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P.T.O. -悪魔が続きを語るなら-  作者: あした野郎
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 0


 気分は――どうだろう。


 いや、別にからかおうってわけじゃない。

 気を悪くさせたのなら謝るよ。

 悪かった。

 ただ、ボクにはどうしたってわからないことだからさ。

 一度、訊いてみたくって。

 キミが忘れないうちに。


 そう。

 忘れる。忘れてしまう。

 そういう意味で言えば、キミはツイてない。

 本当に。

 同情するよ。


 うん? 

 ――ああ。

 いいね。それ、そういうのがいい。

 やっぱり、そうじゃないと。

 いまだけじゃない。いつだってそうだった。

 それでこそ――それでこそ、だ。

 ボクが誰でも、キミが誰でも。

 それだけは忘れない。忘れようがない。


 そうだな。

 よければ、少し――ボクの話に付き合ってくれないか。

 内容はいまひとつかもしれないけれど。

 それでも、興味は持ってもらえると思うんだ。


『キミが、忘れようとさえしていなければ――』




 ⒈


 五月六日。木曜日。十二時五十分。

 四限目の終了を告げるチャイム――すなわち一秒の誤差もない、その報せを受けて。

 一年四組の教室に漂う〈浮ついた空気〉はピークに達し、教壇に立つ小野教諭の背中には生徒から刺すような視線が集中する。はやく終われよ、チャイムは鳴ったんだからさあ――なんて。目は口ほどに物を言う。

 実際、その効果のほどは定かではないけれど、小柄な老教師は黒板から生徒のほうに向き直ると、


「時間が来てしまったので、今日はここまで」


 と簡潔に授業の終了を告げた。各々緊張を緩める傍ら、一部の男子生徒のあいだでは何やら意味ありげな目配せ。


「続きの練習問題は宿題としておく。各自、次回までにこなしておきなさい。この程度の問題に手を焼いているという者は、今日の単元をしっかりと復習しておくこと。数学は反復がものを言うからな。高校一年生の五月から出遅れてしまうなんてことのないように。――では、学級委員」


 耳の痛い言葉とともに号令を促す小野教諭。

 一年一組の担任教師であると同時に第一学年主任。春休み気分は終わりだぞと繰り返していたのは、入学式直後の学年集会だっただろうか。


「起立、礼」


 終業の挨拶もそこそこにヨーイドン。

 いましがた視線を交わしていた男子生徒数名が勢いよく駆けだしていく。四限終わりにおいてはもうすっかりお馴染みの光景となっているわけだが、それは何も一年四組に限った話じゃない。

 というのも、彼らが向かった先の学生食堂に原因がある。

 我が県立志叡館(しえいかん)高校における食堂施設は、サービスの提供能率と利用者数の不調和がとりわけ顕著であって、場合によっては昼休みを丸々費やしてようやく昼食にありつけるということもあるらしい。

 県立高校における、しがない現実。

 学業こそ本分とされる環境下にあって、その四十分という時間がどれほど貴重か。横目でぼんやりと見送りながら――僕自身、同じ学生の身の上。ただ待ち呆けに浪費してしまう可能性を思えば、一応の理解は示せる。

 説法じみた言葉を並べた小野教諭にしても、生徒の昼食事情は把握しているらしく。教師の手前、堂々と廊下を駆ける彼らの背中に向かって、


「気をつけろよ」


 なんて呑気な声をかけるだけだった。口うるさいんだかそうじゃないんだか、よくわからない。

 して一年四組の教室はと言えば、決まりきった一部始終をそっくりそのまま切り抜いたように、それぞれのあたりまえを展開していく。出席番号順に並んだ机を基盤として、まばらに散らばったコミュニティ。あるところでは、昨夜のテレビ番組や芸能タレントのトピック。またあるところでは、下世話な噂話から教師に対する不平不満まで。

