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シムルグの雛鳥  作者: 時雨オオカミ
6/8

同じになあれ


 それは、中学一年生のとき。

 事故と怪奇現象で両親を亡くし、なかなかいろはが孤児院に馴染めずにいたときの、大切な思い出だった――


 ギイ、ギイとブランコが揺れる音が、夕方の公園に響いていた。

 ブランコを漕ぐ音など珍しくもない。しかし、なぜだかそれが気になった少女の足は引き寄せられるように公園内に入った。

 寂れた公園だ。遊具も少なく、普段からあまり使われることのない場所で、近道に利用する者がたまにいるくらいの人気のない場所である。

 そんな公園に人がいることに興味を持ったのだろうか?少女はふらりと立ち寄り、そして落ち込んだようにブランコに座っている女性に出会ったのだ。


「お姉さん、どうしたんですか?」


 声をかけたのも偶然だった。

 見知らぬ人に声をかけるような気概も本来はなかったのだが、そのときだけは少女もなぜだか声をかけてしまっていたのである。


「め……」

「?」


 ぶつぶつと呟いているらしい女性に近づき、その隣にあるブランコに座る。そうして、耳を澄ませる。


「めだ…… ま…… めだ、ま…… がほし、い」


 少女はよくある怪談だ、と納得して尚その場に居続ける。

 そのままでは目玉を取られてしまうのでは? という不安も僅かに彼女にはあったが、それでも動く気にはなれなかったようだ。


「目玉はあげられませんけど、飴玉ならありますよ」


 そう言って彼女の傷だらけの手に飴玉を握らせて少女はにっこりと微笑む。

 そして傍に置いたバッグからスケッチブックと鉛筆を取り出して彼女の正面に立った。


「あなたの目の色はなんでしょう?」

「く、ろ…… めだ、ま……」

「わたしは緑色なのであげられませんね」

「め…… がないと……」


 苦しむ様子の彼女を哀れむように少女は見つめ、そこに少女がいることを示すように会話を続ける。

 その間にも少女は目以外の部分を中心に女性を描いていった。


「どうしてそんなに目がほしいのでしょう?」

「あの…… ひと、みつけ、られ…… い」

「なるほど、会いたい人がいるんですね」

「どこ、にも…… いけな……」

「あなたは、ただ迷子になってしまっただけなんですね……」


 少女には元々霊能力などなかった。

 しかし、とある出来事が起きたことでこうしてあの世の存在を見るようになっていた。それは幸いなのか、不幸なことなのか、それは少女にしか分からないことである。


「あなたは、目がなくても綺麗ですね。きっと、目があったら……こんな感じなんでしょうか……」


 他意はなかった。

 しかし、女性のことを思って描いたその絵は不思議と彼女に似合っているような気がして思わず彼女に見せていた。

 目がないのだから見えないはずなのだと気づいたのはその後だ。しかし、顔を伏せて呻いていた女性が顔を上げると、無残に切り裂かれていた顔の傷は薄まり瞼を震わせていた。


「ああ…… ああ…… !」

「えっ、うそ……」


 瞼を開いたその下には黒真珠のような瞳。

 ボロボロになっていた服は整えられ、信じられないといった風に少女を見つめていた。


「目…… 私の目…… !ありがとう、ありがとうっ!」


 女性が笑う。

 少女が自身の持った紙を見ると、今度は絵の目玉が消えていた。

 それは先ほどの彼女の姿に他ならない。


「あ、えっと……」

「ありがとう、これであの人のところへ行ける…… その絵、貰ってもいいかしら」

「あー、えっと、どうぞ?」


 スケッチブックから破り取り、女性へと渡す。

 女性がその真実の姿を己の目で確認し、大事そうに抱える。

 すると、みるみるうちに絵は引き裂かれ、花弁となり女性の手を取るように渦巻いた。行く先には眩い程の光に溢れ、彼女を安らぎに導いている。よく見れば、他にも透明な人物や動物達が集まってその中へと入って行くのが見えた。


「ありがとう、ありがとう…… 優しいお嬢さん。ねえ、これからも私のような迷子に道を教えてあげて………… けれど、きっとあなたの描いた私達の絵を誰かが見てしまったら、きっとあなたが一人になってしまう。だから、決してその絵を人に見せてはいけないわ…… いいわね」


