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元令嬢の結婚〜〜〜没落貴族の嫁と、大学教師の夫による日常筆録。〜〜〜  作者: ふゆき
 【本編】  元令嬢の日常と、その夫の少し昔のお話。
14/34

自鳴琴(2)



マリアとの最初のダンス練習まで、俺、アーサー・ストウナーは綿密な準備をせっせと行った。なにしろ、俺の奥方がどれくらい『苦手』なのか分からない。


なので、結構な気合いを入れて臨んだのだ。


事前に行ったのは、マリアと訪れたことのある帝都の貸し本屋だった。熟考した上で、『はじめてのダンス・パーティー』『舞踏会、古今東西』を借り、二冊とも大学の休憩中を利用して読破した。


ダンスパーティーが始まる前からのマナー、簡単なステップ、男性のリードの仕方、女性の姿勢などなど。貴族階級というよりは、上流人ジェントリ向けの内容になっている。


所々簡略化され、敷居が低めの舞踏会に近い。今回の大学主催のダンスパーティーにはもってこいだろう。


(一通りは、俺の子供時代の教育で事足りるな……あれはあれで、英才教育が行き過ぎたようなものだったけど、こんなところで役に立つとは)


それ以上の確認は不要と判断し、さらなる本に手を伸ばした。


『ほめてのばす子育て術』。


(これ……ううん、貸し本屋の指導書ランキングの首位だってお勧めされたけど、少し、ズレてるよなぁ)


一応教師であるのに、教えるのには自信がない。借りている代金ももったいないので、しっかりと読み込んだ。意外と面白く、甥っ子で実践してみたくはなった。




ところがそれが、思わぬ弊害を生んだのである。


不真面目な生徒は、こういう時に限って目ざとい。ミスター・窓際に子供ができたと、俺としてはままならない噂が先週から立っていた。レポート課題も出さないくせに、どこで調査したのか、今週に入って事実関係の裏が取れ、子供の存在は否定されたらしい。


すると、噂は新しいものへすり替わっていた。


曰く、『妻に冷たくされたわびしい男性教師が、妄想のために子育て本を借りた』。


(ソレ、完全に変態だろう! 誰が侘しい男性教師だって言うんだ。マリアに冷たくはされていない、なにしろ、アレが平常状態だもんな。確かにあまり笑わないけど、その良さも分からんとは。

しかし、侘しさを身に着けてこそ、一人前の渋さが備わるものだっているのに……)


若者にはその魅力が理解できないらしい。たいへん、たいへん、それは実に残念なことだ。



***



「子育て本を借りてる変態って、来るところまでキタよなぁ。アーサー、大学を解雇されて困るのはお前だけじゃないんだぜ。

マリア嬢も変態夫の世話は御免だろうからな。離婚届を出された時は、渋らずにサインしてやれよ」


縁起でもない戯言を言うのは、やはり悪友のハロルド・グレイ。当然のように大学の休憩室のソファに寝っ転がり、伸びをしている。


煙草を勧められる。


窓を開け、俺は久しぶりに机から煙管きせるを取り出した。服の袖で申し訳程度に擦り、綺麗にすると、それを口にくわえる。


ハロルドが柔らかな煙草の葉を、煙管の火皿ひざらに詰めた。マッチを慎重に擦り、葉に火を灯す。


甘味と苦味、優しくひりつく舌の上。結婚して以来になる味が、口内に広がる。


「ありがとう」


「どうも」


「……マリアが離婚届を、ってことだけど……その時は離婚届を破くね。マリアは意外と強く押したら、引いてくれる人だよ。

……そもそも、若者からしたら、俺の世代はもう、寂れている過渡期に入っているんだよ。多分ね。お前だって色男だけど、マリアたち乙女からしたら、瑞々しさのない、侘しい人になるかもしれない。それはしょうがないことだろう」


これは嫌味ではない。大体、時代はそうやって移ろってゆくものだ。


ハロルドは何が楽しいのか、ニンマリと笑みを作る。


「俺のは侘しいじゃあないぞ。憂いている、に入るんだよ。だからアーサーは分かってない。アンニョイアンニュイな男と陰気な野郎は全くの別モンだ」


「曲解!」


反論するも、優雅に指を横に振ってかわされる。鼻につくが、やはり婦人方が騒ぐのが無理もない、整ったりをしている。


「それで、ダンスの方はどうなんだ?」


「それ、マリアの前では出さないでくれよ。彼女は酷く気にしているし、子育て本の誤解がなかったら、お前には言わなかったつもりだったんだから」


そう言ってもう一吹き、煙草を味わう。


「…………ダンスは、リード役があるだろう。普通男性が、女性のリードをして踊る。だけど、マリアにはそれが要らないんだよ」


「へぇ」


「いや、要らないんじゃないな。マリアがリードする。

マリアは男性に導かれながら、足でステップを踏むのが下手なんだよ。マリア自身が、相手の導き役になれば、つまり俺が本来は女性がやる役割をできれば、上手いよ。

うん、全然、上手い。無駄がない、マリアらしい優美なダンスをするね。えっと、なんと言うか……」


もう一口、煙草を吸った。いやに口が寂しく感じる。今まで煙管をくわえていて、こんなことはなかった。


「のんびりお話ししながら、踊りましょう、って感じではないんだな」


「それは……社交界向きじゃないな。男性にリードさせないよってなったら、そりゃダンスも下手にならざるえない。ははぁ、こりゃまた個性的なご婦人だな」


ハロルドの言うことはもっともだった。


マリアのステップも、ターンも、いくら華麗だとして、貴族の坊ちゃんには不評に違いない。彼女が自分がダンスが下手だと思い込むのも、理解できた。


(さて、どうしようか)


そう思いながら弁当の包みを解く。ふわりと、温い温度が手に伝わる。


新聞紙にはソーセージ、豆やキノコの挟まれたパンからは目玉焼きも見える。煙管をくわえていていても、寂しかった口の渇きが突然、消えてなくなった。


煙管を口から離す。時と同じように、人だって変わる。


ダンスパーティーが開かれるのは、明日。



次回11/11投稿予定

2019/11/10訂正 次回11/14投稿予定にします

遅くなりますがどうぞよろしくお願いします

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