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27話 雨がいつかは止むように

「足首と……背中が少し、痛みますわね」



 それ、わりと重症なのでは。


 そういった千鶴子の足や腕を見ると、たしかに所々に青紫色の痣が出来ていた。白い肌に浮き出るその色は、とても痛々しく見ていられない。


 あのあとなんとか泣き止んだ椿は、後になって自分がやらかしたことに気がついた。

 お嬢様を演じていく上であってはならないあの言動は、できれば千鶴子には忘れて欲しいものだ。


 ちなみにあのハンカチは、後ほど別のものを購入してプレゼントするしかないだろう。

 綺麗に洗ったとしても、使いたいとは思えないはずだから。


 

「……すぐにでも手当ができればいいのですけれど、ごめんなさい。私、そういった道具は持ち合わせていませんの」



 何も出来ないことを申し訳なく思い、肩を落とす椿に対して、千鶴子はすました顔で髪をふぁさっとなびかせた。



「いいんですのよ、椿さん。このくらいなんとも……、…ッ!!」



 立ち上がろうとしてふらつく千鶴子を、椿は咄嗟に支えた。

 右に重心が傾いているところを見ると、痛めたのは左足首のようだ。



「ありがとう、存じますわ……」



 千鶴子はバツの悪そうな顔で顔を逸らした。強がった手前、恥と感じているのだろうか。


 どうしたものかと椿は考える。

 ともあれ、先生を呼びに行くよう頼んだ二人は依然として帰ってこない。

 どうやら雲行きも怪しくなってきたようで、空はどんよりと灰色の雲が広がり始めているのもよくない。雨に降られると、川の近くであるこの場所から離れなくてはならないからだ。


 天気予報では晴れって言ってたのに……。

 雨が降れば川が増水して……。



 川。

 そうだ、川だ。



「そうだ。千鶴子さん、川で足首を冷やしましょう。少しは楽になるはずですわ」



_______________



 片脚だけでぴょんぴょんと歩く千鶴子を支えながら、二人は川の近くまで歩いた。

 その間はとても気まずいものだった。

 その理由はお互い知る由もないが、方や思わず素をさらけ出し、あまつさえ借り物のハンカチを諸々の汁でベタベタにした椿。こなた常日頃ライバル意識ダダ漏れでなにかと突っかかっている相手に介助され、ついでにハンカチを諸々の汁でベタベタにされた千鶴子である。


 なんとも言えない空気が、二人の間を通っている。



 少し大きめの石にそれぞれ腰掛けると、千鶴子はちゃぷんと音を立てて、裸足の左足を川の水につけた。

 それが気持ちいのか、ほっと息をついて頬を緩ませている。やはり、痩せ我慢していたようだ。

 

 えー、なにそれ、そんなに気持ちいいのか……。


 サラサラと、水の流れる音と、木々の間で葉の擦れる音だけの静かな時間が流れた。

 

 ダメだ、私も川遊びしたい!

 

 千鶴子にとっては遊び気分ではないのだろうが、椿の足はソワソワと揺れていた。

 その様子に気がついたのか、千鶴子は呆れ顔でため息をついて、



「……気持ちいいですわよ」



 と、小さく呟いた。

 その声を皮切りに、椿はぱあっと顔を輝かせて、勢いよく履物を……と思ったところで、つい先程の失態を思い出し、しずしずと靴下まで脱いだ。


 つま先からそっと清流に足をつけると、気持ちのいい冷たさが全身に伝わってくるかのようだった。

 

 太陽が隠れかけた空のせいで少し肌寒くも感じるが、山歩きで疲れた脚にとっては最高のご褒美だ。

 なんならこのままジャブジャブと入っていきたいとも思ったが、川底の石は多少ヌルついていて、よく見ると所々鋭く欠けた小石もある。生憎と持ち合わせていないが、遊びたいならサンダルを履くべきだろう。



「顔がだらしなくなってますわよ」


「えっ」



 相変わらずの呆れ顔で千鶴子が言った。

 考えるのに夢中で、すっかり失念していた。ぼろを出すまいと考えたばかりだというのに。



「き、気の所為ではなくて。それより千鶴子さん、お加減は?」


「ええ、お陰様でだいぶ楽になりましたわ。ありがとう存じます。……でも、少し肌寒くなってきましたわね」


「天気予報も当てにならないこと……」



 千鶴子の言う通り、グレーの雲はさらに厚くなっていた。

 ここいらで人雨降るか、と思った矢先、鼻の頭にポツリと冷たいものが当たった。雨だ。



「雨が酷くなる前に戻りましょう」



 千鶴子は「ええ」と頷いた。





 二人は、滑り落ちた斜面の下の、銀木犀の木の下で体育座りの姿勢で座っていた。

 なんだったか、前世の学校で金木犀の出てくる作品を読んだことが_______________うん、あたかもしれない。

 

