9話 妹のこと
楓視点でのお話になります
読んでも読まなくても、ストーリーにはあまり関係しませんが、あんなことやこんな事の裏事情が知れたり知れなかったりします笑
番外編だと思って、気楽にお楽しみください!
最近の妹は、少しおかしな言動をすることが多くなった。
一年ほど前に高熱を出してからというもの、その日を境にしてまるで別人にでもなったかのようだ。
それは、いい意味で、だ。
以前までの椿は、 三歳にして既に家の使用人を顎でこき使い、マナーなんてものは教えても覚えず、欲しいものは手に入るまで駄々をこねる。典型的な(少し程度の酷い)わがままな子だった。
僕としても、たった一人の妹だ。
もちろん可愛いと思っているし、わがままにもついつい答えてしまう。
それが椿のわがままをさらに助長するハメになっているのは薄々気がついていたが、どうしても冷たくすることが出来なかった。
だが、これが数年後……椿がもっと大きくなったらどうなるんだろう、と常々思っていた。
五条の後ろ盾のおかげで、学校で孤立することはないのだろうが、人として大切なものを持たないまま大人になってしまうのではないだろうか。
楓にある決心をさせたのは、一年前。
そんな椿が高熱を出し寝込んだ時だった。
この子は、このままではいけない。
一人ではなくとも、きっとずっと独りのままだ。
例えば、今回のように病に倒れたら?
そんな時、心から椿を心配し、寄り添ってくれる人は果たして出来るだろうか。
椿が心から信頼し、また信頼されるような関係の存在は、出来るだろうか。
そう考えると、楓は自分の事のように怖くなった。
椿は、変わらなければならない。それには、正しく導いてやる誰かが必要だ。
楓は決して自分が全て正しいと自負しているわけではなかったが、せめて椿が周りから愛される人になれるよう、自分は今は鬼になろう、と六歳という幼い年齢ながら決心した。
五条楓はそれほどまでに聡い子だったのだ。
ならばまずは、甘やかすことをやめよう。
心を鬼にして、悪いことは悪いと叱るべきなのだ。
楓がそう決心した数日後、椿はそれまでの高熱が嘘のように回復した。
朝、母が様子を見に行くと、ドレッサーの前で倒れ込んでいたため、ショックを受けた母までも意識を手放しそうになるという出来事はあったのだが、苦しそうだった熱は引いていた。
それから楓は、リビングで緊張の糸が切れたようにぐったりとする、この数日間生きた心地がしなかったであろう両親の代わりに一時間おきに様子を見に行っていた。
安らかな顔で眠る椿はとても可愛らしかった。
眠ってさえいれば……とはよく言うが、まさにそれだ。
何回目かの訪問で、中から誰かが動く気配がするのを感じた。椿が起きたのだろうか。
「椿?起きてる?」
ドア越しにそう声をかけると、中で小さく「ヒッ……!?」と息を呑む声がした。
「椿、入るよ」
「!?!?」
ドアを開けると、そこには天蓋付きのベッドで身体を起こし、なにか恐ろしいものでも見たかのような顔をした椿がいた。
昨日までは意識もはっきりしなかったのに、こちらをしっかりと認識しているところを見ると、本当に回復したようだ。
「え、ええと……にいさま?」
「なんだ、起きているじゃないか。朝様子を見に来たら床に倒れてるものだから、心配したんだよ」
すると、椿はまるで恋する乙女のように、もしくは神を崇拝する信者のように顔を輝かせた。
一体どうしたのかと疑問に思ったが……うん、可愛い。
しかし、楓は心を鬼にすると決めた。病み上がりとはいえ、どんなわがままにも冷静に対処出来るよう、覚悟もしてきた。
はずだったのに。
「ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません、にいさま……。でも、ご覧の通りもうすっかり元気ですわ!」
