朝起きて、ペニッシュコーク
ブウン! というテレビが点く音であたしは目を覚ました。上体を起こし、しばらく、ぼーーっとする。
カーテンの向こうからは小鳥の囀り。机の上の教科書とかは……宿題終わったあと、カバンに戻したか。
『――という経緯もありまして、ウンズアリ大統領夫人の拉致は阻むことができなかったようです!』
海外特派員の男が、世界のどっかの砂漠の真ん中でテレビに向かって内側から叫んでる。砂埃舞う中、鼻の穴を目一杯広げて。
テレビは、目覚まし代わりにタイマーsetしただけなのだが、消してしまうのも静かすぎて嫌だった。あたしはそのまま、着ているパジャマのボタンを外しだした。
『そして今回の、この事件の実行犯と思われるテログループは、えー大統領に対してですね、謝罪サイト「dogether now」にて20万いいね! を稼がない限り人質を解放しないという趣旨の犯行声明を――』
20万かあ、きついなー。あたしはノソノソ着替えながらもウンズアリさん(ともちろん奥さん)への同情を禁じ得ず、嘆息した。
よくは知らないけど、あのサイトってたしか、必ず実況でぶっ続けで謝り続けないとダメらしいからな……無理あるよなー絶対。
20万いいね! って……丸3日くらいかかるかも。
『この「dogether now」って、本当に犯罪者支援サイトですよねえ! 名前からして、絶対この国の人でしょ、運営してるのって!』
辛口コメンテーターが火を吹いてる。
『発案した人って、あの人だって話も出てるんですよねー……』
アナウンサーが仄めかす。
『と、言いますと?』
コメンテーターが食い下がると、アナウンサーは苦虫を噛み潰したような顔になった。
『だからほらぁ、我が国の国政を担ってると仰ってる、アノヒトですよ!』
『あぁーーぁ…ん、アノ!』
ここぞとばかりに色っぽい声で頷いた、隣の女子アナ。
「アノヒト」というのは間違いなく、諸悪の根源とも評される内閣総理大臣・平将基のことだ。彼が率いる政党・NT710がどうして選挙で勝てたのかもよく分からないけど(NTが何の略かさえ分からない)、平首相はあまりにも謎が多い人物だ……
けど、どーでもいい退屈な話、あたしにとって。女子高生の間では世間話にもなりはしないって。
最近、刺激が足りてないな。朝からピリッとできない。どうにもダルい。しんどい。アンニュイ。
朝起きて、学校に行って、夕方帰ってなんやかやして寝る、の繰り返し――毎日、毎日。登下校には時間が掛かるし、酸素残量の関係とかで高校なのに部活も一切無いし。
そう、ありきたりな普通すぎるこの日々を暮らすあたしにとって、ぶっ飛んだ刺激というのは浜坂の砂海の中の1粒の砂金のようなものなのかもしれない……
へっへぇーw
『では気を取り直しまして、次のニュースです。現地リポーターの冷小倉井さぁーん?』
時間が巻いたのか、アナウンサーが強引に話題を変えた。
『はーい! 私は今ですね、こちら――』
朝から元気なことで有名なリポーターが手を振りながら画面に現れた。20代……たしか23歳の笑顔が似合う女性インタビュアーだった。
『――という、我が国が誇る中小企業連合の中でも、わりと中核を担う的な会社さんなんですよー! で、こちらがその株式会社グビットン飲料の代表取締役・正加藤喜達さんでーす』
テレビカメラが右にスライドすると、頭が丸禿げたおじさんが現れ、軽く会釈した。作業着姿で人の良さげな、町工場の工場長さんて感じの人で、あんまり偉そうには見えない。
白いセーラーを着て、同じく白いベレー帽を被り、鏡の前でそろそろ着替えが済んだあたしは、ベッドの枕元の端末を操作して、ようやくテレビをoffしようとした――まさにその時だった。
『そしてぇ、これが! いよいよ明日発売の「ペニッシュコーク」になりまぁす』
