11月 彼は、魔法使いになった(後編)
ありとあらゆる真実の姿を照らし出す太陽が空の真上へ登った正午過ぎ、ケイウォンはサ―フィン仲間を乗せた車を防波堤の上から見送っていた。彼の隣には、藍澤さんがいる。
― 後で、色々とあらぬ噂が飛び交う事になるんだろうな ―
仲間内であれこれと言われる事を思い、彼は大げさに肩を落とした。
「どうかしたの?」
彼女の無邪気そうな問い掛けに、ケイウォンはもはや文句を口に出す元気も沸いて出そうにない。精神的な疲れに上乗せして、海の中で述べ四時間近くいた肉体疲労も身体に残るけだるさを増幅させていた。
「こんなにクタクタな状態で、僕はちゃんと魔法を操る事ができるのか?」
「間違った解釈を訂正すると、魔法を使うのに必要なのは精神力じゃないわ。必要なのは意志なの」
彼女はケイウォンが道路に置いていた荷物を手に取ると、自分の膝の上に乗せる。
「世界の真実を改変しようという強い意志だけ。肉体の疲れなんて、これっぽっちも関係ないわ」
彼女は、自分の鞄からビニ―ル袋を取り出すとケイウォンへ押しつけた。ケイウォンが恐る恐るビニ―ル袋の中を覗き見ると、沢山のおむすびやサンドイッチが入っているのが見える。
「何これ、僕を肥やす気?」
「よく言うでしょ?腹が減っては戦はできぬってさ」
藍澤さんが浮かべる笑みに根負けした事もあるが、彼自身も空腹に負けそうだったので中に入っているモノを1つ取り出した。
― コンビニのおむすびって、どうして奇抜な具ばっかりなんだろう? ―
おむすびの包装紙を剥ぎ取ると、ケイウォンは自分でも気付かない程の勢いで食べ始める。
時間にして三十分も掛からないうちに、藍澤さんから受け取ったビニ―ル袋の中身はすべてケイウォンの胃袋に納まった。その後で小一時間ほど休憩を取った後、サ―フスポットの近くにあった銭湯で全身の塩気を洗い落とした頃には太陽が大地へ堕ちかけ始めている。再び戻ってきた防波堤の奥にある駐車場は、昼間に比べて車の駐車台数が減っていた。
「いい、まずは君のスマ―トフォンを『本来の使い方』が出来る状態にするの」
彼女の言葉に無言で頷くと、心臓の鼓動と波長に合わせるように呼吸の回数を合わせていく。
― 意識を水平に……細く、視界の外まで広げていく感覚で ―
雑念が彼の中から消えていき水平に保たれると、線のように細くなった意識は彼が認識している視界の外側へ拡がった。意識が世界のどこかへ結びつけられると、視界に見える風景が綴れ織り状の紋様を重ねる。
「よし、見えたよ」
「そのまま、スマ―トフォンを見て」
藍澤さんから言われるままにケイウォンは視線をスマ―トフォンへ向けると、周囲に見える他の紋様に比べて紋様が放つ光が強まっているのが見えた。
「スマ―トフォンの上で、人差し指を使ってカ―ドを裏返すような仕草をしてみて」
言われた通りの仕草をしてみた途端、ケイウォンの心臓は荒々しく脈打つ。スマ―トフォンの液晶画面に表示された内容が切り替わり、藍澤さんが彼のスマ―トフォンを操作していた時に一瞬だけ見えた奇妙なアイコンが羅列される。
「これは、あのときチラッと見えたアイコン。このアイコンも魔法と関係あるの?どうして、僕が買ったスマ―トフォンにこんなアイコンが!?」
矢継ぎ早に質問を重ねるが、彼女から静かにするようジェスチャ―を見せられて彼は言葉を継ぐんだ。
「今度ビ―ルを奢ってくれたときに、詳しい話をしてあげるわ。今は9番目、7番目、2番目の順に並んでいるアイコンを押してみて」
彼は慎重な手付きで、言われた順番にアイコンを押していく。スマ―トフォンに重なっている綴れ状の紋様が、徐々に赤色を帯びていく光を放ち始めた。彼女の方を見ると、彼女は満足そうに頷いてみせる。
「君の魔法を、スマ―トフォンが認識したわ。後は何でも良いからソフトを使って目的地を入力すれば魔法が動き出すわ」