椿はニパッと笑った。それだけではなく、あまつさえボディビルダーのようなポージングまで。
自分は、夢が幻でも見ているのだろうか。
「あ、ああ……うん、それは良かった。いいんだけど……」
やっとの思いで絞り出した言葉は、はっきりとしないものだった。
試しにひとつ、自身の頬を抓ってみる。痛い。すなわち夢ではない。
椿はプライドの高い子だ。
兄としてこんなことを言うのもどうかと思うが、こんな丁寧な言葉遣いで人に謝れるような子ではなかったし、こんな柔らかい笑顔を浮かべられる子でもなかった。
ましてや、ボディビルダーの真似などというおどけたフリなんて以ての外だ。
ちょっとした沈黙が二人の間を流れた。
すると、ふとした拍子に椿が何かに気がついたようにハッと眉をひそめ、途端にバツの悪そうな顔で視線を逸らした。
以前までの態度を取られても困りものだったが、これはこれで心配になる。
「椿、本当に大丈夫?」
「ええ、平気ですわ!そんなに心配なら、ほら。おでこを触ってみてくださいな」
ほらほら、と前髪を上げた額を突き出すのは、年相応に子供らしいといえばそうなのだが、椿の場合なにかに気を使っているように見えた。
もしかして、まだ体調が悪いのだろうか。
そう思い、楓は椿の額と自分の額とを合わせ、いつも母がやるように熱を測った。
そんなにぴたりと当てられる訳では無いが、昨日触れた時よりは格段に平熱に近いのだと思う。
その日を境に、妹はわがままな発言も、傍若無人な態度をとることもしなくなった。
全体的に大人びているかと思えば、父や母の前では、むしろ以前にも増していかにも子供っぽい言葉遣いや態度になったり。
最近よく遊びに来る三鷹鷹臣に対しては、どこか舐めたような節を見せる。
しかしそれも傲慢から来るものではなく、どちらかというと反応を楽しんでいるようだ。
人によって、別人のように雰囲気が変わる。
変わったのは態度だけではない。
椿は、いつの間にかたくさんの知識をつけていた。
本人が大っぴらにそれを自慢している訳では無いのだが、ふとした拍子に零れる言葉の節々に、およそ三歳が自然に覚えることは無いであろう難しい単語が垣間見得るのだ。
ボードゲームに関してもそうだ。
楓も両親もチェストなどは椿に教えたことがなかったのだが、椿はいつの間にか倉庫の中から使われていないチェスボードを引っ張り出してきては、三鷹鷹臣を誘って遊んでいる。
最初は、ルールも知らずにただコマを並べて楽しんでいるのだろうなと思っていたのだが、その様子を観察してみると、意外にもちゃんとしたルールでプレイしていた。
鷹臣はまだよく分かっていないようで、椿はそんな鷹臣に教えるような素振りを見せつつ、圧倒的な力の差で毎回勝利する。
試しに楓も椿と対戦してみると、椿は負けた途端非常に悔しそうな顔をして、「もう一回!もう一回ですわ!」と再戦を望んだ。
結果は、楓の全勝だったが。
以前までの椿なら、きっと負けた瞬間に癇癪を起こして、チェスボードなんてひっくり返してしまっただろう。
そんな妹の成長が嬉しくて、ついつい本気で勝負してしまうのだ。
妹の変化は、それだけには留まらない。
最近は、家のことを手伝うようにもなったのだ。
食器洗いのお手伝いをしたら10円、本棚の整理をしたら10円、などとお小遣いの直談判までしている。
そういった家事は基本使用人の仕事になっているので、両親ははじめ渋った。
それは彼らの仕事だから。
「欲しいものがあるのなら、買ってあげるわよ?」
母がそう言っても、椿はイヤイヤと首を振って聞かなかった。
以前までの椿とは、また毛色の違う、久々のわがままだ。
