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三文ミステリ作家シリーズ

床の間の黒い金庫

作者: 純丘 曜彰

/三文ミステリ作家の私が老舗旅館の大女将に短編を依頼された。宣伝用だと言う。とりあえず行ってみると、大きな金庫のある奇妙な部屋に通された。しかし、書きあぐねて居る間に、大女将は亡くなってしまう。墓を開けると、先代の骨壺には鍵と、番号を書いた召集令状が入っていた。さて、金庫の中は。/


 それにしても、床の間に金庫というのは異様だ。壁に埋め込まれている。こんな大きな黒い鉄の塊を背にして、なにか書けと言われても、気が重い。いや、軽々しく引き受けた私が悪いのだ。三文ミステリ作家の私のところに分不相応の丁重な手紙が来たのは先月のこと。和紙に筆書き。この宿の大女将から。私の昔の小品を読んだ。宣伝のために、この宿を舞台に、ひとつ佳作を書いてほしい。相応の礼は準備してある、まずは見に来てくれ、できあがるまで逗留していただきたい、とのこと。


 かつては良い時もあったが、ちかごろはとんと本の売れ行きも芳しくない。だから、その相応の礼とやらに惹かれなかったわけではない。しかし、それ以上に、この奇妙な仕事の依頼に心を動かされた。というのも、この宿の名は、それほどの旅行好きでなくとも知らぬものはない伝統老舗の一流旅館。陛下、宮様方はもちろん、歴代の総理大臣を始め、錚々たる文人墨客が集い、いまなお常連の紹介無しに一見には足を踏み入れさせぬという敷居の高さ。建物は、釘一本使わぬ木造四階の楼閣造り。装飾、調度も、すべてその道随一の職人たちが技を競った品々。こんな話でも無ければ、私などがここを訪れる機会などあるまい。


 他の連載の仕事を適当にやっつけ、どうにか一週間ほどの余裕を作り、新幹線とローカル線とバスを乗り継いでやって来た。白髪で丸顔の御主人と、これまたその御主人にそっくりな丸顔の女将があわてて夫婦で玄関に現れて言う。「お早い御到着で。御連絡いただけたら、駅まで車でお迎えにあがりましたのに」「いえいえ、途中も取材ですから」「ほんとうに、こんな遠いところまで御足労いただいて」「いま母が参りますので」「しかし、これほどの宿なのだから、いまさら私などが恥をさらさなくても、よく調べになればなにか小説くらいあるのではありませんか。実際、あれこれの大作家先生方もお泊まりになったのだから」「いえ、それが……」


 大女将が奥から出てきた。小柄ながら圧倒的な存在感がある。鉄の女。かなりの高齢の御様子ながら、背筋は伸び、着物が映える。深々と頭を下げて言う「よくいらっしゃってくださいました」「いえ、とんでもない、お招きに預かり、恐縮至極に存じております」「お願いごとは文に書きつけたとおり、期限も条件もございません。お礼はこちらに」と、芸の細かな染め抜きの縮緬袱紗から熨斗付きの封を取り出す。厚さに驚く。銀行帯のままの百万か。「それでは多すぎます。なんにしても後で」女将が目を伏せる「これは大変な失礼を致しました。まずはお部屋へ。ほれ、昭一郎、先生を渓流の間へ」「はぁ、でも、あの部屋は……」「問題ないよ。きれいに片付けさせておいた。昔のようにね」


 宿の御主人みずからが私の鞄を持って、部屋に案内してくれた。月日に磨き抜かれた柱。年毎に塗り直された土壁。「ここは、玄関が二階でして」と、迷路のように入り組んだ薄暗い廊下を進み、階段を降りる。突き当たりを曲がり、その先を鍵型に曲がって、陰の扉の裏の部屋。「ここでございます」とはいえ、中は明るい。広く開け放した間口からは、きらめく川面が見える。縁側からは外にも出られるようだ。鴨居や違棚などの造作も、立派で凝っている。