― そういえば、ここへ飛ばされたときはメ―ルでサ―フスポットの名称を入力してたよな ―
あのときと同じようにメ―ルソフトを起動させると、ケイウォンは自分の住んでいる場所の住所を入力しながら部屋の事を思い描いてみた。
「……きたっ!!」
ケイウォンは自分の首筋に何か張り付いた感覚を味わい、この場所に重なっている綴れ織り状の紋様と別の場所の紋様が重なり合う。
「藍澤さん、上手く行ったみたい」
前回同様ケイウォンの首筋に張り付いた何かは、抵抗できないほどの強力な力で重なった紋様の隙間へ引きずり始めた。心なしか重なった紋様へ引っ張ろうとする力が、以前の時と比べて弱いような気がする。
「これで、君が行きたいと思った場所へ戻れたら合格ね」
「もし、見当違いな場所へ飛ばされたらどうするの?」
彼女はケイウォンの腕に自分の腕を絡めながら、意地の悪い笑みを彼に向けた。
「財布の中身が無くならない距離だと良いわね」
「ちょっとっ!?」
彼女に文句を言おうとしたとき、ケイウォンは自分の首が鷲掴みされたような圧力を受ける。スマ―トフォンを持っていない方の手で首を掴んでいるナニかを掴み返した時、それは徐々に実体を帯び初めて腕を形取り、綴れ織り状の紋様も重なって見え始めた。
― こ、この綴れ織り状の紋様は!? ―
猩々緋色を黒く濁らせたような光を放つ綴れ織り状の紋様は、夢の中で彼を闇へ引きずり込もうとした手に重なっていた紋様と同じに見える。
「あ、あの夢が現実になるのか!?」
自分の首を掴んでいる腕を掴み返しているケイウォンの手の甲に、いつのまにか彼女が手を添えていた。彼女の口から物語のような文章が聞こえてくる。
「……」
相沢さんは言葉を紡ぎ終えるが、何かが起こったのは彼女の方だった。手の甲が破裂し、真新しい真紅の血が鮮やかに飛び散る。
― な、何だ。これは!? ―
綴れ織り状の紋様が見える彼の視界に見えたのは、綴れ織り状の紋様が獣みたいな頭部を形作って飛び散った藍澤さんの血を喰らっていった。
「きゅう……けつ……き……」
「しっかり意識を持って! 私が君に教えた事を思い出すの、ケイウォン・浩二・望月!!」
苦痛に耐えながら言葉を紡ぎ出す彼女の声を聞いて、ケイウォンの意識は暖かい光のようなナニかに照らされた気になる。彼は血塗れになってしまった彼女の手の甲を見つめた。
― 魔法を保て、僕の身体はまだ動くんだ ―
「……か……必ず、迎えに……」
首を締め付ける力に抗って声を振り絞ると、彼女はかすかな笑みを浮かべて頷いてみせる。彼女の手が離れ、ケイウォンは勢い良く重ね合った紋様の隙間へ引きずり込まれた。
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重ね合った紋様の隙間へ引きずり込まれた途端、ケイウォンはカ―ペットが敷かれた床みたいな感触を受けたので引きずられている方向に前転して起きあがった。暗闇が晴れた彼の視界に見えたのは、見慣れた自分の部屋の中。
彼は慎重に立ち上がると、綴れ織り状の紋様が重なって見える視界で部屋の中を見回した。見えている風景は彼の部屋なのに、壁掛けもクロ―ゼットも二つ並びのワ―キングデスク……ありとあらゆるモノが自分が使い慣れたモノとは掛け離れているように見える。
ケイウォンは、そのときになって初めて自分以外の人物がいる事に気付いた。ワ―キングデスクの前に置かれた大きな背もたれが付いた椅子がケイウォンの方を向いたとき、彼は思わず息を飲み込む。
「……君は」
椅子に腰掛けていたのは、彼が頻繁に足を運ぶ図書館でよく閉架書庫の探し物をお願いする司書さんだった。いつものようにどことなくヴィクトリアンメイド風な漆黒色のロングドレスに、深緑色を黒く深めたような色をした作業用エプロンを着用している。
「っえ?」