 女性はそう言って手の中にある飴玉を頬張った。

 コロコロと転がる音はどこか鈍い鈴のようで、彼女の新たな旅立ちを祝っているかのよう。

 どこかで慣らされた鈴の音が響く。光は大きくなっていき、女性は少女に背を向けて歩んでいく。


「さようなら、ありがとう」


 彼女の行く先には同じくらいの歳であろう男性が手を振っている。

 そこに飛び込んで行った彼女の結末は、途中で光が収まってしまったため少女には分からなかったが、きっと幸せだろうと彼女は思った。


( なんだろう、あたたかい…… )


 それ以来、いろはは〝 迷子 〟を見つけるとちょっとした手助けをするのである。

 行くべき場所へと行けるように、その切っ掛けができるように……


 そうして(よすが)となる似顔絵を描き、彼女は死者の(はなむけ)として贈るのだ。


( ますます孤児院には馴染めなくなったけど…… でも、人はあたたかいって知ってるから、いいの…… )






××× ×××






「あのね、先生…… わたし、黙っていることがありました」

「…… そうかい」


 いろはが意を決して話し出すと、ナヴィドは優しく頷きその背をポンと叩く。それはまるで幼い子供にするような仕草だった。


「わたし、わたし、お母さんとお父さんが病院で焼けて死んでしまったときから、おかしなものが見えるようになってしまったんです」


 目の前の彼女は孤児院から高校へと通っている。それはナヴィドも知るところの話だった。

 そして、その理由もまた、彼はきっちりと把握していたのである。

 いろはの両親は入院していたいろはを見舞いに行った際に、火事に巻き込まれて亡くなっている。

 その火事の中、唯一生き残ったいろはは炎に対して深いトラウマを持っているだろうことも、ナヴィドは知っていた。


「うん」

「死んでしまった人達は皆、悲しそうにしてました。だからせめて似顔絵でも描いて見せてあげたくて…… 絵を上手く描けるように努力したんです」


 パラパラと捲られる彼女のスケッチブックの中は、〝 死 〟で溢れている。このおかしな学校で出会った沢山の鳩も、その中の一つである。


 翼が折れている鳩、切れて飛べなくなってしまった鳩、食い散らかされた鳩、なにかに圧し潰された鳩…… 様々な死因がスケッチブックの中には詰まっていたのだ。

 それらは鉛筆で描いたものにも関わらず、一つ一つが写実画と言えるほどの出来栄えになっている。


「それで、ある日女の人に見せました…… 女の人は、とても嬉しそうにして受け取ってくれました。そうしたら、その人は笑って空気に溶けたの。きっと、成仏…… なんだと思います。でも、人間を強く恨んでいるような人は苦しませるだけで、痛い思いをさせるだけでした…… それも、絵が上手くなった今は関係がなくなっちゃったんですけどね」