 パラパラと葉っぱに当たって弾ける雨粒の音を聞きながら懐かしい気分に浸っていると、ぐぅーと間抜けな音が聞こえた。

 


「わっ、わたくしではありませんわ!!」



 そう顔を真っ赤にして言う千鶴子は、半ば白状しているようなものだろう。



「ぷっ、お腹が空いてるんですの?」


「なっ!!」



 と、もはや癖になりつつある高飛車モードで笑いかけると、またしても間抜けな音が響いた。出処は椿である。



「つっ、椿さんも人のことを言えないじゃありませんの!!」



 ……。

 またしても、沈黙。

 

 そういえば、お昼もまだ食べていなかった。もう揃って食べることは叶わないだろうとリュックサックからおもむろに弁当箱を取り出して、ふと気がついた。

 千鶴子は、リュックサックを斜面の途中に引っ掛けてしまったせいで、お弁当を持っていないのだ。


 椿は悲しそうに顔を伏せる千鶴子に、そっと身を寄せた。



「えと……私のお弁当でよろしければ、一緒に食べます?」


 千鶴子は一瞬子供らしく嬉しそうに目を見開いたが、すぐにツンとすました顔に戻ってしまった。



「お気持ちは大変嬉しいのですけど、わたくしにもプライドがありますの。こんな状況だとしても、ライバルに施しを受ける訳には……」



 ぐぅー



「……お言葉に、甘えて、いただきますわ」


「ええ、一緒に食べましょう」



 顔を真っ赤にして頭を下げるその様子に、椿は思わず吹き出してしまった。

 千鶴子はそんな椿を驚いた顔で見ていた。


 可愛らしいお弁当箱に収められたお弁当は、斜面を滑ったせいか中で少しスクランブルな感じになっていたが、食べられないことは無いだろう。


 前世のくせでそっとリュックサックに忍ばせていた割り箸(ひとつひとつ包装された比較的お高めのやつ)を千鶴子に差し出すと、彼女はおずおずと受け取った。



「いただきます」


「いただきますわ」



 実はこのお弁当、普段は滅多に厨房に立たない椿ママが自ら作ったものだった。

 てっきりいつもの様に料理人さんが作ってくれるものだとばかり思っていたため、朝揚げ油と格闘している母の姿を見た時は、本当にびっくりした。

 椿についてきたメイドの初瀬さんも一緒になって、ハラハラと見守っていたのは記憶に新しい。


 だってあのお母様だ。

 前世の庶民感覚を持つ椿からすると、かなり浮世離れしている箱入りお嬢様な印象を抱いていたのだが、ちゃんと料理はできるようだ。

 ……まあ、時折聞こえてくる「キャッ」だの「ひぇっ」だのという声には、だいぶヒヤヒヤさせられたが。



 メニューは唐揚げ(少し黒くなってるものもある)、ピクルス(普通に美味しい)、ミニトマト(とりあえず入れておけば問題なし)、レタス(とりあえず以下略)、卵焼き(表面は黒焦げ)、といった定番揃いだった。

 そして、もう一つ。藤編みのランチボックスには、ハムとレタスとチーズが挟まれた、シンプルだけど美味しいこと間違いなしのサンドイッチと、マスカットが数粒入っていた。


 決して完璧とはお世辞にも言えない出来栄えだが、あたたかいものを感じる。帰ったらお礼を言わなければ。


 まず椿が唐揚げに手を伸ばすと、その様子を伺っていた千鶴子もそろりと綺麗な所作で箸を伸ばし、一口齧る。すると、



「……美味しいですわ」



 と、顔をほころばせた。







 マスカットは数えてみたら4粒あって、二人で2粒ずつ食べた。

 椿が最後の1粒を味わっていると、



「椿さん」


「ふぁい?」


「ご馳走になりました。それと……」



 それと?



「……たくさんご迷惑をおかけしてしまって、ごめんなさい」



 そう言って千鶴子は顔を覆ってしまった。時折、すんすんと鼻をすする音がする。


 えっ


 えっ……!?

 どうしよう、泣かせてしまった。


 椿には、こういう時どうすればいいかわからない。

 繊細な女の子の泣き止ませ方なんて、わからないのだ。



「えっ、と、千鶴子さん……?」



 だから椿は、兄の楓がやるように優しくその背中を摩り、頭を撫でた。



「ごめんなさっ……ひぐっ、いっつも、わたくし椿さんのことっ、かってにライバル視してるのにっ……えぐっ、こんなわたくしにも椿さんは……ふぇええ……」



 あばばばばば。

 どうしよう、泣き止まない。


 途切れ途切れに話す千鶴子は一向に泣き止む気配はなく、むしろ酷くなっていた。

 これでは先程までと立場が逆になってしまった。

 しかし千鶴子のハンカチは椿の汁でぐしゃぐしゃになっており、ズボラな椿はハンカチなど持ち合わせていなかった。

 仕方なしに自身の指の背で千鶴子の目元を拭うと、千鶴子は驚いた顔でこちらを見た。


 美少女は泣いても絵になる。涙も鼻水も、椿汁とは比べ物にならないくらいだ。いや、これはもはや汁ではない。……なんと形容すればいいかわからないけれど、とにかく汁と呼ぶべきものでは無いことだけは確かだ。



