2話
連れられて来た場所には石造りの大きな壁があった。私と師匠の身長を合わせても届くことのない壁は外界との関わりを一切断つ表れであるようだった。石門付近には人間の足跡が複数あり、地面は硬化したまま変化することはない。壁に目をやると、今にも崩壊しそうな亀裂があった。壁一面に紅の液体が滴り、痕として記憶している。生々しい血痕が苦しみを象りながら時を刻んでいた。
メアリが木製の古びた扉に手をかける。その動きは急に止まり、こちらに目を向けた。
「今から村へ入るのですが……ローレンさんとリアさん、魔法に関するものは出さないでくださいね」とメアリは当然のように言葉にした。勘づかせるような素振りを見せた記憶はない。魔法使いであることも伝えていないはずだ。師匠も同様に一驚していた。
「き、気付いていたのかい?」
「はい。そういったものには勘が良いので。鮮明に思い出すことはできないのですが、以前にお二人のような不思議な方が来られた気がするのです。ローレンさんは特に……」
魔法使いはもう一度驚きをあらわにし、口々に何かを呟き始める。最後の可哀想なものだという言葉だけは鮮明に残り、紛らわせようと苦笑いを浮かべた。すると目を開けることができなくなるような突風が吹いた。哀感を流し、メアリが生きる場所へと足を踏み入れた。
扉の先に広がっていたのは人通りの少ない集落だった。数十棟ほどの住宅しか見受けられず、建物も腐敗して人が住んでいるようには見えない。人々が出歩く様子はなく、他の小さな村よりも閑散としている。本当に最低限度と呼ぶべきもので、生を全うすることに積極的でない人たちに対して同情と怒りの情があった。生きる屍、そう呼べるものであった。
案内されたメアリの家は質素だった。白い石造りの家、ただそれだけであった。
「ここが私の家です。どうぞ入ってください」
「僕たちのような素性の知れない者を入れて本当に良いのかい?」と師匠が確認をとる。家に誰もいない、と呟いたメアリの瞳には光が灯っていない。一瞬だけの白昼夢が襲いかかる。白銀の髪が光を受けて柔らかく一陣の風に揺れ、その姿に目を奪われていた。
「もう随分前のことですから慣れてしまいました。ずっと前からの話ですから」と発した口元は結ばれていた。紅の空は徐々に暗く染まり、世界に恐怖を与えている。窓から差し込む月光は迷える人々の行く末を語ることなく照らしていた。夢へと誘われ、目を瞑る。闇夜は変化することなく人々に刃先を向けていた。
闇の色も一層濃くなり、時計も真夜中を指す。話をしようと向かい合わせに座ったものの視線を逸らしてしまった。互いに踏み出すことなく雰囲気を重くしていた。ところがメアリの方が上手であったらしい。
「リア、旅の話を聞かせてもらえませんか。私は……今日いたところまでしか行ったことがないので」と呟き、こちら見つめる。頷いてわずかに口元を綻ばせてみた。体験してきた過去を謳うように月光は二人に焦点を当てた。
師匠との出会い、魔法使いとして生きることにした理由。苦しかったこと、楽しかったこと全てを口にしていた。メアリの表情は穏やかになり、小さな涙をこぼしていた。
「ローレンさんといる理由はそのようなものだったのですね。彼もまた……」
溢れ出す感情、このような顔を見たくて話をしたわけではないのにメアリが止まることはなかった。
話を終え、メアリに案内されながら家の中をゆっくりと歩いて行く。着いた先は客間であった。師匠の部屋はまた別にあり、メアリの自室もあると言う。意外なことにも小さく見えていた家は広いようだった。
「もう遅いから寝ようか。大人よりも私たちの方が夜更かししているなんてね」
「そうですね。ローレンさんがお休みになるのが早いのはなぜか納得できます」
クスリと二つの声が重なる。師匠はとっくに床に就いていて素っ気ない態度を見せている。子どもの考えることに興味など示さないか。たわいのない言葉を口にして眠りについた。
こんな夢を見た。一人の人影があった。それは長い時間孤独でいたが、背の高い影が増えた。顔までは認知できないもののどこかで目にしたような感覚に陥る。浮上していない想い、誰かが体験したものに触れてみる。それは温かく涙が出て止まなかった。対象が誰であるのかは知らないが湧き上がる愛しさ、儚さに間違いはなさそうだ。笑い合う声に包まれながら意識を閉ざした。