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つけまつ毛パチパチ

 樋山誠(ひやままこと)、29歳。今日も気弱に出勤中。同じことの繰り返しに、嫌気がさす…とは、このことだ。

 日勤と遅番があるから出勤時間は多少違うものの、満員電車は変わらない。スマホ、ゲーム、読書、寝る、化粧…。車内は色んな事に精を出す人々で賑わっていた。

 今日の隣のお姉さん…眉毛を描いている。この、揺れに揺れてる車内で、顔の中でも結構メインな眉毛を描いている。

 すげぇな…の一言だ。

 万が一、電車が揺れた瞬間に俺がぶつかったら。

 ぶつかった瞬間、右の眉毛と左の眉毛の間に線を描いてしまったら。


 「『なんてことすんのよ!眉毛が繋がっちゃったじゃない!!どうしてくれるの!』って、怒るに決まってるでしょ」

 笑いを堪えながら、篠原は熱演してみせた。

 「その言い方、葛西理事長にそっくりな」

 ゲラゲラと笑う俺に、周りの同僚も吹き出した。


 俺や篠原の部署の上司でもあり、俺の会社…福祉施設の理事長でもある、葛西由美(かさいゆみ)。細身でキリッとした顔には真っ赤なルージュ。とても70代には見えない。ヒステリックなところがあり、キャンキャンと小型犬のようにうるさく、ネチネチと粘土の強度は半端じゃない。


 二週間前まで標的とされていた俺は、あっさりと解放された。

 理由は簡単。明後日に理事会が行われるから。まぁ、俺に構ってる暇なんてないってことだ。


 「樋山さ〜ん、3番に電話です」

 名前を呼ばれ、諦めて箸を置いた。

 「あぁ…、俺のジャージャー麺が」

 「のびないから、早く行きなよ」

 篠原にせっつかれ、事務室へと戻った。



 俺の仕事は、ケアマネージャーだ。介護が必要としている人のために、日々奮闘中。…と言っても、サービ スの調整や介護認定の更新調査などが主な仕事。実際に介護をしてる職員の方が奮闘していると、常々思っている。

 それは、一年前まで俺もヘルパーとして介護をしてきたからだ。毎日色々なお宅に行って、掃除・買物・調理にオムツ交換や入浴介助。車での送迎もやっていた。

 毎日が違っていて、毎日が充実していた。

 同じ日なんて、二度と来ない…。

 そう、実感させられた。

 二連休したあとは、浦島太郎の気分だ。

 それほど、高齢者の状態は日々変化している。


 なんでケアマネージャーなんて資格を取ってしまったんだ!



 休み明け。

 俺の机はメモだらけな事が多い。サービス事業者からの電話や病院からの連絡。担当している利用者や家族からの電話メモが貼ってある。

 メモの内容を確認していると、クリアファイルに目がとまる。

 デイサービスからの個別援助計画書だ。

 各事業所は、利用者・家族とケアマネージャー等の関係者が相談して決めた介護の計画書(こう言うことに困っていて、こんなサービスを使って、こう言う生活を送れるようにする…といった事が細かく書いてあるケアプランのこと)をもとに、個別に各事業者ごとの計画書を作成している。

 要は、目的をもって介護サービスを使う、ってこと。

 クリアファイルを手に取り、中身を確認する。ふんふん、と裏面を見ると…三センチ程の黒い塊。長さが一センチ位だろうか、ビッチリ黒い毛のようなものが均等に並んでいる。

 ………。

 …………?