「ええと、千鶴子さん? 私、全くこれっぽっちも気にしてませんわ!」



 ほら、ね? と、笑いかけると、千鶴子はさらに目を見開いた。

 おかしい、怖がらせないように気をつけたはずなのに。やはりこの顔か、この悪役フェイスがダメなのか。

 そんなことを考えていると、千鶴子は俯いて、小さく声を発した。



「……ほんとですの?」


「ええ、本当ですわ!」



 何度も繰り返し、気にしてませんわ、平気ですわ、むしろ高貴なるお嬢様が見れて私的にはご褒美ゲフンゲフンなどと伝えていると、何を思ったか千鶴子は手の甲で目元を拭い、最後に両頬をぱしん! と打った。


 えっ、うわ、痛そう……?


 

「椿さん!」


「ひゃいっ!?」



 一転して千鶴子は、いつものキリッとした表情で椿に向き直った。



「……わたくし、噂に流されて椿さんのこといろいろと誤解していたみたいですわ」


「そ、そうなんですの……?」



 本当に、一体どんな噂が流れているのか、星野くん子分疑惑の他にも一度徹底的に調べてみる必要がありそうだ。



「でも、今回貴女がとてもいい方だとわかりましたの! たくさん助けて頂きましたし。目が覚めた時、傍に椿さんがいた時なぜだか安心しましたの。で、ですから……」



 一瞬の間の後、千鶴子は大きく息を吸って、片手を真っ直ぐに差し出した。



「わっ、わたくしとお友達になってくださいませ!!」



 ……。

 


 おうん?



 椿が硬直していると、千鶴子の腕がプルプルと震え始めた。ついでに耳まで赤くなってきている。

 椿は慌ててその手を取った。



「お顔を上げてくださいな、千鶴子さん」



 そう言うと、千鶴子は恐る恐るといった様子で顔を上げた。

 そして椿は、自然に微笑んでいた。


「……喜んで!」



 その言葉に千鶴子が頬を赤く染めたのと同時に、どこかから声がした。



「千鶴子ちゃーん!! 五条さーん!!」


「恵那さん!! 五条さん!! 大丈夫ー!?」



 その声はひとつではないようで、他にもたくさん聞こえてきた。



「椿ー!! あっ、いた!!」



 そう声を上げて、次の瞬間滑り降りて来たのは、何故か鷹臣だった。

 上から某ネズミーランドのキャスト風の先生の悲鳴と、養護教諭の三宅先生の怒号が聞こえる。



「椿!! 無事か!?」


「え、ええ……いやでも、なにも降りてこなくても……。というか、なんで鷹臣さんが……」



 椿がそう言いかけると、椿はハンカチらしきものでゴシゴシと鼻の頭をを擦られた。痛い。



「汚れてる、バカ!! お前はいつもいつも後先考えずに行動するの、悪い癖だぞ!!」



 その言葉、そっくりそのまま返したいもんだな、坊ちゃん。


 そうこうしているうちに、鷹臣に誘発されたのか星野くんも滑り降りて……というより、途中から転がってきた。



「司!!」


「千鶴子ちゃん!!」



 星野くんは目に涙を沢山貯めて、千鶴子に抱きついた。



「ふぇええ、千鶴子ぢゃあん……!!」


「ああもう、泣かないでくださる!? というか貴方までなにここまで来てるんですの!! 怪我したらおば様にどう説明しますの!?」


「ぅっ、ご、ごめんね、千鶴子ちゃん……」



 それでも母親のように彼を叱る千鶴子は、満更でもなさそうに困ったような微笑みを浮かべていた。



「椿さん」


「……? なんですの?」



 鷹臣にガミガミとお説教を食らっている最中だったが、不意に呼ばれて椿は千鶴子の方をを向いた。



「今日は、本当にありがとう存じます。椿さんのおかげで、あまり心細くはありませんでしたわ」


「どういたしまして、ですわ」



 そうやって笑い合う椿たちの姿を、斜面の上からは先生達とメガネくん、それに鷹臣の道ずれになったのであろう三葉が苦笑いしながら見守っていた。



 雨はいつの間にか、止んでいた。

 前話に比べると、飛躍的に文字数が増えていることに比例して、まとまりがなくなってしまったようなそんな気が。

 椿のことを一番心配していたのは鷹臣、なんてこともあたかもしれませんね笑

 元ネタは、教科書の懐かしきあの作品だったり。


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