 入学式から早一ヶ月。そこに定着しつつある〈あたりまえ〉から人間関係の進展を窺い知ることができる。


『なるほど。とりあえずの土台は完成したらしい』


 ――ああ。

 どこからともなく、誰からでもなく。

 僕にだけ聞こえる。僕だけに語りかける。

 その〈声〉もあたりまえ。

 それを合図にというわけでもないけれど、僕は白けた溜め息だけ残して席を立った。昼食の入ったビニール袋片手に騒々しい教室から逃れ、廊下のひと通りとは逆方向に進む。

 そのあいだも、〈悪魔様〉の声は止まなかった。


『もっともらしく教師の悪態をついていた連中の顔をよく覚えておくといい。きっと三年後あたりには何食わぬ顔でこう言うはずだよ。教師とか校則ってウザったかったけどさ、いざなくなっちゃうと何か寂しかったりするかも――って』

「…………」

『自分自身を〈コドモ〉と位置づければこそ、向かいの〈オトナ〉を否定できる。そこに自覚を伴えなければ、その矛先もゆくゆく都度都度、別の対象に向かうだけ。あいつよりはマシ。あいつとは違う。あいつのようにはならない。お粗末だろうと、身近で気楽だ』


 渡り廊下を進み、教室棟から管理棟に移る。昼休みの喧騒から遠のいても、悪魔様の独演会を遮ろうとは思わなかった。


『張り合いがないなあ』


 ひっそりと階段を上り、最上階の四階からさらに伸びる階段へ。そこから目的地に通じる扉が見えたところで、ズボンのポケットから鍵を取りだす。もちろん、それが正当な理由を伴っているはずはない。入学早々に職員室からくすねた代物でもって手早く解錠したあと、丁重に扉を押した。

 ふっ――と。

 生温い風に迎えられると同時に息が漏れる。

 菱形金網と古びた貯水タンクしか見当たらない殺風景には、強烈な太陽光線が差している。抗うように見上げてみれば、そこには雲ひとつ見当たらない鮮やかな青。蒼色。

 閑散とした屋上施設で変わり映えしないあたりまえに落ち着いた僕は、身体いっぱい伸びをした。解放感が指先まで伝わっていく。

 悪くない。実に清々しい気分。

 この瞬間、この空間だけは、およそ時間の流れとは無縁であるような。

 とはいえ、四十分の時間制限に加えて向かいの教室棟からの視線というリスクがある以上、ぼんやり佇んでいるわけにもいかない。

 既に定位置となっている貯水タンクの物陰に腰かけ、ビニール袋の中身を広げる。売店一番人気の焼きそばパン、無難なところでカレーパンをふたつにパックのオレンジジュース。占めて三百三十円也。

 手軽さ相応に味気ないランチタイムを終え、空の包みをまとめたあとは食後の読書。ポケットにぴったり収まっていた文庫本を引っ張りだして、しおりの挟んであるページを引く。

 すると、呆れたように悪魔様。


『相も変わらず、青春のふた文字とは縁遠い』


 舞台芝居のような言い回しがいちいち鼻につく。

 僕は目線も上げずに応えた。


「ご不満ですか」

『トイレの個室じゃないのは、せめてもの救いかな』


 どこでそんな知識を、とは返してやらない。

 無みして文字の羅列を追いかけながら――内心、辟易。何がどうしてと言えるだけの根拠はないけれど、この時間はあまり読み進められそうにないと思った。

 過去にはイヤフォンからの大音量も煩わしい声を遮るに至らず、悪魔様からまるで無意味と笑われた。耳を塞いだところで悪魔の囁きには及ばないとの摂理が罷り通っているらしい。何となく、頷いてしまうところでもあったり。


『誰の干渉も寄せつけないコンフォートゾーンに逃げ込み、肩までどっぷりセンチメンタリズムに浸かりながら、自分だけは高いところに置いておく。結構なことじゃないか。まったくご立派なアイデンティティだよ』


 胡散臭い横文字をやたらと強調したのは、悪魔様なりの皮肉のつもりだろうか。ページを捲る手は止めない。


『あの狭い教室で下手に意識してしまえば、どうしたって取り巻く誰かの存在がついてまわる。比較できるか、同期できるか。あるいは、敵対するか。結局、キミはそんな自分を――そうして成立している自分を受け入れられないだけ』

「…………」

『そんなお年頃ってひと言で片づけてもいい。そういう過程ありきの現状を憂えたところで何が悪いとも言わない。ただし、そんなのはキミの内側でしか意味をなさない。誰も、何も――汲みとってはくれない』


