三十二話 オルディング商会での日々 11
朝の稽古を終えた小次郎とアイリスは部屋へ戻っていた。
刀の手入れをしている小次郎の傍ら、アイリスは小次郎が作ったひらがな帳でひらがなの練習中だ。
ちょうど良いと思い立ち、アイリスへ課題を進めているように言うと部屋を出た。
部屋を出てすぐ、隣の部屋の前を通ると《オオヒラ様?》と声を掛けられた。
開け放たれた扉の奥にはエレンが雑用か何かをやっていたようだ。
《オオヒラ様、お一人でどちらかへおいでですか?》
「ん?ああ、ちょうど良かった。エレンさん、奥方のニィーナさんにちょっと頼みたい事があってね、悪いんだが取次ぎを頼みたい」
《奥様にですか?どのような事でしょう》
怪訝そうな顔を浮かべたエレンに小次郎はアイリスの衣服の件をお願いしたい旨を伝えた。
《アイリス様のお召し物ですか…それは確かにオオヒラ様の手には余りそうですね》
「ああ、そうなんだよ。だが私も気が回らなくてね、申し訳ないのだが履物も合わせて一通り揃えて貰いたいんだ」
《承知いたしました。今の時間でしたら奥様は厨房にいらっしゃいます、私がお伝えいたしますのでオオヒラ様はお部屋でお待ち頂けますか?》
「いや、そうなるとこの話をアイリスの前でする事になる。そうなると彼女が恥を掻くだろう、それは避けたいんだ。それにお願いをするのだから、直接伺いたい」
《そう…ですね、確かに。承知いたしました。では厨房に参りましょう》
覗き込んだ厨房ではニィーナ指揮の下朝食の準備が進められていた。
エレンは小次郎に一礼するとニィーナの元へ向かい耳元で何か囁く。
エレンの囁きに厨房入り口で待機していた小次郎を認めると頷いたニィーナは直ぐに小次郎の下へと来てくれた。
《オオヒラ様、私に御用と伺いましたが》
「朝の忙しい時間に申し訳ない。さっき気付いたのだがアイリスの服の件でして、相談に乗って頂きたいのです」
小次郎の言い様にニィーナは直ぐに気付いたようで《ああ》と頷きではこちらへと厨房脇の小部屋へと誘った。
「手数をお掛けして申し訳ない。」
《お気になさらないで下さい、そう言う相談でしたら喜んで乗らせて頂きます。私はてっきりそう言う事に無頓着な方なのかと思っていました。折を見てお伝えした方がと思っておりましたの》
と少し厳しい目を向け、頭を下げた小次郎に言ってきた。
小次郎としても自身の気の回らなさと理解している為、素直にその視線を受け入れ頭を下げる他なかった。
《それで、衣類をとの事ですがどの程度の物をとお考えですか》
「それが、私は母国の女性用民族衣装についてはそれなりに詳しいのですが、こちらの国の物は全く分からないのです。ですので、奥方に相談に乗って頂きたいと思ったのです。換金をお願いしている商品がどれくらいの金額になるかまだ分かりませんので、今有る手持ちは金貨2枚程ですので…出せても金貨一枚と言った所でしょうか」
《まあ、そんなに?》
なんとも豪気な事だとニィーナは思った。
成り行きで引き取った少女の衣服を揃えるのに金貨1枚とは。
確かに収められた商品の価値は相当なものだ。
それこそ、宝石にしても金貨100枚・・・いや、1000枚単位であろう事は既に検品から上がって来ている書類で確認しているのだ。
にしても、多い。一般的な家庭一月分の生活費と同額を衣類に当てて構わないと言うのだから。
「ええ、服だけではなく下着や靴等も一通り、数種類を着回せるようにお願いします」
《分かりました、その予算でしたら中古だけでなく新品や誂え物も用意できます》
「貴族等の前はともかく、この辺りで粗末な服装だと言われ恥ずかしい思いをする事の無いようにお願いします」
《承知致しました、用意が整いましたらあの子をお借りしますわよ?》
アイリスは朝食後から昼前まで算術と小次郎の母国語を習っている事をニィーナは承知している。
だが、採寸などが必要な為小次郎に確認したのだ。
「朝食後の勉強は無くしても構いません。それと、丈夫な布の生地が欲しいので紹介していただけると助かります」
《丈夫な生地ですか?何にお使いになるつもりかしら》
「アイリスに私の武術を教える事になったのですが、稽古用の服を作ろうと思いまして…出来れば針と糸もお願いします」
《まあ、そうなの?オオヒラ様はかなりお強いと聞いておりますが、裁縫もおできになるのね変わっているわ》
「ま、まあ…国では貧乏してましたから、直せる物や作れる物は自分で何とかしようと色々やりました」
なんとも情けない苦笑を浮かべ頭を掻く小次郎にニィーナはどうしても|ちぐはぐな感を拭えなかった。
どうしてこれだけ色々な事が出来る人が母国で苦しい生活をしなければならなかったのか、余程性格などに難があるのか、それとも何か特別な事情でもあったのかしら…と。
◇
朝食後、アイリスは部屋に用意されたベッドの上でうつ伏せのままピクリともしない。
時折《う゛う゛う~》と言う唸り声を発する程度だ。
慣れない姿勢を維持し続ける事や素振りによる筋肉痛が、若いせいかもう起きているらしい。
こればかりはどう仕様もない、慣れてもらうしかないしどうせ3ヶ月も続ければ体が慣れるだろう。
小次郎も過去に散々経験した事なので苦笑いしつつ「落ち着いたらよく体を伸ばして置きなさい」と言い置いて、部屋を後にした。
部屋を出た小次郎は中庭に出て商会で忙しく働く人々を眺めながら、のんびりと一服しつつ木刀の手入れをしていた。
剣術の稽古で使われる木刀は思ったよりも消耗が激しい。
踊りのような形をやる稽古では激しく打ち合うことがないが、剣術ではかなり強く打ち合うことが多い 為、あっと言う間に表面がボコボコになってしまい物によってはささくれ立ってしまう。
故に手入れは欠かすことができない 。
木によく馴染む油を薄く塗り伸ばし乾いた布でよく拭き上げる。
この時にささくれが見つかれば鉋などを使いささくれを削り取り修正を行う 。
これを木刀が折れる若しくは細くなって使えなくなるまで何度も繰り返すことにより少しずつ木に粘りが 出るようになり手入れをしていない木刀よりも長持ちするようになるのだ。




