運営に頼って垢バンを狙うヤツって何なの?
最近、気がついたら"お気に入り登録"している人が消えている事がある。
例えば、"逆お気に入り"が消されたのならば(ああ、飽きられてしまったか……)と、未熟を恥じつつ納得も出来よう。
だが、こちらの意志で選ぶことが出来る"お気に入り"で消えた人がいると(どうしたんだ?)と思うばかりだった。
周囲の方々に事情を伺うと、どうやら彼らのケンカ相手が……アンチの者が、運営に泣きつくことで、運営がアカウントを消してしまうらしい。
それにしても、訴えられたからと言って、過程や状況をさして考えずに、アカウントを消すという運営は何なんだと腹立たしく思う。
まるで……『か弱い女性が声を上げたのだから、容疑者の痴漢は間違いなく犯人だ』と、決めつけて、言い分をまるで聞かずに有罪に持ち込む。そんな警官・司法と同じではないか。ネットという空間にはログが残っているのだから、それを見て判断するくらいは、筋と思う。
なによりも、訴える方が情けない限りだろう。
自分のやっていることが、理解っているのか?この場においては、アカウント削除という処断することが出来る運営さま……いわゆる"神"の様な存在に泣きつくということが、どういうことか。
――それは、ケンカに負けた子供が、体の大きな兄弟・親戚……警官・ヤクザ……そんな力を持つ者に泣きつき、威張り散らすのと大差がないことだ。
現実の暴力に対抗するならば、理解できる。しかし、現実的な暴力の振るいようが無い、このネット空間でそれをするのは如何なものか。そんなにキライならば、見なければいい。
金をもらっているプロではないが、文章を書くのを言論人と言うならば、ここに文章を投稿しているものは皆、言論人と言って過言ではない。ならば、言論で戦えばいい。
そも有名な小説家……文豪など調べれば、批評と喧嘩ばかりではないか。
夏目漱石は【吾輩は猫である】にて軍神と呼ばれた東郷平八郎を詐欺師・人殺しと同列に並べた。
森鴎外は、反論があれば原稿用紙30枚近い論文を相手方論客に送りつけた。
小説の神様:志賀直哉にケンカを売った織田作之助・太宰治・坂口安吾ら無頼派。
面と向かって太宰治に『あなたの作品はキライだ』と言い放った三島由紀夫。などなど……。
優れた洞察力を持ち、相手のアラを嫌でも見つめて、探して表現する者……せずにいられぬ者である物書きにとって、指摘するのは日常茶飯事。ケンカはアタリマエのことだ。
そして、それぞれに批判をしながら、互いを認めあってきたのが当然だった。
自分自身の言葉で戦えないならば、相手を認めることが出来ないのならば、言論を張る資格など無い。ここを去ればいい。
退会は嫌だと言うならば、ブロックユーザー、ミュートと言った機能があるではないか。
「暴力は無能力者の最後の避難所である」
――とは、アイザック・アシモフの作中に在る言葉だが、己の言論を張るのではなく、気に食わないからと言って、強者に泣きつき暴力を振るう、小学生以下の甘ったれな未熟・無能者ならば……少々強い言葉を使うが、消えてしまえば良かろう。
意見、批判、いくらでも歓迎する。
………なんて、威勢のいいこと言ってるけど、垢バンはやっぱりご勘弁。
((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル