15話 兄妹
前回までのあらすじ。
ルイス・テレスティーノが『舞恋』全キャラ攻略後のシークレットキャラだと判明した。
「~ッ、あーもう!! シークレットキャラだなんて聞いてない!!」
ルイスの突撃お宅訪問の翌日、椿は自室の天蓋付きベッドに飛び込み、枕を抱えて端から端まで転がっていた。
母、夏目が見たら卒倒しそうな光景だが、荒ぶる感情の吐き出し方がこれしか思いつかなかったのだ。
ドレスの皺、結構。埃が舞ったって知るものか。
ルイスはいい子だ。嫌いじゃない。
お坊ちゃんのはずなのに変にスレてなくて、まっすぐな目で見つめてくる。
ただ、彼も攻略対象の一人だという事実が、全てを台無しにした。
ゲームに関するキャラには、極力関わりを持たない、干渉しない。
それは、椿が余生を穏やかに過ごすために決めたことなのだが、それがどうしてこうなるのだろう。
五条楓は仕方がないとして、三鷹鷹臣、ルイス・テレスティーノ。
そして長篠三葉と交流を持つということは、おそらく攻略対象が一人、いつかくっついてくる。
いつの間にか、椿が望んでいなくともゲームのシナリオ通りの地盤が出来上がってきているのだ。
ここまで揃うと、得体の知れない気持ち悪さが襲ってくる。
あの三葉なら上手くやる気がしないでもないのだが、ゲームの強制力の強さは椿が身をもって体験していた。
そう、ゲームの強制力。
「……私、ほんとうに悪役になるのかなあ」
ポツリと、呟いた。
椿には、当たり前といえば当たり前なのだが、ヒロインを虐めるつもりも、自ら進んで悪役になろうという気も無い。
だが、”そう”なってしまう未来も無きにしも非ず。そう、とは言わずもがなシナリオ通りの悪役令嬢のことだ。
どうしたらここまで性根の曲がった子に育つのだろうと言いたくなるほどの、手段を選ばないヒロインへの嫌がらせ。
挙句の果てには、攻略対象を巻き込んでの自殺なんて未来もある。
改めて考えると、ゾッとした。
それは、とてもじゃないが耐え難い恐怖だ。
ゲームの強制力は、いったいどこまで働くのだろうか。出会いまでに留まるのか、イベントの強制発生か。果ては人の心までもが、シナリオ通りになってしまうのだろうか。
三鷹鷹臣は、五条楓は、ルイス・テレスティーノは、長篠三葉は。
彼ら、彼女らが、もしかしたらある日突然、人が変わったようにゲーム通りの行動をし始める。そんなこともあるのだろうか?
考え始めれば止まらない。負の連鎖だ。
前世で読んだ転生物の主人公達は、どんな気持ちで一生を過ごしたのだろう。
思えば、大半の主人公は気持ちを早々に切り替えて、ハッピーエンドのために努力していたと思う。
椿だって彼女らと同じように、生まれ変わったこの二度目の世界でもなんとかやって行けるものだと思っていた。
どこかで、楽観的に捉えていたのだ。
自分なら大丈夫、きっと破滅になんて向かわない、と。
そんな確証はどこにも持てやしないのに。
いったい、何故椿はこの世界に生まれ変わったのだろうか。
どこにぶつけられるでもない怒りと悲しみが、今にも蓋をこじ開けて溢れだしてきそうだった。
『舞う花のみぞ恋を知る』。
慣れない環境で花のように舞い、その才能でもって咲き誇り、恋を知っていくヒロインの前に悪意を持って立ち塞がるのは、まさしくテンプレと言わざるを得ない誰からも好かれない悪役令嬢だった。
言動に正当性があるわけでもなし。どこか愛される部分があるでもなし。ましてや、誰もが認めるライバルなんかでは勿論なかった。
自分ではない、五条椿は、何を思って生きていたのだろう。何を思って、破滅の道をただ真っ直ぐ歩んでいたのだろう。
何を思って、死んでいったのだろう。
綺麗な絵と文字、そして四択の選択肢だけで綴られるシナリオには、彼女の心情は見つけることが出来なかった。
もしかしたら、彼女もゲームに囚われた一人だったのだろうか。
”私”と同じ気持ちを抱えていた、”他の誰か”だったのだろうか。
椿はベッドに突っ伏したまま、考える以外は何をするでもなく、ただじっと時間を浪費していた。
気がつけば、窓から差し込む光のせいで、白塗りの壁で囲われた部屋は橙色に染まっていた。カラスの鳴く声が聞こえる。
椿はごろりと寝返りを打ち、枕をぽすんと壁にぶつけた。
枕は、なんともいえない鈍い音を立てて床に落ちた。
まるで、どこにもぶつけることの出来ない怒りや悲しみの代わりとでもいうように。
虚ろな目でただ壁にぶつけた。
そして、ずっと抱えていた枕が手元から離れると、次に椿を襲ったのは寂寥感だった。
その位置を少しずつ移していく夕日の直接的な光に、椿は思わず目を細めた。
空いた両手を夕日にかざし、光を遮ろうとする。なんとも頼りない、小さな手だ。
指と指の間を、夕日が割って入ってくる。
「あーあ……夕日はダメだ、やっぱ。目に染みるし、考えたくもないネガティブな考えが、ポンポン頭の中に浮かんでくるし。これが昭和の匂い……」
……。
椿は乾いた笑みを浮かべる。
当然のことながら、その独り言は部屋の壁に吸収されるだけだった。誰の返事もない。
この世界の全てがデータのように酷く無機質なものに思えてしまって、なにもかもが信じられなくなった。
だいぶ重量感が出てきた貯金箱を見るのは一日の楽しみだったはずなのに、今はもう缶切りでこじ開けて全て散財したい気分だ。
椿は貯金箱を枕の代わりに抱きしめて、また寝返りを打った。
横を向くと、普段眠る時にとる姿勢だからか、途端に眠くなってきた。
このまま、起きたら全部夢でしたー……とかなら、いいのにな……。
──────────
頭を、撫でられていた。
漂ってくるのは柔軟剤の優しい匂いで、椿の着ている服と同じなのだが、どこか少し違う。
でも、好きな匂いだ。
髪を梳くようにして撫でられる感触はとても心地のいいもので、覚醒しかけていた脳が再び微睡みそうになる。
うっすらと目を開け、その瞼の重さに直ぐに閉じる。
うとうとと何回か繰り返していると、次第に目の前がクリアになってきた。
不意に、パチリと目が覚めた。
「あ、椿、起きた?」
「兄……さま……?」
完全にクリアになった椿の視界に入ったのは、優しい眼差しで椿の顔を覗き込む楓の顔だった。
なんで、お兄様が?
