道すがら、ペニッシュコーク
あ、そうそう。あたしの名前は小津市舞。
今年の春から、この玉野区築港にある玉野海底女子学園高校に通う1年生! そろそろ学校の厳格な雰囲気にも慣れてきつつある今日この頃、最近刺激が足りないなーと思っていたその矢先、朝っぱらから目覚まし代わりのテレビに映し出されたあの飲料。
これからの人生、まだまだ捨てたものじゃないなと、あたしは考え直したのだった……本気で。
さて、あたしはすでに登校の途上にある。苦労して入学した高校は自宅からほんの少し遠かったが、毎日徒歩で登下校している(休日を除く)。
「ほんの少し遠い」のに、なんで徒歩なの、と思ったでしょう? 実は、あたしの通う学校はその構造上、自転車通学は禁止されている。自動二輪は論外。そして、自転車や自動二輪以外の手段で通学できない生徒は校舎と一体型の学生寮に強制入寮させられてしまうという、鉄の掟があった。
寮生活は絶対に嫌だし、意味無いし、自宅通学できない距離ではないので、あたしは徒歩で通っているわけなのだ。
親から貰った2本の足で、今日も大地を踏み踏み登校する。
親から貰う月毎のバス代で、定期券も買わずに。
家から学校へと向かう道程は、まず長いまっすぐな国道のわりと幅広な歩道をただひたすら前へ、前へと進むことからはじまる。時として、行く先にある海から吹きつけてくる風は強く、あたしの歩みを阻もうとする。だが、あたしの両足は、そんなことで挫けるはずもなく、一歩一歩、着実に学校へ向かい、ところどころに点在するベンチで休みもせず――
「今朝の『生朝ブライト』ご覧になりましてー?」
家から2つ目のバス停を通り過ぎるとき、真横からそんな声が聞こえてきて、あたしは顔をそちらへ向けた。「生朝ブライト」というのは、あたしが毎朝見てるあのニュース番組だ。
「いえー……私、朝はもう、てんで駄目で。そんな余裕はとても」
「まあー、アタクシは拝見いたしましたわー。大変興味深い話題でしたのに」
女子小学生が3、4人、固まってバス待ちついでで、冬でもないのに囲炉裏端会議を開いている。
“アレ”か……あの話か……と、あたしは察し、フッとシニカルな笑みを浮かべた。やはり、みんな気になっている。
女であれば、場合によっては男であったとしても、気にならない道理はない。
はぁ、早く飲んでみたいなぁ……こっそりと。
隠しようもない期待を切ない溜め息に変え、またしばらく歩く。と、そろそろいつものベンチに、あたしと同じ白ベレーを冠る女の子が偉そうに座っているのが見えてきた。
あたしと違って少年のような短い髪、そして勝ち気な眼差し。何か武道でもやってそうな雰囲気がある。
あたしと同じ帰宅部なのに。
その子はあたしの姿を目にすると、片手を上げ大声で叫んだ。
「おっはよー! パンイチ!!」
保育園、小学校、中学校と、あたしは友達の女子からずっと「パンイチ」と呼ばれていた。中学卒業と同時に親の転勤で引っ越し、それまでの住み慣れた街や友達とは離ればなれになって、なんとか新居最寄りの高校に入学できたので通っているのだが、やはりここでもクラスメートから付けられた渾名はパンイチ。
知る者が誰ひとりいない遠く離れた土地に来たのに、偶然とは恐ろしい。それがどういう意味で、どうしてその名で呼ばれることになるのか、あたし自身にはまったく見当がつくはずもなく。
「おはよう、エッッちゃん!」
あたしも負けずにそう叫んだ。
「エッッちゃん」が彼女の渾名だ……あたしが付けた。
「20分差か、今日も私の勝ちだね」
エッッちゃんは猫のような目を細くしてニンマリ笑った。ちなみに彼女の家はここから裏手に入ってすぐだ。
「だからぁ、それは当然でしょ。てか、何時からここにいるの?」
「ま、本当は5分前からなんだけどね! あはははは」
「やっぱりー」