 それにしても、さっきの大女将のもの言いは気になる。「ひょっとして、以前にこの部屋でなにか……」「ああ、先ほどのことですか」私のことをよほどの大先生かなにかと勘違いして、ずっと緊張していたようすだった御主人が、急に肩の力が抜けたかように笑った。「だいじょうぶですよ、おばけなんか出たりしませんよ。じつは、ここは客室ではなく、当館の当主の部屋なんです」「え、御主人の?」「いえ、私どもは、戦後はずっともう離れの方に暮らしておりますので、ここはしばらく使っていなかったんです。それで、ずっと物置のようになってしまっていて」「ああ、そういうことですか」「ええ。この部屋でしたら、母の言うように、もともと予約もなにもありませんので、いつまででもお気がねなく、ごゆっくりお過ごしになれるかと」


 掃除も隅々まで行き届いている。建具や障子はすべて新調され、雨じまいもいまどきのアルミサッシだ。当然、畳も新しいものに張り替えたばかり。いい香りがする。しかし、この部屋に入れば、大きな一枚木の座卓の奥、床の間に埋め込まれた大きな黒い金庫が目に入らないわけにはいかない。人ひとりが入れるほどの立派なものだ。「あれは?」「ああ、あの金庫ですか。お客様の特別な貴重品をお預かりするためのもので、いざというときには、当主が一命を賭してもお守りすることになっていたのだとか」「いまも使っているのですか?」「まさか。鍵も失くしてしまいましたし、番号もわかりません。まあ、西南戦争やら、二二六事件やらのときには、この宿も、密議だの、謀略だので、いろいろ大変だったようですが」


 主人が出て行って、とりあえず床の間の前に座ってみたものの、どうにも落ち着かない。宿ができて数百年。この建物になってからだけでも百数十年。その当主でもないのに、ここに座るのは、身に余る。まして、客の貴重品の入った金庫を命懸けで守る覚悟とはいかほどのものか。国がひっくり返るほどのなにかが入っていたこともあるのだろう。いまにも、廊下に怒声が響き、目を血走らせた連中が銃と剣を突きつけて飛び込んでくるのではないかと、恐ろしくなる。




 ゆっくりと豪勢な食事を楽しみ、岩風呂温泉とやらにもつかり、いやいや極楽。部屋に戻れば厚手の布団もきれいに敷かれ、あとは寝るばかり。川向かいの別の旅館の宴会の声が遠く聞こえてくるが、それもまた旅の気分を高め、移動の疲れと少しの酒もあって、すぐに寝入った。


 翌朝は、これまた部屋で食べきれないほどの朝食を食べ、これではいかんと、丹前のまま縁側から外に出て、しばし腹ごなしの散歩。それにしても立派な建物だ。庭園側に回って、すこし斜面を登ってみれば、昨夜の客も帰って掃除に支度と各階でかいがいしく働き回る仲居たちのようすも見え、さすがの一流旅館との感慨もひとしお。


 とはいえ、広い。まあ、この季節に庭に出ても、なんの花のあるわけでなし、人にも会わぬ。温泉の配管の修理だろうか、灰色の塩ビパイプを持った灰色の作業服の男にすれちがったくらいだ。「こんにちは、工事ですか?」「ええ、まあ」「この道、このまま登っていったら、どこかに出られます?」「いや、崖の下に出て、行き止まりです」「裏山に登るには?」「いったん降りて、表の道から回らないと無理ですね」「ああ、そうですか、ありがとう」しかたない。もう引き返すことにしよう。


 昼は、なにか軽いものを、とわがままを言って茶漬けを願い、それからうつらうつらと小一時間。午後は館内を探検。まだ客が来ていないのをいいことに、あちらこちらの階段を登ったり下りたり。それで、ようやくこの宿の構図がすこしわかってきた。建った後先は知らぬが、大きく三つの巨大楼閣が建増や改築で段違いにつながって、この一つの大きな旅館をなしているらしい。それも川沿い、山沿いに折れ、その間を通用路や物置場が食い込んで繋いでいるので、いっそう話をややこしくしている。


