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星空教室  作者: 瓜
5/6

学園

「着いたー!!」

「はしゃぎ過ぎだよ、リズ」


 ぴょんぴょんと跳ね回るリズを横目に、イヴァンは苦笑する。

 彼女達は、××学園の正面玄関前に立っていた。


「予想はしてた事だけど、やっぱり荒れてるね」

「そうだね!」


 かつけは××学園を覆っていたのであろう、ガラスの半球は無残に割れ、その破片があちこちに飛び散っている。散ったガラスは、星空の下で、きらきらと輝いている。今日も、明日も、これからも。

 学園の校舎自体も至る所が崩れ落ち、壁が一面なくなってしまっている部分もある。崩れかかった瓦礫を、変異植物の蔓が支えていたり、繋いでいたりもする。

 そんな学園の遺跡のあちこちには、変異した巨大植物が蔓延っている。植物達は月光の下で、不気味な緑色の体を晒している。しかし同時に、蠢く植物達は文明崩壊後の世界特有の、退廃的な美しさを保っていた。


「こんなに荒れてて、文明時代の物とか、見つかるのかな?」

「見つからなくてたって、いいじゃないか。そしたら星でも見て、また旅をするだけさ!」


 楽天的なリズの言葉に、イヴァンはにこりと笑った。


「それもそうだね」


 それから二人は、学園遺跡の中に足を踏み入れた。


「この学園は、中々面白いね」

「うん?」


「見てよ、あんなに高い塔がある。天文塔かなぁ」

「本当だ……」


 二人の眼前には、空に向かって聳える、美しい尖塔があった。

 尖塔は、足元から蔓に巻きつかれ、拘束され、頂点では巨大な白い花の支配を受けていたが、それでも、何者にも屈しない美しさを誇っていた。


「今じゃあさ、地上に住むなんて考えられないけど」

「昔の人は、地上どころか、空に住もうとすら思ったのかもねぇ」


「あぁ、空か。空からは、どんな景色が見えるんだろうな…」

「分からない。でもいつか、知れたらいいね」

「うん」


 学園の中も、外と違わず荒れていた。

 二人は、危険な植物を刺激したりしないよう、慎重に進んでいく。


「イヴァンはさ、ここに来たら見たいものとか、あったのかい?」

「私はね、図書館っていうのが見たいなぁ」


「トショカン?…聞いた事ある気がするな。何だっけ、それ」

「本がいっぱいあるところだよ」


「あぁ、そっか。イヴァンは読書家だもんな」

「うーん、どうだろう。今でいうと読書家なのかもしれないけど…。昔は、もっと沢山本があったみたいだからさ」


「そうなのかい?でも私、やっぱりイヴァンは読書家だと思うよ」

「私、イヴァンが持ってるその大きい図鑑、見てるだけで目眩がするもん」

「文字は、前にイヴァンが教えてくれたけどさ」


「あはは…。この本は、もう隅から隅まで読み尽くしちゃったけどね」

「逃げる時、これしか持ち出せなかったからさ」


 イヴァンは、施設から逃げ出した日の事を思い、しみじみと呟いた。


「そっか。じゃあ、そろそろ新しい本も見つけなきゃだね!」

「見つかるといいなぁ」

「見つかるさ。きっと」


 彼女達は、学園内を歩き回る。


「なぁ、イヴァン。なんかあったぞ。なんて読むんだい、これ?」

「んん。ちょっと待って…。なんだろう…?」


 リズの目に留まったのは、大きな金属製の引き戸。その横に、何か文字が書いてあるようだ。

 言語に明るくないリズはイヴァンに解読を頼んだが、頼まれたイヴァンも苦戦している。


「…イヴァンでも読めないのかい?」

「んー…」

「この学園があった地域の言葉は、分かる筈なんだけど…」


 イヴァンは首を傾げる。


「へぇ。じゃ、イヴァンも知らない設備なのかもね」

「そうかも。施設にあった辞書は、多分、文明崩壊後の不完全なものだろうし」


「ちょっと見てみる?」

「そうしよっか。気をつけていこう」


 そうして、二人はゆっくりと扉を開ける。

 そこにあったのは、25m×12m程度はある、巨大な穴──文明時代で言うところの「プール」だった。


「何だろう、これ?」

「ん。あぁ」


 ますます訳が分からない様子のイヴァンに対し、リズは何か心当たりがあったようだ。


「リズ? 何か分かるの?」

「うん。私が知ってるのと違うから、多分、だけど」


「へぇ?」


 イヴァンは興味深げに身を乗り出す。


「これ、多分泳ぐための箱だよ」

「およ、ぐ?」


「うん。こんなに綺麗な形じゃなかったけど、私もやった事があるんだ」


 リズは言う。


「あのね、この中に水をいっぱいに入れるんだ。そうして、中で泳ぐ」

「水を、いっぱいに?」


 イヴァンは不思議そうな顔をする。


「そんな事出来るの?」


 文明崩壊後の世界において、人の使える水は貴重だった。

 今の彼女達も、真水を溜め込む植物などから、少しずつ水分を摂取している。身体を清める際も、濡らした布などを用いてする。

 シェルターを出る前のイヴァンは、そのような知識を叩き込まれてきたし、シェルターを出た後も、ずっとそうしてきた。

 そんな、典型的な文明崩壊世界の住人である彼女にとって、水を満たし、その中で泳ぐというのは、全く想像のつかない事だったのである。


「うーん、出来るかどうかは分かんないや。私が泳がされてたのは、多分、元々あったのを利用したものだし」


 リズが何気なく言うと、イヴァンは目を丸くする。


「シェルターに、そんな場所があったんだね」


「うん。でも、イヴァンは来なくて良かったんだぞ。水なのに、変な色してたもん」