冷小倉井リポーターが駆け寄り、自慢げに手で示した先にはテーブルの上に並べられた瓶ジュースがあった。中身が黒っぽい色をした、おそらくは炭酸飲料。飲み口が少し大きめだが、普通のジュースに見えた。
だが、その名前に、あたしはなぜか乙女心をくすぐられるものを感じ取ったのだった。
『ところがこのジュース、容器の方になんですけど、少し変わった仕掛けがあるんですよ』
もったいつけて、美人リポーターさんはその瓶ジュースの蓋を外した。すると中から、ゆっくりと…ムクムク、ピンク色の何かがせり出してきた。
見たところ、それはソフトラバー製のようだった。少し太めの口の部分より、なおも大きく張り出す笠状のものは、あきらかに瓶口と接合していて、どうやらそれが本当の「飲み口」であるらしい。
『ほら、ほらぁ! 逆さにしても、なんと溢れないんです!』
ひっくり返して持ち上げてみせる、冷小倉井さん。
『あらぁー……素敵ね』
と、スタジオの女子アナ。
『そ、そうですね。私なんかも、実はよくああいったジュースを倒しちゃったりするんですよねー』
即座に、アナウンサーがフォロー(?)を入れた。
『ちゃんとひとりでに起き上がるんですか?』
女子アナが奇妙な食い下がり方をみせた。
『えっ!? いや、手で起こすんですよ、よいしょっと手で持って。あのジュースだって、そうですよ』
アナウンサーが妙に狼狽えると、コメンテーターが訳知り顔で頷いた。
『よいしょって感じですよねー、わっはっは!』
いつも怒ってばっかなのに、まさかのご満悦。
『では、さっそく……飲んでみたいと思います! 社長さんによりますと、関係者以外の女でこれ飲むの、あたしが初めてなんですよぉ、とにも――』
などと、充分すぎるほどもったいぶって、冷小倉井はようやくペニッシュコークを口に運んだ。
指先でつまむようにして持ち直し、ちろっと舌まで出して……その舌先をピンク色のラバー製飲み口に添え、導くようにして口の中へと滑らせてゆく。
その一部始終をアップ気味に、カメラは捉え続けている。
美人リポーターはさらに、まだちょっともしないうちに瓶を喉まで突っ込んだ。ザラザラいぼいぼした瓶側面を口腔内に擦りつけるようにして、挿し抜きしながら炭酸飲料をかなりの勢いで飲み干していった。
『ぷっはぁーー!』
リポーターは200mlはあるそれを、一気に全部飲んだ。
『おいっしぃーー! はあ、はあ……てか、すごくイイですこれ!』
そう言いながら、冷小倉井さんの顔は真っ赤でせわしなく肩で息していた。
『ありがとうございます』
好反応に、正加藤社長も嬉しそうだ。
『あの、味はしゅわしゅわさっぱりとほの甘くて、想像してたのとは少し違……や、凄く上品な美味しさで! で、なんと言っても喉越しというか、飲み心地が……最高の気分になるんですよね』
『必死になって開発した商品ですからね』
『まさにこの「ペニッシュコーク」、社長さんの「命の結晶」といった感じじゃないですか?』
『いえいえ、私だけではありませんよ。全社員一丸となってこれを作り上げましたもので……私などは……』
『うう、あたしも、目が潤んできましたぁ! はあ、はあ、それでは最後に社長さんから一言、お願いいたします!』
『この「ペニッシュコーク」は、我社の社運をかけて作った商品でございまして、きっと御気に召していただけると確信しております。みなさん、ぜひお試しになってみてください』
『以上、中継終わりまーす! あのこれ――』
深々と頭を下げるグビットン飲料代表取締役さんの絵を最後に、カメラは騒然としたスタジオに返った。
あたしは、テレビを消した。その手は、震えていた。
ガクガクと、だ。
「……これだ!!」
そして、あたしは叫んでいた。2階の部屋の中から、隣近所にすら聞こえる声で。