 そうこうしているうちに、早くも夕食の時刻。どうやら私だけ、昨日と重なるもののない誂えにしてくれているようで、申しわけない。しかし、さして動いているわけでなし、箸も進まぬ。そもそも、いったい何を書いたものか。とりあえず着いてから、と、慌てて出てきただけで、なんの構想も無い。このまま無駄めしをむさぼるのも、常人としては気が引ける。食べ残しを下げに来てくれた仲居に、せめて仕事をしているふりとばかりに、明日にでもこの宿の昔の資料などをと、主人に伝えてくれ、と言ってみた。


 その後、風呂につかって考えてはみたものの、なにがが思い浮かぶわけでもない。いや、温泉というところは、人にものを考えられなくさせるような魔力があるのだ、などと、くだらぬ言いわけばかりが頭をよぎる。床に入ってみてからも、どうにも気が晴れぬ。テレビをつけては見たが、おもしろくもない。なにより重圧なのは、床の間の大きな黒い金庫だ。


 使っていないのなら、さっさと取り除けばいいのに、とも思ったが、一階の山際にあって、おそらくコンクリートで基礎の中に直接に埋め込まれているのだろう。これを撤去するとなると、この上の四階すべてを壊すことにもなりかねまい。だいいち、こんな居候の立場で、布団部屋どころか、主人の居室などという場所を宛がってもらって、上げ膳、据え膳、朝でも昼でも温泉三昧など、身に余る。この部屋の建築当初からの造作にあれこれと文句を言えた義理でもあるまい。


 翌日、朝食が済んだところで、女将が直々に資料の箱を持ってやってきた。御主人同様、温厚そうな女性だ。彼女も、戦後に嫁いで来ただけで、昔のことはよくわからない、と言う。あの大女将こそ、この宿の生き字引だが、今日は伏せって休んでいるとか。箱を開けてみれば、ありきたりな古いパンフレット、陛下行幸の折りの記念写真。歴史を感じさせるものの、なにか特別な物語がひらめくような品は、ひとつとして無い。さて、いよいよ困った。彼女が出て行ってからも、昼まで眺めていたが、これでは、さしての文豪たちも、この宿を小説にはしにくかっただろう、と思われた。


 たしかに、映画かなにかなら、絵になる建物だ。だが、どうにも話にならない。この宿の歴史は、あまりにそつなくまとまりすぎている。バブルかなにかで無理な投資でもして傾いた有名旅館の骨肉の争い、というような毒々しさなど、かけらも無い。戦後の混乱期も大女将がうまく乗り切り、その息子が後を継いで堅実経営を貫き、孫も海外の大学院での留学勉強を終え、いま、金沢だか松江だかのホテルで接客修業中とか。話では、すでに嫁も決まっており、やはりどこぞの老舗旅館のお嬢様だそうで、将来も安泰盤石。何事も無い、こんなつまらぬ話があるだろうか。


 午後は、弁当を作ってもらって、このあたりの名所をバスで巡った。見回せば、近くには潰れた旅館やホテルも多い。不景気なのだろう。部屋に戻って、晩めし。今日から、あえてまかないと同じような簡素な定食に変えてもらった。焼き魚と汁物、その他。それでも板場の腕なのだろう。とてもうまい。箸をつつきながら、資料を眺める。代わり映えもしない年月。どれもこれも同じような写真。何事もない、というのも、すごいことなのだろう。そのうち、だれがだれだかわかるようになってきた。へぇ、いまの総白髪の御主人も、子供のころはこんなだったのか、丸顔というのは変わらんなぁ。




