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P.T.O. -悪魔が続きを語るなら-  作者: あした野郎
2/13

 


 ⒉


「心地よかった」


 安らかで。穏やかで。

 何も損なわない。何にも乱されない。

 ゆっくりと。ゆったりと。

 いつまでも浸っていられる。どこまでも続いていられる。

 それでよかった。

 ずっと、そうあってほしかった。


「それなのに」


『気分は――どうだろう』


 微かな声が混ざった。

 途切れ途切れの意識の狭間。

 厳密に言えば、それは声とは違った。

 しかし、ほかに何と形容するべきなのかもわからなかった。

 ただ聞こえる何か。それを声と認識している自分。

 そして、その声を発している自分ではない誰か。


『よければ、少し――ボクの話に付き合ってくれないか』


 誰かはそう切りだした。

 肝心の内容はと言うと――いまひとつを通り越して、何の面白味もなかった。

 家族旅行でキャンプに行ったときの云々。少年野球で初めて背番号をもらったときの云々。クラスでトラブルが起こって最終的に大がかりな問題にまでなったときの云々。

 どれも長ったらしいだけで展開も何もない。

 聞けば聞くだけ、どこにでもありふれていそうな思い出話の類。

 ホームビデオの解説さながら、それがやたらと細かい描写を伴って語られた。

 退屈ではなかった。


「…………」


 そこで語られている〈誰か〉というのが僕自身なのではないかと過った瞬間、僕はほとんど忘れてしまった自分を自覚した。


 しばらくして、また別の声を拾った。

 今度はずっとわかりやすい。そこからさらに続いた。

 僕の名前。

 僕のかたち。

 僕の――


「ここは……」


 声は出なかった。

 何か軋むような音が漏れただけ。まともに身動きもできず、瞼さえ重かった。

 霞んだ視界で辛うじて確認できたのは、物々しい生命維持装置。白衣を纏ったひと影。何重もの包帯と固定器具。

 知らないものはなかった。

 どうやら僕は病院のベッドで目を覚ましたらしい。

 その結論に至るまで時間はかからなかった。


「――孝太郎君、わかるかい?」


 誰かが僕にそう呼びかけた。

 それから覗き込むようにして意識確認。

 動けないなりに応えると、まず僕が交通事故に遭ったという事実が語られた。

 事故当時の状況に加えて、それ以降の昏睡状態は五日間にも及んだとのことで――運がよかったやら奇跡的やら。


「よく頑張ったね」


 最後は労わるような、励ますような、そんな言葉で結んだ。

 誰かの嗚咽。重みと感触。それらしい薬品臭。

 どれも煩わしいと思った。


「何も知らないくせに」


 誰か。

 たぶん、その病室に限らない。僕ではない誰かに向けて。そう吐き捨ててやった。

 冷たく言い放つイメージだけ膨らませて。

 忍び笑いのような気配も、僕以外には伝わっていなかった。


 やがて薄暗い病室にひとり取り残され、僕は自分の記憶を辿った。疲労や苦痛は遠く、鈍く――夢ではない、夢とは違った、夢であるはずがない、あの体験をわかりやすい感覚として求めた。

 あのとき、あの声を声と認識するまで。

 僕は僕とは違った。

 確かに僕ではあったのだと思うが、僕とは違っていた。

 もっと、ずっと大きな何かの――何かとして。

 何も。何が。何かを。


「…………」


 とにかく内側に意識を巡らせるしかなかった。

 そうでなければ、そうじゃなくなってしまうような――そんな衝動だけだった。

 そうして何がどれくらいというのもわからなくなった頃。


『感動の蘇生劇も幕が引いてしまえば呆気ない』


 声。

 それは――耳元で囁きかけているようでありながら快活でもあり、また無邪気におどけているようで深刻な向きもあった。エコーがかった演出でなくとも、僕はやはりそれを声だと思った。


『生きているか、死んでいないか。そういう場所だ』


 その言葉の直後、誰もいないはずの病室で何かの影が揺れた。そのときの僕に偶然という発想はなかった。同じくらい、恐怖や動揺というのもなかった。


「誰だ」


 真っ当な反応はどこか間抜けた感じもあった。怯える素振りでもあれば、まだ自然だったかもしれない。とりあえず、かすれた息遣いだけでも伝わったらしかった。


『絶えず悪を欲しながらに善をなす――彼の力の一部分。わたくしこそは、常に否定するところの霊であります』


 仰々しいまでに芝居がかった口上は何かと意味ありげではあったけれど、考える余裕はなかった。まだ知らなかった。


『冗談だよ』


 声は屈託なく笑った。


『誰でもいい、何でもいい。キミの好きなように呼べばいい。どのみち、ただの名前だ』

「--名前?」

『そうとも』


 (うけが)い、得意げに言うのだった。


『名前をつければ、知らないものではなくなる。誰かと共有して、何かに分類して、それ以上を考えずに済む。キミにもあるだろう? 御両親から授かった立派な名前が』


 何でもない言い回しが皮肉に聞こえてならなかった。予備動作がないのに、振れ幅は大きい。その無軌道な性質に僕は翻弄されるばかりだった。


『行武孝太郎、十三歳。すなわち行武倫太郎・行武恵美夫妻の息子であり、行武亜津沙の兄。はたまた行武繁・行武良枝・多幡裕美にとっての孫。小鹿市立小鹿北中学校二年七組出席番号二十番。男性。日本人。人間――』