 彼を見つめるその両目は僅かながら不安に揺れている。

 その様子を見て、ナヴィドはふっ、と笑った。


「それが、キミのできること? 隠し事だったんだね?」

「…… はい」


 彼の笑みに 「信じてもらえなかったか」 と落ち込みかけた彼女は、その頭に乗せられた大きな手で撫で回され、目を丸くして彼を再び見つめる。


「よく話してくれたね…… えらいえらい」

「わたし、子供じゃありません」


 ムッとしたように言った彼女に、ナヴィドは悪戯気のある顔で 「生徒は生徒。キミは私の教え子だよ」 と答える。

 それは立場が逆転しただけで、職員室で彼女とした会話とほとんど同じ内容だった。


「もういいです……」

「拗ねちゃったかな? ごめんごめん」


 階段を下り、再び職員室に戻ってきた2人はどちらが言うともなく近くの椅子に座る。


「このあと、どうしましょうか……」


 いろはが困ったようにそう言った。


「いろはちゃんはこの学校の七不思議って知ってるかい?」

「…… 今までのが、七不思議だったと?」


 彼女の通う〝 七彩(しちさい)高等学校 〟には七の文字に縁があり、なんらかの噂には七が付き物である。

 例えば、屋上のとあるタイルの上で七回好きな人の名前を言えば恋が叶うとか、とあるクラスの出席番号七番は呪われるだとか、そんな他愛ない噂だ。

 その中でも、やはり学校に付き物な七不思議は有名だったといろはは記憶していた。


「最初の一番は〝 いじめられていた花子さん。トイレの窓を割って逃げ出した。そのときの落し物を今でも探してる 〟でしたっけ。確かに中庭の生首と内容は一緒ですね」


 二番目は保健室のゆかりさん。彼女は注射が大嫌い。あまりに暴れて空気が入り、死に至る。いつまでも八つ当たりする相手を探してる。


 三番目はプールのミドリ君。大切な形見のペンダントをいつもいつも身につけている。泳ぎが下手くそカナヅチで、ある日放課後プールに忍び込み、こっそり練習悪い奴。突然ペンダントが流されて、追いかけて排水溝に吸い込まれちゃった。


 四番目は音楽室の悲しいすすり泣き。悲惨な女が身体を楽器に埋め込まれ、今でも痛い痛いと訴えている。


「それにしても、この学校の怪談は物騒ですよね」

「ああ、死んだってはっきり言われているからね……」


 普通はもう少し柔らかい言い方になるはずだとナヴィドが言うと、いろはは「ええと」と空で数えながら呟いた。


「ここまでは体験しましたね」

「ああ、けれどさっきの階段の出来事は確か七不思議にはなかったはずだね」

「ええ、でもこれで少しは行動指針が取れそうです」


 彼女の意図をナヴィドはすぐに察した。

 つまり、いろはは七不思議を探そうと言っているのだ。


「噂によれば……〝 五番目は体育館。鈍臭い男子生徒が天井やボードに嵌ったバレーボールを一人で片付けた。けれどあんまりに鈍臭いから転んでしまい、落ちてきたバスケットゴールの下敷きになっちゃった 〟でしたっけ。なら体育館に行くべきでしょうか」

「あとは…… そうだね」


 六番目は家庭科室の桜子さん。お金持ちのお嬢様で誰も逆らえない。けれど態度も大きく嫌われていた。ある日いじめた子供に仕返しされて、手足を包丁で滅多刺し。しまいには立つこともできなくなって、そのまま一人寂しく死んじゃった。


 七番目は放送室のおしらせさん。人の秘密や隠し事、全部全部お見通し。気まぐれにお知らせを流しては、皆の秘密をバラしちゃう。


「まあ…… 順番に行ったほうがいいかな」

「それじゃあ、体育館に行きましょうか」


 足取りは決して軽いとは言えなかったが2人は進む。

 職員室に残された、赤い絵の具の〝あなたをちょうだい〟という文字には気づかずに。

 いろはの使っていたカップはそのまま、文字に侵食されて真っ二つに割れた。

 不吉な気配はただ一人、〝 いろは 〟に狙いを定めて……


「……」


 ふと、立ち止まるナヴィドにいろはが 「どうしました?」 と訊くと、彼は微笑んで 「なんでもないよ、さあ行こう」 と先を促す。


「どうにも、危機感がうまく持てないなあ」


 これ以上、彼女を危険な目に遭わせるわけにはいかない。ナヴィドはそう思ったが、彼自身が危険だと感じにくいためにそれも難しいことだった。

 誰だって自分の危機には敏感だが、アリにとって危機になることなど意識はしないものである。

 故に、彼はいろはを見守っていながら何度も危険な目に遭わせてしまったのだ。


「…… ?」


( いろはちゃんは気にしていないようだけれど、役立たずなんて言われても仕方ないくらいだ。あの子に笑われてしまうな )


 ナヴィドは自嘲するように笑った。


「気にしていません」

「え、いろはちゃん?」


 ナヴィドが気づけば、前を向いていた彼女は上目遣いをするように彼を見上げていた。その瞳の中には失望の文字はない。

 相変わらず、なにを考えているのかよく分からない眠そうな目だ。


「わたし、怪異に関わるのは慣れていますし、むしろ望むところだとさえ思っていますから」


 そう言ってふっ、と笑う彼女は本心から言っているようだった。

 しかし、なにも言っていないナヴィドに対して話したタイミングを考えると、彼の思考を読んで言ったとしか考えられないだろう。

 それに驚きつつもナヴィドは 「心配くらいはさせてほしいよ」 と返した。


 かくして二人は細々とした怪現象など気にもせず体育館へと辿り着いた。


「資料室は危なかったですね」

「うん、まさか首吊りロープが自力移動してひっかけようとしてくるとは……」


 途中で寄った資料室では天井から突然垂れ下がってきた首吊りロープがいろは目掛けて襲ってきたのだ。

 彼女が捕まる前に背後にいたナヴィドがいろはを引き寄せ、ことなきを得たのだが、一切赤面することなく 「助かりました」 「助けた」 なんてやり取りをする2人は、同級生の少女が見ていたとしたら羨むシチュエーションそのものだっただろう。会話以外は、だが。


