残念なイケメン!?
満員電車に今日も揺られ、ただ何となく足は会社に向かう。
混み合う車内でアイラインを描くミニスカートのお姉さんを横目に、俺は溜め息を漏らす。こんなに揺れてる中で、よく眼に刺さらないもんだ。
俺、樋山誠、29歳。今の会社に勤めて6年…。決して仕事がつまらない訳ではない。やりがいもある。
…ある。
……あった。
………あった、はず。
ただ、同じことの繰り返しに嫌気がさした。
頭を下げ、笑いたくもないのに愛想振り撒く。慣れたはずなのに、顔が引きつる。
昨日の会議の上司の言葉が頭にこびりついて離れない。
「あんた、この間の他社との会議で私を呼び捨てにしたでしょ!私はあんたの上司なの!あんたより偉いのよ!呼び捨てにしていい訳ないでしょ!」
キャンキャンと小型犬よりもわめきたて、周囲が哀れみの目で俺を見ていた。
他社との会議の場で、自分の上司に「さん」付けで呼ぶ部下はいるのだろうか。
そんな馬鹿な…。
何度も心の中で突っ込みを入れる。出るのは溜め息のみだ。
だからこそ、話したい。
だからこそ、聴きたい。
彼女の言葉を…。
毎日の習慣とは恐ろしい。と言うべきか、自分に勇気がないからか。今日も遅刻することなく座席についた。パソコンを開き、電源を入れる。今日も頭を下げるために、今日も愛想を振り撒くために。
「はぁ〜…」
大好きな温玉とろろオクラそばを前に盛大な溜め息が出る。箸を持つ手が止まっていると、同じ部署の高木先輩が前の席に腰を下ろした。
「どうしたー?進んでねぇな、飯」
「いや…、今日は好きなメニューなんですけど…」
顔が引きつるのを感じながら、何とか笑みを作る。
「まぁ、無理もないよな。昨日の会議はひどかったから」
高木先輩の箸も止まる。誰もが疲労感に襲われた、そんな怒られ方。
「あれは単なるイビリよ」
「そうよ!言ってる内容が変でしょ!上司を他社の人の前で呼び捨てにしちゃいけないの?って感じよね」
何人もの同僚が、同じテーブルにつく。
「まぁ、樋山があの時、向笠をフォローしちゃったから」
高木先輩が呆れた眼を向けてくる。
他の同僚も、「うん、うん」と頷いた。
そうだ…。
1ヶ月位前に、他部署の向笠が俺の上司に怒鳴り付けられていた。
…そんなこととは露知らず、事務所に足を踏み入れた俺は向笠に声をかけた。
「向笠、昨日はありがとうな。向笠の観察力と対応の早さで大事にならずに済んだよ」
項垂れていた向笠の頭が上がったと思ったら、今にも泣き出しそうな顔が俺を見た。
「あ、の…、樋山さん…」
あれ…?雰囲気がおかしいと思ったときには、すでに遅かった。
「樋山!昨日の事は、私が素早く対応したから無事に済んだのよ!!勘違いしてるんじゃないわよ!」
上司の怒号に、俺は何か不味いことを言ってしまったことに気が付いた。
それからだ…。
何かにつけてキャンキャンと、時にネチネチと俺に絡んでくる。
「ナイスKY(K=空気、Y=読めない)だったな、あれは」
高木先輩がクスリと笑う。つられて他の同僚もクスクス笑う。
「背は高くて、足が長い」
「小顔で涼しげな目元に高い鼻」
「ウチには滅多にない若いイケメンなのに…」
口々に出る、誉め言葉。
「えっ?…えっ?」
戸惑う俺に、後ろから聞き慣れた声が降ってきた。
「残念なイケメンだよね」
はぁ〜、と溜め息の主を振り返り確認する。
「誰が残念だよ、篠原」
ニヤッと笑う、篠原綾乃に俺は文句を言った。他部署で同期。別のテーブルに、他の奴等と楽しげに座わり、ちっとも聞いていない。
「相変わらず仲良しだな、樋山の代は」
笑いを堪えている高木先輩を睨んだ。
「笑い堪えないでくださいよー」
「うまいわ、篠原さん」
みんなの口に笑みがこぼれた。つられて、俺の口元も緩んだ。
疲れた心も、少しだけ解れた気がする。
大好きな温玉とろろオクラそばに納豆がトッピングされれば最強だと思いつつ、俺は箸をすすめた。
今日も長いなぁ…と心の中で呟き、上司の説教が終わった時には午後6時を過ぎていた。したかった電話が出来ず、パソコン内のスケジュールボードに電話をする予定を入れる。
やる気も集中力も失せた俺は、パソコンの電源を落とした。
「お先に失礼します」
上司に挨拶をし、席を離れる。電話をしていた為、ちらっと俺を見ただけで済んだ。
ふぅ、と息を漏らすと部屋を出た。タイムレコーダーの後ろ、窓口で仕事をしている篠原に声をかける。
「篠原、暇だろ?行こうぜ」
「なんのなの、突然。……じゃあ、緑で。相変わらず失礼なやつね」
