5話 鷹臣襲来
それは、ヒロインのメイン攻略対象である三鷹鷹臣と、思いがけない出会いを果たした誕生日パーティから、数日経ったある日のことだった。
今世では平和に過ごしたい私は、私を没落させる危険性のある三鷹鷹臣ら攻略対象に、可能な限り近づかないという結論に至ったのだ。
五条楓は家族という関係上、嫌われるような行動をとればより危険性が増すため、できれば良好な関係を築きたいと思う。
そもそもヒロインをいじめなければいいのでは?と思う人もいるだろうが、そこは油断してはいけない。
私は石橋を叩いて渡る派なのだ。決して無防備にわざわざ『コノ橋キケン!!』と書かれた看板の立つ橋を渡るほど、おめでたい頭はしていない。
なにごとも、備えあれば憂いなしだ。
……と、考えていたのに。
「あらあ、ゆんちゃんいらっしゃい!鷹臣さんも、ようこそいらしてくださいました」
母がにこやかに我が家の玄関で出迎えたのは、鷹臣ママと、ふんぞり返っていかにも生意気そうな、三鷹鷹臣だった。
ちなみに、”ゆんちゃん”というのは三鷹ママのあだ名だ。ゲーム内での描写でも知ってはいたが、二人は仲良しさんらしい。
触らぬ神に祟りなし! なのに、関わらないと誓った直後に、まさかお家訪問の強制イベントだなんて聞いてない。
椿は三人のその様子を、柱の影からそーっと伺っていた。
「急にごめんなさいね、夏目。ほら、鷹臣!ご挨拶は?」
「みたか、たかおみです。叔母様、お邪魔します」
「いいえぇ、ご立派ねえ!」
ふぁー!!!! あの!!!! 生意気坊っちゃまが!!!! お辞儀してるぅう!!!!
先日の我儘お坊ちゃまな姿しか見ていない椿は、その変わりように思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。
母もその姿に頬を緩ませている。
「あら、椿さんはいないの?」
「さっきまでリビングでご本を読んでいたと思うけど……。あっ、ここで立ち話もあれよね。どうぞ上がって?」
やばい! 使徒襲来! 逃げろ!
このままだと確実に、またあの我儘お坊ちゃま関連の厄介事に巻き込まれる。そう思った椿は、なるべく音を立てないように、その場を離れた。
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「おい!!どこだ、でてこい五条椿!!!!」
坊っちゃまの突撃お宅訪問という強制イベント発生。私は何としてでも直接対決を避けるべく、気合を入れていた。
だって絶対この間のことだ。あの時は「礼は後で必ずする!」という坊っちゃまの言葉を、なんだ礼くらい素直にいえばいいのに、ツンデレめ。くらいにしか思っていなかったのだが、よくよく考えてみれば、あれは報復の宣戦布告だったのでは……?と、真顔で思い直した。
つまりは準備万端で叩きのめしてやるから、首洗って待ってろよという死刑宣告だったのだ。
五条椿、この世に生まれ落ちてまだ3年。
はやくも没落の危機です。
と、いうことで。
要するに、直接会わなきゃいいんじゃね?との結論に至った私は、案の定私を捜しまわる坊っちゃまを徹底的に避けていた。
チョロチョロと捜しまわる坊っちゃまだったが、なんせ足音も気配も殺さずに走り回るものだから、その進行方向を予測して逃げるなんてことは造作もなかった。
所詮子供の浅知恵。小学生のころは、山猿に加えかくれんぼの鬼と呼ばれた私に勝とうなどとは、二十数年、早いというものよ!! ふはははは!!