 悠々たる語り口は、優しく諭す印象でありながら、聞き手の感情に働きかけようとしているようでもあり、また苛立ちを包み隠しているようにも聞こえる。僕が思い至らないというだけで、別の意図や目的を伴っている、のやも。確かに言えることがあるとすれば、それはきっと僕という視点から明らかにできるようなものではなくて。

 たぶん、悪魔様相手に限った話でもないのだろう。


『見えないからこそ見てみたい、知らないからこそ知りたいと思える。極めて自然、あるいは当然とされるべきところなのかもしれないけれど、それも無知の知ならぬ知らない事実を知ればこそ。いまとなっては、キミも、知らないほうが報われることも――なんてありきたりに浸っちゃったりするのかな』

「別に」


 僕は楽な姿勢に崩しながら応えた。


「これでいいなんて考えたこともない」

『へえ』


 ただ――


「これがいいんだ」


『――ふうん』


 物言いたげな空白を伴った感動詞のあとには、ちくちくと棘のある沈黙が続く。示し合わせたような展開に心当たりがないでもないけれど、居心地の悪さは確かにある。


「あーあ」


 いよいよ読書に集中できなくなった頃、僕は本日二度目の伸運動の流れでもって背中からコンクリートに倒れこんだ。途端、ざらざらともごつごつとも不愉快な感触。お世辞にも寝心地がいいとは言えない。それでも読みさしの文庫本で視界を覆ってしまえば、いくらかわかりやすくはなる。

 そうして次第にうつらうつらと眠気を催す。

 昼過ぎ――それも空腹を満たした直後に決まって訪れる睡魔とは、学生生活における宿敵の代表格。今後とも節度ある付き合いをしていく必要があるとは言え、いまに限ってはむしろ歓迎したい。

 このまま眠りに落ちてしまえば、きっと事態の収拾には事欠かない。


「…………」


 その実、手軽も手軽。お誂え向きの現実逃避。

 わかっているとも。

 事実、指摘されてしまえば、僕は五限目以降の科目に気を巡らせている自分の存在を否定できない。

 予習はどうする? 

 課題や提出物が課されたら?


「どうにも」


 ―――――……………

 ――――…………

 ―――……

 ――


「ぐっ」


 ――と。

 喉の奥から呻き声が漏れた。

 眩しい。

 目を瞑っているはずなのに、眩しい。

 感覚として、日除け代わりの文庫本が取り除けられたとわかる。

 まずい。

 まだ眠気とわだかまりの抜けない思考を巡らせ、すぐに最悪の可能性に思い当たる。さすがに無警戒が過ぎたらしい。まず狸寝入りを決め込む選択肢から消去。上半身だけ起こして、周りの気配を探った。

 人影はすぐ側に――僕から取り上げた文庫本をその手に佇んでいた。教師でなければ、見覚えもない。

 女子生徒だった。


「難しい顔して、どんな本を読んでいるかと思えば――正直、拍子抜けって感じ」


 ぱらぱらとページを捲りながら、涼しげにそれだけ。

 長い髪。すらりとした立ち姿。

 座り込んだ状態の僕は自然と見上げる格好になる。ぼやけた視界のピントを調節しながら――ぼんやりと、ただぼんやりと、こういう状況でなくても、僕の眼が彼女に向いたことはあったかもしれないと思った。


「告げ口するつもりはないから」


 女子生徒はそう言うと、右手の文庫本をこちらに差しだした。


「……どうも」


 受け取る流れからそれとなく彼女の学年章を盗み見る。Ⅰ―7。面識はなくとも、どうやら同学年であるらしい。


(くつ)()つかさ」

「――え?」

「わたしの名前。まず自己紹介からと思って」

「あ、ああ……」


 困惑しつつも、ひとまず応じるべきかと立ち上がる。――が、どういうわけか、そのあとも彼女の言葉が続いた。


「一年四組の(ゆく)(たけ)孝太郎(こうたろう)君、でしょう?」

「…………」

小鹿北(おがきた)中学校第二十八期卒業生。十月十日生まれ、血液型はO型。四月十五日実施の身体計測の結果によれば、身長百六十二・六センチ、体重四五・六キロ。家族構成は共働きのご両親に中学二年生の妹さんがひとり」