「体育館では…… ボールを片付ければいいのでしょうか…… ?」

「それでいいんじゃない? 天井とかどうすればいいのか分からないけれど」


 体育館の中をいろはが覗くと、トーン、トーンとなにかが跳ねる音が聞こえてきた。


「ボールが落ちてきてる……」

「天井のボールは回収しなくても良さそうだね。でも降ってくるボールには気をつけようか」

「そんなこと、言われなくても分かっていますよ」


 いろはたちは時折降ってくるボールを避けながら、体育館中央にあるカゴに拾ったボールを次々と入れていく。

 しかしボールが尽きることはなさそうだ。


「終わらない……」


 二手に分かれてボールを片付ける作業をしているとき、いろははふと何者かに呼ばれているような気持ちになった。

 それが危険であると理解していながら、彼女はその声の持ち主を探そうと顔を上げて体育館全体を見渡す。

 ナヴィドが遠い。

 今のうちならば、危険を冒して声の持ち主を探すことができるだろう。

 いろはは、そっとバスケットゴールに近寄った。物騒な噂のある、そのバスケットゴールに。

 七不思議では、この体育館で片付けをしている子供はバスケットゴールの下敷きになって死んでいる。

 彼の未練は片付けが終わらないうちに死んでしまったことなのだろうか? きっとそうなのだろうといろはは結論づける。

 しかし、今のままではいつまで経っても、それこそ永遠に片付けは終わらないだろう。危険を冒してまで進展を狙わなければいじめられっ子の片付けは終わらない。

 なら、危険を冒すのは自分でいい。いろはは哀れな怪異に、そして早くこの学校から帰れるようにと願っていた。


 ガタン、と不吉な音がする。


「あとは…… どうすればいいのかな」


バスケットゴール裏のボールが飛び出した。

いろはに向かってくるそれを彼女は避ける。


「バーカ、こうすればいいんだよ」


 しかし、後ろから足元を掬うように跳ねたボールに彼女は足を取られ、その場で転ぶ。

 その瞬間、いろはの姿は体育館から消失した。


「いろはちゃん!? またっ…… クソッ」


 遠くにいたナヴィドは人間の足にしては早く駆けつけることができたが、やはり間に合わなかった。

 そうなるようにいろはがタイミングを計っていたのだ。

 独りでなんでも解決しようとする癖のある少女に彼は心配気に息を吐き、苛立ち混じりに五番目の怪異を睨みつけた。


―― ごめんなさい…… ごめんなさい…… ごめんなさい……


 囁き続ける怪異の少年にナヴィドは怖がらせないようにとできうるだけ優しく声をかけ、なぜ背後からの不意打ちをしたのかを問う。

 バスケットゴールから飛び出したボールは彼の操作したものだが、その後いろはを背後から襲ったボールは彼が操作したものではなかった。

 それを知っていて、ナヴィドは優しく尋ねる。


―― ごめんなさい…… ごめんなさい……


 五番目の怪異はそれを繰り返すだけ。ナヴィドはそっと溜息を吐いた。

 しかし彼からいろはがどこに消えたのかを聞き出さなくてはならない。

 〝 体育館、バスケットゴールの下で転ぶと人が消えてしまう 〟そんな都市伝説も、確かに各所の学校で存在していた……


「私が行くまで、どうか無事でいてくれよ……」


 不思議と、ナヴィドには見殺しにするという選択肢はなかった。

 一生徒、ただの人間ごとき…… そんな言葉がぐるぐると頭の中に木霊しては彼はそれを否定する。

 見捨てるには、あまりに親しくなりすぎた。

 守れなかったたびに、彼女はそれを笑って許している。

 そんな彼女を見捨てることなど、もはや彼にはできなかった。


「はは、人間に執着するなんて何年ぶりかな」


 彼は猛禽類のような鋭い目で怪異の少年を見つめる。

 その場に羽音が響き渡った。






××× ×××






「転ぶなんて、久しぶり……」