 朝食の後、ロビーで新聞を読む。今日は雨だ。泊まりの客の送り出しも終わり、帳場から御主人が出てきた。「あの、よろしかったら」と、茶を出してくれた。「ああ、これは、どうも」「ほかにも何かおいり用のものがありましたら、なんなりと」「ああ、そうだ、御主人。お父様は、どんな方でしたか?」「え?」「昔の写真を拝見していたのですが、いつも大女将が真ん中ですよね」「ええ、女手一つで、この宿を切り盛りしていましたから。先々代も早く亡くなり、私の父も私が生まれる前に死んだんだそうです」「お父上は戦争で?」「いえ、結核だったと聞いております」「ひょっとして、あの部屋で」「……ええ、そうでしょうね。いや、でも父が化けて出たなんていうことはありませんし」「いや、そんなことは気にしていませんよ。御主人が生まれる前となれば、半世紀以上も昔のこと。そんなことを言い出せば、この地球上、どこもかしこも、だれかの亡くなったところばかりでしょう」


 午後、部屋で雨音を聞いて過ごす。結核か。真新しい香りのする畳に、ごろごろと転がる。嫁を娶って、子も生まれるというのに、無念だったろうな。人生は思い通りにはならぬ。だが、これもよくある話。その後に残された大女将の孤軍奮闘振りを描く、というのも、これまたありきたりに思える。だれもが努力はするものさ、などとつぶやきながら、だれも見ていないのをいいことに、鼻をほじる。さして努力もしていない自分がふがいない。


 写真を見れば、また別様に見えてくる。何事もないかのように、この宿を繁盛させてきた大女将の姿がそこにある。まだ若いのに、赤ん坊を抱えながら、気丈に番頭や仲居をつき従えて中心に立っている。政財界の重鎮、国内外の名士たちをもてなし、写真の中で並んで微笑んでいる。話にはならぬが、すごいものだな。


 翌日は晴れた。なにか書けるようにと願掛けがてら、この家の墓所にお参りをすることにした。歩いてすぐのところの寺にあると聞いた。若い坊主に案内され、花を手向ける。江戸時代からの家。なかなかに大きな墓。墓誌を眺める。「この正治さんというのが、結核で亡くなった大女将の御主人ですか?」「いや、その前の正一さんの方です」「あれ、では、この正治さんというのは?」「弟さんですね」「でも、ほら、正一さんが十月三日、正治さんが十月十日。ほんの一週間に二人ともですよ」「弟さんの方は戦死ですかねぇ。昭和十九年のことですから。このあたりでも、ずいぶん徴兵で引っ張られて亡くなった方も多かったんですよ。ほら、あちこちに星のついた墓石があるでしょ」


 午後、虫眼鏡を借り、縁側の明るいところに座って写真を調べる。戦前。たしかに兄弟が写っている。痩せた長身の方が正一、小柄で丸顔の方が正治。きっとそうだろう。天空を見つめるかのような兄、地上を睨み回すかのような弟。正一と大女将の結婚式。大女将も、まだ二十歳前だろうか。若く、美しい。一方、正治の軍服の出征写真も出てきた。裏には日付。昭和十九年十月一日、とある。メモを見直す。正一が亡くなる直前だな。出征直後に兄が亡くなるなんて思いもしなかっただろう。それどころか、自分までも戦場に出てすぐに死ぬなど、だれが思っただろうか。


 なにか書けそうな気がした。だが、それには、大女将に当時の詳しい話を聞かないわけにはいかない。しかし、御主人からの返事は芳しくなかった。ここ数日、大女将は体調悪く、熱にうなされ、とても起きられる状態ではないとのこと。「なにかほかに、このころの資料はありませんか?」「さあ……、終戦の前年には物資不足で一時休業せざるをえず、私が生まれることもあって、母は従業員ともども信州の方に疎開していたと聞いていますが……」「しかし、宿の書類などは? まさかそれらまで全部、疎開先に持って行ったわけではないでしょう」御主人が私の後を指さした。「あるとすれば、あの中ですね」