 驚く。――よりも、まず不審に思うべきだ。

 まさか正体は保険調査員なんてわけでもあるまいし、初対面の女子生徒に家族構成まで指摘されるとは。

 屋上の私的利用を非難するでもなく、僕の個人情報まで把握している――と。

 そこから察するに、彼女は僕を訪ねる目的でわざわざ屋上までやってきたということになるけれど、まるで心当たりがない。

 戸惑う僕に彼女――沓南つかさが言った。


「ずっと――あなたのことが気になっていたの」


 驚く。――以外も、以降もない。

 沓南つかさの瞳には、さぞかし間抜けた表情と映ったことだろう。言葉を選ぶ必要のある状況において、ユーモアの乏しいおつむが頼りになるはずもなく。


「……ええと?」


 僕の慎重な対応を受けて、沓南つかさは薄く笑った。その時点でどちらが優位にあるかは明らかだった。


「最初の学年集会のときかな。そこで初めて行武君を見かけた」


 沓南つかさは静かに語った。


「入学式の次の日で、わたし自身、まだクラスメイトの顔も把握できていないような状況だったのに――というよりむしろ、そういう状況だったからこそ余計に目を引かれた。高校生活初日のほかの誰とも違って見えた」

「…………」

「とにかく退屈そうで、どこか諦めてもいるような。ただ無気力って言ってしまうには、主張が強い。振り切れて見えるほど極端でもない。それっぽく斜に構えているというのも違った。何か義務感っていうか、そういうふうにしないといけないって、誰かに強制されているみたいだった」


 幸か不幸か。

 予期した風向きとはいくらか違っているらしい。依然として霧は晴れない。右手の文庫本が余計だった。


「何ていうか――」


 僕はなるべく無難な言葉を探した。


「そういうの、見るひと次第としか言えない」

「確かに」


 いかにも織り込み済みといった反応だった。


「もっともらしく指摘してみたところで、それはわたし個人の印象でしかなくて。そのときのわたしがそう思いたかっただけなのかもしれない」

「…………」

「それでも、ひとつ可能性を考えるきっかけとしては十分だった」

「可能性」

「たとえば」


 短く区切ると、沓南つかさはそこで目を細めた。


「行武君は何かひとに言えない秘密を抱えているのかもしれない。周囲から距離を置こうとするのも、ひとりでいるときに見えない誰かと会話しているように見えるのも、その秘密が関係しているのかもしれない」


 その次までが長かった。

 永く感じられた。


「行武君も――わたしと同じように、何もかも()()()()()()()経験があるのかもしれない。そんな可能性」


 頭の芯から熱が引いていくような感覚。婉曲的とも直接的ともつかない。無防備になったところをさらに畳みかけられる。


「行武君、二年前に交通事故に遭ったって? 大変な事故だったって聞いたけど」


 動揺はあった。悟られたくないというのもあった。ひとまず取り繕う意味でも、整理する意味でも、それに応える。


「下校中、スリップ事故に巻き込まれるかたちで普通自動車と衝突。頭を強く打った影響とかで、いわゆる意識不明の重体。そのあと、事なきは得たけど――左腕と左足の骨折に脾臓の破裂っておまけまでついてきて、しばらく入院生活を送る羽目になった」


 同情や憐憫はまるで見受けられず。沓南つかさの表情は満足そうに見えた。


「痛ましい事故。奇跡の生還。それも見るひと次第って、行武君はそう言うのかもしれないけど――その一件に限って言えば、わたしはほかの誰とも違うはず」


 わずかに顎が上がる。


「少なくとも、行武君にとっては」

「…………」

「ここまで言えば、十分じゃない?」


 彼女が何を言おうとしているのか、まるで見当がつかない。

 見知ったように振る舞って、思わせぶりな物言いをして、おめでたい妄想の世界に僕を巻き込むつもりでいるのか。

 それで通せば、そこで終わったのかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。

 できなかった。


「それで?」


 僕は訊いた。


「その可能性――っていうのは、まだ?」


 それはあのときと変わらず。

 思考を圧迫するだけでなく、僕という視点をより深く状況に沈める。それでこそ、なんて意識は欠片もなかった。

 そして、沓南つかさが応えた。


「できれば、行武君の言葉ではっきりさせてもらえる?」


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