顔を上げだ篠原が、呆れた表情をして見せた。
「オッケー!」
足取り軽く、俺は会社を出た。
緑=駅前の「ミレニアム・ダイニング」と言う居酒屋。酒を飲む事が好きな篠原が使う用語。他にも、黄色、白、黒、赤などがある。短い時間でも、よほど緊急の仕事がない限り酒に誘うと応えてくれる。
早く聴きたい、彼女…篠原の言葉を。
先に店内に入り、注文していた料理が揃う頃に篠原はやって来た。
「おっ、ナイスチョイス!さすがは、まこ様」
「他に言うことないんかい」
呆れた俺に、ニヤリと笑みをこぼす。
「え〜…、お疲れんこん!」
「相変わらずのテンションで…。何飲む?」
篠原のくだらないギャクを、あえて無視して飲み物を頼む。店によって酒の種類を変える篠原は、酒にうるさい。ビール、日本酒、焼酎、果実酒、カクテル、ワイン…、店と気分によって様々な酒に手を伸ばし、平然と世間を語る。いわゆる、ザルだ。時に熱く、時にゆるく、会話と酒を楽しむ様は、幸せそうで…その、ほんの少しでも幸せな気持ちになれそうで。好んで篠原を酒に誘う。恋とか愛とかでは、ない気がする。
…と、思う。
…と、思う気がする。
俺の理想は、向笠みたいな可憐で守ってあげたくなる可愛い子が好みだ!
うん、うん、と一人で納得していると、不思議そうな顔で篠原はこっちを見ていた。
「思ったよりも元気そうじゃない。残念なイケメン」
「誰が残念だ、誰が」
はっと我に返り、篠原を睨み付けた。
「最近、眼をつけられたみたいだからさ。この間の会議でも言われたんでしょ?『呼び捨てにするんじゃないわよ!』って」
あまりにも上司の口調に似ていて、つい笑いが漏れる。
「お前っ、…似すぎ!ヤバイな、絶対に将来アレになるぞ」
「やめてよ!!絶対似ないから!あんな風にならないから!怖い予言するんじゃない!!」
必死に否定しようとする篠原を、クスクスと笑い飛ばす。
「嫌な奴ねぇ〜。黙っていればイケメンなのに…。あの時、向笠さんを庇うようなこと言うから眼をつけられるのよ」
「怒られてるなんて、知らなかったし」
「まこ様はお気に入りなのよ。そのお気に入りに、他の女性を褒められたらムカつくに決まってるでしょ。単なる嫉妬」
「はぁ?そんなことで、俺は毎日キャンキャンとネチネチとイビられてるのか?」
飲みかけのグラスを置き、深く溜め息をついた。
くだらない…。すげ〜くだらない。
「大丈夫だよ!すぐに別の事が気になって、意識がそれるから」
「えっ…?」
「そんなイビり、いつまでも続かないって」
篠原はケラケラと笑い出した。
「そんな確証…ないだろ」
人のことだと思って…、と少しムッとして見せる。
「ごめん、ごめん。でも、本当に大丈夫!私もそうだったし」
不思議な顔をする俺の肩をポンポンと軽く叩く。
「今の部署に異動したばかりの時は、結構あったよ。何だかよく分からないことで怒鳴られたり、『この子バカよ!!』ってみんなの前で言われたり。特に女子には厳しいからねぇ…」
俺の上司は、他の部署の上司でもある。だが、そんなことがあったなんて知らなかった。いつも彼女は、ニコニコしてるから。
「…お前も大変だったんだな」
「誰もがみんな、通る道だよ。本当は、『バーカ!!』って言い返したいけどね…。大人としての私が、それを許さないんだ。この先の人生は、広くて長い…。だから、こんな理不尽なことは我慢すればいずれなくなるって思うようになった。だってさぁ、世の中なんて理不尽と不公平で出来てるんだよ!そんな理不尽と不公平と折り合いをつけて生きていくのが大人なのかもね」
篠原の言葉が、スーッと心に染み渡る。
「篠原…」
「まこ様もさ、大丈夫だよ。地球は丸いんだし、悪いことばかりじゃなくて良いこともある!大丈夫、大丈夫」
ねっ!っと微笑まれると、気持ちが軽くなる。
大丈夫…、か。
軽く叩かれる肩から、力みが消える。
「そう、だな!」
フッと息を吐くと、お気に入りのサングリアを煽った。
「そうそう!」
篠原と顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
大丈夫、大丈夫。
そう心の中で唱えると、トマトとカマンベールチーズを生ハムで巻いた『トロけるパッション』を口に放り込んだ。
…やっぱりこの店のネーミングセンスは、篠原好みだ。
今日のお言葉。
『地球は丸いんだし、悪いことばかりじゃなくて良いこともある!大丈夫、大丈夫』
そう。
大丈夫、大丈夫…。