バイオリン(3)
「……ねぇ、あの時あなた、なんて言ってたと思う?」
突然のエミリアの質問に、マリアは首を傾けた。
「いつ?」
「勝手に私のバイオリンを弾いて、私に返した時よ」
全然覚えていない。
エミリアらしくもなく落ち込んでいる姿と、それを嘲る女生徒の集団は記憶している。変な人と思われているのはマリアも同じだったから、無性に手を伸ばしてしまったのだ。
「あの時ね、あなたは『男の方が弾くのが普通な楽器をわざわざ持ってくるなら、それに見合う勇気が、もう、あるんでしょう。いつもみたいに前を向いて下さい』って言ったわ」
『狂人らしくないわ!』
そう啖呵を切ったことを、思い出す。
頬が火照った。なんだかんだ、自分は導火線が短い。
「マリアに叱られて、お花ちゃんなご令嬢よりも、ちょっと狂人な自分が好きだってはっきり自覚したのよね。感謝してるわ」
そう言って優雅に紅茶を飲むエミリアは、実に幸せそうだった。
「今度は私のマナー・ハウスにいらっしゃいよ。その時にまた、バイオリンを聞かせて欲しいわ」
「それじゃあ練習しないと。でも私、バイオリン持ってないわよ」
「それくらい贈るわ。遅くなってしまったけれど、結婚祝いよ。女性向けではないけれど、マリアはいいでしょ?」
花でも甘い菓子でもなく、豪勢な調度品でもない贈り物。友人らしい選択だ。
かつて持っていたバイオリンは、マリアが元の家と共に売ってしまったので、以来、どこかへ流れてしまった。冬支度で物入りになっているこの時に、入れ替わりに思い出が一つ、戻ってくるかのようだった。
胸がほかほかと温かいのは、紅茶のおかげばかりではない。
「やっぱり、私、エミリアが好きよ」
そう言うと、友人は麗しい笑みを浮かべて断言した。
「決まってるじゃない」
***
数日して、マリアの元へ小包が届いた。
宛名はミセス・狂人。中身は一級品のバイオリンと弓。エミリアはかなり奮発してくれたようだ。
「マリア、怪しい人に名前と住所を教えていないだろうね」
心配するアーサーは、小包をひっくり返したり、宛名の紙を透かしたりとせわしない。
「大丈夫です。友人からですから」
「えっ、でも、宛名に狂人って書いてある…」
「間違っておりません。友人は狂人なのです」
「……狂人なの?」
「はい」
アーサーは首を捻っている。
弓をつがえ、マリアはバイオリンの弦を震わせた。
懐かしい、ダンスパーティーの調べが部屋の中に広がる。夢の中で、クルクルと乙女たちが回転し、手を重ね、踊る。
薔薇色の飾りや、金の彫刻で美しい女学院の大広間。かつてはそんな場所で演奏していた。今は質素な部屋の片隅が舞台、観客はアーサーだけだ。
それで十分。
「……」
黙って聞き入ったアーサーは、演奏が終わるとすぐさま拍手をした。ぱちぱちと子供のように、何度も何度も手のひらを合わせて、マリアへ拍手を送る。
「……格好いいね。持っている姿も似合ってるよ、凛としていて」
混じりけなしに褒め言葉を言うのだから、動揺する。頭を下げ、観客へ向ける礼をした。
「ありがとう存じます」
「でも、それ少しずれてるね。貸してみて」
「え?」
さっとマリアの手からバイオリンが離れる。
アーサーは上の方の弦を繋いでいるネジを何本か回す。それを終えると、マリアの右手に収まっていた弓を抜き取った。
一息。
鮮やかな旋律がバイオリンから溢れ出した。
アーサーの指が細かに弦を抑え、弓が軽やかに動く。ダンスではなく、色づく秋そのもののような、情景を変える音が奏でられてゆく。
(……喰えない旦那様…!)
何小節かで、それは止まった。アーサーはマリアへ丁寧にバイオリンを返す。
「いやぁ、いい品だね。もうすぐ、大学の方でもパーティーが開かれるんだよ。男子生徒は気になるご令嬢を誘ってくるんだけど、演奏家を呼ぶ予算を浮かしたかったんだよね。
俺が今年の雑談係で、最近はずっと帳簿と会計帳の間で悩んでいたんだよ。バイオリンがあるなら、マリアに弾いてもらおうかな」
「何言ってるの、アーサーが弾きなさいよ!」
「え? あれ、マリア怒ってる?」
「怒ってません!」
「ええ、やっぱり怒ってない?」
ちょっと出鼻が挫かれただけで、断じて怒ってはいない。そう思うことにする。
情けない顔をしながらアーサーは頭をかく。
(もう、自分の行動一つで、そんな顔をしないでほしいわ)
チクチクと良心が咎められるではないか。困ったマリアに、アーサーは爆弾発言を投下した。
「でも、どっちにしろマリアには来てもらわなきゃな…。教員もダンスパーティーでは、パートナーが必要だから、配偶者がいる人は、妻も連れてくるのが伝統なんだよ」
「……は」
何ですって。
動きを止める。今、アーサーはダンスパーティーと言っていた。しかもマリアが同伴するらしいと?
「マリア? どうしたの、顔が青いよ?」
「……困ったわ」
困ったどころではない。
大問題、自分はダンスが大の苦手なのだ。
次回11/5投稿予定