 ……………、何?これ。


 『うわっっっ!!』


 声にならない悲鳴を上げ、クリアファイルを机に投げ捨てた。

 何だ、今の!!気持ち悪いにも程がある。チラッと横目で見ると、真っ黒な塊が威圧感を漂わせている。


 「お疲れ〜。何してんの、樋山」

 外出から戻った高木先輩が隣の席に戻ってきた。

 「た、高木先輩、あれ!あれっ!!」

 俺の必死の訴えに、高木先輩がクリアファイルを手に取った。

 訝しげな顔で、机に投げたファイルを手にした高木先輩の動きが止まった。

 「何、これ…。気持ち悪ぃ。何かの呪い?」

 「そんな物騒なこと言わないで下さいよ!よ〜く見ても…気持ち悪いですよね」

 顔を見合わせ、どうしていいか分からずに黒い塊を見つめた。


 「樋山、ファックス来てるよ」

 同期で訪問介護部門に所属している間宮が、俺を呼んだ。

 「間宮!これ…なんだと思う?」

 男がわからないものなら、女性に聞け!と、ばかりに間宮に唐突に黒い塊を見せた。

 「えっ?何、急に…」

 いきなり見せられた黒い塊をジッと見つめ、プッ!っと吹き出した。

 長い髪が揺れ、キリッと整えられた顔が笑みを浮かべた。

 美人は笑っても美人だ…。全く関係のないことを、こっそりと俺は思っていた。


 「樋山〜、どこのお姉ちゃんに手を出しちゃったの?」

 「…は?」

 「これ、つけまつ毛だよ。しかも使用後。怨念がこもってそうで恐い…」

 笑いを堪えようとしている間宮を、高木先輩と二人で見つめた。

 「つけまつ毛…。なんでそんなモンが。…樋山、お前の?」

 「えっ?あぁ、そうそう!これ、イケメンのマストアイテム…な訳ないじゃないですか!!俺のじゃないです!」

 高木先輩のフリにノリツッコミで応えた瞬間、事務所内で笑い声が響いた。

 「樋山…自分でイケメンとか言ってるし…」

 アハハ…と笑いが止まらない間宮が、たまたま事務所にいた篠原に駆け寄った。

 「篠原!大変!!樋山が…自分でイケメンとか言ってるし、つけまつ毛送られてきてるし」

 「何をさっきからバカ笑いしてんのよ」

 笑いながら間宮につけまつ毛を見せられた篠原が、間宮と同じ反応をして見せた。

 「樋山、ヤバいお姉ちゃんに手をだしちゃったね…」

 「ちげーよ!!…た、ぶん」

 自信がない訳ではないが、仕事で忙しくなる前は遊び歩いていたのは…間違いない。

 「うわっ!即答出来ないのってムカつくわね」

 つけまつ毛の入ったファイルを篠原から突き返された。

 「まぁ、自業自得ね」

 クスクスと間宮が笑い、自分の席へと戻っていった。

 「良かったな、その黒い物体が何なのか解明できて」

 ニヤニヤとした高木先輩の隣に、俺は腰を落とした。

 

 良かった…のか?