 一方攫われてしまったいろはは呑気にそんなことを呟いていた。

 前方に倒れた体制から徐々に起き上がり、ぶつけたおでこをさするとピリリとした痛みが彼女を襲う。擦りむいているようだ。


「鏡……」


 いろははそう言うと服のポケットに次々と手を突っ込んでいく。そしてワイシャツのポケットにお目当のものを見つけ出した。

 どうやらきちんとコンパクトミラーを携帯していたらしい。彼女はその場に散らかったスケッチブックや筆記用具を手元に引き寄せ、額を確認した。

 赤くなっている。やはり彼女の思った通り、擦りむいていたようだ。


「仕方ないか」


 そう言ってコンパクトをワイシャツのポケットにしまい、辺りを彼女が見渡すと、そこがどこだか分かったようだった。

 調理台付きのテーブルに、引き出しの中の刃物や飾られた食器、それに箸やフォーク、スプーン。


「家庭科室……」


 そこは六番目の七不思議の舞台である。

 それを彼女が知覚すると同時に、いろはは突然膝裏を斬り裂かれて再び床に倒れこんだ。

 咄嗟にスケッチブックへと伸ばした手は途中で鋭い痛みによって縫い付けられ、スケッチブックも何者かの足によって蹴飛ばされてしまう。


「…… ぃ、た…………」


 彼女の左手を貫いた果物ナイフはそのまま床に突き刺さり、まるで標本にされてしまったかのようにいろははただ痛みに喘いだ。

 足は膝裏を裂かれて動かすたびに痛みが襲い、とても立ち上がれそうにはない。無理やり立ち上がることも彼女にはできるだろうが、そうすればどうなるかは頭上で浮遊する刃物達のせいで明白だった。

 まだ動く右手をなんとか伸ばそうとするが、それも左手と同じようにざっくりとナイフが貫通して床に縫い付けられる。


「ん…… ぐぅ…… う……」

「あははははは! こんばんは、どんな気持ち? 痛い? 苦しい? ぼくに教えてくれるかなぁ!」


 いろはが眼前から聞こえる声に顔を上げると、そこには自分とよく似た少女が立っていた。

 セミロングの明るい茶髪はハーフアップにされ、桜の髪留めでまとめられている。七彩高校の制服がブレザーに変わる前のセーラー服を着用し、丁寧に整えられた桜色の爪。それに、狂気を感じさせる真っ赤な瞳。

 髪の長さ以外に共通点はないというのに、性格や声の張りを加えても似ている部分などどこにもないというのに、なぜだかいろはは彼女のことを似ていると感じていた。


「あなたは…… 意識がはっきり…… してるの?」


 いろはが訊ねると、彼女は驚いたように目を見開いて仰け反った。


「うわお、ぼくに会った第一声が痛いでも苦しいでもないなんて! あー、びっくりした。きみって凄いね。面白いから教えてあげるよ」


 彼女は嬉しそうにいろはの頭を撫でると立ち上がり、演説を始める。


「ぼくは普通の人よりも少しだけ変なものが見えてたんだ。だからかな、殺されて…… 幽霊になってからも結構はっきりしてるんだよね。だからこそ、他の七不思議を脅してきみをここに連れてくることができたんだけどね」


 ペラペラと饒舌に語る彼女に、いろはは首が疲れてうつ伏せのまま頬を床につける。

 そろそろ貫かれた手のひらが痺れてきたようだ。痛みは既に通り過ぎ、感覚が麻痺してきている。


「きみはどうやらとても厄介みたいだ。絵に描いただけで皆救われてしまう…… でもぼくは救われたくなんてない。」


 いろはは右手を持ち上げ、ナイフを引き抜いた。


「殺されて、そのまま天に召されろって? そんなの無理無理。そう、ぼくは復讐がしたいんだ」


 けれど、自由になった手はほんの少ししか動かすことができなかった。

 それを見てほくそ笑んだ彼女は家庭科室のテーブルにどっかりと座り、いろはを見下した。


「復讐をするためには〝 カラダ 〟が必要だ。ぼくは幽霊になって…… こんな風に…… ポルターガイストを起こすことができるけれど、やっぱりこの手にナイフを掴んで直接やりたいじゃない?」


