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10月 そして、新たな力が導かれてくる -前編-

 それからと言うもの、彼は頻繁に不思議な紋様が重なって見えるようになる。仕事をしているとき、DVDを観ているとき、本を読んでいるとき、サ―フィンをしているとき、そして……夢を見ているとき。

 ケイウォンの意識が微睡みの闇から解放されて現実へ帰還を果たした途端、気怠い余韻を惹くことなく意識が覚醒した。

「ここは、自分の部屋か?自分の部屋だな」

天井を見ていた視界を左右にズラして筆記用具と紙を見つけると、夢の内容を忘れる前に見た内容を書き留めていく。ペンを置いて一息入れる頃には、彼の頭の中から夢の内容がすっかり抜け落ちていた。布団から起き上がって椅子に腰掛けると、書いた内容を上から順に読み上げてみる。

「日付が走り書かれた……ボトルラベル」

最後の方に書いたそれを読み上げた途端、強烈なイメ―ジがケイウォンの脳裏に現れた。

― 崩れ落ちる女性、発達した犬歯、赤ワインのボトル、白目のない真紅に染まった眼球。そいつは満足そうに微笑んでいた ―

「……お前は、誰だ?」

自問自答をしたところで、ケイウォンにはこの人物が誰だか検討が付かない。

「たかが、夢の事に何を気にしているんだ」

いつまでの夢の事を気にしていても仕方ないので、ケイウォンは布団を片付けてマットを敷き直すとストレッチを始めた。身体を動かし続けて熱が循環していくと、雑念が頭から落ちていく。意識を薄く細くしていくのを心掛けながら、ケイウォンはストレッチからヨガへと動きを移行させた。

― 眉間付近に意識を集中させて ―

彼は著名なサ―ファ―を真似て(ドキュメンタリ―DVDに感化されて)、ヨガを始めて約二週間と少し。サ―フィンのコツよりも先に、自分の意識を落ち着かせるコツを掴み始めていた。

― 呼吸を深く、ゆっくりと。血液と共に酸素が循環するイメ―ジ ―

ケイウォンは息を吸いながら腹部をへこませ、腹部に力を込めながら深く息を吐き出す。そうやって呼吸を整え、ポ―ズ名の由来となる有機物や無機物を連想しながら、意識と存在を線のように細めていった。

 数分とも数時間とも表現できそうな時間が流れた頃、彼の頭の中に明確な文章が勝手に紡がれ始めた。


神と同等たる水と……


もう少しで文章の全容が理解できそうだったが、部屋のドアを三回ノックする音によって現実へと引き戻される。

「あと、もう少しだったのに」

ケイウォンが深いため息を漏らすと、体内の二酸化炭素と一緒に収束されたナニかが一気に放出されたような感覚を受けた。

「一体、こんな朝早くから何だ?」

 彼が愚痴をこぼしている間にも、部屋のドアは規則正しく三回ノックされ続ける。ケイウォンがいささか不審に思いながら玄関の覗き見口から廊下の様子をうかがうと、ライムグリ―ンとボトルグリ―ンの二色が使われた配達業者の制服と帽子を着用している青年が見えた。それも、玄関を開ける前からほぼ満点と言っても過言ではない営業スマイルを浮かべている。

 その青年の手には、片手で充分事が足りるB五書類サイズの小さい箱を携えていた。

― 何か宅急便屋に届けてもらうようなモノを ―

ケイウォンはモノの数十秒ぐらい考え込むと、インタ―ネットで買い物をしていた事を思い出す。

「あったな、そういえば。アレを買ったんだったよ」

玄関のドアを開けると、配達業者の青年が荷物を彼に向かって差し出してきた。彼は最終確認のために、伝票の差出人欄をほんの少しだけ凝視した。

― やっぱり、アレだ ―

完全に合点すると、ケイウォンは配達業者の青年が不審がる前に伝票の受け取り確認欄にサインする。青年は終始営業スマイルを崩すことなく足早に立ち去っていった。


 部屋を片づけて朝食を済ませると、ケイウォンは改めて配達業者の青年から受け取った箱と対面するように椅子へ腰掛ける。

 彼は慎重に箱からテ―プを破がして上を開けると、隙間無く詰め込まれていた緩衝材を取り除いていった。程なくして厚みのあるビニ―ルケ―スに包まれたタッチパネルインタ―フェ―ス型スマ―トフォンが姿を見せる。そのビニ―ルケ―スすら取り払うと、ケイウォンの手には蓮をイメ―ジしたトライバルイメ―ジ柄が施されているサファイアブル―のスマ―トフォンが握られていた。箱の中にはスマ―トフォン以外に英語で書かれた領収書と、短い内容の手紙が添えられている事に気付く。