 気になる。「どうにか開けられないのですか?」「なにしろ番号が」「大女将ならご存じなのでは?」「いえ、母も存じません。金庫番は、当主だけが代々、引き継いできた役目でしたから」「しかし、御主人が生まれる前にお父上が結核で急逝してしまって、引き継ぎもできず、番号もわからなくなってしまった、と」「お恥ずかしいことですが」「どうでしょう、金庫開けのプロにでも頼んでみては?」「ええ、それも考えなかったわけではありませんが、この金庫、番号だけでなく、鍵も必要なんだそうです。それもどこに行ってしまったのか、わからない……」「……」「なにしろ半世紀も開けずに、なんの支障もなかったのですから、いまさら大騒ぎするのも。それに、万が一、どちらかのお客様からお預かりさせていただいた秘密のなにかでも出てきてしまった日には、それこそ宿の信用にも関わりますし……」


 その言い分ももっともだ。たかだか小説のネタ探しのためだけに、無理に開けてくれと言うわけにもいかない。いつまでも開かない金庫の話をしていても仕方がない。せめて弟の正治氏の消息だけでも調べてみようと、電話をかけた。こういうとき、戦記物を専門にしている友人がいるのは、心強い。「おい、おまえが戦争小説かよ。やめとけ、そう簡単じゃないぞ。え、昭和十九年の出征? どこ? ああ、それなら第一師団配下の甲府連隊区、第四九連隊での召集だ。どうなったかって? レイテ島でほぼ全滅だよ。十月十日だって? それで間違いないのか? 変だな。あの島の戦いは、十月二十日からだぜ。その前となると、船中での病死か」


 しかし、決戦準備で秘密行動中の部隊が、その途中で兵員の病死の日付を遺族に連絡してくるだろうか。まして、部隊がほぼ全滅では、記録が残っているのも不思議だ。もちろん、ほんのわずかな生存者が、偶然にもその友人で、戦後にわざわざ訪れて来て、彼の最期のようすを話す、ということもないでもない。だが、どうもおかしい。


 兄の正一氏にしてもそうだ。明治の元勲たちも逗留したという名旅館の跡取息子が、結核とわかっていて、なんの治療も受けず、ひっそりと部屋で亡くなる、などということがあるだろうか。当時の事情からすれば、少なくとも最期は東洋一とうたわれた茅ヶ崎の湘南院サナトリウムに入っていたと考える方が穏当だろう。これについては、私もいくつかの小説で読んだことがある。


 ツテを頼ると、院長の孫娘が近くに住んでいることがわかった。ダメを承知で、なにかヒントだけでもと思い、約束を取り、山を下りて、会いに行く。驚いたことに、その御婦人は、正一氏のことを聞き覚えていた。というのも、祖父の院長は熱心なクリスチャンで、天皇絶対の戦時下にあっても、患者たちにも信仰を勧めていたそうだ。そして、正一氏は、年来の入院患者として信仰の中心的な存在だった。にもかかわらず、その正一氏が、病院内で自殺した。キリスト教で、自殺は最大の罪。院長は、病気を治せないこともさることながら、なぜその魂さえも救えなかったのか、と悩み、その心労で、その後すぐに亡くなった、と言う。


 そのころ、たしかに結核は不治の病だった。特効薬ペニシリンが普及するのは、戦後のこと。しかし、どのみち死ぬ者が自殺することに何の意味があったのだろうか。それどころか、日本でもすでに戦時中にペニシリンは陸軍医学校で開発されつつあった。彼ならば、縁故によって、特別にその治療を受けることもできたかもしれない。なのに、なぜ自殺などしたのか。まして、もうすぐ子供も生まれるというのに。いや、弟だってそうだ。あの旅館ほどの格式であれば、召集を撤回させることだってできたのではないか。


 帰りのバスの中で、坂道を揺られながら考えた。弟の正治氏は、十月一日に出征の記念写真を撮っている。翌二日には茅ヶ崎で入院中の兄に会いに行ったのだろう。その夏、むしろ国威高揚のためにサイパン島玉砕が大々的に宣伝されていたようだから、兄弟とも、征けばもはや生きては帰れぬこともわかっていただろう。それどころか、クリスチャンの兄は、この戦争を不正なものとして憎んでいたかもしれない。どのみち死ぬであろう自分が早く死んで、弟が跡取りということになれば、徴兵の取り消しもかなうと考えての三日の自殺だったのか。だが、正一が死んでも、正治の召集は取り消されることなく、出征し、病死してしまった。