 リズは、バタバタと手を振りながら説明する。相当奇妙な色だったらしい。

 恐らく、施設が〈Bite〉の子供達の運動能力と免疫機能を試すために使っていたのだろう。


「そっ、か。リズは丈夫だもんね…」

「うん、私はやめておいて良かったかも…」


 イヴァンは少し苦しそうに言う。彼女には、過去の事であるとはいえ、大切な友人がそのような環境に置かれていたのが、どうしても許せなかったのだ。


「ま、それはともかくとしてさ」


 イヴァンの心境なんて知る由もないリズは、無邪気に言う。


「これを、水でいっぱいに満たせるなんて、文明っていうのは凄かったんだな!」


「…あ、あぁ、そうだねぇ」

「…ね、リズ。なんでこれが泳ぐ用の箱だって分かったの?」


 気持ちを切り替えるように、イヴァンは尋ねる。


「へ? あぁ。あれ見て」


 そう言ってリズが指差した先には、プラスチックでできた案内板があった。

 案内板は、所々文字が擦り切れてはいたが、プラスチック製だったために朽ち果てず、残っていたのだ。

 案内板には、よくある「プール利用上の注意」が書かれており、端に簡略化されたイラストも見える。


「あれにさ、絵が描いてあるでしょ?あの絵、私達が泳いでた時の恰好にそっくりだったんだよ」


「…へぇ。あれが、『泳ぐ』っていう行為なんだね!」

「私ね、言葉でしか知らなかったよ!」


 少し固まってから、珍しくはしゃいだ様子で、イヴァンは言う。彼女は、新しく何かを知る事が好きなのだ。


「はは、イヴァンが楽しそうで良かったよ。私、いっつも君に教わってばかりだからさ」

「これだけで、此処に来た甲斐はあったね」


 そして、やっぱり珍しく、リズは慈母のように穏やかな微笑みを浮かべる。


 それから暫く、イヴァンが質問し、リズがそれに答えるという事が続いた。

 やがて二人は立ち去り、再び学園遺跡の探検を始めた。


「あんなにはしゃいでるイヴァンは、久々に見たよ」

「うん。あんなにワクワクしたのは、本当に久しぶりだった」


「私の話だけでああなんだからさ、もし図書館?を見つけたら、一体どうなっちゃうんだろうね?」


 リズは、冗談めかして言う。


「ふふ。本当にどうなっちゃうんだろう。私が叫んで、踊りだしたりしたら、ちゃんと止めてね」


 イヴァンも、可笑しそうに笑う。


「あはは!どうだろうな」


 イヴァンが苦労人のようになりがちだが、彼女達は、これで中々良いコンビなのだ。


 それから少しして、彼女達は、ようやく目当ての図書館へと辿り着く。


 軋む扉を押し開ける。

 ギィイ、と錆びた蝶番の音がして、次いで、ブチブチと扉に絡みついていたであろう、植物体の千切れる音が聞こえてくる。

 数百年ぶりに、知の扉が開かれていく。

 そこは……


「カビくっさ!」


 …黴臭かったらしい。


「うっわぁ、ジメジメしてるぅ…」


 リズは眉を顰める。イヴァンは黙って、鼻のところに手を持っていく。


「ねぇイヴァン。本当にこんな所にいて、ワクワクするのかい?」


 リズは、早くも図書館から出たそうだ。

 まあ、これまで清浄な空気を吸って生きてきた彼女には、無理からぬ事だろう。


「うぅ、分かんない…」


 イヴァン自身も、少々自信なさげである。


「…でも!でも、ちょっとだけ見させて…」


 イヴァンは自分を奮い立たせるように言ってから、ランタンの蝋燭に火を点ける。

 窓もない図書館は、真っ暗だったのだ。


 ランタンを掲げて、イヴァンは中に入っていく。

 リズは、図書館の扉に手をかけて、そんな彼女を見守っている。


「はぁ、やっぱり暗いなぁ」


 イヴァンが見たところ、まともに読める本はなさそうだった。

 殆どの本は、破れていたり、濡れていたり、植物が根を張っていたり、朽ちかかっていたりした。


「これは…ダメ」

「これも…ダメ」


「こっちは?…はぁ、ダメか」


 イヴァンは大きな溜め息を吐く。

 此処まで来て、何の収穫もなしか。彼女は項垂れる。


「…あれ?」


 ふと、彼女は足元に転がる一冊の本に目を留める。

 そして、ランタンを床に置いてしゃがみ込む。


 その本は、他の本と同様、植物や黴が生え、とても読めた有様ではなかった。

 しかし、イヴァンには、他とは違って見えたのだ。


「こんな植物、見た事あったっけ…?」


 生えている植物。

 イヴァンは首をひねる。

 その本に根を張っていた植物は、彼女が今まで見てきた、どんなものとも一致しない種類だったのだ。


 イヴァンは暗闇の中、鞄から読み古した植物図鑑を取り出し、ペラペラと頁を捲っていく。


「多分、特徴からしてマメ科だと思うんだけど…」


 彼女はマメ科の頁で捲る手を止め、紙上に目を滑らせる。

 一列一列、暗記するほど読み込んだ図鑑の文章に目を通していく。

 しかし、そこに書かれている情報はどれも、イヴァンが最初から想定していたものばかりだった。

 それから暫く考え込むと、彼女はこう結論づけた。


「これ、私が知らない植物だ!」


 ひょっとすると、文明崩壊前からある種類かもしれない。出来る事ならば、この植物の正体を知りたい。

 イヴァンは笑った。今日一番楽しそうに笑った。

 結局、この図書館で読める本は見つからなかったが、彼女は少しも落胆しなかった。

 彼女は件の本を抱えると、リズの元へと戻っていった。

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