バイオリン(2)
マリアがエミリアと友になったのは、女学院の生活を一年も過ごした後のことだった。
マリアは落ちぶれた侯爵令嬢として、そして貴族らしくない同輩として、自分がいくらか浮いていたことは知っていた。
恥ずかしいことに、エミリアはそんな自分に、突っかからない人としか思っていなかった。
「マリア、あなたすごく尖っていたものね」
頬杖をつくのさえ艶やかに見えるエミリアが言う。
「それはエミリアにそのまま返すわよ。誰よりも目立ってたじゃない」
「うーん、それはそうね! お金はあるなら、いくらでも興味のあることに注ぎ込みたかったし、買い物だって楽しかったんだもの! そうそう、ミス・狂人とか言われてたわね。懐かしいわ!」
「それだけ周りは羨ましかったのよ。エミリアは確かに、心から自分のやりたいことをしてたし。フリークでもみんなの中心だったわ」
「そうね…」
ソバカスがあってもエミリアはお洒落で明るく、強い意志を持った人だったのだ。
そして当然のように、周囲は羨むだけではなく、やっかむ生徒もいた。
「マリアは私に全然興味がないみたいだったけどね。大人みたいに落ち着いていたもの」
「それ、私なんべんも言ってるわ。私だって興味もあったし、エミリアのことを目に留めることはいくらだってあったわよ。
でも、顔に出すことはしなかっただけ。わざとエミリアの周りで話かけることも、ただしなかっただけよ」
「それ以上にやるべきことがあったんでしょ。家とか、結局あなたが背負っていたもの。それが大人なのよ」
「そうかしら」
「そーよ。そうなのよ。自分の意志はしっかりしていないと……だから、私はマリアとどんなに価値観が違っても、一緒にいられるわ」
エミリアの言葉を聞いて、紅茶のカップを持つ手を止める。
マリアはきゅ、と口角を上げた。
「私、そう言うエミリアが好きよ」
「…誑かそうとする! マリアって突然ドキっとさせるんだもの。ダンスパーティーの時はバイオリンを弾いてたけど、もし男役をやっていたらファンができてたわよ。
そうね、ええ、私だってマリアが好きよ!」
エミリアは照れていた。堂々としていても、不意打ちでは思わぬくらいに動揺する。変わっていない。
幼かった頃のように、くすくすと笑い合う。
「ダンスパーティーなんて、何年前? もう、それから何度か冬はきたわ。懐かしい……」
「ええ。私とマリアが仲良くなったのは、確かに一年の時のダンスパーティーだったもの。調律の足りないバイオリンを持って行って、ここぞとばかりに馬鹿にされて、嫌われてた人たちから仲間外れにされて……でも、マリアは違ったわね」
「言い過ぎよ」
今度は自分が照れる番だった。
エミリアも含み笑いをして、それ以上は言わなかった。
しかし本当に懐かしい思い出だった。あまりに周りがからかい、エミリアらしくもなく俯いていたから、その時のマリアは腹が立ったのだ。
エミリアからひったくるようにして、マリアはその場でそのバイオリンを調律してみせた。それでも、エミリアは首を横に振っていた。
だからマリアはバイオリンを肩にのせ、即興で美しい旋律を奏でた。
それ以外にどうすればいいかも分からなかったので。
二人はしばらく、外の景色を眺めていた。黙っていても、それでも心地良い。カフェから見える楓は、綺麗な赤色に色づいている。
「……アーサーなら、うす霧とやわらかなる豊穣の季節、とか詩を読むわね」
ぽつ、と呟く。この頃は、ふとした拍子にアーサーの存在がマリアの中に浮かぶ。
「アーサーって旦那様のことね。そういえばいい人だって、手紙に書いていたわね」
「ええ。いい人よ」
「それは、喜ぶべきことね」
頷いた。心からそう、思っている。
アーサーは少し変だし、頼りないけれど、自分の夫がアーサー・ストウナーなのは幸運なことだろう。
エミリアには十分に伝わったらしい。エミリアも、顎に手をのせ、噛みしめるように言った。
「私も今の夫を選んで良かったわ。爵位がどんなに低くても、私がほしいものを与えてくれるのはあの人だけだもの」
「……そう」
ほしいものを、アーサーは頼りなくてもくれている。
本を自由に読むことや、たまの休みに出かける時間。マリアの意志を妨げようとは、しない。
でも、ほしいものを自分はアーサーに与えられているのか。
マリアはふと、考えて、すぐにその思考は風にさらわれた。