自分の視界に映っているモノが信じられなくて何度か瞬きをすると、そこにはケイウォンがよく足を運んでいるカフェ・バ―ルの店員が腰掛けていた。マスタ―と共に夜のカフェバ―を切り盛りしていて、綴れ織り状の紋様が見えるキッカケを作ったDVDはこの店員から借りたモノである。
ケイウォンがさらに数回瞬きすると、今度はサ―フィンスポットへ仲間と出かけるときに車を運転してくれる友人に姿が変貌した。椅子に腰掛けている誰かが変貌するにつれて、ケイウォンの思考が冷静になっていく。
― どんなに外見が変わっても、重なっている紋様の外側が少し変わっているだけだ……。慌てずに、藍澤さんが教えてくれた事を思い出せ ―
顔を椅子の方へ向けたまま、彼は何も持っていない右手の指先へ向けた。ほんの数秒で、彼の指先に重なっている綴れ織り状の紋様が強い光を放ち始める。
― 模様を作り出したり、直したり、組み替えたり、破壊する事で引き起こした結果が……魔法 ―
彼がさらに数回瞬きすると、目の前の人物は藍澤さんの姿になった。ケイウォンは、笑顔を浮かべる相手の頭部を鷲掴みにする。
「悪趣味にも程がある!!」
彼が無理矢理相手の綴れ織り状の紋様と重ねた場所から、自分の紋様が放つ光を強引に流し込むイメ―ジを浮かべた。その途端、かなり振動数の大きい振動に掛けられたように、相手の頭部が不自然に大きく振動する。
―やった、上手く出来た ―
彼の緊張感が緩んだ途端、本棚の中で整理整頓されていた本が勝手に宙を舞ってケイウォンの頭上から雨のように降り注いだ。
「さすが、選別した食餌だけの事はある。という事か」
降り注ぐ本から頭を守るために腕で頭を防いでいる間に、彼は腹部を蹴り飛ばされてしまう。床を何度か転がってから片膝を付くように体制を整えると、椅子に腰掛けていた人物がゆっくりと立ち上がっていた。
「マスタ―?」
自分の額を抑えて立ち上がった人物は、カフェバ―のマスタ―に見える。しかし、目の前の人物は緩やかな声で笑う姿が似合う見慣れたマスタ―ではなく、肌が不気味なほどに青白く、白目のない真紅に染まった眼球を宿していた。さらには、口元から異常に発達した犬歯を覗かせている。
「そうだよ、ケイウォン・浩二・望月君。」
マスタ―の身体に重なっていた綴り折状の紋様が、猩々緋色を黒く濁らせたような光を力強く放ち始めていた。その光を目にした途端、ケイウォンの口から一つの言葉が出てくる。
「吸血鬼」
「その通り。我らは聖書が指し示す人類の始まりと共に始まり、人間の狩猟者として自負する誇り高き不死の生物」
部屋の中に配置されているコンセントケ―ブルが植物の蔦のように伸びると、ケイウォンの手足に巻き付いた。マスタ―が慎重に彼との距離を詰めてくると、一本のワインボトルを目線の高さに掲げてみせる。ボトルにはケイウォンの生年月日が印字された古いラベルが貼り付けられていた。
「これは、君の誕生日で間違いないかね?」
不意に、ケイウォンの脳裏に夢で見た何本ものワインボトルと地下深くに造られたワインセラ―の映像が過ぎっていく。次に思い出したのは、カフェバ―の奥に飾ってある歯抜け状態のワインボトルの陳列棚だった。
「ま、まさか。ワインボトルに入っているのは全部血なのか!?」
マスタ―が右手の人差し指をわざとらしく優雅に立てて見せると、一瞬で爪が鋭利なナイフ程度の長さに伸びる。
「1年365日、誕生日別にグラスで血を味わうのが私の主義でね」
「何が、誇り高い不死の生物だ!」
手足への締め付けが強くなるのを気にすることなく、ケイウォンは手放さなかったスマ―トフォンを見つからないように操作した。
―9番目、7番目、2番目…… ―
「では、待ちこがれた君の血を頂くとしようっ!!」
マスタ―が指に生やした鋭利なナイフ状の爪が振り下ろされた瞬間、ケイウォンの身体が部屋から音すら立てずに消失する。
「なんだとっ!?」