 一体、誰のだか分からないけれど。


 捨てて良いのか分からず、クリアファイルを机のもとの位置に戻した。



 その日の午後。

 いつもと同じように、担当している利用者や家族からの電話を対応し、サービス事業者に頭を下げ、葛西理事長にネチネチと嫌味を言われ…ため息を漏らす。

 「あなたねぇ、対応が遅いの!もっと素早く対応しないから、他事業所に仕事を持っていかれちゃうんでしょ。ダメよ、ダメ!」

 何のことだと記憶を辿るが、思い出せない。

 よく分からないが、神妙な顔をし頭を下げる。

 「はい……。すみませんでした」

 小さい声で謝罪をし、またしばらくネチネチと小言を受けた。


 席に戻る頃には心労で、グッタリと背もたれに寄りかかった。

 解放されたんじゃなかったのか!?俺……。

 「今週末の理事会前で、微妙にイライラしてるよな。さっき嫌味を言われたケース、榊原さんのだし」

 高木先輩がこっそりと、話しかけてくる。

 「俺…、まだ目をつけられてるんですかね?」

 「あ〜…それはないでしょ。『あの子、私の若い頃に似てるのよね。なんだかほっとけなくてね』って語ってたから」

 ニヤリと高木先輩の口角が持ち上がり、俺のことを楽しんでいるように見える。

 「…やっ、やめてくださいよ!真剣に、怖いですから!!」

 何を思っての発言なのか、葛西理事長の真意が全く読めない。

 「今日の嫌味は、運がなかった…としか言えないな」

 しょうがない…と、高木先輩の顔には書いてあるようだった。


 運がなかったから、嫌味を言われた俺って…。

 「今日の星占い、絶対に最下位ですよ…俺」

 「間違いないな」

 ボソッと呟いた俺に、高木先輩の返事は「しょうがないなぁ…」と思わせるものだった。



 「それで、つけまつ毛の持ち主は分かったの?」

 ビール片手に上機嫌の篠原は、おつまみの餃子そっちのけだ。

 「それが、わかんないんだ。送付元のデイがたまたま電話してきたから聞いたんだよ」



 『あのー、つかぬことを聞くんですが…この間頂いたファイルに、あの…つけまつ毛が挟まってたんですよ!』

 『……はぁ?』

 『あっ、いや…だから、使用済のつけまつ毛…挟まってたんです』

 『………』

 『もしもし?』

 『……はぁ』

 『あのっ…誰のかなぁって、思って…』

 『……僕のじゃ、ないですね!!』

 『そうでしょうね…』

 『樋山さんのじゃ…』

 『ないですよ!』

 『ですよね〜!』


 篠原にクリアファイルを送ってきたデイとのやり取りを話すと、笑いを堪えプルプルとしていた。

 「聞いたの?バカねー。相手も真面目に答えてるし」

 「バカってことはないだろ。ちゃんと聞いた俺って、偉いだろ?つけまつ毛の持ち主は分からなかったけど」

 熱々の餃子を一つ口にいれ、自分で自分を褒めた。聞くのは結構恥ずかしかったからだ。


 「樋山ってさぁ、なんだかんだ言って愉しそうに仕事してるよね」

 「はぁ?毎日ゲラゲラ笑い転げてる篠原には負けるよ」

 いつ見ても、何が面白いのか分からないことで笑い合ってる篠原を思い出す。

 「俺と同じように、あんなに異動に文句言ってたのに」

 「今でも不満だよ!」

 ちょっとやさぐれた篠原が、不覚にも…ほんの少しだけ可愛いと思ってしまった。

 「俺、愉しい…の、かなぁ…。毎日毎日、満員電車に揺られて。毎日毎日、頭下げて愛想振り撒いて。…何やってるんだろうなぁ」

 「疲れたオッサンみたいな奴…」

 篠原はビールをテーブルに置くと、う〜ん…と唸った。

 「分からないでもないよ。一人で必死になって、別に誰かに感謝されるでもないし。…まぁね、感謝されたくて仕事してる訳じゃないけど。訪問介護にいた時と比べるとね。樋山は特に利用者さんと愉しそうにしてたからね」

 あの愉しかった時間は、かけがえのないものだった。それをもっと、他の職員にも伝えたかった。

 利用者の人生に一瞬でも関われた奇跡と命の儚さを。

 「でもさ、樋山の根底にあるものは変わってないと思う。利用者さんとの時間を大切にしてるし、丁寧な対応してるじゃん。そうね〜、ようは『幸せ感度』を上げることじゃない?」

 「は?」

 「小さな愉しい出来事も、愉しいって笑えるようにしろってこと」

 名案!と篠原の顔に書いてあるような、満足げな顔。

 「愉しいことや幸せなことは、常に樋山の周りに溢れてるんだよ。それをいかに気付けるか…、じゃないのかな。今日だって、つけまつ毛のことでばか笑いしてたじゃない」


 一瞬にして、頭の中のもやもやがスッキリした気がした。気持ちが晴れるとは、この事だ。

 こんなにも簡単なことに気が付かなかったとは…。

 「こうやって、仕事帰りに美味しいビールと山のような餃子…そしてイケメン。いや〜、ビールが進むわ」

 酔っ払いの戯言のように聞こえるが、篠原のお気楽極楽の考え方に賛同するかのように餃子に箸をすすめた。

 「そうだなぁ」

 でしょー、と笑う篠原の顔が眩しく見えた。


 今日のお言葉。

 『小さな愉しい出来事も、愉しいって笑えるように』


 大丈夫、ちゃんと笑えてるじゃん…俺。

 毎日やって来る変わらない日々に、感謝!


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