「……手紙?」

彼がその紙を手にした途端、脳裏に図書館で紙切れを広げた記憶がフラッシュバックした。

― 確か、紙の手触りもこれぐらい年期が経ったモノのはず ―

手紙を開いてみると、短い文章が書かれている。




世間はいつものように、平凡に時間が流れているかもしれない。


誰かは幸せを掴み

誰かに不幸が降りかかり

誰かは欲望を満たし

誰かに死が満たされていく


この街は平穏そうに見えて、今日も暗黒が満ちあふれていた


新たなる、暗黒の世界へようこそ。




ケイウォンは、突然の光景に身体が硬直してしまった。瞬間的な目眩を感じて、思わず力強く目を瞑る。数分程度で症状も納まったので目を開いてみると、


この度は、弊社の通販サイトを御利用していただき……


というような、至極簡素な内容が書かれているだけだった。

「最近、おかしなモノを見たり、変に感覚が敏感だったり、疲れているのか?」

自分の手に握られている青いスマ―トフォンへ視線を移すと、ケイウォンは手紙ではなくスマ―トフォンへ注目を戻す。そのまま、壁の上着掛けの一つに掛けておいたジャケットへ手を伸ばすと、彼はこれまで使っていた携帯電話をポケットから取り出した。その携帯電話も色こそ違えど、ケイウォンに新しく届いたサファイアブル―のスマ―トフォンと同機種のように見える。

 今まで使っていた携帯電話からメモリカ―ドをすべて取り出すと、彼はサファイアブル―のスマ―トフォンへすべてのメモリカ―ドを入れてから電源を入れた。携帯電話が起動すると最初の数秒は英語表記によるOSのメッセ―ジが表示されるが、直ぐに日本語へと切り替わる。

「起動は問題ない」

操作ができるようになると、ケイウォンはすぐに自分の部屋へ電話をしてみたり、無線LANの接続をしたり、思い付く機能をすべて試していった。ものの三十分もしないうちに、彼は満足のいく表情を浮かべながら安堵の溜息を漏らした。

「よし、国内販売版と同じ機能がすべて使えるな。高い代金を支払っただけあるよ、まったく」

 不意にスマ―トフォンに表示されているデジタル時計へ彼の視線が移ると、丁度お昼時な時刻を示している。

「お昼ご飯でも食べに行きながら、友達に新しいスマ―トフォンを見せびらかすかな」

 ケイウォンはメ―ルソフトを起動させると、スマ―トフォンの話題で盛り上がってくれそうな友人達へ次々にメ―ルを送りながら身支度を整えていった。

― そういえば、先月ぐらいからよく被っていたハットをどこへ片付けたっけ? それもいいけど、新しいハンチング帽も買ったんだった。あぁ、薄手のイスラムキャップでも良いか ―

最後の一人へメ―ルを送り終えた頃になると、彼の心の中ではすでにどの帽子を被って外出するかイメ―ジが出来上がる。

「よし、今日はハン……」

 スマ―トフォンの液晶画面から目線を外してクロ―ゼットの方へ向けようとしたとき、部屋にある二つ並んでいる机の真ん中に、イメ―ジしていたハンチング棒が置いてあった。

「……え?」

 ケイウォンは恐る恐る、自分の視界に捉えたハンチング帽へ触れてみる。手紙の時のような不思議な事が起こりそうな気配は感じなかった。

― つい最近、この帽子を被ったんだっけ? まさか、自分でも気付かないうちに部屋の中で帽子を探していた……なんて夢遊病者みたいな真似はしてないだろうな? ―

もう少し深く考えてみようとしたとき、スマ―トフォンから連続して鳴り響くメ―ルの受信音がケイウォンの思考を遮った。

「良いタイミングなんだか、悪いタイミングなんだか」

受信したメ―ルの内容を確認しては、彼の新しいスマ―トフォンへ興味を抱いた友人達と待ち合わせ時間を決めるやり取りをしていく。

「あれ?」

届いたメ―ルの中に、彼自身にはメ―ルを送った記憶が無い人物からメ―ルが送られてきていた。思わず送信履歴を確認してみるが、確かにその人物へもメ―ルを送っている。それも踏まえて、もう一度メ―ルの文面を確認した。

「まぁ、興味があるって文面に書いてあるから良いか。誰に送ったかも覚えてないなんて、ボケッとしているにも程がある」

 返信メ―ルをすべて送り終えた後、出掛ける用意を万全に調える。ケイウォンは玄関に置いてある鏡の前で、ハンチング帽の被り位置を再度確認した。鏡に映るハンチング帽を見た途端、ハンチング帽が机の上に置かれていた光景が一瞬だけ垣間見える。

「ただ、偶然が重なっているだけだよな」

 ケイウォンは大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、部屋を後にした。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


 太陽が地に堕ち、生者が力を弱め暗黒の世界が力を増し始める瞬間……夜の始まり。ケイウォンは地下鉄の改札口を抜けて、大きな緋色と中黄色を使ったマ―クを看板に掲げたファ―ストフ―ド店がすぐ近くにある地上口へ出た。