「あれ、椿?何してるんだい?」
……。
その後、第2の使徒、お兄さまの登場により、私の居場所はあっさりと割れてしまった。
三鷹くんと仲良くしなきゃダメだよ、とキラキラのスマイルで言うお兄さま。今はその爽やかな笑顔ほど憎いものはありません。
そうして、私は現在三鷹鷹臣と対峙していた。
油断は禁物と、数刻前に再確認したばかりだというのになんという体たらく。これから10数年に渡り破滅を回避する上で、1番気をつけるべきは油断かもしれない。
「……おい」
いったいどこに破滅フラグが潜んでいるのか、椿視点での回想はゲーム内でもほとんどないに等しかったため、確かに油断は出来ないのだ。
ヒロインと出会ったあとかもしれないし、もしかすると塵も積もれば、の可能性もある。だから、3歳である今から……
「おい!聞いているのか、五条椿!」
「あーもう、はいはい、聞いてますわよ」
聞いていましたとも。ただ、現実から極力逃避したかっただけで。
「……」
人を散々捜し回り、引き止めたかと思えば、今度はだんまりである。小さい子供の考えていることはよくわからない。
しかし、なにやらただだんまりというわけでもないようだった。
手を後ろ手に組み、なにやら言いたげな表情でこちらをチラチラ見ていた。
なるべく顔を合わせようとしなかった椿がその様子を一瞥すると、わかり易すぎるほどに慌てふためく。そしてまた顔を逸らしたフリをすれば、こちらの様子を伺ってくる。そして、の繰り返しだ。
なんだこの面白い生き物。
いい加減そのやり取りに飽きてきた頃、徐に坊っちゃまが口を開いた。
「……かった」
「え?今なんとおっしゃいました?」
坊っちゃまは目に見えて不機嫌そうに顔を顰めた。
「この間は!!助かった!!」
坊っちゃまは大きく息を吸い込み、今度こそ確実に聞こえる声量でそう言うと、後ろ手に隠し持っていたらしい小さなブーケをグイと突き出した。
この間というと、例の事件だろう。
ピンクを基調とした、可愛らしいブーケだ。
呆気に取られていた椿は、おずおずとそれを受け取った。
手に取ったその小さなブーケと、彼の顔との間で視線を往復させる。
この間のことでなにか言われるのだろうと覚悟はしていたが、予想していなかったその言葉に思わず返事が遅れてしまった。
「あ、りがとう……存じます?」
「いい。それと……」
受け取ってもらえたことでいつもの調子を取り戻したのか、坊っちゃまは再びふんぞり返って、いかにも尊大な表情で言った。
「三鷹鷹臣だ。特別に名前で呼ぶのを許してやる!!」
それだけ言うと、ふんと鼻を鳴らして母親達のいるリビングへと去っていった。
そういえば、一方的に名前を知っているだけで、名乗ってもらったことは無いな、と椿はふと思い出した。
後ろ姿しか見えなかったが、その耳は茹で上がったかのように真っ赤であることが確認できた。
俺様属性はあったけど……ツンデレ属性なんてあったかなあ……?
まあ、素直にとはいかないまでも、お礼がちゃんと言えるのはいい事だ。ささやかな敬意もこめて、もう坊っちゃまと呼ぶのは止めてやろう。
その日は彼とはもうほとんど言葉を交わさなかった。
しかし、帰り際に「また来るからな!覚えてろよ!!」とまるで宣戦布告をするかのように、おそらく「また遊ぼうね」の意味を込めたであろうことを言われたので、きっとまた来るのだろう。
きっと照れくさくて宣戦布告風にしか言えないお年頃なんだろう。いやどんなお年頃だ。
破滅回避のためにできればあまり関わりたくはない相手だが、まあ遊び相手くらいにはなってあげてもいいかもしれない。中身は私の方がお姉さんだからね。
鷹臣ママに小突かれて、小さく手を振った彼の姿はまあ可愛いと言えなくもなかったので、なんだか今までの毒気が抜かれてしまった。
後日、汚してしまったドレスのお詫びという名目で、新しいドレスや靴、アクセサリー。またおそらく嫌味が込められているであろう有名パン屋のチョココロネが送られた。
送り返したくなった。