 左手に刺さったナイフが不思議な力で抜かれ、再びいろはの手を突き刺した。

 いろはは荒い息を吐きながらも、しかし泣き叫ぶことはなかった。

 テーブルの上の彼女はナイフを引き寄せて頬擦りをした。けれど、彼女が傷つくことはないようだ。


「影が言ったんだよ。丁度おあつらえ向きに空っぽな人間がこの学校にいるってさ。確かにきみは空っぽ…… というより透明なのかな? いわゆる、〝自分がない〟ってやつ」


 ナイフをくるくると回しながら彼女は演説に夢中になっている。

 いろははそれを確認して、僅かに動く手で床をかいた。


「自分がないやつほど幽霊や妖怪に乗っ取られやすいんだって。だからきみみたいな人を待っていたんだ。歓迎する、嬉しいよ」


 彼女は本当に嬉しそうにしている。

 いろははそれを聴きながら、一生懸命に爪を床に立てた。


「だからこそ、ぼくが行く先々でアドバイスしてあげてたんだよ? さっさと他の七不思議をクリアしてぼくのところに来て欲しかったからさ! ぼくはきみを決して〝 かえさない 〟し、〝 にがさない 〟! そう、あの赤い文字はぜーんぶ! ぼくがきみの役に立とうと頑張った結果だったんだ!」


 そのわりには殺す気が所々に見受けられるなアドバイスの数々だった。

 そういろはが口に出そうとして、慌てて飲み込んだ。彼女の機嫌を今すぐに損ねてしまうのはとても危険だから。そして、そんなことを言う暇があるのならもっと有意義なことをするべきだと知っているからだ。

 床に広がった血溜まりはいろはの手によって広がり続けている。


「それにね、今日は七番目が学校に来ていないからチャンスだったんだ! 不思議なことに、ここの七番目様は人間を殺すことを良しとしないからね。だから影にも今日が絶好のチャンスだって教えてあげたんだよ」


 いろはは彼女の漏らす情報を聞きながら思案しているようだ。

 どうやら、黒幕はまた別にいるらしい。

 そして七不思議の七番目を相手にしなくていいことを知って、安心した。

 腕は動かし続けている。


「でもきみには厄介なことにその絵の腕があるし、なにより面倒なやつが引っ付いてた。だから五番目に〝 お願い 〟してきみたちに隙を作らせてもらった」


( 脅したの間違いじゃないかな…… )


 いろはは訂正するか迷ったが、意味がないと断じて手先に集中した。


「ぼくがきみになって復讐を果たす! ああ心配しないで、きみの意識は残しておいてあげるよ。きみはぼくの中で、〝 自分を持たなかった 〟ことを後悔し続けるんだ!」


 彼女は噂に違わぬ驕り高ぶった人物のようだ。

 そしてその性格は残虐だ。けれど、いろは今までのように彼女を救ってやることはできない。それをいろは自身が知っている。分かっている。

 四番目までと同じ手は通用しないと、理解しているから手を動かしていた。


「ねえ、さっきから黙ってるけど生きてる? 生きててくれないとぼく困っちゃうんだけど」

「生きてる……」

「ねえ、さっきからなにをしているの?」


 彼女はテーブルの上で足をばたつかせながら質問した。彼女にはいろはの手元が見えていないようだ。いろはにとって、それはとても都合が良かった。


「ねえ……」

「なにかな?」

「家庭科室の、桜子さん」

「だから、なに?」


 いろはは彼女の名前を、呼んだ。

 それに桜子が応えると、いろはは顔をあげ柔らかい笑みを浮かべる。その碧眼に桜子の赤い瞳が映り込む。いろはの前には、いつの間に用意したのか懐にしまっていたコンパクトミラーが開いた状態で落っこちていた。


「きみ…… ぼくにはそれをしてももう無駄だって知らなかったの?」


 桜子はどうやら苛立っているらしい。


「知ってる…… だってあなたはもう、救いを求める幽霊じゃない。〝 妖怪 〟は、成仏なんてできない……」

「分かってるじゃないか! ならなんでこんなことをしたの? 悪足掻きはよしてよ、ぼくはきみと仲良くしたいんだ。だってこれから、そのカラダの使用権を貰うんだから…… いちいち喧嘩なんてしてられないだろう?一緒に人殺しを楽しもうよ!透明で何者にも染まっていないきみなら、きっとぼくみたいにだってなれるはずなんだから」


