木漏れ日(7)
寂しがり屋な人だったのだ、と今さらになって知った。昔何年も婚約していた頃は、リチャードの性格を知ろうともしなかったから、無理もないことだった。そしてリチャードも、マリアを知ろうとは思っていなかっただろう。
アーサーがマリアに構うから、マリアも自然とアーサーを知りたくなった。そういうものだったのだ。
「全部を、アーサーにあげることはできませんの。私には友もいます、お姉様と呼ぶ方もいます……あと、今までの婚約者の方々も。アーサーだって、教師のアーサーは、少しも私のものではありませんわ」
この数日、大学を共にしていて、一度も妻と扱われたことはない。ふにゃふにゃしているように見えるアーサーは、徹頭徹尾、あくまでマリアを補佐としていた。生徒に興味を持たれたり、ハロルド・グレイにからかわれていた時は別として、基本の姿勢は揺らがなかった。
マリアよりも先に、生徒を見ていた。そんな教師としてのアーサーを眺められるのも、残り少ないのは残念だった。
マリアはとても、サー・ストウナーを好きなのだと思う。
「ハロルドさんといるアーサーだって、私のものではありません。私たちはお互いだけで、できていは、しないのです。氷公のアーサーは、間違いなく、リチャード様、アーサーが貴方様へあげる一部なんでしょう」
嫉妬するかしら……ええ、ちょっとはしたくなるわね。
でも自分とだけいるアーサーが、好きなのではない。離れすぎて寂しくなっても、無理に相手を縛りたくもない。だから、全部をあげれないし、もらおうとも思わない。
曲は最後のステップを終え、緩やかに円を描くように、収束してゆく。だんだんと腕が離れ、そして、完全に手は離れた。
スカートの端を摘んだ。脚を引き、腰を落す。
最後の挨拶だった。
曲が止んだと同時に、生徒たちは嬉しそうに、うまくできたと言い合い、騒ぎ出した。アーサーのバイオリンに対する驚嘆の声も少なくない。
アーサーは迷わずマリアとリチャードの方に駆ける。
「……リチャード、いいダンスだったよ。ありがとう……生徒たちにも、完璧なお手本になっていた」
お礼を言われるとは予想していなかったリチャードは、目を見張った。
「ああ」
「時間がないなら、今のうちに抜け出すといいよ。官僚に質問したい生徒は多いから、捕まったら厄介だ。衛兵とかは」
「校門に待機させている」
「じゃあ、そこまで送る。皇帝陛下の一人歩きは、させたくないからね。リチャード、君はもっと自分の身を大切にしてほしいよ。何かあったら、ステファニーだって泣く。
おーい、生徒諸君、次の授業が押しているので、今日はここで解散! 次回、それぞれに講評をする。きちんとステップの復習はしておくこと! 今日の上達ぶりなら、次の舞踏会が期待できそうだ」
アーサーは、パン、と手を鳴らし、生徒に挨拶を促す。
「ありがとうございました!」
バラバラで粗雑な挨拶に頷き、教室を出た。
リチャードが思い出したように、マリアを見る。
「そういえば……元婚約者殿、ダンスができるようになったのか」
「はい。これも私がアーサーからもらったものです」
「俺が? いや、マリアは最初から、上手だったよ」
「惚気はいらん、黙ってろ」
「ええっ! 勝手に押し来て、その言いようはないよ、リチャード。酷いなぁ、そいうのは臣下に出しすぎないでくれよ。慣れてないと泣くだろ。多分、もう、泣かせてるんだろうけど」
酷い、と言いながらアーサーは嬉しそうだった。
門の柵は近い。そばに黒い服を着た男の姿もいる。リチャードの言う衛兵なのだろう。それを確認したアーサーは、少し、懐かしむような表情をした。
(旦那様も、あんな衛兵に囲まれたことが、あるのだわ…)
氷公、氷の公爵時代のアーサー。マリアはまだ、知らない。
アーサーは離れる間際になり、リチャードを抱擁した。リチャードは安心したように目蓋を下ろす。頭ひとつ分リチャードは小さいので、兄と弟のようにも見えた。
もしアーサーが氷公であるならば、マリアとリチャードよりも、目の前の二人の築いた関係は、きっと果てしないものなのだ。
皇帝唯一無二の側近と言わせしめ、圧倒的でどこまでも姿の見えない存在であり続けたのが、マリアの聞いた氷公の噂だった。そして噂よりも、遥かに恐ろしい人物に違いないと、皆が思っていた。
それは、どれくらいのものか分からない。リチャードがここに追いかけて来てまでほしいのだと知っても、理解するのはきっと別の話になる。
「……泣かせるとか、それはもう宮廷から逃げた、俺に言えた話ではなかったね。すまない。
泣いてもリチャードと一緒にいたい人の中には、きっと、本当にお前と、国を創りたい人はいるから、大切にしてあげてくれよ。俺だって、そうだったんだから。…………それに、本当に、必要な時は、氷公だって…呼んでいい」
「阿呆が。隣に妻をおいといて」
「いいです。私も、それで構いませんわ」
リチャードも、アーサーもマリアに視線を向けた。
もう一度、ダンスを終えた時のように腰を落す。今度はもっと深く、そしてゆっくりとマリアは拝礼した。
帝国で人々がこの礼を行うとしたら、ただ一人のためだけだ。
あともう一話で、やっと『木漏れ日』は完結です。こう長くなったのは、ひとえに伏線を貼るのも下手で、回収するキャパもない書き手が原因ですねー笑
面倒くさがらずに読んで下さったら嬉しいです( ・∇・)




