れた一点に引き寄せられた。


「…………」


 まともに衝突してしまうと、どちらも固まる。完全に不意を突いたかたちになったらしく、驚きよりも迷いが伝わってくる。

 すると、その沈黙を不自然に思ったのか。


「難しそう?」


 沓南つかさから重ねて問われ、僕は通話に意識を戻した。


「いや、明日――明日でいい」

「そう? それじゃ明日の放課後、校門前にお願いできる?」


 放課後、校門前。

 暗唱して。


「わかった」


 約束をとりつけたあとは、お互いのタイミングを探った。


「それじゃ行武君。また明日、学校で」

「ああ」

「おやすみなさい。妹さんによろしく」

「……どうも」


 通話の終了と同時に重みのない疲労感を吐きだす。表情を伴わないコミュニケーションこそ日常とは言え、また勝手が違った。

 ともあれ。

 ベッドに倒れこみたい衝動を抑え、立ちあがる。

 わずかに開いた状態のドア。外から覗く分には手頃な隙間に見える。僕はドアノブを引き、誰もいない廊下に向かって言った。


「おかえり」


 ややあって、隣の部屋のドアが開いた。そこから首だけを覗かせる。


「ただいま」

「…………」

「いや、何?」


 なぜか、苛立った声。


「わざわざ呼びに来てあげたのに、そっちが珍しく取り込んでただけじゃん」


 悪びれる様子は微塵もない。


「夕飯、食べるでしょ」

「まあ――あとで」

「そんなこと言って、また夜中にこっそりカップラーメン食べたりするくせに。お兄ちゃん、栄養足りてないから身長も伸びないんだよ」

「…………」

「とにかく――せっかく作り置きとは別に作ってあげたんだから、さっさと食べてくれないと片づかないの」


 作ってあげた、とは言うけれど。

 言葉にせずとも伝わったようで、険のある目つきで睨まれる。これ以上を続ける必要はない。


「すぐ下りる」


 僕のひと言を受けて、溜め息交じりに応じる。


「最初からそう言えばいいのに」


 いわゆる肩をすくめるというような。わかりやすいと言えば、わかりやすい掛け合いなのかもしれない。それはそれでひとつの流れとして。


「明日って、何かあるの?」


 階段を下りる途中でこちらを見上げるようにして訊いてきた。しっかり聞き耳を立てられていようと、後ろめたいところは何もない。勘づくはずがない。


「いや」

「もしかして、さっきの電話って彼女だったりする?」

「まさか」


 わずかに眉を顰めるが、それもすぐに消える。


「まあ友達もいないのに、彼女ができるわけないか」

「…………」

「洗いものはやってよ」


 僕はよくわからない溜め息を吐いて、階段を下りる。

 沓南つかさに関するところで言えば――結局、何がはっきりしたということはなかった。



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