 今までの怪異は〝 妖怪 〟ではなかった。階段の怪異さえ、鳥こそ妖怪じみていたが、本体はただ一人の死体だったのだから。

 その死体は妖怪ではなかった。なら無念を晴らし、いろはの手によって天へと召されることができる。その行先がどこであろうとも。

 しかし彼女…… 桜子は既にしっかりと意識があり、自分自身を七不思議だと知っている。そのルーツがどこにあるかも知っているし、〝 救われたいと願う気持ち 〟なんてとっくに失ってしまっている。

 そこにあるのはただ人間を憎む気持ちを持った妖怪の姿なのだ。


「ねえ、桜子さん。わたしがほしい?」

「必要なのはぼくが動かすカラダだけ。きみを残してあげるのはぼくの僅かな良心さ」

「そう……」


 笑顔を浮かべて手を差し伸べる桜子に、いろはは動けない。

 血を流しすぎて、目の前に揺れている桜子の手がぶれて見えているようだ。

 虚ろな目でただその手を見つめるだけ。

 そんな彼女の様子に桜子はイラついているようだ。


「桜子さん…… お願い………… わたしは、わたしを…… 忘れたくないから…… あなたに、名前を…… 呼んで、ほしい…… な?」


 弱々しく懇願するいろはに桜子は眉を顰めて嗜虐的な笑みを浮かべた。これで最後だと確信したのだろうか。

 いろはは自らの血溜まりの上で小さく息を漏らしながら桜子を見つめた。


「いいよ、いろは。ぼくはとーっても優しい妖怪だからね」

「ふふ……」


 いろはは笑った。

 その笑みは弱々しく、けれど力強く。

 彼女は素早くコンパクトミラーを自らの血で汚した。


「なっ、あ!? なにをしたの、いろは!? 」

「やっと名前を呼んでくれた…… 妖怪への対処法を、わたしが身につけてないなんて…… そんなことを思うのは軽率だったと思うよ、桜子さん」


 身体を起こしたいろははその下にあった血溜まりを見やる。

 そこには自らの血液で描かれた桜子の姿があった。けれど、それだけでは桜子を成仏させることなどできない。それは先程彼女が喋っていた通りである。そんなこといろはには分かっていた。

 だからこそ、いろははコンパクトミラーを彼女の目にあたる部分に置いた。そして、絵が未完成のまま桜子に気づかせた。


「あなたをどうするかは…… わたし次第…… 楽しみに、していてね…… ?」


 お互いに名前を呼ぶのがキーワード。

 それを機に、いろははコンパクトミラーに〝 赤色 〟の目を塗って彼女の絵を完成させた。


「またね」

「嘘だろ! ぼくが、ぼくは救われたくなんてない! そう言ってるじゃないか! なのになんでこんな方法を取るんだよ! ぼくを消したいならもっと簡単な方法があったはずだろ!? そのために時間稼ぎをしてたんじゃないのか!? なんでなんでなんでなんで!!」


 いろはがコンパクトミラーを閉じると、もう目の前には誰もいなかった。

 彼女がコンパクトミラーを開けてみれば、そこには桜子の名前が刻まれている。いろはは彼女を騙し、無力化することに成功したのだ。

 …… けれど、彼女は血を流しすぎていた。


( もう…… 見えない…… 先生、わたし…… これで、良かったのかな…… ? )


 血溜まりの上でカランとナイフが落ちる音がする。


( 誰だろう…… ? )


 次いで絹を擦ったような音が近づき、彼女の頭上で止まる。


( 先生じゃ…… ない )


 その誰かは静かにいろはの頭を撫でると、顔をを上げようとする彼女の目をそっと閉じさせる。


( なんだか…… 懐かしいような…… 前に、会ったことがあるような…… )


 優しく撫ぜられながら、いろははそのまま意識を…… 失った。




「あなたの痛み、引き受けます」




 リン、と涼やかな鈴の音が鳴り響く。

 そして、その場に羽毛が散り、土の匂いが充満した。




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