一瞬状況が把握出来ずにガバッと勢いよく起き上がると、ゴツンとあまり聞きたくない音がして、椿の額と楓の鼻とがぶつかった。
あああ!!!! お兄様の!! お兄様の高いイケメンなお鼻が!!!!
幸い椿は石頭だったためそれほど痛みは感じなかったが、楓は椿のベッドの上で、鼻を両手で押さえながら悶えていた。
「ごっ、ごめんなさい兄さま!! 今冷やすものを……!!」
「い、いや、椿、いいよ。大丈夫だから、戻っておいで」
慌てて部屋を飛び出そうとする椿を、楓は弱々しく制止した。
見ると、鼻の頭が少し赤くなっていたが、曲がっていたり、鼻血で赤く染っていたりなんてことはなかった。
笑って許してくれただけでなく、椿の前髪を手で払うと、「椿こそ大丈夫? 酷い音がしたよ」と椿を気遣ってくれた。
なんて妹思いの兄だろう。ゲームとは、やはり少し違うようだ。
ゲームとは、少し違う。
その事を考えた瞬間、顔がサッと暗くなったが、楓もいる手前即座に首を振り取り繕った。
「兄さまは、何故私の部屋に?」
「もうすぐ夕飯の時間だからね。様子を見に来たら、椿が貯金箱を抱いて眠っていたものだから、面白くて……」
くく、と含み笑いをする楓の姿に、椿は顔が熱くなっていくのを感じた。
どうしよう、貯金箱を抱いて眠る変な妹だと思われてしまった。
「にっ、兄さま!! これには、わけが……」
「それは、椿が泣きながら眠ったことと、関係があるのかな?」
へ?
そういうと、楓は椿の頬を指で拭った。
椿はぽかんとしてされるがままになっていたのだが、逡巡の後、自分が寝ながら涙を流していたことに気がついた。
完全に無意識だったと思う。
「ねえ、椿。もしかして、一人でなにか抱え込んだりしていない? 椿は聡い子だからね。なにか僕達の知らないところで、悩んでない?」
楓は変わらない優しい笑みのまま、真摯に椿と向き合い、そう言った。
たった四歳の幼い妹に。
馬鹿にせず、ただ真っ直ぐに心配してくれているのがひしひしと伝わってくるようだ。
先程までうじうじと考えていたのが嘘だったかのように、頭の中のモヤモヤがスッキリとキレイさっぱり消えていくような気さえした。
「ううん、兄さま。怖い夢を見たんです。怪獣に食べられちゃう夢だったんですよ!」
そう言って、椿は大袈裟に怪獣の真似をした。
「兄さまやみんなを食べちゃうんです。それで、いつの間にか、みんな……いなくなってて……」
楓にゲーム云々とは流石に言えない。でも、ぱっと嘘が思いつくほど器用でもない。
だから椿は、子供らしく夢の話に例えて、楓に伝えることにした。
「でも、不思議。兄さまが頭を撫でてくれたおかげで、ぱっちり目が覚めたんですよ! だから、もう全然怖くないの」
椿は精一杯の笑顔で、微笑みかけた。
楓は椿の話を真面目そうな顔で聞いていたが、椿が微笑みかけると、ふっと笑みを零した。
「そっか、それは怖い夢だったね。実は、僕も前に大きなさつまいもの大群に追いかけられる夢を見て……」
「さつまいもの大群!? えっ、兄さまその話詳しく聞きたいです聞かせてください!! 聞かないと今夜は眠れません!!」
それから椿と楓は、他愛も無い話をした。
椿が強がっているのを楓はどこかで気づいていたのかもしれなかったが、敢えてそこに触れないのは彼なりの優しさだろう。
彼が椿を「聡い子」だと言うように、彼もまた、「聡い子」なのだ。
楓の話す夢の話は今まで聞いたことがないくらいに突飛で、馬鹿げていて、楽しい話だった。
二人は時間も忘れ、夢中になって話した。
そうしてしばらくして椿の部屋を訪れた両親が見たのは、仲良く並んで、あどけない顔で眠る、二人の姿だった。
今回少しシリアスだったかもしれません。
真田自身、乙女ゲーム転生ものの主人公の多くがなんの抵抗もなく現実を受け入れてるのを見て、いつもすごいなあ……と思っていたので、椿には少し葛藤してもらいました。
次からはまた軽い読み口に戻る!(はず)