 夕食後、この兄弟愛の悲劇の線でざっと一本、あらすじを書いてみた。だが、どうも大きなところが欠けている。その間、まだ新妻で妊婦だった、あの大女将は、なにをどう考えていたのか。戦時下、結核で自殺したクリスチャンの葬儀のようすは? どうやって、あの寺の代々の墓地に埋葬してもらうことができたのか?




 それを知る機会は、意外に早く来た。大女将が亡くなったのだ。老衰寿命の大往生。まことに穏やかな最期だったとか。遺言で、宿の御常連に迷惑をかけてはならぬと、親族のみで簡素に葬儀を済ます。それでも、驚くような方々からの花籠が次々と届けられていた。私も、御焼香はさせていただいたが、それ以上に立ち入る立場でもなし、部屋の方でせんかたなく数日を過ごす。いま、この状況で、依頼のことについて御主人に聞くのは憚られた。


 これまた遺言で、法事よりお客様を、とのこと。初七日も早々に墓地に納骨となった。お骨が出る前に、勝手口までお見送りに行った。御主人に声をかけ、後で墓地のようすをお聞かせ願いたい、と伝えた。午後、今日のお客様方がいらっしゃる前に御主人も戻られ、着替えてすぐ、私の部屋に立ち寄った。


「いろいろ御迷惑をおかけいたしました」「とんでもない。それより、このたびはほんとうに……」「ありがとうございます。それで、母の方から、先生にこれをお渡しするようにと」例の袱紗だ。「いや、結局まだなにも書いていないのですから」「いえ、もう母も亡くなりましたし」「それより、墓の中はどうでしたか? お父上のお骨はありましたか?」「はい、お坊様が言うには、戦前のものは、そろそろもう弔い上げにして、骨を土に返してはどうか、とのことで、蓋も開けてみました」「ああ、そうですか」「ただ、叔父の骨壺の方が」「え、正治さんの」「ええ、骨壺はあったのですが、中は空で、代わりにこれが」薄紅色の召集令状。


 手に取って見てみる。正治氏の名前が書かれている。到着地はたしかに甲府、召集部隊は歩兵第四九連隊。召集令状など、ほんものを見るのは初めてだ。こんなものを突然に渡されて、自分の名が書かれているのを見るのは、いかほどの衝撃だろうか。「戦地で亡くなられたのでは、骨も遺品もさして無かったのでしょうね」「ええ、それとこれも中に」大きな鍵だ。「ひょっとすると、この金庫の?」「そうかもしれません。なにか骨壺に入らなかったような遺品が中にあるのかも」「しかし、番号が」「ええ、そうなんです」「鍵だけでも確かめてみますか?」


 御主人は黙ってうなづき、ちょっと失礼と言って私の前を横切って床の間の金庫に。鍵を差し入れる。入った。ゆっくり回す。「鍵は、この金庫のものでまちがいないようです。でも、回りませんね。やっぱり番号が」御主人があてずっぽうに回して何度かやってみるが、どうなるものでもない。「まあ、大切な遺品なら、このままでも」「ええ、そうですね」


「それで、先生、これから、どうなさいますか?」依頼主が亡くなってしまった以上、正直なところ、ここにいる理由もない。「もしさしつかえなければ、先生にはこのまま御逗留いただき、ぜひ最後まで仕上げていただきたく……」仕上げるもなにも、まだ一行も書けていない。しかし、このまま帰ったのでは、まさに食い逃げ、泊まり逃げのようで、気がひける。「なんにしても、これは母の供養と思って、先生、どうかお納めを」と、袱紗をそのまま一枚木の座卓の上に置き残し、深々と頭を下げて行ってしまった。