 それぞれ機械的に読み上げたあと。


『何なら地球人まで入れておこうか?』


 冗談交じりでもなかった。それでも、引きずらなかった。


『どれも誰かにとっての何か。そうやって確かめてきたはずだ。意識するでもなしに何となく続けて、何となく繰り返してはまた分散させる。価値だの意味だの理由だの。ただ忘れないために』

「忘れない――ため」

『忘れなければ、何も煩わなくていい。忘れずにいようとすれば、何も疑わなくていい』


 淀みなくそう言って声は続けた。


『どれだけ自分たちの言葉を敷きつめても、どれほど目覚ましい発展を遂げても、残念ながら人間様がこの世の摂理や法則を解き明かしているという構図は成立しない。天上世界に御座(おわ)します全知全能なる創造主の存在でも証明できれば、それでいいかもしれないが、実際は何の当てもない状況が続くだけ。そこにわかりやすい答えや仕組みを求めてしまうのは、キミ自身がその状況の一部であるからにほかならない。そうあってほしいってやつさ。そもそも、不確かですらないのに』

「…………」

『となれば、畢竟(ひっきょう)――キミじゃない、キミと違っている、キミしか知らない。そんなボクをキミは何かにしなくちゃならない。そのためには名前をつける。それしかない』


 意図的なのか、そうでないのか。少なくとも、僕に説明してやろうというそれでないことだけは確かだった。


『一応、断っておくと――ボクはキミを死の淵から救ってやったわけじゃなければ、キミに取り憑いたわけでもない。いわゆる不思議や超常現象の類はないんだ。ご覧の通り、折れた腕の一本だって治せちゃいない』


 言及された影響か、動かせない左腕が疼いた。その時点で骨が折れているのかまではわからなかった。

 声は言った。


『ボクはただ、キミに面白くない話を聞かせてやっただけ』


 面白くない話。

 あの不思議な体験のなかでも、そんなふうに言われた。嫌味なく、含みなく。そうして語られた内容というのが――ほかでもない、僕自身の記憶だった。月日にして十四年にも満たない、何が起こったというわけでもない生涯。その断片的な記憶が、僕じゃない誰かによって僕自身に語られた。

 面白いはずがなかった。


『キミが昏睡状態から目覚めたのは、キミ自身を思いだしたから。こうして意思の疎通まで図れているのは、キミがボクを覚えているから。それ以上は何もない』


 悠然とした口振りに突き放されたような実感が付随した。ここまでと線を引かれてしまったような。それまでの胡散臭い言い回しも布石のように作用して、気づけば僕はかなり窮屈な状況にあった。

 それでも、言わずにはいられなかった。


「あのまま、全部――忘れてしまうはずだった」


 姿なき声は静かに応えた。


『鏡も窓もない独房にひとり閉じ込められてしまえば、自分の顔なんてすぐに忘れる。過程を思えば、例外はない』

「…………」

『〈自己の消失〉だとか、そんな安っぽい表現をするつもりはないさ。ただ――ただただ、そういう状況にあってキミはなかなかしぶとかった。例えて言うなら、崖から転落したあと、途中の木の枝に引っかかったみたいな感じかな。偶然とは言わない。ただ見えずとも触れずとも辿れずとも、最後の最後にしがみつけるだけの何かがキミにはあったってわけだ。もちろん、そんなもの誰も褒めちゃくれないだろうが』


 そこでいくぶん軽やかな調子を取り戻して。


『差し当たっては、明日以降の検査の心配でもしたほうがいい。後遺症が残りでもしたら大変だ』


 そして、声は止んだ。

 テレビの電源を切った直後のように、ぷつりと途切れた。近づいているのか、遠ざかっているのかもわからない足音が――僕を何の当てもない状況に引き戻した。

 止まっていた時間がいきなり動きだしたような感覚。

 それと同時に、僕のなかであの体験がはっきりと過去になった。

 そうして忘れてしまうのだろうと思った。

 何であれ。どうであれ。

 あたりまえでなくなってしまえば。

 忘れる。忘れてしまえる。

 実際、僕は忘れた。実体験として忘れた。

 忘れる程度でしかなかった。

 悪魔様によって突きつけられた――その事実が、当時の僕にはどうしようもなく応えた。

 応えて。応えたから。


「……っ」


 何が何だか。とにかく溢れた。衰弱した身体に堪えるだけの気力はなく、さめざめ程度では済まなかった。本当に、声がでないのが幸いだった。

 そのときの自分がどういった感情に衝き動かされていたのか――いまとなっては、はっきりしない。


「――たぶん、それも忘れてしまった」


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