トーマの矜持
「・・・それにしても、今朝は釣れないなぁ。」
暖かな陽ざしと少しだけ冷たくなってきている風。
木の葉が小さくさわさわと鳴り、川の水がさらさらと静かに流れてる。
本当に静かだ。
・・・いや、静かすぎる。気が付くと虫の音さえ聞こえない。
ユーナはそっと釣竿を片す。愛用の細剣を引き寄せ、ゆっくりと辺りを窺う。
そのまま、急いで山小屋へ引き返した。そこにはすでに戦闘準備を整えた師匠が待っていた。
「ユーナ!よかった無事でしたか。急ぎトリスへ下りますよ。」
久方振りに緑玉の杖を持った師匠はやっぱりかっこいい。ニマニマと見とれつつ小屋の中に入ると街へ降りるための荷物をひっつかむ。
「それで、師匠。どうかしたのですか?やけに森が静かですが、、、。」
「どうやら黒骨馬が出たようです。先ほど骨鶯を見かけました。それと、なんども言いますが、師匠じゃないです。ユーナに魔術教えてないでしょう?」
「うぇ~。やっかいな。ならトリスに降りてギルドに連絡ですね。」
魔物は生物の生命力を喰らう。その中でも亜死族の強種である黒骨馬は肉を食まずに、直接に魔力を吸い上げる。魔力を奪われた生き物は瘴気にまみれて肉体を維持できずに腐り落ち、骨のみの魔物になる。
こうして眷属を増やすわ、近づくだけで魔力を吸い取るわで、その上、隼並みの速さで走り回り巨体を生かした体当たり。強力無比な蹴りや踏み付けまでしてくる。魔術を打ってこないだけマシとは言え、厄介極まりない魔物なのだ。
もっとも魔術主体の師匠なら単独でもまぁ、倒せるだろう。
やっぱり師匠はかっこいい。
好き。
ただ、無傷では難しい。師匠がケガをしたら、聖堂にいる牛女がしゃしゃりでてくる。回復魔術の魔道具やポーション系は聖堂が一括管理しているので、できれば師匠には髪の毛一本分のケガもさせたくない。
「それと聖堂にもですね。浄化の処理をしていただかな「いやいや、連絡は冒険者ギルドにまかせましょうよ。うん、そうしましょう!」
なぜか聖堂を毛嫌いするユーナを訝しく思いながら、やれやれと嘆息する師匠と二人で街を目指した。
師匠は足が悪いので、遠回りでも歩きやすい道を下りていく。
橋に差し掛かったあたりで、不意に音が止んだ。
ユーナでもわかる。
何かが、、、来る。
来ている。
広い河原を悠々と歩んできたであろうそれは川上から姿を現した。
「ユーナ、走って下さい! 『某は招く 久遠なる眠り 氷棺』!
時間を稼ぐので街から応援を呼んできてください!『集い、暴れろ 嵐壊』っ!」
詠唱による代替で略されたとはいえ、それでもなお複雑さと緻密さを以て構築された立体魔法陣を師匠は高速で2つも発動させた。その魔術の向こうに見えた黒骨馬は、馬の亜死族のくせになぜか鎧を着ていた。
ユーナは嫌な予感がした。それでも、天才的な師匠の自重なしの攻撃だ。きっと倒せているはず。
局所的に超低温を発現させる氷棺は近くに川の水をまきこみ、より氷が厚く堅牢になり押し潰す。拳ほどの圧縮空間に無限に連なる鎌鼬を発生させる嵐壊は、この河原のように開けた空間では周囲の暴風が加速され礫も巻き込み威力が上がる。
しかもこの2つは相乗的に効果を上げる。極低温かつ全方位からの衝撃と斬撃は数々の大型魔獣を粉砕してきた、師匠の決まり手の一つなのだ。
大丈夫、アレが無事な訳がない。だけど、師匠の魔術が直撃した魔物は竜巻の影で見えないが、その存在感は些かも衰えていない。
「くっ、足りないか?急げ!お前だけで走れ!『我 誘うは炎熱の舞殿、、、」
全力で魔術を構築している師匠はやっぱりかっこよくて、そして、あの時と同じ様な必死な表情で口調も乱暴になっていた。
だけどあの時と違って、複雑で繊細な立体魔法陣が高速で構築されていく。
ユーナももう守られるだけの子供じゃない。
雷鏃を使った矢をこれでもかと打ち込む。冬場の御馳走が溶けて逃げて行くような幻影が見える気もするが、意識の外に追い出す。
「、、焦がれ焦がし、獄炎もって燃やし尽くせ 炎帝降臨』!
