表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元令嬢の結婚〜〜〜没落貴族の嫁と、大学教師の夫による日常筆録。〜〜〜  作者: ふゆき
 【本編】  元令嬢の日常と、その夫の少し昔のお話。
9/34

かつての婚約者(3)



一世一代とは言わずとも、それなりに勇気のいる行動だった。先日も問い詰めなければ、マリアは嫌な過去を口にしなくても良かった。だから、自分の行動には注意しようとしていた。


マリアの答えは実に簡潔、一言で終わった。


「要りません」


怒っているでもない、恥じらっているでもない、いつもの調子。新しいドレスを必要としていないことと同じように、ただ単にそれは不要だと、俺に告げる。


「……俺は要るよ。マリアは嫌だった?」


「私のことをハロルドさんから聞いたのでしょう。多分ハロルドさんが知っているのは、三人目の方のこと。つまり、私の三人目の婚約者です。

私はこれまで何人、婚約者がいたと思っております? 旦那様を合わせて五人です。貴族なら、結婚とは家の結婚になります。縁が切れれば、婚約も切れるのは珍しくはないのです」


「うん、知ってるよ」


本当は今日思い出したばかりなのだけれど、それもどうでも良いことだった。マリアの声がやや感情的になっていることの方が、よほど心配になる。


「……今のは言い訳です。私は慣れていますが、旦那様に慣れろとは言えないから、言い訳をしました」


「俺だって言い訳をする。ね、マリア、慣れる以前に、婚約した人数とか、俺は気にしていないからね」


自分の言っていることが本心からのものだと、マリアに伝わるよう手の握る力を強める。


奥方は視線を下に落とす。


「……知っていますわ。旦那様が、そういうのには興味も関心もないことを、知っております。でも、私に気を遣って優しくする理由には、なりません。私はあくまで、これまでたくさんの婚約者から婚約破棄をされた身です。

それは消えるものではないでしょう。旦那様が嫌に思うのは当然ですが、優しくしようとするのは、私には要らないのです」


「迷惑?」


「いいえ、決して。ただ、旦那様の良心に甘やかされたくはないと思っている、私の我がままです。結局私の勝手を聞いて欲しいと言っているので、矛盾していますが……」


私は、と奥方は今度は俺の目を逸らさずに、こう言った。


「私は旦那様の妻ですから。ひたすらに守られる役目は、恋人までで十分ですわ。妻の私には不要なことです」


それは寂しいと言いたかった。


しかし自立心の高いマリアは、守られることに少しの嫌悪感を抱いている。彼女の意志は、岩よりも硬いに違いない。流されるだけの令嬢とは違うのだから。


それでも、元婚約者ごときにデートを邪魔されてはたまったものではない。


大体、かなり頑張ってお誘いをしたのである。


あっさり潰されてしまっては、やわい俺の精神力では立ち直れない。


「でも俺、結構、気合いを入れて誘ったから、断らないでよ。夫婦なんだし、出かけるくらい、いいはずだよ。そう、退院祝いだよ、退院祝い! マリアは重く考え過ぎなんだよ」


「そうでしょうか」


マリアは首を傾げる。どこまでも頑固な人なのだ。


最終的には粘り勝ちでどうにか約束に漕ぎ着け、俺は深く息を吐いた。


(ハロルドが簡単そうにデートに行ってたモンだから、勘違いしてたな。デートはする前から戦闘だと、始めに教えて欲しかったよ)




***




一休み、と安心したその週末。


あろうことか、俺は風邪を引き、デートのお話は見事おじゃんとなった。


「馬鹿ですね」


平坦な声でマリアはコメントを述べる。


「馬鹿は風邪を引かないよ」


「じゃあ阿呆ですね。汽車のあとは風邪ですか。大阿保ですわね」


返す言葉もない。


マリアは咳込む自分の世話をしながら、てきぱきと優先順位を決め、家事などの仕事もこなしている。なぜか部屋の椅子に腰を下ろしているハロルドに、お茶や菓子を出すのも抜かりなく済ませる。


ハロルドが医者からもらってきたという薬を、マリアに渡す。


「アーサーは馬鹿でも阿呆でもなくて、ガキなんだよ。大学時代に教師と大喧嘩して、その後の授業を全欠席して、最後の試験だけは満点を取ったんだよな。しかも解答用紙には試験の間違いと、複数回答例まで上げ連ねた。

お陰でその教師からは睨まれて、就職に響いてたよな」


「あら、そうなのですか」


「そうそう。アーサーは後のことを考えなさすぎなんだよ。本を買う金をミネー川の中に落として、服を着たまま泳いでいたのには、目を疑ったね。しかも、溺れかけてた! いやいや、笑ったなぁ。人がミネーの中でもがいてたって、大学では話題になったぜ」


薬の副作用か、意識がうつらうつらとしている。


そのせいで、ぽろりと本音が溢れ落ちた。


「金は回収したからいいじゃないか。それに友達は増えた。お前と話すようになったのは、その時からだったよ」


多分、俺は風邪で油断してしまった。


でないと、そのことまで言わなかっただろう。


「そもそも、あの教師は意識して、俺の爵位を……」


「アーサー!」


振り返って目を合わせた悪友は、ひどく緊張した顔をしていた。


「眠いなら、一眠りしたらどうだ」


やっと制止の意味を悟る。


今なにを言おうとしていたのか。


ハロルドが止めてくれなかったならば、どこまで口を滑らしていただろう。


マリアは幸い、後ろを向いて独創料理の制作に取りかかっている。豚肉に唐辛子(唐辛子!)をせっせと詰める作業に没頭して、全く耳には入っていない。危ない、危ない。


「あ、ああ、寝ることにしようかな…」


ハロルドと目を見合わせる。


(ありがとう、すまない)


小さくハロルドは頷き返すと、マリアに会釈をした。


「では、今日はここで失礼するよ。マリア嬢、紅茶をありがとう。また、今度」


「あら、はい。今日は旦那様が失礼いたしました。またもてなさせて下さいませ。どうか、お気をつけて」


深々とお辞儀を返すマリアを視界に収める。


彼女はきっとどうとも思っていないのかもしれないけれど、貴族の教育が、その物腰からは現れている。



(………マリアはもし、俺の爵位を知ったならば、どう思うだろう)



アーサー・ストウナー公爵。



公爵デュークは、帝国の国王を除いた爵位の内、最上位を意味している。


侯爵マーキスとは一つしか違いがないとは言え、その地位と権力は格段に異なる。


公爵の爵位を持つ者は、ほとんどが国王の親族に当たる。


(できれば、言いたくはないな)


唐辛子の匂いが鼻にきたのか、ツンとして、涙が出そうになる。


風邪は気を弱くさせるから良くない。


(楽しいこと、楽しいこと……ああ)


ああ、そうだ。


今度マリアに一緒に出かけようと誘い直そう、と、そう思いながら、風邪引きのアーサー・ストウナーはゆっくりと目蓋を閉じた。




次回11/1投稿予定

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