マスタ―が突然の出来事に呆然となった瞬間、ケイウォンはマスタ―の背後へ出現した。素早くもう一度スマ―トフォンを操作すると、マスタ―の背後からタックルを喰らわす。マスタ―は身体を蹌踉めかせながら、ケイウォンの右肩付近を鋭利な爪で突き刺した。カッと傷口が燃え上がるような熱を帯びると、鋭利な爪先が彼の骨に当たって深く刺さるのを防ぐ。しかし、爪が引き抜かれた途端に熱を帯びた傷口から血が吹き出た。藍澤さんのときと同じく、マスタ―に重なっている綴れ織り状の紋様が獣みたいな頭部を形作って、飛び散る彼の血を啜っていく。
「馬鹿めっ! まさか自分から斬られに来てくれるとはな」
ケイウォンは痛みもマスタ―の声を気にせず、赤色の光を放つ綴れ織り状の紋様が重なったスマ―トフォンを操作していった。
ケイウォンが呼び出したのは、地図検索ペ―ジ。
入力が完了した途端、ケイウォンの魔法が起動して首筋に何かが張り付く。彼はもう一度マスタ―へ体当たりすると、この部屋の綴れ織り状の紋様と別の場所の紋様が重なった隙間へ押し込んだ。
「き、貴様―――!!」
マスタ―の身体が半分ほど隙間に入った瞬間を逃さず、スマ―トフォンの終話ボタンを押す。スマ―トフォンの通話が終わると、ケイウォンの魔法が強制終了された。ケイウォンが床に倒れ込み、隙間に入らずに残っていたマスタ―の下半身が力無く部屋の中を転がる。切断面から一滴の血も流さないマスタ―の下半身は、徐々に色素が抜けていき身に纏っていた衣服事灰と化していった。部屋の床にはケイウォンの身体から流れ出た血によって出来た小さな血だまりと、小さな灰の一山だけが残っている。頭上から降り注いだ本や蔓のように伸びたコンセントケ―ブルは何事もなかったかのように、最初からあった場所へ戻っていた。
「……そうだ。藍澤さんを迎えに行かないと」
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自分の首筋に張り付いた何かが勝手に剥がれ落ちる感触を味わうと、ケイウォンはゆっくりと目を開いた。彼は、藍澤さんと別れたサ―フスポットの駐車場と浜を隔てるように建っている防波堤の上に立っている。彼の眼前で太陽が地平線に沈む光景が広がっていた。
「何だか、距離を超える時間も調節できるみたいだな」
不意に、彼は自分の右目が見えにくくなっている事に気付く。
「おかえり」
背後から藍澤さんの声が聞こえたので振り返ると、彼女はほんの一瞬だけ驚いた表情を見せた。
「僕、何かヒドイ顔をしてる?」
「まるで、何かのアニメキャラみたい」
防波堤から降りて藍澤さんが腰掛けている車椅子の背後へ回ると、彼は車椅子を押し始めた。彼女を乗せた軽量な構造の車椅子はスム―ズに進み始める。
「2、3日はキッチリ静養しないと元に戻らないわよ」
ケイウォンの方を見ないで彼女がピ―スサインを作るので、彼は思わず吹き出してしまった。
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世間はいつものように、平凡に時間が流れているかもしれない。
誰かは幸せを掴み
誰かに不幸が降りかかり
誰かは欲望を満たし
誰かに死が満たされていく
この街は平穏そうに見えて、今日も暗黒が満ちあふれていた
新たなる、暗黒の世界へようこそ。
今は、ただ祈ろう
神と同等たる水と、太陽と、土と共に住まう我らに、今日一日の加護を
如何だったでしょうか?
自分で書いたはずのものなのに、結構時間を置いているのか実感がわかない。
何だか、変な気分です。
これをスタートに吸血鬼が関係する話を乱筆していくのですが、それは別のサイトにて一部が掲載されています。
そして、最後には同人TRPGにしてしまったりと活動も変化していきました。
そろそろ、何か書き始めたいところなんですけどねぇ。
では、また次の物語で。