⒊
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「にわかには信じがたい」
ひと通り、語り終わりの聞き終わり――沓南つかさの第一声がそれだった。
およそ日常的とは思えない言い回しには、こちらの反応を窺っているような節がある。何も手厚いリアクションを期待していたわけではないけれど、割に合わないという心根が少なからず作用した。
「それならそれで終わる」
僕自身にもよくわからない意地は鼻先であしらわれた。
「冗談が通じない」
苦笑いでも浮かべているだろうか。
貯水タンクを背に隣り合うという構図にあって、沓南つかさの表情は知れない。もちろん、右側に首を向ければ、ただそれだけで確認できる事柄ではあるけれど、どうにも億劫だ。
場繋ぎも兼ねて、ひとつ吐きだす。
「それで、期待に応えられたかな」
「もちろん」
「よかった」
心にもないひと言で結び、通話も可能な電子時計で時刻を確認する。十三時二十五分。昼休み終了まで、はやくも残り五分となっている。思っていたよりもずっと長く時間をかけてしまっていたらしい。
「世にも奇妙な臨死体験をきっかけとして、その後の行武君の日常はまるで違ったものになってしまった。――そんなところ?」
臨死――体験。
たとえそれが適切な表現だったとしても、そうまであっさり言われてしまうと抵抗はある。僕以外の誰かがどう思うか。これまで、真に受けないよりあとを考えたこともなかった。
僕は金網の向こうを見据えて言った。
「好きに解釈すればいい」
「ふうん――」
いやに間延びした相槌のあと。
「そして、行武君はわたしの事情について知ろうとはしてくれない?」
「事情、ね」
呟き、足下を見やる。
ここまで沓南つかさは何ひとつ確かな事実を示していない。直接的な物言いはなく、ただ含みのある表現によって一応の成果を上げている。
わたしと同じように――そう言った。そんなアプローチが誰にできるとも思わない。
「でも、それだけでしょ?」
たとえば。もしかすると。
「――それだけ」
復唱して顔を上げた横から冷ややかな声がかかる。
「いまさら怖くなっちゃった?」
「かもしれない」
努めて素っ気なく。そこから長引かせずに重ねた。
「次、移動教室だから」
足下に転がるビニール袋を拾い上げ、やはり視線は向けずに言ってやる。
「お互い、よりよい高校生活を」
それから一歩、二歩――と。
足を踏みだせば踏みだした分だけ、沓南つかさとの距離が開いていく。極めて真っ当な道理ではあるけれど――その実、遠ざかろうとしているのか、遠ざけようとしているのか。
いや。
どちらにしても、自ら招いた不都合に無防備な背中を晒しているという事実は確かなわけで。そもそも――屋上施設の不正利用を糾弾されて然るべき立場の僕が、目撃者である沓南つかさを置き去りに、白々しくもやり過ごそうとしている。この構図からして滑稽以外の何でもない。
とにかく立ち去りたかった。
はっきり拒絶したものとして、この状況を終わらせたかった。
これ以上は関わるべきじゃない。
焦りにも似た予感が両足を動かした。
「…………」
塔屋が近づくにつれ、僕は半ば無意識のうちにズボンのポケットを探っていた。
すぐにそれとわかる感触。
指先でなぞるようにして、何度もその輪郭を確かめる。
この先の扉を施錠できる唯一の手段。
この状況における僕の選択肢。
いつもの習慣のごとく、うっかり鍵をかけてしまえば――。
沓南つかさは取り乱すだろうか。
あの余裕の色を失くして、誰かに助けを求めるだろうか。
軽率な行動だったと後悔するだろうか。
金輪際、僕には関わるまいとしてくれるだろうか。
「…………」
まともな選択肢じゃない。一時の衝動にしたってあんまりだ。冷静に対処された挙句、余計な騒ぎになるのが見えている。
何よりも、僕自身――そんな一時的な憂さ晴らしで何が完結できるだろうか。何を――何のために拒絶しようとしているのだろうか。
忍ぶような足取りの傍ら、無意味に連鎖していく。
結果として。
「それでいいの?」
沓南つかさの声を背に受けた僕は、足を止めた。止めてしまった。
「行武君は、それだけで終わらせられる?」
さっきよりいくらか距離は開いているはずなのに、変わらず起伏のない声だった。それでも、はっきりと聞き取れた。
怪訝な表情をつくり、振り返る。
そこで僕は、初めて――その実体らしきものを見たような気がした。
「わたしと行武君が過去に同じような体験をしていたとしても、それに伴って共有できる何かがあったとしても。実際、それはそれだけでしかないのかもしれない」
それだけ。
それ以上でも、以下でもない。
そのはずだ。
「でも疑ってばかりだと、それまで――でしょ?」
「…………」
「お互い、ひと息吐きたいくらいはあってもいいんじゃない?」
僕だけのあたりまえにあって、それらしく佇む。程度の問題じゃない。ただ多くの情報を伴った一枚絵。
その枠のなかで続く。
「たぶん、行武君だけがわたしを――」
そして十三時三十分。
沓南つかさの声は、昼休みの終了を告げるチャイムと重なった。