エッッちゃんが悪びれもせず笑いだすので、あたしもつられて笑った。
あたしたちは知り合ってまだ日が浅いけど、クラスも同じでいつも一緒。エッッちゃんと合流しても、まだまだ登校の旅路は続く。
「――でさ、今朝見た?」
あたしは例の新商品の話題を振った。いつものテレビネタだ。エッッちゃんにはこれだけで通じる。
「あー、ウンズアリ大統領?」
「は? あの、ほら新しく……」
「どうすんだろね。20万いいね!って、なかなか大変だよねー」
「うん……ねー、ホント」
エッッちゃんの勢いに負けて話を切り出せず、あたしがショボーンとしていると、彼女は自分の手提げの中に手を突っ込む。
「へっへ! これのことだろ、パンイチ」
出てきたのは、まごうかたなき――ペニッシュコーク。ラベルからして間違いなく本物だった。
「どうしたの、それ?」
あたしは、それをまじまじ見つめながら聞いた。その形状から目が離せなかったが、蓋を取らない限りは従来の瓶ジュースと大差ない。
だけど、実物は……やっぱ違うと思った。
「実はさー、新商品のモニターの応募に当選しちゃって。昨日、10本ばかり送られてきたんだ。来週までに感想書いてグビットンのサイトのモニター選考ページにアップロードしなきゃなんない。優秀作はさらに1年分くれるんだって!」
「へえー。なんか、すごぉい…」
あたしは、月並みの返事をするのがやっとだった。あの社長さん、PCのことなんかは全然詳しくなさそうだったけど。
「ったく、もっと早く送ってくれるはずだったのにさー。明日が発売日ってどーゆーこと? これじゃパンイチ含めて数名くらいにしか自慢できんじゃん」
ぼやくエッッちゃんに相槌も打てないほど、あたしは彼女の持つ物に熱視線を送るのに夢中だった。
「…………うわっ!」
ペニッシュコークとあたしの間に、突然ニヤけ面のエッッちゃんが割り込んできて驚いた。
「これはパンイチのだよぉー。あたしのはコレ」
エッッちゃんは握り締めていたペニッシュコークを惜しげもなくあたしに手渡すと、手提げからもう1本同じものを取り出した。
そして――いきなりその場で蓋を開封する。プシューという音とともに、ピンク色の柔らかそうな、いや、そこまで柔らかくもなさそうな物が中からせり出してくる。
「や、ここで飲むのっ!?」
貰った物を素早く自分の手提げにしまいながら、あたしは悲鳴のような声をあげた。
「なにが? べつにいいじゃん」
事も無げに、エッッちゃん。ペニッシュコークのピンクな飲み口を自分の唇に当てた……!!
「あんん……」
見ていたあたしのほうが、思わず呻いてしまった。
さらに、大胆に頬張るようにして瓶を半ばまで口の中に押し込み、喉奥を擦り上げるようにして……抽送を開始する。ごくごくと喉を鳴らして、中味を飲み込んでゆく。
「あっあっあっ……」
妙にハラハラしながら、固唾をのんでそれを見守る、あたし。するとエッッちゃんが瓶から口を離した。
「ちょと、変な実況入れないでくれる?」
「入れてないよぉ!」
親友の理不尽な決めつけに抗議するあたしの声も聞かず、エッッちゃんは再び飲みだした。
「ごく…ごく……ぷはぁあっ! ペニーーッ…シュ」
内容物を完全に飲み干すと、空瓶を頬に添えて、エッッちゃんはポーズを決めた。
「なに、それ?」
立ち尽くし、ぽかんとするしかないあたしを置き去りに、エッッちゃんは不敵な笑みを浮かべながら歩み去っていった。学校のほうへ。
「すぐに分かるよ」
などと言って、背中で手を振って。
このまっすぐな国道をさらに進んでゆくと、右手に大きな病院が現れる。そこで国道は左に折れるけど、まっすぐな道は小さくなって、まだ続いている。そしてその、小さな道の入口の脇には「ようこそ、玉野海底女子学園へ!」という看板が立っているのだ。
あたしたちの通学路は、その先も少し続く。