こいつは黒骨馬じゃない。黒骨騎馬だ!街に知らせろ!行け!!」
そこらの魔物なら即死級の殲滅魔術を2重掛けして時間を稼ぎ、その上でありえない速度で陣を完成させ十八番にして最強の切り札、相棒の炎帝を召喚した師匠は数瞬の間、黒骨騎馬を睨みつけた。
その後ふうと息を吐くと悲壮な表情で自分の胸元の首飾りを引きちぎり、ユーナに投げ渡した。
「、、、だめですね。ユーナを嫁に出すまでは死ねないと思っていましたが、どうやら覚悟を決めないといけないようです。ギラ、出来るとこまでユーナを守ってくれますか?」
トーマは緑玉の杖をかかげ、魔力を集め始める。
「やだ、、、、だめ、やだよ、トーマまって!」
竜巻が引き、現れた黒骨騎馬は、まだ節々が凍り付いたままとはいえ無傷のまま吠え猛った。
トーマは、目線だけユーナに移すととても、とても優しい顔で微笑んだ。
「、、、冒険者になって、無茶をして足を壊して。
それでも付いてきてくれて。
魔札の材料を取るために森の中に居を構えて不自由をさせても、それでも側に居てくれて本当にありがとう。」
「死なないよね、一緒に逃げよ、あの時みたいに!今度は私が走るから!」
「あれからは私は逃げられませんよ。
知っていました?あなたを本当に娘のように思っていたのですよ。
なのに、師匠だなんて他人行儀に呼ばれて寂しかったな。」
更に魔力を練り上げながらクスクスとトーマは笑った。魔力が高まり渦巻くトーマには、必死に手を伸ばすも弾かれてしまいユーナはこれ以上近づけなかった。
「ちがう、好きだったの!師匠を、トーマを本当に大好きだったの!!娘じゃなくて、いつか隣に並びたかったの!」
「、、、私のようなおじさんではつり合いませんよ。
ユーナはいい子なのですから。
幸せにね。
あなただけならあれからも逃げられるはずです。
その程度の時間なら私でもかせげますよ。
ギルド長は元Bランクの冒険者ですし、今の時期なら比較的冒険者も多い。
町なら安全なはずです。」
少し困ったような師匠は、やっぱりかっこいい笑顔を終わらせ、決然と魔物に向き直った。
「さてと、化け物。付き合ってもらいますよ。
『末路わぬ者 忘れ去られし者 永久なる観察者 魂魄昇華』」
「だめ、いや、まって、まってよ!」
「時間は稼ぎます。
街へ逃げ延びてください。
さようなら。
そして、ありがとう。」
トーマの体から立ち上がった金色の粒子が、召喚されていた炎帝に吸い込まれていく。トーマが糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちると同時に氷の拘束を蹴散らした黒骨騎馬に炎帝が踊りかかった。
「やだ、やだ、トーマ、トーマー!!だれか、だれか助けて!!!」
禁呪とされる“魂魄昇華”は自らの存在を魔力に変換する。天才と呼ばれた男は、愛しき者を守るために最後にたどり着いた意地で炎帝にすべてを捧げた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回噓予告
炎帝と黒骨騎馬が意気投合!
第一章 第3話 「桜花賞への挑戦」
君は競馬はスポーツだと心に刻む。