 ふと思い立って周囲を見渡すと、いつの間にかファ―ストフ―ド店の並びに書店やコ―ヒ―チェ―ン店が新規開店されている。以前に比べて人通りも多いように見えた。再度周囲を見渡してみるが、昼に会えなくて待ち合わせしなおした人物の姿を確認できない。

― そういえば、あいつ。待ち合わせ時間ピッタリに来た事なんて一度もなかったなぁ ―

ケイウォンが苦笑を浮かべながら、手にした新聞へ視線を落とした。今開いている紙面には

『東京都○○区在住のOL、帰宅途中に斬り付けられて意識不明の重体』

という見出しが印刷されていた。記事によれば両腕の肩から指先までが何度も斬り付けられていて、切り口の深さにしては不自然なほどに血を失っているらしい。

「……」

ケイウォンは記事も気になったが、被害者として掲載されている顔写真の方がもっと気になっていた。

― 夢で見た……あの女性に間違いない ―

彼がそう思った途端、脳裏に以前見た夢の内容がフラッシュバックする。背筋を冷たい汗が一筋伝っていった。

― 予知夢とか、馬鹿な話があるわけないよな? ―

彼の身体が悪寒を感じて、夏の暑さとは関係なく震え上がる。ケイウォンはどうにか深呼吸をして落ち着こうとしたとき、右足の膨ら脛部分に、細いタイヤのようなモノに衝突されたような衝撃を受けた。

「なんだ、いきなり!」

彼は思わず怒りで声を荒げながら振り返るが、すぐ後ろに停車している自転車を見つける事ができない。

― これも、おかしなモノを見る続きなのか!? ―

「ちょっと、ケイウォン。何処見てるのよ。下、下だってば」

 聞き覚えのある懐かしい声を耳にした途端、ケイウォンは待ち合わせをしている相手の姿を思い出した。

― あれ、何で立っている姿を覚えているんだ? ―

彼が視線を下へ下げていくと、ポニ―テ―ルに髪を結わえた頭頂部が見える。さらにそのまま視線を下げていくと、シャ―プでスポ―ツ用とも思える黒いフレ―ムの車椅子に腰掛けている女性がいた。

「久しぶり、藍澤さん」

「シャキッとしていないのは相変わらずそうね。まぁ、元気そうで何より」

藍澤さんと呼ばれた彼女は屈託のない笑顔で、ケイウォンと握手するように手を差し出してくる。

「それなりにかな……。握手で挨拶も兼ねるところ、君も相変わらずだな」

 彼は何の違和感を感じることもなく、藍澤さんと握手を交わす。すぐに手を離そうとしたが、彼女はケイウォンの手を握りしめる力を一瞬だけ強めた。

「……え?」

突然の事に呆然とした表情を浮かべる彼に向かって、藍澤さんは一度ウィンクを送ってから手を離す。

― な、何だ? ―

「ねぇ、最近になって自分の身体に変調を感じた事は?」

“身体に変調”という彼女の言葉を思い出して、ケイウォンは言おうとした言葉を思わず飲み込む。

― ここ最近の見える事、感じる事も変調と言えるんじゃないのか? ―

「何よ、感じたの? 感じてないの?」

彼女が車椅子ごと近づいて来るので、ケイウォンの脛に車椅子が勢いよく激突してきた。

「痛っ!? 痛いって。足が痣だらけになるだろう!」

間近で見る警戒心を押し殺したような彼女の笑顔を見て、彼はさっき思った事を藍澤さんへ話そうか考えを廻らせる。

― スマ―トフォンを自慢したいだけなのに、いらん心配をさせてどうする ―

「最近になって、サ―フィンとヨガを始めたんだ」

「あぁ、成る程ね」

ケイウォンのその一言に何を感じたのかはわからないが、彼女は安堵の表情を浮かべた。

「さて、君のスマ―トフォン話を酒のつまみにしてご飯を食べに行こうよ。私、もうお腹ペコペコでさ」

その言葉が引き金となって、彼の腹の虫も空腹を訴え始める。

「この駅で待ち合わせたっという事は、いつもの場所で大丈夫?」

彼は藍澤さんが腰掛けている車椅子の背後へ回ると、車椅子を押し始めた。彼女も軽いと言う事もあるが、車椅子も軽量な構造らしい。車椅子がスム―ズに進んだ。

― ご飯をご馳走してもらえるとき以外、誰にも車椅子を押させようとしない人なんだよね ―

「えぇ、お願い。公共交通機関のバリアフリ―はありがたいけど、飲食店も増えて欲しいわ」

「節約はでき……。あれ、僕が奢るの!?」

ケイウォンの方を見ないで彼女がピ―スサインを作ったので、彼は大きな溜息を漏らす。

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