そもそも椿は一人で家の外には出られないのだから、お小遣いを貰っても仕方が無いんじゃない? と楓も伝えたが、椿の意志はどうも硬いらしい。
それでも粘る椿に、じゃあ……と、母は趣味の栞作りのお手伝いという仕事を与えた。
仕事といっても、庭に出て押し花に出来そうな花を探してきたり、また母と一緒に押し花を作るといった簡単なものだったが。
それでも、椿は貰った百円玉を握りしめて嬉しそうに自室に駆け込んで行った。
楓は、椿がそれをドレッサーの引き出しに大事にしまった自分の靴下の中に貯めているのを知っている。
そして、時折それを眺めては一人で「うふふふふふ……!!」と笑っていることも。
廊下まで笑い声が聞こえているよ、とそれとなく伝えてみたところ、
「あら、嫌ですわ。ごめんなさい、兄さま」
と笑うことは無くなったものの、暫くするとまた椿の部屋から笑い声が聞こえてきた。
今度は声を抑えているつもりなのか「ふっ、くふっ……ふひひ……」と、はっきり言って少し気持ちの悪い笑い声が漏れてくるようになったのだが、もう何も言うまい。
それにしても、もう少しマシな隠し場所はなかったのだろうか……。
それからも椿はコツコツと靴下貯金を続けているようで、ついにこの間は貯金箱を強請られた。
誕生日プレゼントのリクエストを聞いたら、「じゃあ、貯金箱!貯金箱がいいです!」と、目を輝かせて興奮気味にお願いされた。目がお金の形になっている、という表現がぴったりの輝き具合だった。
二人の習い事がお休みの日を狙って、大型ショッピングモールに出かけた。
楓は細工の凝った貯金箱や、陶器製のものをすすめたのだが、椿は百円均一ショップの、表面に「百万円がたまる!! ※五百円玉の場合」とプリントされた缶の貯金箱を欲しがった。
椿が貰っているお小遣いは基本的に百円玉のため、本当に百万円が溜まる訳では無いのだが、それでも嬉しそうだった。
家に帰り、楽しそうに靴下いっぱいに音を立てる小銭を移し替える椿を見て、とても微笑ましい気持ちになったのだが、さすがにそれだけでは寂しすぎると、両親と相談してシリアルナンバー入りのテディベアも送った。
貯金箱程のリアクションは見ることが出来なかったことを思い出して、楓はつい苦笑いを零す。
楓は、日記帳をパタリと閉じた。
最近の出来事は、椿に関することばかりだ。
以前までは、彼女を見てこんなに楽しい気持ちになることはなかったのに、今では日記を読み返してクスリと思い出し笑いをするくらいなのだから、不思議なものだ。
椿が一人で作った四つ葉のクローバーの栞を手で弄びながら、楓は楽しそうに笑みを浮かべていた。
そういえば、この栞を作る時も大変だったなあ……と、思い出しながら。
「ひとりでしおりを作ってみたい!」と豪語した椿は、家を飛び出したまま、行方知れずになってしまったのだ。
幸い、日が落ちる前には帰ってきたのだが、泥だらけのボロボロだった。
白詰草の花かんむりを被り、その手に一つだけ四つ葉のクローバーを携えた椿は、満面の笑みで楓に駆け寄り、言った。
「兄様に、プレゼントですわ!」
と。
ひとしきりクルクルと回して満足した椿は、意気揚々と書斎にむかった。
押して栞にするのだろう。
かくて、椿がはじめて自分で作った四つ葉のクローバーの栞は、楓が貰うことになったのだ。
可愛い妹の、初めてのプレゼント。
これを嬉しいと思わない兄が、どこにいるだろうか。
そんな椿謹製の栞を日記帳に挟むと、楓は部屋を出た。
すると、目の前を通り過ぎる、追いかけっこする小さな影が二つ。
ああ、今日も鷹臣くんが来ているのか。道理で騒がしいわけだ。
今日はどんなことをして見せてくれるのだろうと、楓はわくわくしながら二人のあとを追うのだった。
次話からは、また本編に戻ります