 袱紗にも、召集令状にも触りかね、しばし途方に暮れる。相談、というほどのことではないが、ロビーに上がって電話をかける。例の戦記物の友人だ。「召集令状? ほんとうに? なにか別の書状じゃないのか?」「いや、薄紅色で、たしかに召集令状と書いてあった。甲府連隊区司令部の大きな印もあったぞ。いったいなにがおかしい?」「召集令状は、本人が持参すべきもので、召集地までの交通割引券を兼ねていたんだ。きちんと召集に応じていれば、家に残っているはずがない」「え? つまり、正治氏は召集には応じなかった、ということか?」「ああ、その可能性が高いな」


 頭が混乱してきた。九月末に召集令状が来て、正治氏は、十月一日、出征写真を撮った。そして、翌二日、茅ヶ崎のサナトリウムに兄の正一氏を見舞い、最後の別れを告げた。だが、兄は、翌々三日に自殺した。その葬儀で召応が遅れ、その間に兵役免除になったのか。なんにしても、召集令状が部隊に回収されないまま、家に残っている以上、彼は入隊はしなかったのだろう。しかし、それなら、なぜ正治氏も十日に死んだのか。


 おかしい。なにか大きな面倒に巻き込まれつつあるようだ。そもそも、なぜ大女将は、宿の宣伝を小説でしようなどと思ったのか。宣伝の話など、最初から私に何かを調べさせる口実にすぎなかったのではないか。


 部屋に戻って考える。資料を眺める。猪クビで、いかにも強引そうな弟。いまの御主人は、兄の正一氏よりも、どちらかと言えば丸顔の弟の正治氏の方に似ている。考えてみれば、年来ずっとサナトリウムに入院していた正一氏の子ができるわけがない。この宿に残されていた若く美しい兄嫁の大女将と弟の正治氏の間でなにかあった、と考えるのが自然じゃないか。


 そして、そのことを弟の正治氏は出征前にわざわざ兄に告げ、それを聞いて兄は自殺した。これで、弟の正治氏は、晴れてこの宿の跡取りの家長となり、すぐにツテを駆使して徴兵の取り消しを画策した。だが、その前に召集拒否扱いになって、憲兵隊が来てしまった。それで彼は山へ逃げたが、結局、崖かなにかから落ちて死んだ、とか、まあ、ざっとこんなところか。


 正治氏の骨壺に鍵と召集令状を入れたのも、大女将に違いない。やつの悪業の証拠が、きっとこの金庫に入っているのだろう。だったら、骨壺の中にあった鍵と召集令状で金庫は開くはずだ。もう一度、召集令状を眺める。やはりそうだ。番号がおかしい。未使用の空欄に、本文とは別のインク、別の筆跡で、もっともらしく書き加えられている。二桁の数字が四つ。金庫の番号だ。やはり大女将は、金庫の番号を知っていたのだ。


 手に汗がにじむ。大きな扉に付いた小さなダイヤルに指をかける。古いものなのに、油が絶やされたことはないかのように軽く回る。右へ51を四回、左へ23を三回、右へ82を二回、そして、最後に17。かちっ。自分の心臓の鼓動が聞こえる。後は、すでに差し込まれている鍵を回し、ハンドルをひねって開けるだけ。ここで、大きく深呼吸。窓の外を眺める。夕暮れが近づいている。ここから飛び出して、正治氏は山へ逃げたのか。山へ? 道は崖で行き止まりなのに? なぜ遺骨が無い? 本当に憲兵隊は来たのか? そもそも大女将は、自分も金庫の番号を知っていながら、なぜ息子に、正一氏の死とともに番号はわからなくなった、などとウソを教えたのか。


 ダイヤルをかき回し、畳に座り込んだ。大女将は、夫の療養中に無理やり関係を結ばされ、夫を自殺に追いやった上に、徴兵も取り消して宿の当主の座を奪い取ろうとしている正治氏を許せなかった。それで、憲兵隊が来たと言って、絶対に見つからない場所に隠れるように正治氏をそそのかした。それがどこなのか、言うまでもあるまい。この中だ。何重もの分厚い鉄板の箱、その隙間には耐火のための砂が詰まっている。この中で、泣こうと、喚こうと、なんの音もしないだろう。そもそも、この中に時間はあるのだろうか。完全な暗闇。三分も、三時間も、三日も、三月も、三年も、三十年も、三百年も、なんの違いも無い。


 目の前の金庫。その中は、きっとまだ戦前なのだ。大女将がもう大丈夫だと言って開けてくれるのを、戦場に行きもしないくせに軍服を着ている正治氏が中で息を潜めてずっと待っている。だから、大女将は、絶対に自分では開けたくなかったのだろう。かといって、自分が死んでまで、やつを当主の間に居座らせたままにしておくのは許せなかったのだろう。だから、私にそれを開けろ、やつをあの中から叩き出せと言うのか。


 戦時中なら、家を守るため、兄嫁が弟と再婚する、というのも、それほど珍しい話でもなかったのかもしれない。この宿に泊まった文人たちも、薄々はこのウワサを聞き及んでいて、だからこそ、この宿のことは話には採り上げなかったのかもしれない。大女将にしても、私が真相を知ったら、それをそのまま話にはできない、と踏んで、私を呼んだのかもしれない。いや、逆に、私のような三文小説家がものにするようでは、どうせ作り話だろうと、世間に思わせるのが目的だったのか。




 世の中には、運の悪いやつがいる。こんな話に釣られるとは、私もついていない。ところが、世の中には、もっと運の悪いやつもいるようだ。あたりはすでに真っ暗だった。電気もつけないまま、私は座り込んでいる。きりきりきりきり。窓の方で妙な音がする。人影が見える。こんっ。小さくガラスを割り、そこから指を入れて留め具を回し、するするとサッシを開けて、だれかが入ってきた。


「うっ」暗がりに座り込んでいる私を見て、男が驚く。「おまえ、ついてねぇな」言われるまでもない。ただでさえ面倒な状況なのに、このうえ強盗にまで出遭ってしまうとは。だが、あんたほどじゃない。灰色の作業服の男。以前、庭で見かけたことがある。たしかに、こんな作業服姿の方が、あらぬところで見かけられても、言いわけもしやすいだろう。男は、すとん、と、灰色の塩ビパイプの中にガラス切りをしまい、胸元のサバイバルナイフのようなものに手をかけた。


「まあ、待て。落ち着け。いま、そこの金庫を開けようとしていたところだ」男は床の間の大きな金庫を見やる。「なんだ、兄さん、同業者か」「ああ、そんなところだ」そう言いながら、私は、その隙に、卓上の袱紗をそっと自分の鞄の中に落とし入れる。「で、もう開いたのかい?」「いや。鍵はもう金庫に差してある。番号もわかっていて、右、左、右、と、やってみたものの、どうもうまくいかない。それで途方に暮れていたところだ」「右、左、右? 兄さん、金庫はやったことがあるのか?」「正直なところ、こんな大きなのは……」「だろうな、右、左、右、って、それじゃ開かないぜ」「違うのか? まあ、なにしても、こんなに大きな金庫となると、中に入っているのは現金じゃないだろう。私には捌けない」「で、番号っていうのは?」「ああ、これだ。まちがいない」と言って、電話の横のメモ紙にボールペンで四つの二桁数字を書いてやった。


 それを受け取り、男は笑う。「おれは、ついているな。当たりくじを拾ったようなもんだぜ」「そうかい? まあ、私は小物で満足しておくよ。お先に失礼。後はお好きに」「ああ、兄さん、ありがとうな」礼を言われるのも気が引けるが、後向きのまま片手を上げ、開いたサッシから縁側のサンダルを引っかけて、外に出た。裏木戸から表通りに回り、その場でタクシーを拾った。駅に着いたら、御主人に電話をすればいいだろう。しかし、さて、どう話たものか。




(おわり)

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